特別企画
ドイツ・ウェッツラーの工場から
ライカレンズは、こうして作られる(前編)
2016年6月22日 07:00
ライカは数あるカメラブランドの中でも別格として扱われる存在だ。20世紀の初めに小型速写カメラを世に送り出して以来、グラフジャーナリズムや写真芸術の世界を牽引してきたのはご存じの通り。ライカのプロトタイプが誕生して100年という節目の2014年にライカカメラ社はドイツ・ウェッツラーに新社屋を竣工。その姿は光学機器メーカーのハイブランドにふさわしいものだった。
交換レンズや双眼鏡の鏡筒を想起させるデザインの建屋には、製造部門も組み込まれている。設計やマーケティング部門と製造部門が同一の建屋で活動するというスタイルは、巨大化した企業では難しいことだ。ライカは適度なサイズの企業であるからこそ、同じ建屋ですべてを完結することができるのだろう。
まるで宇宙ステーションのような工場内部
フラットな白い光で包まれた、清潔でシステマティックな宇宙ステーションのような工場内の様子を見学者はガラス越しに見ることができる。筆者は竣工直後の2014年につづいて2015年にも訪問したが、その清潔感に劣化は感じられず、まるで作りたてのSF映画のセットを見ているようでもあった。
工場の中には数多くの人が見受けられ、手を動かし続けている。その多くは、自動機械による合理化をあえて選ばず、手間がかかっても精密かつ上質に仕上げることに重きを置いた工程に携わっている。未来的な設備の中に息づく人間の手技。粛々と作業を進めていく所作は、美しくムダがない。
レンズの端面を削ったままにしておくと、不要な光の反射が生じて画質に悪影響を及ぼす。そこで黒いペイントをするのだが、この工程はすべて熟練の手作業だ。交換レンズ1本の中には何群ものレンズエレメントが収まっている。たとえばライカMシステムの標準レンズ、ズミルックスM 50mm F1.4 ASPH.であれば5群8枚の構成だ。そのひとつひとつの端面が丁寧に手作業でペイントされている。
この工程を丹念に仕上げる理由は、撮影結果を向上させることは勿論のこと、レンズを正面から覗き込んだときの美観を最上級にするためでもある。日本人の情緒的な感覚で表現するなら「古井戸を覗き込んだような」深みのある印象を、レンズの面構えから感じさせてくれる要因のひとつがこの仕上げなのだ。
自動化に頼らず、手作業で組み込む
これはレンジファインダー機であるライカMシリーズ用の交換レンズの組み立て工程で、絞り羽根を組み込んでいるところ。磁気を帯びないように特殊なピンセットを用いて1枚1枚を絞りリング基部に置いていく。最後の1枚を入れるのが非常に難しいのだが、この作業は写真レンズに虹彩絞りが採用されて以来ずっと続いていることで、ライカでは現在も変わらず熟練した作業者に任されている仕事だ。
絞り羽根をすべて入れたら、開閉用のリングを上から乗せて絞りの動きを見る。この写真は、11枚の絞り羽根すべてがスムーズに動いているかどうかを確認しているところ。ライカMシステム用の交換レンズは絞りリングを撮影者が直接操作することで絞り値を設定する。人間の手で操作する部分だからこそ、その挙動を製造時に人間の感覚でチェックしながら作業を進めていくのだ。
人間の感覚を生かして作られるレンズ
人の手によるカメラ操作の感触で、最も気になる部分と言えばマニュアルフォーカス時のフィーリングだろう。ピント操作機構の重要部品であるヘリコイドは、多条ネジと呼ばれる複列のネジで、ネジ山の断面が台形になっているもの。この溝の噛み合わせをタイトすぎずルーズにもならない状態にするために、手作業によるラッピングを施している。これは微細な研磨材を用いて台形のネジ山と溝をならしていく作業だが、ヘリコイドリングを噛み合わせて手で回しながら、適切な重さでリングのどこでも均質な感触になるまで追い込んでいく。
しっとりと吸い付くようなマニュアルフォーカスの感触に欠かせないのが、適切なラッピング処理がされたヘリコイドに塗るグリスだ。その塗布作業もやはり人間の手によるもの。この工程に関しても、ライカが生み出された20世紀初頭から変わることがない。効率よく大量に安価な品物を生産するという考えはライカにない。手間がかかり少数しか作れなくても愚直なまでに最上級の品質を追い求める。それゆえ人間の手を使う工程が、ウェッツラーの新工場にも受け継がれているのだ。
次回は、レンズの中核である光学エレメントについて見ていく。
協力:ライカカメラジャパン