渡邉博史写真展 ARTIFACTS-日系人強制収容所からの「もの」(大阪ニコンサロン)



作者はサンホセ美術館より同市のジャパンタウン(日本人街)を題材として作品を制作する依頼を受けたため Japanese American Museum of San Jose(サンホセ日米博物館)に所蔵されている日系人強制収容所から持ち帰られた「もの」の写真を撮ることになった。例えば貝のブローチなどで、「これは第2次世界大戦のときに日系人強制収容所の中で作られたものだ。収容所の多くはドライレイクの上に建てられたが、そこは大昔湖の底だったので掘ると貝殻がでてくる。収容所の中に入れられた日系人は外に出ることが許されなかったので、そこで見つけられるものを何でも使って色々なものを作り、長い「我慢」の時間をすごした。」と説明された。その話をしてくれた同博物館長のジミー・ヤマイチ氏も日系人強制収容所にいた一人で、90歳になる。

彼がいた強制収容所はカリフォルニアとオレゴン州境にある Tule Lake(トゥーリーレイク強制収容所)という場所だったが、ここは数ある収容所の中でも、最も厳しい状況と管理下に置かれていたと言われている。当時のアメリカ政府は日系人のアメリカに対する忠誠心を調べる方法として、収容所の日系人に対して「米国に忠誠を誓い、日本・天皇への忠誠を放棄するか」「米軍に従軍する意思があるか」という2つの質問をして、日系人にYES/NOの選択を迫った。運命の分かれ道になるこの2つの質問は日系人の中に困惑と議論を引き起こした。それは「日本・天皇への忠誠を放棄するか」という質問は、YESと答えればそれまでは日本に忠誠心を持っていたという意味に取られかねない質問の仕方だったからであり、また「米軍に従軍する意思があるか」にYESと答えればすぐに徴兵され、日本人を敵として戦わなければなるかも知れないという懸念を持たせたからだった。結果としてNO/NOと答えた者は敵性外国人と扱われ、その多くはTule Lake強制収容所に集められた。

彼は、第2次世界大戦後Tule Lake強制収容所が閉鎖されたときに多くの日系人が自分の手で運べないものを収容所の外の空き地にまとめて捨ててきた場所があるということを教えてくれた。サンホセ日米博物館の所蔵物は収容所から持ち帰ってきたもので、後になって本人や家族から寄付されたものだった。一方、その空き地に捨てられたものはそこで使われたものであり、持主にとって持って行くだけの価値をもたないものだった。しかし今になって考えれば、そのいずれもその人たちの歴史の中で存在した遺物であり証拠であるのだから、写真に収める価値はあるに違いないと思い、作者はその場所に行ってその「もの」の写真を撮ることにした。モノクロ52点。

(写真展情報より)

  • 名称:渡邉博史写真展 ARTIFACTS-日系人強制収容所からの「もの」
  • 会場:大阪ニコンサロン
  • 住所:大阪府大阪市北区梅田2-2-2ヒルトンプラザウエスト・オフィスタワー13階
  • 会期:2012年10月4日〜2012年10月17日
  • 時間:10時30分〜18時30分(最終日は15時まで)
  • 休館:会期中無休



(本誌:折本幸治)

2012/9/19 18:21