東京エッジ~首都辺境を巡る写真紀行
第8回:人と欲望と日常が交錯する街——池袋北口
2019年3月18日 17:00
東京都豊島区池袋。新宿、渋谷と並ぶ3大副都心のひとつ。埼玉県への玄関口であり、8路線が乗り入れる池袋は、1日の平均乗降車客数が約264万人ともいわれる大都会である。最近では住みたい街ランキングでも上位を占めるようになった人気エリア。おそらく便利でアクセスの良い割に、意外に賃料が安いためと思われる。
池袋は大きな街だけに、駅を中心に余すことなく四方に広がっている。有名なサンシャイン60や西武、パルコがあるのは東口。東武百貨店に石田衣良原作、TOKIOの長瀬智也が主演し話題となったテレビドラマ「池袋ウェストゲートパーク」の舞台、池袋西口公園(IWGP)があるのはもちろん西口。
そのどちらでもない北口が今回の舞台である。どちらかというと池袋ではマイナーな地域。目的がなければあまり訪れるところではない。
魔都への入口
私は平均して週に3度ほど池袋北口を訪れている。池袋北口、妙な街である。通い始めた頃はツイッターなどで「魔都」と称していた。「今日も朝柔。魔都へ」といった具合に。朝柔とは朝にやっている柔術練習のことで、柔術とはブラジリアン柔術のことである。柔道の父、嘉納治五郎の高弟、前田光世が約100年前にブラジルに渡って伝えた柔道(柔術)が、小さい者でも大きい者に勝てるようにと、ブラジルで寝技に特化した形で独自に進化したもの。柔道が投げの一本にこだわり、スポーツとして世界中に広まったのとは、対照的な道をたどった。
池袋北口に通うようになったのは、私が所属しているブラジリアン柔術の道場、早川光由さんが主宰する「トライフォース柔術アカデミー」があるためである。元々巣鴨にあった道場が2009年6月に池袋に移転した。道場は池袋駅の北側、豊島区池袋2丁目にある。
JRの北口改札を抜けて地上に出ると、まず豊島清掃工場の大きな白い煙突が目に飛び込んでくる。とても大きく存在感が見事で毎回意識せずにはいられない。この煙突はいわば北口のシンボルである。天気の悪い霞がかった日などは神々しくすらある。といって、まるで街の墓標のようだなどとセンチなことは言うまい。池袋北口は欲望に満ち、感傷的なトーンとは無縁だからだ。それは道場に向かって歩いていくと否が応でも分かる。
私は10時30分に始まる朝のクラスに参加することが多い。道場へは池袋駅北口を出て、北側にまっすぐ伸びる道を歩くこと5、6分。道の両脇にはコンビニ、居酒屋、ラーメン店などが軒を連ねる。駐車場も多い。そしてここが北口が北口たる所以なのだが、この辺り一帯、風俗店と中国人が経営する店がやたら多い。また、ちょっと外れた奥まった一画にはラブホテルが並び、一方でその先を少し行くと普通の住宅やアパートが現れる。
風俗店、ラブホテル、中国人経営飲食店、住宅。ざっといってしまえば、これが池袋北口である。駅からわずか10分ぐらいの範囲にこれらが含まれる。ラブホテルの通りを夜普通に女性がひとりで歩いて帰っていく。怖くないのかな、大丈夫かな? などというこちらの懸念を他所に足どりはいたって堂々としたものである。住人は慣れているのだろう。
道場すぐ側がこのような環境だからといって、残念(?)なことに風俗店もラブホテルも利用したことはない。一度練習帰りに、当時風俗によく通っていた後輩と、彼の行きつけの店を訪れたことがあった。その日、出店している女性陣の写真を一瞥して、「井賀さん、今日はだめです。次回にしましょう」とクールに言われ、未遂に終わった。去り際「今日はすいませんでした! またお越しください!」と店の黒服に言われた時の、堂々とした彼の対応に「どんだけ通ってんだよ!」上客かよ、と思ったものだ。まあ今日はこの娘にしておくか……といったことのない、妥協を許さないその仕事人ぶり。後にも先にも、あの時以上にかっこよかった彼を私は知らない。
カラオケ店も多い。平日の朝10時半から「トーキーオー」と、沢田研二の「TOKIO」を熱唱する声が聞こえてきたこともある。外まで音がダダ漏れ。そんなに上手ではなかったけれど、気持ちよく楽しそうに歌っていた。朝からテンション高いなあと羨ましくも感心したものだ。どうしてあんなに大きく外まで音が漏れていたのか不思議である。でもそんな街なのである。
つい最近の話では、北口地上を出てすぐのところに、1万円ポッキリが謳いのソープランドが出店していた。店の構えは金色ピカピカの装い。派手な佇まいと“一万円ソープ”というキャッチな広告、いずれ写真に撮ろうと思っていたら、すぐに潰れた。営業していたのは僅か2、3カ月だったと思う。それくらい新陳代謝の早い街。次は何に生まれ変わるのだろう。
こういった街だからか、警察官が常にパトロールしていて、地上出口付近では、職務質問をしている光景をしょっちゅう見かける。傾向としては大きな荷物を持っている人が所持品検査を理由に職質されていることが多い。私は北口を訪れる際は、道衣とカメラを入れた大きなリュックを背負っているが、幸いまだこの場所では職質されたことはない。一度新宿で職質を受けたことがあって、その時は先ほど述べた風俗通いのパイセン、いや後輩と一緒だった。彼は職質をよく受けるそうである。警察官のアンテナは見た目、雰囲気に拠るところが大きいようだ。
職質されているのは外国人も多い。池袋北口はもともと中国人が多い上に、日本を訪れる外国人観光客が増えた傾向ともあいまって尚更である。道場付近にも「スーパーホテル」「東横イン」「アパホテル」などの宿泊施設があるので、道場に向かう道すがら、時間的にみてチェックアウトを終えたばかりと思われるスーツケースを引いた外国人観光客と時折すれ違う。その傾向は年々増加していて、道場にも表れている。
白く大きな煙突の下で
うちの道場には外国人の出稽古が多い。いまやブラジリアン柔術というのはブラジル、アメリカはいうに及ばず、競技者が世界中に広まっているので、東京観光の合間にうちに練習に来るのである。トライフォースは日本でも指折りの名門道場なので「jiujitsu tokyo」などと入れて検索すればトップページに表れるので見つけやすいのだろう。池袋とアクセスも良いし。東京では柔術の国際大会も年に何度か行われているので、選手がその大会の前後に調整の場として訪れるというケースも多い。昨年などは「グランドスラム」という大会前にインドネシアから約20名もの選手団が大挙して訪れ、1週間練習した。
このように白い大きな煙突の下、様々な人間模様が交錯する街、池袋北口。
一体あの煙突はいつからあるのだろう?
私はかつて池袋の北側、北池袋4丁目に住んでいた。その頃からあの白い塔はあったのだろうか。どうにも記憶にない。と、今更ながらに検索してみた。
あの白い煙突はいつから存在するのか?
着工が平成7年(1995年)9月で、竣功が平成11年(1999年)6月とある。つまり完成したのは1999年6月。どうりで、合点がいった。私が北池袋に暮らしていたのは、1994〜1997年。その後、1年間ニューヨークに暮らし、再び池袋を訪れるようになったのは、道場が池袋に移転した2009年。白い煙突が完成してからの最初の10年間は私的にすっかり抜け落ちている。しかし、今年は2019年。なんだかきりがいい。煙突が誕生して20年。私はその歴史の後半の10年は見続けているわけだ。
ここで、煙突の概要を東京二十三区清掃一部事務組合のホームページから引用してみる。
〈煙突が一番高い豊島清掃工場〉とタイトルにある。
ごみの焼却によって発生する排ガスを綺麗にした状態で大気に放出するため、清掃工場には煙突が備えつけられています。
清掃一組の清掃工場の煙突は、47メートルの比較的低いものから、210メートルの高層のものまであります。その中で最も高い煙突を備えているのが、豊島清掃工場です。豊島清掃工場は、都内の核のひとつをなす主要繁華街池袋地域の一角にあり、近くには都内有数の高層ビルとされるサンシャイン60(地上239メートル)があることから、煙突の高さが210メートルと高層に設計されました。
さらに調べると、都内で一番高いどころか、清掃工場の煙突としては日本国内で一番高いことが分かった。そこまで立派なものだったとは知らなかった。調べてみるものである。当たり前すぎて普段見過ごしていることは、案外身近にある。そういうものを掘り起こして示すのも写真家の仕事。
何があっても変わらず聳えるあの巨大な白い煙突と、その下で右往左往する馬鹿馬鹿しくも愛おしいちっぽけな我らの営み。そのコントラストを今後も撮るよ。時折空を見上げながら。それは池袋北口を訪れるかぎり続くのだろう。柔術をやめるその日まで。