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ライカのレンズ開発責任者が語る「革新と伝統」講演レポート
Reported by藤井智弘(2014/2/28 16:13)
2014年2月、独ライカカメラAGのレンズ開発責任者であるピーター・カルベ(Peter Karbe)氏が来日。14日の夜にライカプロフェッショナルストア東京にて、カルベ氏の講演会が行なわれた。テーマは「Innovation VS Tradition」。Innovationとは革新、Traditionとは伝統、という意味だ。本稿ではその模様をお伝えする。
「ライカが誕生する以前は、カメラといえば大判カメラが主流でした。大判カメラは画質の面では有利ですが、大きくて重く、被写界深度を深くするには大きく絞り込まなければなりません。絞りは絞るほどシャッター速度は遅くなる。そのため動きのある写真は撮れませんでした」(カルベ氏、以下略)
「1914年、エルンスト・ライツ社のオスカー・バルナックは、35mm判カメラを開発しました。ウル・ライカです」
「ライカは小型で軽量。しかも大判カメラと同じレンズの画角にすると、焦点距離は短くなります。そのため被写界深度も深くなるため、絞りを開けて速いシャッター速度が得られます。おかげでシャッターチャンスを重視した写真が可能になりました」
「しかしウル・ライカのレンズは、オスカー・バルナックが求める性能ではありませんでした。そこでエルンスト・ライツ社のレンズ設計者である、マックス・ベレクが新レンズを開発しました。それがエルマックス50mm F3.5で、ライカに搭載されました」
エルマックスは、後に改良されてエルマーとなる。ライカといえばオスカー・バルナックが生みの親だが、小さなフォーマットから優れた画質を得るには、高性能レンズが欠かせない。ライカにはバルナックと共にマックス・ベレクの存在も大きいのだ。
「マックス・ベレクがエルマックスを開発する際、まずレンズの解像力はどれだけ必要なのかを考えました。基準となったのはポストカードサイズのプリントです。そのドットを数えると約100万個でした。24×36mmの35mm判、つまりライカフォーマットは約900平方mm。その中に100万個が再現できなくてはならない。すると解像力は30ミクロンということがわかりました。そうしてレンズの解像力を決めていったのです」
これらのことは“Tradition”であり、マックス・ベレクの考え方は、現在でも参考になっているとカルベ氏は語る。1925年に発売されたライカは、1932年に距離計を搭載したライカIIで完成度を高めていく。当時は距離計内蔵を「オートマチック・フォーカシング」と呼んでいたとのこと。
「大成功したライカでしたが、当初は小さなフォーマットでは画質が良くないのでは、と疑う人も多かったようです」
レンズ交換式となったライカは、50mmの標準レンズ以外にも、広角レンズや望遠レンズなど、レンズシステムを充実させていく。
「ただ当時のカタログの説明には、レンズの解像力を上げるには、3絞りほど絞ってください、と書かれているものもありました。当時はコーティングの技術がなかったため、絞り開放での性能を確保するためにレンズの枚数を増やすと、内面反射による悪影響が出てしまいます。そこで技術的なInnovationが必要でした」
1954年はライカの“Innovation”として非常に重要な年だと話すカルベ氏。それはM型ライカの1号機であるライカM3の登場だ。
「マウントがバヨネットになったり、距離計がより使いやすくなったり、まさに革新的なカメラでした」
「レンズ開発の上でも、コーティング技術が進化してきました。ライカM3とレンズコーティング技術、この2つのInnovationがライカを発展させました」
当時のエルンスト・ライツ社はレンズの硝材も自社開発していた。求めるガラス硝材が製造できたのも、ライカレンズの発展に欠かせなかった。そしてコーティングといえば、ライカのライバルであるカールツァイスが発明したことで知られている。ただ当時は主に軍用で、カメラ向けレンズにコーティングを採用したのはライカが初だ。コーティングをすることで、レンズの内面反射を防ぐことができ、より構成枚数の多いレンズ開発も可能になってきた。現在に通じる高性能レンズの開発は、優れた硝材とコーティング技術による、とカルベ氏は語る。
1960年代になると、大口径レンズが増えてきたが、まだ高い描写力を求める場合は絞りを絞る必要があった。当時のライツ社は、それを克服したいと考え、またレンズの小型化にも取り組みはじめた。そこで登場するのが非球面レンズだ。
「非球面レンズは、球面レンズでは光を一点に集めるのが難しい状況でもそれが可能になります。ライツ社は非球面レンズの効果の大きさに注目しました。そして登場したのが、初代の超大口径レンズ、ノクティルックスM f1.2/50mmです」
当時の非球面レンズは研磨による製造で、非常に手間がかかった。そのためノクティルックスM f1.2/50mmは、1966年から1975年の間にわずか1,500本ほどしか製造できず、決して商業的に成功したレンズとはいえなかった。
ライカの非球面レンズへのチャレンジは続き、1989年にはズミルックスM f1.4/35mm ASPHERICALを開発した。新しいマシンを使用した研磨非球面レンズを使用したが、これも製造が難しく、商業的な成功はしなかった。
「そのうち金型を使って非球面レンズを成形する、ガラスモールド非球面レンズ技術が開発されました。これにより安定した非球面レンズの製造が可能になり、レンズ開発が急速に進化しました。それがズミルックスM f1.4/35mm ASPH.です。非球面技術の第3世代ですね」
「さらにライカの非球面レンズ開発は進み、ガラスモールドだけでなく研磨非球面レンズの製造技術も進化しました。アポ・ズミクロンM f2/90mm ASPH.の非球面レンズですね。非球面レンズの第4世代といえます。このレンズは色消しのアポレンズと非球面レンズを組み合わせたチャレンジングなレンズです」
現行のライカMレンズは、多くが非球面レンズを採用している。高性能と小型軽量を両立させるのに、非球面レンズは欠かせないことがわかる。
「ノクティルックスは、初代のF1.2は研磨非球面でしたが、第2世代のF1は硝材の選択により球面レンズだけで構成しました。そして現行の第3世代は、硝材の技術と非球面レンズの両方を使うことで、F0.95を実現しています」
「ライカが大口径レンズにこだわる理由は、絞り開放から描写に関して何のエクスキューズも持たないようにするためです。つまり絞りとは被写界深度のコントロールのためにあるもので、描写性能のコントロールのためではないのです。絞り開放から優れた描写性能を発揮する。それがライカレンズなのです。もう描写性能のために絞りを絞る時代は終わりました」
絞り開放による、浅い被写界深度の大きなボケを活かした写真。1点にだけピントが合った写真は立体感が出てくる。しかも絞り開放でも高い解像力が得られる。その描写性能の高さを味わってもらいたいとカルベ氏は語る。
そして話はデジタルへ。
「ライカはデジタル化が遅かったと思われていますが、実は1994年からデジタルカメラの開発を行なっています。1996年にはS1、1998年にはコンパクトのデジルックスを登場させましたし、ライカは早い段階でデジタル時代を見据えていました」
「ただM型ライカをそのままデジタルにするのは難しいチャレンジでした。M型ライカは一眼レフとは異なり、ミラーがありません。そのため小型化できるのですが、レンズとフィルムのバックフォーカスが短いため、画面周辺に入る光は真っ直ぐではなく、かなり強く斜めになります。フィルムでは問題なくても、デジタルの撮像素子では大きな周辺光量の低下になってしまいます。これは大きな問題でした。そこで撮像素子の周辺部のマイクロレンズを内側にシフトさせることで解決し、ついにライカM8(2006年発表)でデジタルのM型が実現しました」
2009年にはライカM9で、デジタルでもライカフォーマット(いわゆる35mmフルサイズ相当)を実現したのは記憶に新しい。M型ライカのTraditionを受け継ぎながら、世界初のフルサイズレンジファインダーというInnovationも実現している。さらに最新のライカM(2012年発表)ではCMOSセンサーを採用。マイクロレンズの下が浅くなり、より様々な光の入射角でも高画質が得られる造りをしている。
最後に、話題は中判デジタル一眼レフのライカSシステムに移った。
「ライカSシステムは、中判による表現の自由と35mm判のハンドリングを両立させることがコンセプトです」
マウントはライカSマウント。将来性も考えて、余裕のある大きさを確保しているとのこと。光学設計の自由度のためだそうだ。
「ライカSレンズ、特にセントラルシャッター(レンズシャッター)を搭載したものは、シャッター、電子制御の絞りやAF機構、防塵防滴構造など、非常に複雑な造りをしています。もちろんレンズ光学技術は、非球面レンズを使用した最高性能が得られます」
実際にライカSで撮影した写真を表示し、拡大することで、いかにライカSとSレンズの解像力が高いかを解説するカルベ氏。ライカSシステムへの自信が感じられる。
「テクノロジーとInnovationが合わさることで、ライカの進化が実現しました。またTraditionがライカの価値を保っています。Innovationだけでなく、Traditionがあってこそのライカなのです」