私はこれを買いました!
Z 50はいいぞ
ニコン Z 50(飯田ともき)
2020年12月28日 12:00
Z 50はいいぞ
Z 50を使って機材観が更新した。次のように。
小型について
NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VRは二重沈胴で沈胴時はとても薄く、Z 50と組み合わせて上から見ると、グリップを含めて四角に近い形なのでカバンへの収まりがとてもよい。小型というのはボディのみでミリ単位の争いをするものだと思っていたが、レンズのことを忘れていた。これからはレンズをつけてカバンに入るかどうかをチェックしたい。
軽さについて
Z 50の見た目はグリップが大きいという印象だったが、マウントアダプターでMマウントレンズをつけた時に意味がわかった。しっかり掴めて疲れないという性能は重量の数値を元に考えていたが違うようだ。そもそも軽さは自分の手で確かめるものである。
ファインダーについて
OVFには覗き込む愉悦があり、とくにMFカメラでは感動的なピント合わせを体験できる。しかしマット面の光の拡散には特性があり、接眼光学系にはサイズ的限界があるのでバックライトを有するEVFが上回る日がくるとは思っていたが、それがZ 6の発売日だった。そのファインダーと同レベルのものがエントリー機にも入っているとは思わなかった。
カメラの細部にわたるUXについて
端子カバーが少し残して全部外れること。端子カバーはゴム製で塵滴にも強そうであること。ちゃんとボディ中央に三脚ネジがあること。レンズ横ファンクション2ボタンに触れてわかるような出っ張りがあること。グリップ感の良い貼り革。やさしい感触があるモードダイヤル。絶妙なクリックの硬さと丁寧なローレットのサブダイヤル。ゴミ箱ボタンが他のボタンより控えめな突出。スペックシートに載らないところも細部まで品質を上げてこそUXが高くなる。
思想について
カメラはスペックとデザインという2つの語り口があるように思う。スペックとは、画素数や何段手ブレ補正、毎秒何コマ、重さやMTFなどの数値化できるものを指す。デザインとは、グリップの深さやボタンの位置、シャッターの感触などの数値化に向かないUIを指す(なお、形の見た目の良し悪しや、高級素材を採用する事はここでは省略する)。
カメラは、スペックをデザインで包み、人間とレンズの間に立って通訳をするような存在である。特に一瞬を追うカメラは、瞬時の正確な同時通訳が求められており、これは一眼レフとクイックリターン機構でいったん完成した。その後AEをはじめとする自動化が進み通訳者の負担はどんどん増えていったが、かわりに人間は撮影に集中できるようになっていった。今では自動化も極まり、再びいったんの完成を果たしたように思う。
そこで私は、この先を見据えるのは「思想」ではないかと考えている。思想をつらぬいたプロダクトは、ちょっとやそっとではコモディティ化しない。
最近でわかりやすいのは「絞りのないレンズ」「テレコン内蔵の軽量超望遠ズーム」「現代レベルの大口径MFレンズ」である。おわかりのように「普通ではないスペック」、つまり新規開拓のプロダクトだ。
売れた前例があり、枯れた技術を使い、安定生産が見込め、少しでも前回を上回るスペックがある類似品であれば売りやすいだろう。だが、誰にでもウケそうで売れそうなものは結局だれにも刺さらないものだ。逆にトガッた製品は必ず誰かにブッ刺さる。日本のカメラ人口はとても多いので思ったよりたくさんの人にブッ刺さる。
以上の例は「スペックに宿る思想」の話で、Z 50は「デザインに宿る思想」の側である。触ってみれば思想が分かり、使ってみれば確信するだろう。このカメラはスペックで写真を撮るのではなく、触って使って撮るカメラなのだから。
近況報告
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