山岸伸の「写真のキモチ」
第50回:薔薇を追った6年
イメージとしての自由と記録としての忠実性
2023年7月15日 13:00
2016年、とある飲食店で隣の席だったことがきっかけで700本以上の薔薇が植えられた庭園を撮影する機会を得た山岸さん。ポートレートの第一人者でありながら近年はばんえい競馬、賀茂別雷神社(上賀茂神社)、球体関節人形、靖國の桜などを撮り続けているが、「花」もまた山岸さんが静かに撮り続けている被写体のひとつである。花を撮ることで見えたものとは。(聞き手・文:近井沙妃)
うちの薔薇を撮りに来ませんか
2016年、当時麹町にあったフレンチのお店で食事をしていた。私のライフワーク「瞬間の顔」で撮らせていただいた有名なソムリエ、Aさんのお店である。隣の席の会話が時折耳に入ってきた。カメラの話やオリンパスという単語、それと誰かの誕生日であること。
可愛いお子様もいて楽しそうなファミリーの食事会の様に見えたが実はその子の誕生日を祝う会だった。いきなり隣の方から「すみません、ちょっと歌を歌ってもいいですか」と声をかけられて「どうぞ」と答えると、本物のテノール歌手の方がバースデーソングを歌いだした。その歌声の響きがあまりに良くて驚いたのを覚えている。皆で手拍子をしながら歌ってお祝いし、自然とテーブル越しに話す流れになった。その誕生日会を主催した彼と意気投合してその後も何度かメールのやり取りをするように。
ある日、彼から届いた一冊の本にはたくさんの薔薇の写真が載っていた。なんと700本以上の薔薇が植えられた庭園を所有しているという。「もしよろしければ一度うちの薔薇を撮りに来ませんか」とお誘いを受け、これはチャンスとばかりにアシスタントを連れお宅訪問。
「花」という大きなくくりでは、靖國の桜や毎年写真展を開催する度にいただいたたくさんの花を枯れる前に撮影し続けている。ビューワーライトを使用したり、印象的な自然光の中で撮ったり、アートフィルターを試したり。時に忠実的に、時にイメージのまま自由に、実験的な要素も含め花の撮影し続けてきた。
そんな中で薔薇との縁はあまり無くて、個人でこの数の薔薇を育てている人に出会ったのは初めて。初回の撮影を終えて後日もう一度来たいとお願いをすると彼は快く受け入れてくれた。行く先々で撮影をさせて欲しいと必ずお願いしてしまうのは私の悪い癖かもしれないね。その後も何度となく薔薇のシーズンになると声をかけ優しく迎えてくれ、私は薔薇を求めるミツバチのように合計6年程この庭園へ通った。
自由度と忠実性
普段から花をモノクロで撮ることも多い。最初の頃は薔薇をOLYMPUS PEN-Fの赤外フィルター効果を強調したような”クラシックフィルムIR”で撮ったりもしたが、やはり美しいものをあまりアレンジして撮るのもどうかと思い「極々普通に、美しいものは美しく撮ればいい」というところに落ち着いた。どの情報を強調するのか、正確な情報を伝えるのも、見る人の想像力に委ねるのも、どちらも写真の力である。花を撮っていると、表現の自由度と忠実性のバランスと向き合うことが多いと感じる。
感覚で惹かれたものを
残念ながらあまりにも薔薇の品種が多く、名前を覚え切れなかった。最初は薔薇の品種まで全部覚えようとアシスタントの近井に品種のネームプレートを撮影してもらったり、自分も満遍なく撮るよう意識していたが回数を重ねるにつれて根本的に薔薇の説明ではなく美しくシンプルに写すことに集中するようになった。
これもまた私の悪い癖なのか、ばんえい競馬でも馬の名前を覚えずにただ自分が撮りたい馬だけを撮ってしまう。薔薇は品種によって満開のタイミングにズレもあるし天気との相性でも違った顔を見せる。その時綺麗だなって自分の目についた薔薇だけを撮る。どうか写真から匂いまで感じ嗅いでいただければ嬉しい。
それぞれの薔薇
時には妻の倫子さんも参入し、アシスタント含め全員がカメラを持って思い思いに撮影したり、女優さんを連れて行ったり球体関節人形を持って行ったりもした。
6年の間に使用するカメラもどんどん変わった。彼もカメラをたくさん持っていて、時には「ヨドバシカメラから届いたばかりなんです」ととてもにこやかにソニーの新しいカメラを手にし、カメラ談義をしながら一緒に撮影したこともあった。
最初はご自宅の薔薇を多くの人に見てもらっていたみたいだが、「一輪ぐらい持って行ってもいいんじゃないか」という方もいたり、マナーの面が影響して段々と家の表よりもお庭の中が充実するようになったとおっしゃっていた。いつでもどこでも大切なのはマナーだ。彼がどのような想いで薔薇を育てているか、そのことをしっかりと頭の中に入れ6年間薔薇を撮らせていただいた。
今シーズンは私が写真展などで忙しく撮影に行くことができなかったが、これからもまた撮らせていただける機会を願う。
プリンセスミチコの記録
ふと、大変光栄な役目を仰せつかった。「プリンセスミチコ」、上皇后美智子さまのお名前がついたこの薔薇は、1965年に英国のプリンセス・アレクサンドラが来日された際、日英の友好の印として英国王室から当時の美智子さまに送られた新種の薔薇。
「プリンセスミチコを育てる会」よりお話しをいただき公式記録者として山梨県の八ヶ岳近くの薔薇園へ撮影に行ったのは2016年9月末のこと。この撮影に関しては正確に記録するのが私の役目であり、色の再現には特別気を使った。そのバランスを取れるのも自由度と忠実性のどちらも意識した上で静かに花と向き合ってきたからだと思う。
最後の最後まで、薔薇って本当に撮るのが難しい。ただ、桜も難しい。相変わらずいくつになっても学ぶことはたくさんある。また花という被写体を通して気づきを得る可能性を感じている。