山岸伸の写真のキモチ
第5回:球体関節人形
人形を人間として撮るということ
2021年2月12日 06:00
球体関節人形をライフワークのひとつとして撮影を続けている山岸さん。これまで『球体関節人形 大竹京×山岸伸』(亥辰舎、2010年8月)や、『球体関節人形写真集 風のなかの少女』(徳間書店、2016年7月)と、人形作家・大竹京氏の作品をはじめとした球体関節人形の撮影を手がけてきている。最初の写真集から10年の時を経て、このほど3冊目の写真集刊行を2月20日にひかえ、人形を人間として撮ろうとしてきたという、そのアプローチについてお話いただいた。
人形を撮るようになったキッカケ
人形を撮るようになったキッカケは亥辰舎さんが出していた大竹京先生の本に出会ったことがはじまりでした。当時僕は慢性骨髄白血病と診断されていて、その名前にまず負けてしまっていた。病名自体もけっこう大げさなものだし、全く予期していなかったことだったから、とにかく衝撃的で、弱っていた。
入院している間は、身体が動かなくなることにもだいぶ落ちこんでいて。「あと数年?」、「身体はどれくらいもつ?」と思っていた。担当していた雑誌や週刊誌の仕事も他の人が撮るようになっていて「これはもうダメだな」と。真剣にこれから食べていくにはどうすればいいのか、ということを考えていました。
そんな中、亥辰舎さんが送ってくれた雑誌・書籍のうち、人形の本に目が止まりました。もしかしたら人形だったら自分のペースで撮影できるんじゃないかと思い、大竹先生を紹介してもらったことが出発点。大竹先生とは初対面だったけれども、撮らせて下さいとお願いしたら、「いいわよ、つくってあげるわよ」と言ってくれて。当時のやりとりを思い返すと、とにかく“ピシッ”としていて、男らしさすら感じさせる人だなと思いました。
そうして、人形が送られてきて早速撮りはじめたワケなんだけれども、最初は球体関節人形がどういうものか、ってことが実は良く分かっていなかった。今でこそ上手く撮れるようになったけれども、その時は、どう撮ったらいいかが分からなかった。一つだけ確かだったことは、人形として撮るんじゃなくて、あくまでも普段の撮影と同じように、人間の女の子を撮るようにしてアプローチしていこうと考えていたこと。そんな風にして、最初の写真集に向けて出発していきました。
そうして出来あがったのが『球体関節人形 大竹京×山岸伸』。最初はヌードも撮ったりしていて、大竹先生からそれはNGといわれたこともありました。やっぱりつくり手自身の想いやコダワリっていうものはありますし、僕自身が描いているイメージもある。だから、そこは常にせめぎあい。僕は先生と直接細かい話はしないんですが、それはお互いの作家性がぶつかってしまうことがわかっているから。
ともあれ1冊目が完成。見返してみると反省するところもありました。それで先生に、その後も新作ができたら送ってくださいと改めてお願いして。人形の撮影は続いていきました。
そうして人形を撮った最初の写真集刊行から約6年。2冊目が徳間書店から出版されました。タイトルは『球体関節人形写真集 風のなかの少女』。実はタイトルの「風のなかの少女」という言葉は、大竹先生からの指定でした。いわばこれは先生から与えられた課題っていうのかな。このイメージに沿って自然を意識して撮影を続けていきました。
大竹先生の作品をメインに撮っていた1冊目とは違って、2冊目では先生の教室に通っているお弟子さんの作品も撮っています。人形の制作は衣装も含めて、作り手それぞれが工夫していることもあって、一つとして同じものはありません。
作品
10年以上の時間をかけて人形と向き合う中、撮影はオフィスを構えている東京・神田のスタジオであったり、ロケの合間など、様々な場所で時間をみつけては進めてきました。これは、僕がいちばん気に入っている写真です。表情とか、女の子を撮っている感じが一番ある。撮影は神田のスタジオでやっています。
旧い建物は奥行き感もそうですが、自然ないい色を出すのを手伝ってくれます。特に、カーテンや壁紙。時代で色が変わっていくわけなんだけれども、ものすごくいいい色がでる。この写真は静岡県熱海市の指定有形文化財「起雲閣」で撮影したもの。よく熱海に通っていた時にお願いして場所を借りています。
これは、東京・文京区にある鳩山会館で撮影しています。暖炉の上にのせて。その場のライティングだけで、他は何もしていません。
再び起雲閣で撮影したカット。床面はタイルなのですが、本物のタイルって、やっぱり違います。
実はこのカット、撮影時にアクシデントがあって片方の目がとれてしまいました。でも撮らないといけないから、応急処置して。寝かせて横顔をなんとか撮影。大竹先生からも「いいわね」と言ってもらえて。とても気に入ってくれました。
人形は粘土でつくられているので、とても繊細です。水につけてしまうと溶けてしまうので、配置する時も、ただその場所に置いていくのではなく、きっちりと水気を拭き取ったりして環境を整えています。
人形の大きさを見せたかったこともあり、電信柱に寄りかからせるようにして撮ったものもあります。
人間と同じで、アングルが変わると表情が違って見えます。キレイに見えるのが横顔。生身の人間でも横顔がダメってなることは、そうありません。男性でもそう。構えがどっちかっていうね。どう撮っても崩れない。でも正面って、その人の「全部」だから、そこは好き嫌いが出ます。
これも起雲閣で撮影したものです。文化財の中で撮っていることを見せることが、意図のひとつでした。
人形を撮ること
今だから言えることですが、2冊目の写真集『球体関節人形写真集 風のなかの少女』が出版された時、先生やお弟子さんからは「フクロウ」という呼び名が与えられていました。なんでだかわかりますか? 表紙の写真が理由なんですが、「首がここまで動く?」という疑問があがったためでした。僕自身は、人形だから動かせる部分もあると考えて、よっぽどおかしくなければ問題ないだろうと思って撮っていました。でも、先生たちにとっては、指がずれていたり、動いていないところが動いていたりなど、不自然になっているのはどうしても嫌なんだ、と言われてしまって。
こうした話は、3冊目の写真集をつくる過程で聞かされました。先生は、お弟子さんも含めて自分たちは人形しか見ていないのだと話します。それで、撮影自体は僕に任せるとも言ってくれる。でもやっぱり、モノが出来あがって形が見えてくると色々な意見が出てきます。そうした中で出てきたのが、関節や指の動き、ポーズなど、動かせてしまうが故の注意点だった、というわけ。
モノとしてではなくて人間と同じように撮ること。これが僕のとってきたアプローチですが、光のあたり方で表情が変わってきますし、感情が伝わってくるように見えることもあります。
人を撮ることって、相手の「気持ち」次第。シャッターを押す時とそうじゃない時の気持ち、そして相手の気持ちが、直で結びついている。ちょっと脇道にそれますけど、そういう意味でポラを見せることはものすごく怖かった。ポラは色のノリがいいので、上がりとの差が出て、イメージと違っていたなんてことがあり得るわけです。モデルは、ポラをものすごく見たがりますので、粘って抵抗して最後には破り捨ててしまったなんてこともあります。それくらいに見せたくない(笑)。
一方で、デジタルではすぐに画面表示を切り替えられるし、ちょっと気になるところがあっても「直しときますよ」で済ませることができる。そうしたすぐに手を入れることができるところが最大のメリットで、フィルム時代との違い。とにかく見せやすさが違います。ポラのように物体として存在していると、じっと見つめて離さないという反応がかえってくることがありますが、デジタルならパッと表示を切り替えることができて、目にとまっている時間も少なくできますから。
3冊目は1年間かけて撮影していった
3冊目に向けた動きっていうのは、この新型コロナウィルスによって時間ができたことがキッカケでした。先生からも、人形を送るね、と言ってもらえて。それで、少し撮り始めたわけ。でも撮り始めてみるとちょっと欲が出てきて……(笑)。で、お弟子さんの作品も含めて撮りすすめていって、3冊目がまとまったというわけです。
今回の写真集は、スタジオで撮るだけではなく、撮影場所にもこだわっています。
基本は女の子を撮っているスタジオに人形も連れて行って撮影していますが、それぞれの人形のイメージに合う場所で撮ったりとか。あらゆる点で、今回の写真集はすごく気合が入っています。そういう意味で「最後のつもり」でもありました。
つい先ごろのことです。3冊目の色校が届いたんですが、先生のところに直接持っていきたくなりました。というのも、この新型コロナウィルスへの感染拡大防止が叫ばれる中で、コミュニケーションのほとんどがメールに。パソコンを使ったやりとりで占められるようになりました。でも、やっぱり実際に会って言葉を交わさないと、微妙なニュアンスは伝わらない。それにメールとかでモノを送ると、じっとそれを見て、ああでもないこうでもない、やっぱりここは直して、みたいなやりとりが延々と続いてしまいます。やっぱりケジメをどこかでつけないといけない。色校が届いたのは夕方のこと。すぐさま新幹線に飛び乗り、福島へ向かいました。天候は雪だったことをよく覚えています。
実際に色校を見た先生やお弟子さんからは「とても良い」という反応が得られました。僕が特に伝えたことは肌色の出方のこと。実際の人形の肌色はわかっているけれども、人間の肌色に近づけたいこともあって少し赤味がかった仕上がりになりますよ、って。3冊目にして、それくらい言えるような関係になったってことですね。
全ての人形を自分一人で撮りきることはできない
写真集を出して、人形の撮影を続けていく中で、写真の撮り方を教えてほしいと頼まれました。そこで、先生のもとに行く度に講習会を開いたりして教えていったのですが、これが状況の変化です。
この連載でもずっとお伝えしているように、写真を撮ることがすごく手軽になって、「写真と旅」から「旅と写真」に、その主従が逆転しました。同じように、それぞれの作家さんたちが、自身で撮影もするようになってきているんです。
作家それぞれが、人形の制作から写真に残すまでを自身の手で完結させたいと思うのは、ごく自然なことです。風景写真を撮る人が、ゼミや講習に通って学んでいくのと全く同じ状況になってきている。それに自分自身がつくったものですから、どう表現すればいいのかもよくわかっていますし、撮影中に壊れてしまうようなことがあっても、すぐに修繕できます。これは、壊さないように、注意しながら丁寧に撮り進めていく自分たちでは到底できないことでもあります。
お弟子さんたちの中には地方在住の方もいらして、それぞれで活動をされています。僕自身は大竹先生と直接やりとりをしていていますが、そうしたお弟子さんたちやそれぞれの活動すべてに関わることはできません。
彼らが僕の撮る写真が好きか嫌いか、というのも大きいと思います。人形のように撮って欲しいという人もいれば、人間のように撮ってほしいという人もいる。人形自体にも、僕自身の写真にも、それぞれのカラーがでます。僕は、自分の色がでないように撮っていますが、それでも全く作風を感じさせないで撮ることはできません。パターンや場所を変えていっても、「この写真何が違うの?」となることもあります。
撮り手が違えば、当然その写真も違うものがあがってきますし、いいものが出来上がることもある。それが撮り手それぞれのオリジナリティになっていくのです。ばんえい競馬もそう。今や、写真を撮る人が増えてきていて、写真展開催に向けた動きなんかも出てきています。当初、なくなってしまうかもと言われていて、応援のつもりで撮影を続けてきましたが、だいぶ状況が変わってきています。
人形の写真は、10年前はまだまだメジャーではありませんでした。それもあって「これは」と思って撮影を継続して、がんばってきました。ですが、今はここで書いているように、作家自身が撮影もするようになってきています。僕の撮り方もレクチャーしましたし。大竹先生からは、撮り続けてほしいと言ってもらえていますが、ここで一区切りかなと思っています。もし、今後の展開があれば、今度はもっと大きなことをやってみたいな、なんてことも考えています。オリジナルプリントを手にしてもらう場をつくったりとかね。