写真展レポート

志賀理江子さん「ヒューマン・スプリング」

人間の「死」をめぐる考察

志賀理江子さん

独自のフィールドワークで作品の制作活動をおこなっている作家・志賀理江子さんの「ヒューマン・スプリング」展が、東京都写真美術館で開催されている。会期は2019年3月5日〜5月6日まで。

巨大な写真壁が設置された展示室

展示室に入ると、一面に写真が設置された巨大な四角いオブジェが目にとびこんでくる。目の前に立つと、よりわかりやすいが鑑賞者の背丈ほどの高さのあるそれらは、オブジェというよりも“壁”という表現のほうがしっくりくる。この巨大な壁には、前後左右にそれぞれ異なる写真が設置されている。

設置されている写真のイメージは様々で、日常のワンシーンを切りとったものから、多くの人々が同時的に“ある行為”を行うような、作為性を感じさせる演出的な写真も混ざっている。

そして、展示会場に入った直後は気づかないが、最奥部からあらためて入り口側を見ると、青い海を背景に、顔から首までを赤くした上半身裸の青年の姿が目に飛びこんでくる。顔は若干ぼやけている印象で、さらに観察しようよして、壁の全体と一部に視線が行き来する。

人間のこころの基本的な姿を見出す

今回の展覧会について、志賀さんはどうしても春に開催したかったのだという。

2008年の宮城県移住以降、東北の春と、冬から春へ向けた季節のかわり目で溢れ出てくる生のエネルギーが死を抱えこんでいることに共感した、と展覧会の案内文で語られているように、志賀さんはそれを起点にして、人間と死、それをめぐる精神世界や、それらと社会との接点を探っていった。

「東北の長い冬の果てにやってくる春というのは、ある日突然くるように感じるんです。それは、自分の体が生理的に作用せざるをえないように、意味深いものです。この奇跡的な自然という環境の中で私たちは生活していますが、人間というのは、明日死ぬとはまず考えません。そんな中で人間にはいつ何がおこるかわからない自然というものを克服しようと、管理しようとしてきた歴史があると思います。そうした自然の中にあって『死』という現象だけは克服できていない。未だに人間にとって『死』とは絶対的な自然なのだと思います。」(志賀さん)

この“死”という自ら体験し知覚することのできないものに対して、人はただ想像することしかできないのだと志賀さんは続ける。そしてそれを理解し受け止めるための役割を、物語や宗教が古くから果たしてきたのだと指摘。このイメージの先にある“死”、という超越的なイメージを人間社会は象徴化し、またそうしたイメージによって人間社会は支えられてきているのだと続ける。

「この表象の行為によって人間は人間たらしめられている。その中で、私たち人間社会の秩序の境界のようなものは、この死と表象の境界にあるように思っています。」(志賀さん)

そうして志賀さんは、“春”という季節の制作を進めるうちに、この存在に「人間精神の基本的な姿」を見出すようになっていったのだという。

“見る”という行為への問いかけ

無数の写真壁が林立する展示室。この空間をつくりあげる上で、志賀氏はミリ単位の位置調整を行ったという。また、写真自体も発色現像方式印画でプリントしたもので、仕上がりの生々しい質感にこだわっているのだそうだ。このプリントは日本国内では対応できなかったため、ニューヨークでおこなったのだという。

写真壁の間を歩いているだけでは気づかない仕掛けもある。展示室内に設置された写真壁は4面だけでなく、上部にも写真が設置されている。

会場の奥に行くとカーブミラーが設置されていて、写真壁上面を見ることができる。それまで二次元的に捉えていた写真が、ミラーを通じて三次元的な平面として知覚されることになる。これもまた、来場者に見るという行為を考えさせる工夫だといえそうだ。

そして、展示会場には、木枠のみで形づくられたオブジェがひとつだけある。これに関連する作家の意図として、志賀さんは“空の棺”というモチーフに強い関心を抱いていることを展覧会カタログの中で明かしている。

見て、そして考える取り組み

本展では、作家・志賀氏自身が作品を語る「アーティスト・トーク」のほか、ワークショップ「ひとつの石」や「てつがくカフェ『ヒューマン・スプリング』」、「担当学芸員によるギャラリートーク」など、展覧会を通じて、考え・学ぶ場が設けられる。

本展の題となっている「スプリング」には、「春」という意味の他にも、「跳ねる」という意味も重層しているのだと語る。文字の表記をひらき、言葉から生まれる意味を固定しないことで、様々に生まれる解釈や見方をうけて、そこからまた見て、考えていく、そうした、見る行為と考える行為の反復の中に、本展の意図が潜んでいるのではないだろうか。

イメージは会場の外にもひろがっている。

展覧会概要

開催期間

2019年3月5日(火)~5月6日(月・振休)

休館日

毎週月曜日
4月29日(月・祝)および5月6日(月・振休)は開館

料金

一般:700円
学生:600円
中高生・65歳以上:500円
※各種割引あり
※小学生以下、都内在住・在学の中学生および障害者手帳所持者とその介護者は無料
※第3水曜日は65歳以上無料
※東京都写真美術館の年間パスポート提示で無料(同伴1名様まで無料)

アーティスト・トーク

日時

3月10日(日)14時00分~16時00分(13時30分開場)

会場

東京都写真美術館 1階ホール

定員

190名
自由席。当日10時00分より1階総合受付にて整理券を配布。入場は整理券順。

担当学芸員によるギャラリートーク

日時

3月8日(金)14時00分~
3月22日(金)14時00分~
4月12日(金)14時00分~
4月26日(金)14時00分~

ワークショップ ひとつの石

日時

3月21日(木・祝)14時30分~17時30分(予定)

定員

20名
要事前申込

てつがくカフェ「ヒューマン・スプリング」

日時

4月13日(土)14時00分~17時00分
4月27日(土)14時00分~17時00分

ファシリテータ

西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)

ファシリテーション・グラフィック

近田真美子(てつがくカフェ@せんだい)

定員

各回50名
各回要事前申込

本誌:宮澤孝周