特別企画

ライカレンズは、こうして作られる(後編)

ドイツ・ウェッツラーの工場から

ライカの魅力は、シンプルで控えめながら高性能なカメラボディのことだけでは語り尽くせない。ライカ専用に設計、製造されたレンズの存在こそ、ライカをライカたらしめているもうひとつの理由である。前編から続き、ライカレンズがどのように作られているかを、ドイツ・ウェッツラーの工場からお伝えする。

ライカカメラ社のウェッツラー新社屋外観

2014年に竣工したライカカメラ社の新社屋には、製造設備が組み込まれている。1本のレンズを設計するための頭脳にあたる部門と、製造するための技術を持つ部門が同一の建屋で常に連携しながら活動しているのだ。

特殊な工程も、ウェッツラーの地で内製化

非球面(アスフェリカル)レンズの研磨

見学コースのガラス面に投射された、非球面レンズの研磨工程。ライカは民生品として世界で初めて非球面レンズを採用したノクティルックス50mm F1.2を1966年に発売して以来、非球面レンズの歴史を築いてきた。現在ウェッツラーで稼動しているのは生産性は高いが使用できる光学ガラスの種類に制限のあるガラスモールド式ではなく、あらゆる光学ガラスに対応でき、きわめて精度の高い磁気弾性流体研磨(MRF)式の装置だ。

すべての製造プロセスを一気通貫で

研磨済みレンズのセンタリング

ウェッツラーの工場では、非球面レンズの研磨など特殊な工程だけを受け持っているのではなく、球面レンズの切削や研磨も行われている。この写真は研磨が完了したレンズを鏡筒に収まる直径に削るという、基本的だが重要な工程だ。日本の光学工業用語では「心取り」と呼ばれる。レンズの光学的な中心から外周までの距離がぐるり1周すべて完全に一致するように削る。この精度が低いと何枚も重ねていくレンズの中心がブレてしまうのだ。

コーティングドームとレンズ

また、レンズの不要な反射を防ぐコーティング設備もレンズ研磨と同じ敷地内に設置されている。ライカがレンズに使用する光学ガラスは100種に及ぶ。その中には、空気に触れることで酸化などが進み、レンズ表面がアタックされてしまう硝材もある。そのような現象もコーティングすることで解消されるのだが、研磨を終えた瞬間から劣化は進む。レンズの鮮度を保ったままコーティングに入れる環境が整ったメーカーは稀だ。デリケートな硝材であろうとも、理想の画質を導きだすのに必要であれば、ライカは積極的に採用することができる。

2枚のレンズの貼り合わせ

オールドレンズのファンには馴染みのある"バルサム"という単語は、この工程と関係がある。2枚のレンズを接着するのに、かつてはカナダバルサムという天然樹脂を利用していた。この接合が長期間の経年変化で剥がれかかるとバルサム切れという現象を起こす。

現在ではより強力な紫外線硬化型の接着剤が使われており、貼り合わせるレンズの屈折率に近い特性のものが選定されている。光学的には接着剤の層は薄くあるべきだが、レンズ外周まで行き渡らせる必要もある。レンズ中心にごく微量の接着剤を落とし、専用の治具で押し広げて貼り合わせる。

人間の手による作業、眼による確認

レンズ表面の清掃と検品

鏡筒に組み込まれる前に、レンズの表面を入念にクリーニングし、透過光による目視検査を行う。ここで僅かなコーティングの荒れやレンズの傷などが見つかれば、決して製品として組み込まれることはない。撮影結果として現れることのないレベルの状態であっても、美観として合格点をクリアしていなければライカのレンズとして世に送り出されることは許されない。

レンズの組み込み

こうして1枚ずつ組み上げられていったレンズエレメントが、1本の交換レンズとして機能する状態になっていく。熟練の手作業をベースにして組立工程は粛々と進む。このプロセスには公差と呼ばれる各レンズエレメントの製造上のバラツキを互いに打ち消し合い、設計図面の数値に限りなく近づけるライカ独自のノウハウが凝縮されているという。設計と製造が一体となり、理想の画質を追い込む製品づくりの伝統がライカにはある。だから、いわゆる“当たり”のレンズを求めて何本も同じレンズを買う必要がないのだ。

極めて厳格な品質検査と調整

MTF計測による光学品質の確保

フォーカシングマウント部分に組み込む前のレンズヘッドは、全数がMTF検査装置により所定の性能を発揮しているかをテストされる。数多くの調整機構を持つレンズヘッドの機構部が、すべて正しく設定されることによって設計値どおりの性能をレンズは発揮する。成績に問題があれば、ライカレンズとして世に送り出して良い状態まで再調整が施される。

ズマリットMレンズのMTF計測

この愚直なまでの光学性能への情熱は、すべてのレンズに分け隔てなく注がれている。ライカMレンズの中ではシンプルな構成をもつズマリットMシリーズのレンズも、中判デジタル一眼レフのライカSシステム用の高性能ズームレンズも、等しく厳しいテストを受け、ベストの状態に調整されている。

M型ライカ用レンズのフランジバック計測

レンズヘッドはフォーカシングマウントに組み込まれ、ユーザーが手にする交換レンズのカタチになる。ここでも厳密に距離調整リングの無限指標と実際の結像が完璧に一致するように調整が施される。数多く語られてきたライカの伝説とは、妥協なく厳格な製品づくりをくり返す姿勢と、それを完遂するのに必要とされる極めて精密な道具によって成り立っている。"Made in Germany"という刻印は、極めて高い品質と同義語であると得心できる取り組みが、ライカのウェッツラー工場では今日も進められているのだ。

協力:ライカカメラジャパン

ガンダーラ井上

(がんだーらいのうえ)ライター。1964年東京生まれ。早稲田大学社会科学部卒。某電器メーカー宣伝部に13年間勤務し、2002年に独立。「Pen」「日本カメラ」「ENGINE」などの雑誌や、ウェブの世界で活動中。