イベントレポート

“写真が好き”な高校生を追いかけた4日間――写真甲子園2024の記録

高校生のうちに、何か自分が夢中になれる好きなものがあるというのは、とても素晴らしいことだと思うのです。それが仲間と共有できるものであればなおさら……。

西日本では高校球児たちによる本家(?)甲子園が始まったところですが、実ははるか北の大地にて、それと同じくらい熱い激闘が繰り広げられていたのです。7月30日(火)から8月2日(金)にかけて、今年も無事に「写真甲子園」が開催されました。

※撮影:デジタルカメラマガジン(福島晃)/デジカメ Watch(宮本義朗)

歴代最多の604チームがエントリー

舞台の中心となるのは北海道上川郡東川町。北海道のほぼ中央、大雪山連峰「旭岳」の麓にあるこの町は、1985年に「写真の町」を宣言しました。写真を中心に人と文化、自然を大切にしながら、心のこもった「写真映りのよい町」の創造を目指しています。

写真甲子園とは?

全国の高校写真部・サークルが腕を競う“写真の全国大会”。1994年に始まり、今回で31回目。高校生らしい創造性や感受性の育成、出会い・交流の機会の創出、学校生活の充実と特別活動の振興に寄与することなどを目的とした大会でもある。3人1組でチームを組み、8枚の組み写真を作り上げていくのが特徴のひとつ。

私の写真甲子園取材歴は、今回で3年連続3回目となりました。この大会が選手にとっていかにハードなものか、それを身に染みて理解しているつもりです。

大会期間中、選手たちは約2時間ほどの撮影会を5ステージこなしました。北海道とはいえ気温も上がる夏のことですから、体力的にもかなり追い込まれることと思います。

撮影会を終えてからは、2時間の時間制限が設けられたセレクト会議です。撮影ステージで歩き回り疲れ果てた体で、今度はフルに頭を働かせます。チームの3人でひとつの作品(8枚の組写真)を構成するわけですが、これがなかなかに選手泣かせのレギュレーションといえるでしょう。

「写真甲子園2024」の競技スケジュール

7月30日(火)

開会式

7月31日(水)

撮影会①:旭岳ハイキングルート

撮影会②:美瑛町・市街地周辺

セレクト会議

8月1日(木)

ファースト公開審査会

撮影会③:旭川駅周辺

撮影会④:東神楽町・旭川空港周辺

8月2日(金)

撮影会⑤:東川町

セレクト会議

ファイナル公開審査会

閉会式

もうひとつ、大会の特徴となるのは使用機材についてです。キヤノンマーケティングジャパン株式会社をはじめとする協賛各社の機材を、全チームが同一で使用します。

使用機材

撮影関係

  • EOS RP(キヤノンマーケティングジャパン株式会社。以下同)
  • RF24-105mm F4-7.1 IS STM
  • RF24-240mm F4-6.3 IS USM
  • RF35mm F1.8 MACRO IS STM
  • スピードライト430EX III-RT
  • SDHCカード 16GB(ウエスタンデジタル合同会社)
  • COMPACTシリーズ三脚(ヴィデンダムメディアソリューションズ株式会社)

セレクト関係

  • imagePROGRAF PRO-S1(キヤノンマーケティングジャパン株式会社)
  • ColorEdgeモニター(EIZO株式会社)

今大会は、5月に行われた初戦審査会に歴代最多となる604チームがエントリーしました。ちなみに私が写真甲子園を初めて取材した2022年は533チーム、翌2023年は584チームで、いずれも“当時の歴代最多”でした。高校生世代の大会として、その注目度が年々高まっているようです。

604チームのうち、80チームが6月のブロック審査会に進出。ビデオ会議システムを利用して、双方向通信により選手たちが審査員に応募作品についてプレゼンしました。

そうして全国から18チームが本戦へのチケットを獲得。18/604といえば、それがいかに狭き門であるかがよくわかると思います。

優勝校“宮城県白石工業高等学校”のはなし

優勝した宮城県白石工業高等学校のメンバー。左から監督の八嶋圭吾先生、三條颯太さん、菅野琉星さん、齋秀哉さん

大会を制したのは、東北ブロック代表の宮城県白石工業高等学校でした。8年ぶり3回目の出場となる彼らは、2016年の前回出場時に優秀賞に選ばれた“先輩越え”を目標に大会入り。見事1/604の栄冠に輝きました。

大会を通して元気よく、ハツラツとしていた彼らは、そのTシャツの柄も相まってよく目に留まる存在でした。「みなさん、こんにちは!」の挨拶から始まる公開審査会での発表は、とても印象に残るものでした。

写真甲子園出場が決まってから、大会をイメージした練習を積んできたという3人。朝が早い大会のスケジュールを意識して、始発の電車に乗って知らない駅に行き、午前と午後をぶっ通しで人に声をかけながら撮影するといったトレーニングをしてきたそうです。

キャプテンの齋秀哉さん(3年)は、以前から家族や風景の写真をスマートフォンなどで撮影して人に見せるのが好きなだったのだそう。白石工業に入学して写真部を見つけた時、部活紹介の動画を見て綺麗だなと思ったのが入部のきっかけだったそうです。大会中は「笑顔を大切に」と決めていたのだと話してくれました。

菅野琉星さん(3年)は、白石工業に写真部があるのを知って、高校から写真を始めました。大会中は人との出会いを大切にしながら、自身も撮影を楽しむことで、「もっと撮りたい」という気持ちになっていったとのことです。自分から楽しむ気持ちを持つというのは、本当に大切なことなのだと私も学ばせてもらいました。

三條颯太さん(2年)は唯一の2年生。入学前から白石工業の写真部が有名と知っていて気になっていたため、入部を決めたそうです。表彰式のインタビューでは、自身にこれまで関わってくれた人たちへの感謝を伝え、全国の写真部に向けて「写真甲子園には夢が詰まっていて、高校生活最高の思い出になると思います」とメッセージを送っていたのが印象的でした。

短いインタビュー取材のなかだけでも、3人の明るい人柄がよく伝わってくるようでした。優勝を決めた作品も本当に素晴らしく、ぜひ大会公式Webサイトでご覧いただければと思います。

優勝が決まった瞬間

走り抜けた4日間

それではここから、4日間を走りぬいた選手たちの様子をお伝えしていきたいと思います。まっすぐに写真に向き合う高校生たちの姿は、とてもさわやかな気持ちをもたらしてくれるでしょう。

7月30日(火)の開会式は、東川町役場の近くにある東川町農村環境改善センターで行われました。東川小学校吹奏楽部の演奏が、選手たちを歓迎します。

東川小学校吹奏楽部の演奏
選手紹介で1チームずつ登壇
徳島県立徳島科学技術高等学校の國清愛弥さんが選手宣誓(壇上)
“黄色いTシャツ”を着ているのは、選手たちに同行する写真記録班。選手たちと同世代の、近隣高校生が参加している

実は今大会、選手たちが一般宅に泊まる“ホームステイ”が復活しました。東川町内でホストファミリーを募集し、チームごとにその家庭で1泊するというものです。かねてより写真甲子園のひとつの特色となっていたのですが、コロナ禍によりしばらく実施を見送っていました。

これも、選手たちにとって特別な出会いが生まれる機会となり、印象深い東川での思い出となるわけです。

開会式後にはホストファミリーとの顔合わせがありました
写真甲子園は、東川町民に温かく見守られている

顔合わせ後の懇親会でホストファミリーと親睦を深めます。さすがは写真部、さっそくカメラを構え、ベストショットを探る姿も見られました。

さて、ホームステイをした翌日からさっそく撮影会が始まります。最初のステージは「旭岳」。ロープウェイで一気に登った先のハイキングルートが舞台となりました。うん、涼しい。あいにくの天気もなんのその。選手たちは北海道の自然を切り取っていきます。

登山客にポージングをお願いする選手も
他の登山客と積極的にコミュニケーションをとる選手たち

撮影が終わってから顔を突き合わせてモニターを眺める光景も、写真甲子園ではおなじみです。メディア提出は厳格に時間制限が設けられており、それに間に合うように選手たちは拠点に戻ります。

係員にメディアを提出
メディア提出を終えてほっと一息
ハードなスケジュールでも、楽しむことは忘れません。素晴らしい

旭岳を降りてから、美瑛町市街地の撮影ステージに移動です。この選手バスが4台並ぶのも、もはや大会期間中の見慣れた光景といえるでしょう。

撮影ステージ内を巡回バスが走ります。選手たちはバスルートから乗降して、ステージ内を移動できます
歩いて撮影スポットを探し始める選手たちも

この美瑛町ステージは住宅が立ち並ぶエリアでもありました。そうすると、地域住民を被写体にするチームが必然的に増えていきます。

おみくじを引いて大会の行方を占う?

セレクト会議の様子です。先ほど述べたように、散々撮影で歩き回った後のことで、選手たちの表情にも疲労の色がうかがえます。

モニターとにらめっこしたり、気になる写真を片っ端からプリントしてみたり、チームによって進め方にはいろんなスタイルがあるようでした。途中、20分間のテクニカルタイム(監督がアドバイスできる)が設けられています。その時間の使い方も非常に重要。

プリンターはimagePROGRAF PRO-S1ですので、机に並べられたプリントはさすがの高画質。惜しみなくプリントが並べられた様子はなかなか壮観で、うらやましくもありますね。

夜には、大会本部でレンズクリーニングも受け付けています

競技2日目(大会3日目)は、写真甲子園名物の公開審査会から始まりました。各チームが、メッセージとともに8枚の組写真を審査員に提示します。審査員は選手たちの作品を講評し、ときにやさしく、ときに厳しくコメントをおくります。

写真甲子園は大きく分けて2ステージ制になっていて、撮影会①②でファーストステージ、撮影会③④⑤(①②の撮影分も含む)でファイナルステージとなります。公開審査会も、ファーストとファイナルの2回。この2回の審査で順位が決まります。

今大会の審査員は、野村恵子氏(代表審査委員)、中西敏貴氏、須藤絢乃氏、鵜川真由子氏、浅田政志氏、大森克己氏(ゲスト審査員)が務めます(順不同)。

写真甲子園との審査基準

以下の3項目で各10点、計30点でそれぞれの審査員が採点する。

  • 「心」(メッセージ・パワー)…テーマ性(テーマに沿った作品づくり)や着想(コンセプト力)
  • 「技」(テクニック・パワー)…写真の技術力、組み写真の構成力
  • 「眼」(オリジナリティ・パワー)…表現力、独創性、言葉にできない魅力
公開審査会の様子
野村恵子さん(代表審査委員)
大森克己さん(ゲスト審査員)
選手を見守る監督たち

今大会の撮影会で唯一の繁華街となるのが旭川駅周辺エリアです。このほかの撮影ステージは農場や住宅街といった場所が多いので、ある意味このステージは少し異質なものとなります。

巡回バスに乗り込む選手たち

撮影会④の東神楽町は、住宅地や農場、旭川空港などバリエーションに富んだ撮影エリアです。

何やら撮影交渉を……
牛舎でした
旭川空港で、韓国から来ているというカップルを撮影

大会最終日、最後の撮影地は東川町です。この日は夜明け前から撮影に挑むチームも多く、追い込みをかける最後の機会となります。

農家さんにいただいたというトマトを見せてもらいました
顔を合わせてモニターを確認する選手たち……↓
……↑を撮る監督。これだけ一生懸命な生徒を見れば、先生冥利にも尽きるだろうなと勝手に想像
最後のメディア提出です

東川町ステージで出会ったこの光景。一家に被写体となってもらえるようお願いしていたところで、実はこの時の写真が「キヤノンスピリット賞」を受賞することとなりました。高校生らしく既存概念にとらわれない斬新な取り組みと評価された作品1枚に対して贈られます。

東京都立武蔵村山高等学校 遠藤颯太 選手(「みんなの夏」より)

このほかの作品も、本当にどれも素晴らしいものばかりです。ぜひ大会公式Webサイトからご覧ください。

大切なものに出会う

取材中に時折、家に残してきた3歳の娘のことを思いました。彼女が高校生くらいになったとき、何か夢中になれるものがあればいいな。北海道の地で一生懸命に好きなものに取り組む選手たちは、私の目にはとてもまぶしく映りました。

今大会より代表審査員を務めるのは、写真家の野村恵子さんです。野村さんは開会式の挨拶で選手たちに「コンペティションではあるけれど、競争だとか、戦いとかではない」と伝えました。ハートをこめて、仲間と一緒に、“自分がキュンとする写真”が撮れたら、それが一生分の金メダルなのだと。

「プロにならなくても、カメラと写真がそばにある人生は決して悪くなくて、あなたたちをここに連れ来てくれたように、人との出会いをもたらしてくれたり、新しい世界のドアを開いてくれると思います」(野村恵子さん)

代表審査員の野村恵子さん

旭岳の撮影ステージを、ゼエゼエ息を切らしながら、そして膝を震わせながら歩いていると、ルート上で待機していた女性の大会スタッフに「お疲れ様です!」と元気よく声をかけていただきました。その顔にハッとして私はついつい問いかけてしまいました。

「2年前に選手として参加されてましたよね?」

この大会を支えるスタッフには、多くの大会OB・OGが参加しています。彼らにとって東川は帰る場所なのだそう。写真甲子園で出会った東川の人やもの、風景はあたたかく、選手たちの胸に刻まれていきます。

野村さんはこうも言いました。この先何かつらいことがあったり、煮詰まったりしたときに、東川で出会った“もう1つの時間”を思い出してほしい。町の人や他校の仲間、みんな生きているし、みんな頑張っているんだって思える。自分が今いる場所のほかに、もっと新しい世界がいっぱい広がっているのだということを思い出せると。

まさに人生の糧となる出来事に、高校生のうちに出会えることが素晴らしく、大人になってしまった私からするとうらやましくも思えます。

最後に取材の小話をばひとつ。撮影会の取材は実は結構大変で、広大な撮影ステージの中から自力で選手たちを見つけ出さなくてはいけないのです。そのため、このページで掲載している写真にもチームに偏りがあるかもしれず、大変恐縮な思いです。

あと、大会関係者は大人を含めて全員スタッフTシャツを着ているため、私服で参加している取材陣は大変“浮いて”います。撮影中に突然後方から我々が現れて、ギョッとした選手たちも多くいたことと思います。なのでせめてということで、来年から(弊社刊行の)「デジタルカメラマガジン」のロゴ入りTシャツで参加しますのでよろしくどうぞ。

それではまた来年、写真の町で会いましょう。

本誌:宮本義朗