インタビュー

キヤノンEOSの交換レンズ「累計生産1.5億本」の歩み——多彩な選択肢、非球面レンズ編

「EF11-24 F4L USM」に使用されている特殊レンズ

キヤノンがEOS用RF/EFレンズシリーズの累計生産本数1億5,000万本を達成したことをうけて、同社レンズ技術の開発秘話にせまる本企画。本稿では「非球面レンズ」についてお届けする。

キヤノンでは、加工方法により精度やコストが異なる非球面レンズを使い分けている。高い精度を求められるレンズ加工には、加工技術の開発・向上が重要になるが、それと同様に加工機器の管理やメンテナンスも欠かせない重要な要素だ。そこには生産工場を支える熟練メンバーの存在があった。

左から、キヤノン株式会社イメージコミュニケーション本部 宇都宮工場 豊田主任
キヤノン株式会社イメージコミュニケーション本部 光学技術統括開発センター 西村主幹
キヤノン株式会社生産技術開発本部 加工プロセス開発センター 町主席
キヤノン株式会社イメージコミュニケーション本部 宇都宮工場 高柳主任

“非”球面レンズの役割

レンズに入射した光が、レンズを通り抜けた後に一点に集まること。これが理想的なレンズの条件のひとつだ。

一般的なカメラレンズには、球体の表面を切り取ったような「球面レンズ」が使用されている。しかしこの球面レンズは光が入射した際、レンズの周辺部を通る光と、中心部を通る光で焦点位置がずれてしまうという、原理的な課題がある。

焦点位置のずれは、像がぼやけてしまう「球面収差」を引き起こす。また、球面レンズでは画面周辺が歪んでしまう「歪曲収差」や、色の滲みを引き起こす「色収差」が発生しやすいという性質ももっている。

球面レンズは、光の焦点位置にずれが生じてしまう傾向がある(参考:キヤノンビデオスクエア)

こうした収差を補正するための手段の一つは、性質の異なるレンズを様々に組み合わせること。球面収差は凸レンズと凹レンズでは反対方向に起きることから、ふたつのレンズを重ねることにより補正することができるというわけだ。

一方で、こうした諸収差を根本的に解決する手段として注目されたのが「非球面レンズ」だ。非球面レンズは、レンズ周辺部に向かって曲率を変化させていき、中心部から周辺部までを通る全ての光を1点に結像させ、収差を抑制する。複数枚のレンズを組み合わせることで収差を補正する球面レンズと比較して、非球面レンズを効果的に使用することで構成枚数が減り、製品の小型化や高画質化を実現できるという。

球面レンズで発生する球面収差
非球面によって焦点位置を合致

キヤノンは1963年から非球面レンズの開発に着手し、1971年に同社初の非球面レンズを採用した一眼レフカメラ用交換レンズ「FD55mm F1.2AL」を発売。今年は同レンズの発売から50周年となる節目でもある。

FD55mm F1.2AL(1971年発売)

非球面レンズの種類

キヤノンには加工方法の異なる4種類の非球面レンズがある。それぞれ加工方法が異なり、精度やコストなど、レンズ設計のコンセプトにより使い分けられている。ここではその4種類の特徴について確認していく。

研削非球面レンズ

ガラスを1枚ずつ研削、研磨して仕上げる方式。

・大口径に対応
・硝材や形状の選択に自由度があり、設計自由度が高い
・4種類のなかで一番精度が高い
・加工に手間がかかるためコストが高い(4種の中で一番高コスト)
・比較的高価なLレンズに使用されている

ガラスモールド(GMo)非球面レンズ

ガラスを高温で軟化させ、高精度の非球面金型でプレスする方式。

・硝材自由度は研削非球面より若干低い
・設計自由度は高い
・モールド成形のため、コストは研削非球面レンズより低い
・現在、一番多くのレンズで採用されている
・両面非球面レンズにも対応可能

レプリカ非球面レンズ

非球面形状の金型と紫外線硬化樹脂を使用し、球面ガラス上に非球面を成形する方式。

・GMo非球面よりさらに低コスト。プラスチックモールド(PMo)よりは高コスト
・ガラスの上に樹脂を成形するので設計自由度はそこそこ高い
・樹脂素材について環境特性を考慮する必要があり、設計自由度はGMoより低く、PMoより高い

球面ガラスレンズ上に紫外線で硬化する樹脂を滴下し、非球面形状金型に入れた後に紫外線を照射。紫外線硬化樹脂を硬化させ非球面レンズを形成する
プラスチックモールド(PMo)非球面レンズ
非球面レンズの形状を反転した高精度な金型に樹脂を充填。離型後、コーティングを施して仕上げ

非球面金型に樹脂を充填し非球面レンズを成形する方式。

・量産性に優れるためコストが低い
・材料費を比較的抑えられる
・材料の種類が限られており、かつ環境特性を考慮する必要があるため設計自由度が低い
・両面非球面にも対応

4種類の使い分けは?

光学設計において重要なのが「大きさ」「性能」「コスト」の3要素。製品によってこの3要素のバランスをどのようにとるかが変わってくる。性能に特化する場合は精度の高い研削非球面やガラスモールド非球面を選択する。一方で、低価格がコンセプトになっている場合は、使用する硝材もコストを抑えたレプリカ非球面やプラスチックモールド非球面を選択する。製品仕様によってこの4種類の非球面レンズを使い分けることになる。

研削非球面のように設計自由度が高いレンズはコストが上がるというジレンマもあり、性能が良いからといってどんな製品にも多用できるわけではない。製品のコンセプトや仕様によって4種類のレンズを使い分ける必要があり、キヤノンでは“万能なレンズはない”と考えているという。

コンセプトの違いで選択

例えば「RF50mm F1.2 L USM」と「RF50mm F1.8 STM」。焦点距離が同じ2本だが、RF50mm F1.2 L USMは“大口径高画質”というコンセプトを持ったレンズで、硝材の設計自由度を確保でき、かつ高い加工精度の要求に応える研削非球面レンズ2枚とガラスモールド非球面レンズ1枚を採用している。

RF50mm F1.2 L USM。キヤノンオンラインショップでの販売価格は税込32万1,750円

一方でRF50mm F1.8 STMは、小型化を実現しながらコストを抑えたいというコンセプトがあるため、プラスチックモールド非球面レンズを採用した。

RF50mm F1.8 STM。キヤノンオンラインショップでの販売価格は税込2万8,600円

もうひとつ、「RF24-105mm F4 L IS USM」と「RF24-105mm F4-7.1 IS STM」という同じ焦点距離を持つ2本のレンズを例にしてみる。RF24-105mm F4 L IS USMはご存知“Lレンズ“。高級な位置付けのレンズゆえ、ガラスモールド非球面を3枚使用している。

対してRF24-105mm F4-7.1 IS STMは、製品としての価格も安くなるわけだが、非球面レンズもコストを抑えたプラスチックモールドを採用している。製品名からは一見して同じようなスペックに見えるが、要求される光学性能が異なるため、高価なガラスモールドと、安価なプラスチックモールドを使い分けている。

RF24-105mm F4 L IS USM。キヤノンオンラインショップでの販売価格は税込15万3,450円
RF24-105mm F4-7.1 IS STM。キヤノンオンラインショップでの販売価格は税込6万6,000円

製品仕様については、企画段階である程度の大きさやコストなどの全体像が決まっているという。そこからそのレンズのコンセプトに当てはまるように光学設計を追い込んでいくのだが、製品企画が上がってきた段階で、理論的、経験的な部分から、どの硝材を何枚使えるかなどのおおよその見当をつけることもできるのだそうだ。

ガラスモールド非球面を掘り下げる

両面非球面の登場

デジタル化が進むにつれて、交換レンズにより高画質が求められるようになってきたことから、製品に非球面レンズを採用する機会は多くなっているという。しかし、無闇に枚数を増やすと、製造難易度やコストが上がるという課題が生じてくる。そこで、近年増えてきているのが両面非球面レンズなのだという。

レンズの両面を非球面にすることで、単純に効果が2倍になるわけではないが、片面よりは収差補正の効果が高い。しかしその分、求められる加工精度が高くなるため、レンズ設計においては補正効果や組み立ての難易度などを踏まえて、どこに片面・両面を配置するかを計算しながら設計していくという。

両面非球面レンズが誕生した経緯にも、交換レンズの大きさという課題があった。レンズの枚数を増やせば当然、全体のサイズは大きくなる。全体のサイズは変えずに画質を高めようとして白羽の矢が立ったのが、両面非球面への挑戦だった。

加工精度を高める秘訣「ガラスの気持ちになる」

ガラスモールド非球面レンズは、まず超精密な加工をおこなった金型の間にガラスを挟んで高温のヒーターで加熱する。熱で柔らかくなったガラスの表面を直接プレスして転写、その後冷却してガラスを取り出してレンズを作るという技術だ。

このように、ガラスを成形しては取り出してということの繰り返しのため、効率よく沢山成形できるという生産性に優れた点が特徴となっている。技術が進歩した現在では、開発当初の数十倍にまで生産性が高まっているという。

ガラスモールド非球面レンズの金型。加工精度が高いため、鏡のように反射しているという

ガラスモールド非球面レンズの生産・技術開発がはじまった当初は、キヤノンとしても“高温で何かを加工する”という経験がないところからスタートしたのだという。その中で、空気中で加熱・成形をしたところ、型が酸化して、プレスでべったりくっついてしまうといった失敗談もあるそうだ。ちなみに現在では、窒素の中で成形すれば酸化を回避できるという知見を得ている。

レンズの加工温度は500度~700度台。たとえば700度といえば、刀鉄を焼き入れしているくらいの温度だという。こういった温度で成形するということに対して、キヤノンは独自の加工プロセスを開発。それに合わせて装置も内製していったという。

ガラスモールド成形の魅力は、非球面レンズが安く生産できること。キヤノンではその特性を生かしたコストダウンを追求してきた。開発当初こそ1日に数個程度しか加工できなかったが、金型を加熱するヒーターの温度調整技術の向上などを経て、現在では先に述べたような高い生産性に達している。

同様に、レンズ加工をシミュレーションする技術の開発にも注力した。レンズ性能の要求精度は高まるが、加工スピードを上げると精度の維持が難しくなってくる。そこで、従来よりもガラスの特性やふるまい(状態の変化)に対する理解を深めていく必要があったのだ。

こうしたシミュレーション技術で知見を高めて“ガラスの気持ち“になると、さらに高精度な加工のコツもわかってくるのだという。シミュレーション技術の高精度化は、加工プロセスや装置の進化にも欠かせない要素だった。

開発の過程ではガラスがどう動くのかを想像しながら“ガラスの気持ちに”なることも重要なのだという。そうした中で技術を向上することにより加工精度を上げたり、コストを下げることに成功してきた。「RF28-70mm F2 L」もそうした進化を経たうえで量産にいたっている。

宇都宮工場の苦労

高い精度が求められるレンズを量産していくこと。それには当然、生産を担う工場の大きな苦労がともなう。キヤノンにおいては、まず宇都宮工場だ。

読んで字のごとく、ガラスモールド非球面レンズの材料はガラスだ。先述したように、500~700度の高温でプレスをしてカタチを作る。安定して同じ形状のレンズを作るためには、金型の温度の管理が重要なポイントとなる。というのも、プレスをするときに金型の温度が変わってしまうと、成形後のレンズのカタチも変わってしまうからだ。

プレス機の模式図。上下で違うヒーターを使うため、温度の管理も難しい。硝材によっては±1度未満の精度が求められるという

写真の高画質化に伴いレンズの要求精度も高まるなかで、500~700度の成形温度でシビアな温度管理が求められるレンズが増えているという。それに対して工場では、先に触れたように装置の開発や技術向上、加工フローの開発などを通してレンズ生産にあたっているわけだが、それとともに装置の維持、管理の徹底にも努めているという。

500~700度の領域では、“温度の測定センサー”にも数度の誤差が発生する場合があるという。そのため、“成形機を加熱するヒーターの温度設定”を同じにしておけば同じカタチのレンズが取れるわけではないのだそうだ。それは、測定センサーに表示されている温度は一緒でも、実際の金型の温度がわずかなセンサーの誤差によって異なる場合があるためだ。そのためレンズのカタチを確認しながら、加熱や冷却の細かい調整、温度センサーや加熱部分をはじめとした装置の維持管理が重要になるだという。

ガラスモールド成形機。加工温度は500~700度の間で、使うガラスの特性によって変わる

安定して生産を続けるためには、装置の調整やメンテナンスに対して素早い判断をしていくことが重要。また、その判断というものには知識や経験が必要になってくるのだという。ガラスモールド非球面レンズの高精度な加工の実現は、こうした知識や経験を備えた熟練メンバーの存在が支えているのだ。

研削非球面―技術の進化と歴史

キヤノンでは研削非球面レンズの量産を1970年から開始している。1990年ごろには既にNC機による加工となっていたが、当時はテープにパンチング(穴をあけて)して、そのデータをコンピュータに読み込ませる、というシステムの研削機だった。パンチングに失敗してレンズの誤差が大きくなってしまうこともあり、相当な回数の修正を繰り返していったという。

研削加工の技術は2000年代に入って大きく飛躍。PCの進化とNC機の進歩によって高精度な制御が可能になったという。ガラスを均等に研磨する技術も飛躍的に向上し、量産化が可能になった。今まで開発したレンズでとくに苦労したという「EF11-24mm F4L USM」「EF400mm F4 DO IS II USM」などのEOS用レンズのみならず、放送レンズや医療レンズにも研削非球面レンズは採用されるようになった。

EF11-24mm F4L USM
非球面レンズ

加工フローと難しさ

研削非球面の加工フローは、大きく分けると、「研削」「研磨」「測定」の3つに分けられる。

まずは球面レンズを、ダイヤモンドが含まれた砥石で削って非球面の形にする。この際には、ガラスの肉厚、外観、非球面の形状を設計値から100ナノメートル以内の精度で削ることが求められる。そして1枚ごとに精密に測定をして、設計値通りの非球面形状に仕上げるための研磨を行う。設計値から誤差50ナノメートル以内の精度になるまで測定と研磨を繰り返していく。

研削非球面レンズは、この測定と研磨を繰り返すことで高精度が得られるというわけだ。これはユーザーメリットとなる部分だが、結果として加工に手間がかかり、レンズ自体が高額になるというデメリットもある。

研削非球面、なぜ高額に?

なぜレンズが高額になってしまうのか。先に述べたように、研削は測定と研磨を繰り返すことで、必然的に加工の工程が多くなる。ガラスモールド非球面レンズであれば加工はワンプレスだが、研削非球面は削って磨いての多工程でやっとレンズになる。

また、球面レンズの場合は同じ曲率の工具で一気に研磨できるが、非球面の場合はそうもいかない。研磨エリアを各工程で細かく分ける必要があり、その工程ごとに専用の加工機を使い分けている。当然、そうした工程ごとに高精度の超精密な加工機が必要になるので、量産するにはそれ相応の設備投資を要することになり、そのため製品の価格にも大きく影響してくるということだ。

非球面レンズの研削方法(参考:キヤノングローバル)

しかし、世界を見渡しても、キヤノンと同じくらい研削非球面レンズを量産している工場はないという。キヤノンでは、レンズ加工条件の適正化や計測・解析技術により、研磨と測定回数を減らし、高品質・コストダウンにつなげている。

また、生産技術による加工プロセスにて量産を維持するためには、量産現場の正確な作業だけでなく、装置トラブルに即座に対応する保全部門のチカラも重要になるという。キヤノンでは、こうした生産現場と保全部門、生産技術の力が組み合わさることで量産が成り立っているのだそうだ。

 ◇
生産する技術があっても、それを量産できなくては製品として売り出すことができない。キヤノンの技術力をもってして非常に精度の高い非球面レンズの開発を可能としているわけだが、そこには量産を支える生産工場の人知れぬ苦労があった。

(次回のテーマはコーティング技術。「SWC」「ASC」コーティングの開発秘話をお届けします。)

本誌:宮本義朗