山岸伸の「写真のキモチ」
第28回:台北賓館
日本人がつくった台湾の迎賓館
2022年8月15日 13:00
山岸さんがライフワークとして撮り続けているなかに、台湾での撮影があります。ひとつは龍山寺。そしてもうひとつが台北賓館です。1901年に設立された台北賓館は、歴史や文化としても非常に価値のある建築物です。建築を撮影することも好きな山岸さんが、ここを撮り始めたきっかけやその思いを今回はお話いただきました。(聞き手・文:rinco)
お祈りをしながら写真を撮る
台湾には斎藤工さんのカレンダーを撮影したり、ミニスカポリスを連れて行ったり、ロケに過去5、6回くらい行っていたんです。食べ物が合うし、飛行機に長く乗るのが好きじゃない僕には、最近見つけた中では台湾が一番良かった。暇ができると、「台湾ゆこうぜ!」といって気軽に行っていたんです。
台北に何回か行っているうちに、龍山寺の写真を撮りたくなったんです。龍山寺は大きなお寺で、撮影依頼も多いし、また一般の方も来ているので、ちゃんとした許可を取らないといけないと思い、許可をいただいたうえで撮り始めました。
病気をしたせいで、ここにいるとなんとなく、病気が治るんじゃないかなぁって思うようになって、僕もお祈りをしながら写真を撮っている。ここだけをずーっと撮っていたんです。もう10回くらいは行ってます。
台北に来たら、朝、昼、夕方、と龍山寺に必ず行くようにしたんです。どこへも行かず、ホテルからこの龍山寺までの往復のみ。寺にゆき撮影して、寺からホテルに戻り朝ごはんを食べ、少し休んで、昼にまた行って、夜にまた行って。その繰り返し。そういう写真の撮り方をしていたんです。
表情を見ただけで、「ありがとう」って伝わってくる
ここへは、ほとんどアシスタントの近井をメインで連れて行っていた。なぜ、近井を連れて行くかというと、許可をいただき夢中で写真を撮っていたんですが、次に行ったら「あぁ、ここは同じ人が毎回来ているんだ」って気づいた。その同じ人に撮影した写真をプリントして渡すことにしたんです。その役割を近井に頼んだ。
ここに来る人は、英語なんかほとんど通じないし、近井は女の子だからその辺は僕より親近感も湧くし、近井にもカメラを持たせているから、それでまた写真を撮ったりできるしね。
毎回、A4サイズのプリントを何百枚も持って行って、近井が撮った人の顔を見つけたら渡す、を繰り返していた。そうすると「おぉぉぉぉ!」って、表情を見ただけで、ありがとうって伝わってくるんだ。それが何回もゆくと、なんとなく快く写真を撮らせてくれる人もいるし、まぁ嫌がる人もいるんだけど、そういう繰り返しをして台湾に祈りを撮りに行っていたんです。勝手にここで、祈りを撮ろうと思って撮り始めたの。
「目の前にあるところも撮る?」って言われて
そのことを知り合いの奈良日米協会理事長の北村さんに話した時に、台湾に行ったら紹介するからと連絡してくれたのが、当時、中華民国外交部主任秘書をしていた蔡さんだった。
ある時、「今日、蔡さんのところに行ってみようか!」って、中華民國外交部に連絡をしたんです。蔡さんは日本にいた人だし、日本語が話せるから。タクシーで行ったら、住所と違うところに連れてゆかれたりして、なんとかたどり着いて……。「蔡さんをお願いします」と入り口で待っていたら、ご本人が「どうもどうも、電話で聞いているよ」ってやってきたんです。
色々とお話をさせてもらい、昼ごはんをいただいているときに、「目の前にあるところも撮る?」って言われて、それが台北賓館だった。台北賓館というところは、普段は門が固く閉ざされて高いコンクリート壁に覆われているので、外からは見えません。なので、中に入ったときに「うわ!すごい!!」って感動したんだ。
中華民國外交部の職員に館長を紹介していただき、館内を案内して写真を撮らせてとお願いしてくれて、撮影したんです。
言葉が通じなくても写真という共通のものがある
面白いじゃない、「日本人でここまで撮った人はいない」くらいのことを言われると。すごい感動したから「また来て良いですか」って話をした。館長さんはいつでもおいでよって言ってくれた。その後も調子に乗って、台湾に撮りに行ったんです。それから約4回、撮影に行きました。1回ゆくと、2日間ずつ撮影していましたね。
2回目からは通訳を担当につけてくれて、その人に案内されて撮影する流れになったんです。ここでも僕は必ず撮影した写真をプリントして持参し、プレゼントしたんです。毎回、館長も感動してくれる。「もっと撮れば?」って、前回は行けなかった場所を案内してくれました。
館長さんは大の写真好きで、ニコンユーザー。会って3回目くらいに「実は……」と彼は自分のカメラを持ってきたんです。写真が好きな人は、写真屋にはすごくとっつきやすいというか。海外で言葉が通じなくても写真という共通のものがあると交流ができる。でも当時の館長も替わりその後の挨拶ができてないから、果たして撮りにゆくことができるのかどうかも、今はわからないです。
彼の在任中、日本人では一人の建築家の方が外観を撮影に来ただけだと。中は、誰も撮っていない。まして、全部案内してカメラマンが撮影したのは、今までにないとのこと。だから貴重な写真だと思うんです。台湾では総統府が一番で、その次が台北賓館だと思いますしね。
一つにこだわると、そこしか撮らないという悪い癖
僕みたいにガッツリ全部撮らせてもらっている人はいないと思う。ここに興味が湧いたのは、日本人が作った建築なのに、それ以降日本人のカメラマンが来たことがないといわれたのが理由。普段はここは誰もいない。この広いところをカメラを背負って、僕が歩いて撮っていく。
また、その間に朝は必ず、龍山寺に行って撮影して帰ってくる。行ける時は撮っていました。ここはかなりの量を撮った。いつかは発表しようと考えていたんですが、台北賓館に惹かれてしまったから、こっちを先に仕上げないとと思ってね。
台北賓館を一生懸命撮っていたら、龍山寺にだんだん行かなくなってきたんだけど、龍山寺は本当に好きになっちゃったんだね。もし、発表できるなら、もう一回だけ行って今までとは違う自分の頭の中で描く写真を撮れれば、それで十分撮れたかなって思うんです。僕って一つにこだわると、そこしか撮らないという悪い癖があるんですよね。
この人は龍山寺で仲良くなった人。毎回いろんな人を紹介してくれる。名前も何もわからないし、お寺で働いている人ではなく、信者さんです。この人だけは、僕の顔を見るとわかってくれる。
最後に撮ってから3年、行っていないです。最後の撮影をしてみたいなと思うんだけど。そういう機会に恵まれたら良いなと思ってます。
「つわものどもが夢の跡」っていうのに、ロマンを感じる
1911年、建築技師 森山松之助が設計を担当し改築工事を行われた。東京駅を作った辰野金吾の元で建築を学んだ教え子です。森山松之助は台湾にたくさんの建築作品を作っているので、本当はそういう建築をたくさん撮りたいんだけど、誰も入れずに残っているのは、ここくらいしかないんだ。
僕は建物を撮るのも好き。歴史が好きっていうのもあるのですが、こういう建物の中で「つわものどもが夢の跡」っていうのに、ロマンを感じるんだ。
これからは、自分の撮ってきたのものを残してゆきたい
ここでの作品はオリンパスのカメラで撮影したのがほとんど。オリンパスをたくさん使った理由は、デジタルシフトという設定があり、垂直を補正してくれる。基本、部屋の全体を入れて撮るのに魚眼レンズを使い、その時にこの設定を使うと建物の垂直を真っすぐにしてくれる。
残り1割くらいは、ニコン Z 7で撮影。当時出たばかりだったので、使ってみたいと思い持って行ったんだ。こういう撮影はカメラで随分と写りが変わる。だから、もしできたら、最新のカメラでもう一度だけ撮影したいと考えてます。そして、それを発表できたらと思っています。それと、龍山寺の祈りもきちんと発表したいと願っている。
「これからは、自分の撮ってきたのものを残してゆきたい」って気持ちが凄くあるんです。応援してくれる人?クラウドファンディングでも良いか?(笑)。将来、本ができたら良いなと思ってます。