イベントレポート

「光学ガラス」ができるまで。新旧の製法をニコンミュージアムで学ぶ

歴代展示を振り返る“写真日記”も公開

東京・品川のニコンミュージアムで、企画展「光学ガラスの軌跡」が8月30日から2023年2月25日まで開催されている。本稿ではその概要をレポートする。

1917年に創業したニコン(当時:日本光学工業)の設立目的のひとつには、「光学ガラスの製造技術確立による工業化」があり、創業翌年からガラス製造の研究を始めている。背景には、第一次大戦の勃発により光学ガラスの輸入が途絶えたことがあると言われている。

普通のガラスと光学ガラス、何が違うのか?

そもそも普通のガラスと光学ガラスは何が違うのか、見比べてみる。

光学ガラスと一般ガラスの比較
ガラスの向こう側にある光を見る。左の一般ガラスは色によって明るさが異なって見える

一般ガラスには不純物の鉄分が含まれ、それが一部の色の光を吸収してしまうため、ガラス自体が透明ではなく青っぽく見える。光学ガラスに対し、一般ガラスが専門用語的に“青板ガラス”と呼ばれるのは、これが由来だ。

どちらも主原料は同じ二酸化ケイ素(SiOs)だが、より高純度な原料を、厳密に管理された方法で熔解するため、光学ガラスは高い透過率を実現している。ここに示されているガラスの長さ(断面の奥行き)は数十cmだが、仮にこの長さが100mになっても、断面を覗いた時の透き通り具合は変わらないという。

光学ガラスの種類はどれぐらい?

現在、世界では200種類以上の光学ガラスが製造されているという。会場には、1971年に開設されたニコンの「相模原製作所」で製造された115種類の光学ガラスのサンプルが並ぶ。

相模原製作所で製造された光学ガラス。この展示ケースは、ニコンFのパーツを並べて展示するためのものを流用している
たくさんの種類があり、これらの組み合わせでカメラレンズなどが作られる。LAF(LA=ランタン)系の黄色くなっているガラスに目が行くのは、カメラ好きの性?

光学ガラスは1971年以降、EDガラスや高屈折率ガラス等の多様な品種が開発されてきた。新しいところでは、SR(Short-wavelength Refractive)ガラスは、ニコンのニッコールレンズ「AF-S NIKKOR 120-300mm f/2.8E FL ED SR VR」で初採用。青より短い波長の光を大きく屈折させる特性を持っている。

ガラスの屈折率と分散率をとったグラフ(黄色が現存する種類)。これだけ多くの種類のガラスがあるということ。点の集まり方から“日本列島”と呼ばれたりもする

ハイテクを支えるレンズ——合成石英ガラスと人工蛍石

参考:半導体露光装置の投影レンズ(ニコンミュージアム館内にある)

写真用レンズとは異なる要件として、紫外線透過率の高いガラスが求められるシーンがある。それが、半導体露光装置用の投影レンズだ。

ニコン初の合成石英インゴットがお目見え。直径約200mm、重さ約15kg。
こちらはニコンミュージアムでお馴染みの、世界最大級という合成石英ガラスのインゴット(850kg)。インゴットを大きく作れれば、より径の大きなレンズができるというわけ

下図に描かれた虹色の部分が可視光(目に見える光)で、その左右に広がる赤外線や紫外線は、目には見えない。○○nmの数字が小さくなるほど波長が短い。波長が短いということは、より細かな回路パターンを露光できるということで、これがICチップの小型化・高性能化に繋がる。光学ガラス→合成石英ガラス→人工蛍石と、紫外線の透過率が高まっていく。

可視光より短い波長を扱う理由
人工蛍石は、カメラレンズでもよく聞く名前だろう。フッ化カルシウム(CaF2)を主成分とする鉱物で、石英よりも紫外線透過率が高いことから開発された。

かつての主流「るつぼ熔解方式」の流れ

るつぼ熔解方式で取り出された光学ガラス。割れた中から取り出すため、形は不均一

今回の展示で最も興味深いのが、かつて60年以上にわたり主流だった「るつぼ熔解方式」の模型が展示されていることだ。工場での解説用に作られたものを並べている。

るつぼ熔解方式は、粘土で作られたるつぼを熔解炉に入れ、ガラスの原料を投入し、約800〜1,400度で約30〜35時間かけて原料を熔解する。すると高温で化学反応を起こして熔けた光学ガラスとなる。

その後、るつぼを熔解炉から取り出し、水をかけて急冷したあと、徐冷炉で約10日間かけて常温まで冷やす。るつぼを枕木に乗せて自重で割る「つぼ割り」を行い、割れた中から素材に使える塊を「粗選」し、ガラスをハンマーで割りながら、さらに良質な部分のみを残す「撰塊」(せんかい)の工程を経て、光学ガラスは成型・研磨工程に運ばれる。

徐冷炉の模型。ヒーターの熱線は本物を使っているという
徐冷後のるつぼの模型。中身は実際に熔けたガラスだそうだ
つぼ割りの様子(写真)
「撰塊」(せんかい)工程を経た光学ガラスの見本

なお、るつぼ熔解方式の場合には、その粘土るつぼも毎回作る必要がある。材料から製造方法まで、こちらも模型を使って解説されている。ちなみに、るつぼ熔解方式の原材料に対する収率(歩留まりのようなもの)が非常に悪く、後に主流となる連続熔解方式に置き換わるきっかけとなった。また、粘土るつぼの素材や製造方法についても、より品質や生産性を高めるために研究・改善が続けられていたそうだ。

連続熔解

連続熔解の仕組み。板状のガラスとなって出てくる

るつぼ熔解方式に置き換わり、現在の光学ガラス工場で用いられているのが「連続熔解」という手法だ。1972年以降に連続熔解へ少しずつ置き換わり、1983年にるつぼ熔解は幕を閉じた。

なお、連続熔解の具体的な工程については、2016年に光ガラスの熔解・加工工程を取材した記事があるため、そちらをご覧頂きたい。

NIKKOR Special Movie Optical Glass| ニコン
ニコンミュージアム展示より
光学ガラスの原料。これを混ぜ合わせて前熔解し、中間材料にする
中間材料の「フリット」。目指す特性に合わせて配合。本熔解を行う
熔けたガラスを成型したもの。ストリップ材と呼ばれる状態
ストリップ材を切断したもの。ガラスが減ってしまうため「できるだけ刃を入れない」がセオリー。このため、ストリップ材を縦に割る時は電熱線を使用している

本稿では触れられなかったが、こうして成型されたガラスが交換レンズに組み込まれる状態になるまでの「レンズ加工工程」についても、本企画展では解説されている。愛用の光学製品をより実感を持って「すごい」と感じられるキッカケになると思うので、ぜひ足を運んでみてほしい。

ニコンミュージアム企画展「光学ガラスの軌跡」紹介映像 | ニコン

おまけ企画:副館長が語るニコンミュージアム写真日記

これまでニコンミュージアムの取材に対応していただいた長田友幸副館長がミュージアムの担当から外れるとのことで、この機会に開館までの背景や印象的なエピソードなどを聞いてみた。

ニコンミュージアムはニコン100周年記念という位置付けでオープン。しかしその成り立ちは、ニコンの75年史(社史)が作られたころにまで遡るという。その頃に「資料は捨てずに保管しておこう」という方針ができ、1名のニコンOBを迎えて資料室を作った。それから小規模に情報発信していた内容をWebコンテンツにまとめたのが、かつて掲載されていた「知られざるニコンの歴史」だという。

そして100周年が近づいた頃、準備プロジェクトが始まる。目的は「ミュージアムを作る」と「100年史をまとめる」だった。2015年にニコンミュージアムがオープンした際は、館内が大きく民生品エリアと産業エリアに分かれていた。また、将来のニコンファンを作るという目的のもと、キッズ向けのコーナーも設けた。

カメラを含む製品展示は、当初は100台ぐらいのイメージだったそうだが、あるだけ並べるという方針になり、開館時点で450台以上が並んだ。

また、最初は交換レンズの展示がなかったが、2017年開催の「Fマウント・NIKKORの世界」にあわせて400本を集めた。ニコンでの所蔵品は重複が多かったり、不足していたりで、1年半ほどかけて集めたそうだ。

というわけで、そんな企画展ごとのエピソードを以下に紹介してもらった。(文:長田友幸)

植村直己の犬ぞり、どこから入れた?

創立100周年記念企画展(第1回)「植村直己 極地の撮影術」
(2017年1月5日~4月1日)
展示協力:公益財団法人植村記念財団、豊岡市立植村直己冒険館、株式会社文藝春秋

植村直己さんが極地で撮影した写真作品約20点、装備品など約20点を展示。ニコンF2チタンウエムラスペシャルのほか、冒険に使用した犬ぞり「オーロラ」号の実物展示が話題になりました。

この犬ぞりは兵庫県豊岡市の植村直己冒険館の所蔵物をお借りして展示したもの。巨大な犬ぞりはビルの貨物エレベーターでは運べないため、トラックを1階の車寄せに停めて4人の作業員の手で階段を上り、自動ドアを通って4階の当館に到着。昼間は搬入許可が出ず、深夜の搬入のため警備員さん達が見守る中、2016年12月29日の0時半ごろ、無事に館内に到着してほっとしたことを記憶しています。配送会社の社内報に載るほどのプロジェクトだったそうです。

レンズ面に現れるハートマークや星型

創立100周年記念企画展 第4回(最終回)「Fマウント・NIKKORの世界」
(2017年10月3日~2017年12月27日)

約400点の「Fマウント・NIKKOR」レンズを一堂に展示し、膨大に並んだニッコールレンズ群が、圧倒的な存在感を示した企画展でした。

レンズそのものの美しさを感じていただきたいと悩んでいたところ、展示用の照明の反射がレンズ面に写りこんで様々な色調になるので、これだとひらめきました。展示開始から1週間ほど過ぎたころ、円形の照明にハートマークや星形に切り抜いた紙を貼り付けてみたところ、レンズ面にピンク、グリーン、ブルーなど美しい色で形が現れ、びっくりされる来館者の方も見受けられ、SNSにアップされて話題になりました。

大好評の鉄道模型は、凝りすぎ?

企画展「Fの時代 広田尚敬」
(2018年1月5日~2018年3月31日)

鉄道写真の第一人者である広田先生が「ニコンF」で撮影した作品60点以上の展示のほか、インタビュー動画の上映、講演会など盛りだくさんの企画展でした。その関連展示物として、鉄道模型のジオラマを製作して展示。建物に見立てたカメラ、ベローズやフィルムのトンネル、レンズの橋脚、懐かしいニコングッズの中を列車が走る凝った展示物で好評を得ました。列車の進行方向や速度、ポイントの切り替えも制御するようにして、レールバスと小さなSLがボギーの客車を引っぱる自動運転の仕様にしました。

当初は模型業者さんに制作をお願いしていたのですが、私の注文が凝り過ぎだったのか途中から来られなくなってしまい、レールの設置、カメラやグッズの配置、自動運転のプログラムまで自分でやることに。2017年の大みそか深夜にやっと試運転ができた記憶が残っています。

双眼鏡とドレスの“複合展示”に目覚める

企画展「ニコン双眼鏡・100年の歴史」
(2018年7月3日~2018年9月29日)
展示協力:国立科学博物館、杉野学園ドレスメーカー学院

双眼鏡はニコンの創業から100年以上の歴史があり、この企画展では世界最大口径の「25センチ双眼望遠鏡」を含む歴代の双眼鏡約300点を一堂に展示。さらに、1957年から1997年までのドレスを着たトルソー(マネキン)7体に各年代の双眼鏡を持たせて展示し、時代の雰囲気を感じていただきました。

この企画展を構想していたころ、私は子どもの運動会で綱引きに参加したのですが、それがラジオ体操をしながら、突然、笛が鳴ったら綱を引き始める「複合競技」になっていて、ものすごく盛りあがったのです。私は、この時から「複合」ということを意識しました。そして、双眼鏡とドレスという「複合展示」にチャレンジしたのです。会期中はファッションに関心のある女性やカップルの来館も目立ち、うれしい結果につながりました。

25センチ双眼望遠鏡

マネキンに服を着せないと!

企画展「コレクション展」
(2019年4月2日~6月29日)

手持眼底カメラ

当館には4万点以上の所蔵物があり、その一部を常設展示しています。日ごろは見られない物を見ていただきたい!ということで、あえてジャンルも時代も絞らず30点ほどを展示し、1966年制作のPR映画「科学の眼—ニコン—」も上映して好評でした。

この展示には、「ニコンF」をベースに特殊な照明と光学系を装着した「手持眼底カメラ」がありました。その使用状況を再現するために、検査する医師役と検査を受ける患者役のトルソー(マネキン)を用意して、それらしい姿勢にして置いてみたところ、服を着ていないと何をしているのか分からないうえ、「裸の人がいるようだ」との感想も。急いで白衣と検査服を購入し、二人に着てもらいました。

あの「F」を貫通したのは“5.5mm弾”

企画展「一ノ瀬泰造『戦場の真実、硝煙の中に生きる人々』」
(2020年1月6日~9月26日)
監修:永渕教子氏
協力:武雄市図書館・歴史資料館

カンボジア、ベトナムの戦場を撮影し帰らぬ人となった一ノ瀬泰造さんの写真作品40点、直筆の手紙、パスポート、ヘルメットなどの遺品、そして、ベトナム戦撮影中に被弾した「ニコンF」もお借りして展示しました。「F」は、側面の巻き上げレバーの下あたりに何かが衝突して破壊されているのと、前面のセルフタイマーレバー付近に弾丸が命中し背面に貫通しています。

展示に際し、この貴重な「F」を詳しく調べてもよいとの許可をいただいたので前面の貫通穴を測定したところ、直径約5.5mmであることが分かりました。こんな小さな弾が命を奪い、多くの人を悲しませる。泰造さんの残した作品とともに、「F」が戦場の真実を静かに語っているように感じました。

耐振ゴムで、海水魚たちも安心!

企画展「コレクション展2」
(2020年9月29日~2021年2月27日)

直径60cmの水槽2本を設置

前年の「コレクション展」が好評を得たこともあり、その2回目を開催しました。水中カメラ「NIKONOS(ニコノス)」、100年以上前の双眼鏡、戦前の写真用レンズなど約60点を展示しました。1963年の「NIKONOS」新製品発表会で金魚の泳ぐ水槽にカメラを入れて展示したという記録があったので、この企画展でも海水魚の水槽にNIKONOSを展示することに。人の背丈よりも高い、直径60cmの円筒形の水槽2本を設置することになりました。

この水槽は過去に地震で転倒した例がないということで導入したのですが、転倒防止のゴムを水槽の下に敷いて万全を期すことに。会期中に大きな地震はなく、美しい海水魚とNIKONOSの展示は高評価。スタッフの餌やりや水温チェックなどの気配りもあってか、「魚たちがこんなに元気に育つのは珍しい」と水槽の業者さんにお褒めの言葉をいただきました。

本誌:鈴木誠