赤城耕一の「アカギカメラ」
第31回:HELIAR classic 50mm F1.5 VMでわかったレンズの「品格」
2021年10月5日 09:00
先ごろコシナから発売されたフォクトレンダーHELIAR classic 50mm F1.5 VMですが、筆者の元にこのレンズを購入したレンズマニアさんからさまざまな声が届いています。デザインが綺麗だとか写りとは関係ない声もあるし、具体的な描写の感想としては開放での軟らかい描写とか、ハイライトが滲むとかボケにヘンにクセがあって面白いとか。
「は?」てな感じですよね。現行最新レンズでは、少しでもクセがある描写をしようものなら、思い切り叩かれるんだけど、コシナの考える「クラシック」の銘のあるレンズは、その真逆というか、いずれもあえてクセのある描写に挑戦し、多くのユーザーから共感されています。
今回は作例で手元にあるコシナ・フォクトレンダーのヘリアーシリーズをいくつかご紹介するとともに、「クラシック」なレンズのあり方とは何かを少し考えてみたいと思います。
コシナ・フォクトレンダーブランドで初めて「クラシック」の冠がついたレンズは、NOKTON classic 40mm F1.4 VMと記憶しています。コーティングもMC(マルチコート)とSC(シングルコート)の2種から選択できるようにするなど、その凝りようにびっくりしましたが、いまもロングセラーが続いているのは、標準ぽくも広角ぽくにも使えるフレキシブルな40mmという焦点距離だからでしょうか。
のちに発展してNOKTON classic 35mm F1.4 VMが登場し、これもロングセラーとなり現在は改良型のII型になっていますが、私の考え方ではこの2本のレンズは、特別なクセ玉というよりも、設定絞りや光線状態で微妙に描写が変化するのが一番の魅力だと考えて、だから「クラシック」名がついているのではないかと解釈しています。普通に良質な写りをします。
話をヘリアーに戻すと、コシナ・フォクトレンダーが1999年に世に出た時、すでに「ヘリアー」名レンズは存在していました。これがご存知、「SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5」ですね。廉価なレンズで高性能であったことから大人気となり“プアマンズ・ホロゴン”などと称されもしましたが、熱心なカメラクラスタさんの一部からは「ヘリアー名」を35mmカメラ用のレンズにつけるとはなんだ、とか「ヘリアー」は本来は3群5枚構成が基本なんじゃねえのか?あ?という難癖じゃない指摘が寄せられたといいます。対応が面倒くさいですねえ。つまりヘリアーは大判カメラ用のレンズのブランドであるということを知っているカメラクラスタの一部が、35mm判のライカスクリューマウントレンズにその名を冠するとは何事ぞと文句をつけたわけですね。このスーパーワイドシリーズはULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6とか、現行品でもHELIAR-HYPER WIDE 10mm F5.6に受け継がれていますね。
またこの時期、ライカスクリューマウントレンズの交換レンズ、一眼レフ用の交換レンズとしてもCOLOR-HELIAR 75mm F2.5というレンズがありました。これね、写りすぎるくらいよく写ります。ほんとです。今さらそういうこと言うなよと言われそうですが、ちょっとお試しになってみるといいと思いますよ。あ、現行品じゃないからダメですね。いや、探しなさいとか言いませんよ。レンズ構成はこれも5群6枚構成ですし、ヘリアータイプの正しさを取りたい方はやめたほうがいいと思います。
ま、でもいいじゃないですかねえ。保守的な方ほど「前例がない」ということで、新しい技術や方法論を取り入れることに対して及び腰になるものですが、すでにフォクトレンダーといえばコシナだし、コシナといえばフォクトレンダーなわけで、すでに22年にもなる歴史があります。
こうしてコシナ・フォクトレンダーにおけるヘリアーの立ち位置は少し変化したのですが、どうせなら正統派の3群5枚構成のヘリアーを作ろうということで登場してきたのが、HELIAR 50mm F3.5 101th modelですね。ヘリアー誕生101年を記念したBESSA-T101thというリミテッドモデルのキットレンズとして誕生しています。このレンズは35mm判カメラ用として初の3群5枚構成のヘリアーということになります。このレンズはHELIAR Vintage Line 50mm F3.5として生まれ変わり現行品となっていますが、あらゆる条件で何としてもシャープな描写が欲しい人は買っておいたほうがいいと思うなあ。
次の正統派の3群5枚構成のヘリアーはフォクトレンダー誕生250周年記念モデルと同時に登場した、HELIAR classic 50mm F2ですね。この時点でヘリアータイプの開放F値はF2.8までとする常識的な限界を突破し、F2という設定になりました。このレンズも限界を突破したくせによく写るのです。開放で周辺域が少しぐずぐずになるレンズが好きなあなたのためにあると思います。中古市場で見かけたら……。いやなんでもありません。
また、焦点距離は少し長くなりますが、トリプレットタイプの発展形、ヘリアタイプの変形ともいえる3群6枚のレンズ構成を現代の光学技術を使って開発されたのがHELIAR classic 75mm F1.8ですね。これ、大きな声では言えませんが、隠れた名玉ですね。なぜ製造中止になったのでしょう。
変わり種のヘリアーとして、HELIAR 40mm F2.8もあります。沈胴式のクラシカルスタイルなのですが、レンズ自体にはピント合わせの機構がなく、同社の補助ヘリコイド付きVM-Eマウントアダプター専用のレンズなのです。つまりVMマウントなのにEマウントのカメラのために作られているのです。かなりぶっ飛んだ企画が素晴らしいですね。レンズ構成は3群5枚で、1枚の非球面レンズを採用しています。3群5枚のヘリアータイプですが、明るさに無理がないので、ヘリアータイプ構成の力を十分に発揮しているといってよいでしょう。このレンズもカタログ落ちしているみたいですので、もし見つけたら。いや、なんでもありません。
先にも述べたように、もともとヘリアー名のレンズは旧フォクトレンダーの代表的なブランドレンズです。大判カメラ用のレンズとして開発されています。3群5枚構成ですからトリプレット発展型といわれ、肖像写真に適したレンズとして重宝されていました。描写に軟らかさがあったからでしょうね。いまふうに言えば、徹底した収差補正をしたレンズというより残存収差のコントロールが良好なレンズということになるのでしょうか。さらにユニバーサル・ヘリアーというレンズも有名です。こちらはレンズの移動で球面収差のコントロールが可能でしたので、美しいソフトフォーカス効果が期待できました。
そういえば少し前のことですが、写真家の細江英公さんも大判カメラでヘリアーを使っているという話を講演で聞いて、メカニズムやレンズ話からは一番遠いところにいるような日本の代表的巨匠写真家から具体的なレンズブランド名が挙がったことに驚いた記憶がありますが、ここから「ヘリアー」名は私のアタマに刻まれました。
このHELIAR classic 50mm F1.5 VMの凄さは、前例の前例もぶっ飛ばして、ヘリアータイプで大口径の標準レンズを作ってやるという気概を感じさせます。レンズ構成は3群6枚です。少し変則的ですがヘリアタイプをベースとしていることがわかります。しかもヘリアタイプでは禁じ手ともいえる焦点距離50mmでF1.5という大口径を実現しています。なぜ禁じ手なのか、このレンズタイプでは、収差を抑え切れないからでしょう、抑えるというより撮影者がレンズを理解して、馴らしてゆくという考え方をとっていますが、これは同社のMマウント互換の超高性能標準レンズ、APO-LANTHAR 50mm F2 Asphericalの設計思想と真逆の考え方ですね。もちろんアポランターがあってこそ、本レンズの存在が生きるわけです。
絞り開放時の球面収差とコマ収差の影響は絶妙ですが、撮影距離や光線状態、被写体の形によっても雰囲気が変わって見えてくるという不思議な描写をします。絞ると明確にアウトフォーカス像も立ち上がるように変化して、F5.6あたりでは最新設計の50mmレンズと見分けがつきません。絞りの設定でコントロールできるレンズですね。最短撮影距離は0.5mですから、ライカMの距離計連動範囲を超えていますが、ライブビューでピント合わせてね。ということでしょう。もちろんこれだけの至近距離で撮影すれば、さらに収差は増大するのではないでしょうか。コーティングはシングルコートのみです、願わくば、逆光時に変なフレアとかゴーストが出てね、という方向性ですね。絞り羽根は10枚あります。
鏡胴の造りも凝っています。黒色塗装のアルミをベースに、フォーカスリングは細かいダイヤパターンのローレット加工。一部には真鍮を使い、ニッケルメッキの仕上げを施しています。鏡胴の先端まで黒く塗装されているのは、これまでのフォクトレンダーレンズにはあまり見られない点です。フードはねじ込み式で、フードの上から被せることのできるキャップもついています。
ここまでやるのかというこだわりですが、昨今のミラーレス機用の交換レンズに見られる、幼稚園児が持つ水筒のコップみたいな、いかにもプラスチックくさくて手抜きに感じるような仕上げのレンズと比べてみると、感動で涙が出そうです。
私たちは、これらのクラシックな光学設計のレンズや、歴史あるレンズに対して何を求めているのでしょうか。収差=欠点という定義をつけると、これらのレンズは全て失格となります。しかし、収差=味わいという考え方はかなり昔から定着していました。ソフトフォーカスレンズの多くが、球面収差を応用しているからですね。
最新の高画素ミラーレス機のポテンシャルを生かすには、徹底して収差を潰しにかかった高性能レンズがなければならないとする論評は珍しくありませんし、ある意味では正しいと思います。
この逆の意味で、そうしたクラシックなレンズを使って、私たちは何を表現しようとしているのでしょうか。撮影者はカメラの特性と組み合わせ、写真の中で何を表現するかを考えねばなりません。最新レンズとクラシックレンズのあり方は表裏一体なのです。
最新超高性能レンズの性能を利用し、鮮鋭性の高い写真を制作し、肉眼で見られないものを見られるようにしたことで得られるものは確実にあると思います。逆にクラシックなレンズを用い、本来は肉眼で鮮鋭に見えているものをレンズを通してあえて隠してしまうことで得られるものも確実にあると思います。
ただ、勘違いしてはならないのは、私たちの撮影目的は、超高性能レンズを使用して分解能を追求するということでもなければ、ぐるぐるなボケや、像の滲みを追求するために写真制作をしているのはないということです。ひとたび手段と目的を履き違えてしまうと、これを矯正するのって、ちょっと大変です。
つまり、いろいろな描写をするレンズがあり、私たちは自分の撮影目的にそれらの個性あるレンズの描写がいつか合致するのではないかと信じて妄想するからこそ、終わりのない「レンズの旅」に出発し、挙句の果てには、同じ焦点距離のレンズを何本も所有することになります。
ええ、そしてレンズ導入に成功したのはよいのですが、冷静に考えて新旧4本も同じ焦点距離のレンズを所有していることを自分であらためて認識すると、「いったいどうやってこれらを使い分けろというのだ」と激しく自己嫌悪に陥ることになります。これを避けるには1枚でも多く写真を創ることです。コロナが危険だからと自室でレンズばかり拭いていても何も生まれません。ちなみに、奥さんの目をごまかすために今ごろ優しい声をかけても逆に怪しまれるだけだと思いますから念のため。
コシナがフォクトレンダー交換レンズで「クラシック」レンズシリーズに取り組んできたことは、真面目な意味で注目に値します。何よりも現行レンズなのに数値性能の追い込みだけではない写真的描写を追求したということは、あくまでもレンズ設計の方向性を写真中心に考えているからに他なりません。クラシックという言葉の中には「古い」という意味だけではなく「品格」という意味も込められているわけです。HELIAR classic 50mm F1.5 VMとこれまでのコシナ・フォクトレンダーのヘリアー名レンズを使用しての率直な感想です。