切り貼りデジカメ実験室
“影”だけが写る「影絵カメラ」
Reported by 糸崎公朗(2014/3/27 12:00)
“もの”は写らず“影”だけが写るカメラ
思い起こせば本連載「切り貼りデジカメ実験室」は2008年2月からスタートし、足かけ6年も続いている。その間、数々のカメラ改造を行ない、ぼくは写真家やカメラマンならぬ「カメラ家」になってしまった感がある(笑)。
そして、その総括のようなトークイベント「糸崎公朗のフォトモと改造カメラワールド」を3月29日土曜日に東京・銀座のT.I.Pで開催するのだが、これに先立って我ながら画期的なカメラを作ってしまったので、紹介しようと思う。
「写真は光と影だ」とはよく言われることだが、しかしたいていの写真には光と影の他に“もの”が写っていて、この議論は真面目に考えるとなかなかに難しい。
難しいことを考えながら、ふと“もの”は写らず純粋に“影”だけが写るカメラというものを考えてみたのである。構造としては暗箱の一面に影を投影するスクリーンを貼り、これを反対の内側からデジタルカメラで撮影する、というシンプルなものだ。
このアイデアスケッチをデジカメWatch編集部にメールしたところ、「超広角レンズ付きのデジカメを使えば箱の厚みが減らせるかも知れないし、だったら21mm相当のTG-850がいいのでは?」というアドバイスを頂戴した。
確かに、オリンパスから発売されたばかりの防水コンパクトデジタルカメラ「STYLUS TG-850 Tough」は、超広角21mm相当からの5倍ズームレンズを装備し、かつマクロ撮影にも強いことを特徴としている。
というわけで、オリンパスからTG-850をお借りして、「影絵カメラ」の発想を具現化してみることにした。
―注意―- この記事を読んで行なった行為によって、生じた損害はデジカメWatch編集部、糸崎公朗および、メーカー、購入店もその責を負いません。
- デジカメWatch編集部および糸崎公朗は、この記事についての個別のご質問・お問い合わせにお答えすることはできません。
カメラの使用感と実写作品
完成した「影絵カメラ」を屋外に持ち出すと、まずその大きさに我ながら驚いてしまう。このかさばり具合はまさに写真黎明期の「カメラ・オブ・スキュラ」(暗箱)を彷彿とさせ、先人の苦労がしのばれる。
影絵カメラにセットしたTG-850は、ズームを21mm相当に固定し、プログラムオートで撮影した。ピントはオートしか搭載されてないが、問題なくスクリーンに投影された影に合わせてくれる。大型のカメラを抱えながら撮影することになるので、チルト式液晶モニターを非常に便利に使うことができる。
さて影絵カメラで撮影した写真だが、普通の写真とはまったくセオリーが異なり、実に新鮮だ。まず、当たり前のことだが遠景がまったく写らず、スクリーンに接するギリギリの、ごく近くのもの(と言うかその影)しか撮影できない。
しかし独特に奥行きのある世界が描かれるのは、物体とスクリーンの距離によって投影される影の“ボケ具合”が異なるためだろう。それ以外のものの立体的形状や、固有の色彩は失われ、輪郭形状も遠近法とは異なる法則で歪められ、何とも不思議な“写真”になった。
暗箱にレンズでもなくピンホールでもなく、ものの影を投影するスクリーンを備えた影絵カメラの構造は、Web検索した限りでは類が無いようで、カメラとしてはまさに画期的と言えるかもしれない(笑)。
- 作例のサムネイルをクリックすると、リサイズなし・補正なしの撮影画像をダウンロード後、800×600ピクセル前後の縮小画像を表示します。その後、クリックした箇所をピクセル等倍で表示します。
「ウニ」から生まれた影絵カメラ
今回の影絵カメラ発想の源は、実は生物としての「ウニ」にある。と言うと唐突なようだが(笑)、「生物から見た世界」(ユクスキュル著、岩波文庫)という科学書に記された、ウニの知覚世界がヒントになっている。
ウニは海底を這う動物で、眼が無い代わりに皮膚全体で光を感知する。例えば、ウニの皮膚に天敵である魚の影が投影されると、影の無い方向に逃れようとし、そうやって身を守っている。
しかしウニは影に反応するだけだから、船の影や雲の影にも同じような退避行動をとる。ウニの視覚は光と影だけからなり、ものの立体形状や色彩、空間などが認識できないのだ。
そんなウニの知覚世界はどんなものなのか? と想像するうち、それは「影絵」に近いだろうと、ふと思い当たった。それで「影絵による知覚界」を再現してみたくなり、影絵カメラの製作を思い立ったのだ。
この「生物から見た世界」と言う本で、生物学者で哲学者のユスクキュルは「環世界」という概念を提示している。環世界とは「生物種に固有の主観的世界」という意味で、客観的世界を現す「環境」との対義語でもある。
例えば、人間は主に「視覚」を頼りに知覚認識するが、犬は「嗅覚」、コウモリは「聴覚」(超音波)を主な知覚として用いる。だから人間、犬、コウモリが同じ「環境」にいたとしても、それぞれが認識する環世界は全く異なる。生物種は外見上の姿形も多様だが、内面的な環世界もまた多様なのだ。
さらに人間もそのあり方は実に多様で、生物学的には同じ人間でも時代によって、地域によって、個人によって環世界はそれぞれに異なる。また、技術の進歩は人間にさらなる環世界の変化をもたらす。例えば近代的な鉄道網や道路網の発明は、これまでに無く新しい環世界を人間にもたらしたはずである。
同じような意味において、「カメラ」や「写真」も実は環世界と密接に関係している……なんてことを考えながら、この連載はこれからも続いてゆくのである(笑)。