蔵真墨写真展「蔵のお伊勢参り、其の五 二川から伊勢!」
スナップ写真は撮る行為に重点が置かれがちだが、蔵さんは出来上がってくるイメージをとても大切にしているようだ(c)蔵真墨 |
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このシリーズの撮影は2003年から始まっている。途中経過は何度か個展で発表しており、ある年の初めの便りは和服の旅姿で、カメラのついた一脚を杖のようにして持った作者が写っていた。うら若き女性一人が健気に東海道を旅するイメージを勝手に抱きながら、作品は未見のまま今日に至った。
初めて見る人は、良い意味での肩透かしを感じるはずだ。会場には、どこにでもいそうな人と光景が広がる。ただその写真に囲まれ、見て歩いていると、不思議な旅の感覚に襲われ始める。何気なく撮られたようなスナップだが、その根底には作者の強い意志が存在するのだ。
会期は2010年2月19日~3月13日。開場時間は10時半~18時半、土曜は17時半まで。日曜、月曜、祝日休廊。会場のツァイト・フォト・サロンは東京都中央区京橋1-10-5 松本ビル4F。問い合わせは03-3535-7188。
今は家族、親戚、自分のプライベートな生活などを撮影し、次の作品の形を模索中 | 路上で人物を撮ること。それを続けていくことは、相当な覚悟を強いられる |
■東海道を西へ、西へ
最初に種明かしをすると、当然、この旅は徒歩で行ったものではない。電車、バスなど各種交通機関を使い、東海道の都市、街を訪れていった。
「女一人で徒歩での旅は危ないじゃないですか。ただそう思ってくれる人がいたら面白いとは思っていました」と蔵さんは笑う。
やはり策を弄していたのだ。
1回の旅は2泊から4泊程度で、ある程度、大きな街を目指して行くことになったという。
「私が興味を持つのは人ですから、人が歩いている街じゃないと写真が撮れないんです」
人口の多い地方都市は、街の景観は均一化してきている。旅を前提にしたスナップの場合、街の佇まいは大事な要素になるが、そこにいる人を撮る蔵さんにとって、風景はそれほど関係ない。
「どんなに街自体が似てきていても、そこにいる人にはその土地の顔みたいなものが出てきます」
大阪は東京と違う撮りにくさがあるという。
「大阪の人はカメラに気づくと、ピースサインを出したりして……」
彼女が狙うのは、その人の素の部分が見えたと思った時だ。他人のために用意された表情ではなく、その人そのものの顔や仕草。
「それは私が思うだけのことですが」と蔵さんは笑う。
大都市だけでなく、いろいろな人に出会いたくて、小さな街も訪れている。
「静岡の周辺は、ほとんど人が歩いていない町が多かった。駅前に人がいない時は、国道沿いにあるショッピングセンターを目指したりもしました。そこだとあまり数は撮れませんでした」
カメラはマミヤ6とブロニカを使い、1日の撮影本数はだいたい5本程度だから、60カット前後だ。
■人物は身体で反応できる
蔵さんは大学を卒業後、映像関係の仕事をしていた。もともとは写真にも映画にも興味があったが、作品をチームワークで作っていく作業よりも、ある程度一人でできる方が向いているのではと、写真を始めたのだ。
「人物を撮りたいと最初の頃から思っていました。風景も面白いけど、人物は身体で反応できるんです」
身近な街をフィールドに、モノクロームで撮影していった。2000年から09年までに撮影した作品から、このほど写真集「kura」(蒼穹舎刊、税込4,725円)を出版している。撮影場所は新宿、池袋などだが、アウトローや風俗店など、よくある都市のアイコンは入り込んでこない。ごく普通の人と街並みが写されている。
「美の価値観は人によっていろいろありますよね。私が惹かれるものは、多分、美の人気ランキングでは下の方にあると思うけれど、それも認識してもらい、美しいものとして見せていきたいのです」
ただ東京の路上で人を撮っているうちに、なにやら周囲の空気が重苦しく感じられるようになってきた。そこでほかのところで撮ってみようと思いついたのが、この「お伊勢参り」だ。
(c)蔵真墨 |
■モノクロからカラーへ
「旅の写真みたいなのは私のタイプじゃないと思っていました。あと、しりあがり寿さんの『真夜中の弥次さん喜多さん』の影響もあって、お伊勢参りなら旅じゃないと思い当たった」
フィルムもモノクロから、カラーに変えた。
「ある種の定型から離れてみたかったんです。モノクロだと、どうしても作品らしくなってしまう。必要以上に良いものに見えてしまうんです」
こういった話をしているタイミングで、さまざまなスナップショットの手法を試みている写真家の大西みつぐさんが来場。蔵さんがモノクロからカラーに変えた話を聞き、大西さんも「僕も6×6でずっと撮ってきて、それが苦しくなって6×7に変えたことがある」とうなずいていた。
「モノクロだとどこかドラマチックになってしまうところを、カラーだと振り切れる。蔵さんの場合、撮り方もモノクロの時の方が少し被写体とスパークする感じがあったけど、カラーだと相手の表情を期待せず、ピークを待たないで撮っている気がする」とは大西さんによる蔵さん評。
モノクロのスナップショットには、作者が意図しないドラマ性が画面の中に入り込んでしまう。それが心地よい場合もあるのだが、今回、蔵さんが撮りたい世界にはそぐわなかったのだろう。
■旅のようで旅ではなく……
蔵さんは2003年からの撮影で、何度も伊勢神宮に参ったそうだ。二度三度と通った街もいくつかある。
改めて会場に並ぶ写真を見ると、その視点が旅人のものでなく、身近な街を散策する人に近いことに気づく。
「目的がありそうで無目的な旅。写真にしようという旅ではないように見えるんだけど、写真を何度も見ていくと、架空の道筋が見えてくる。最初、どこを歩いているのか分からないけれど、いつの間にか、もといた場所に戻ってきてしまっている感じがする」(大西みつぐ氏)。
このシリーズはこの後、もう少し、京都と大阪を撮影して、写真集にまとめたいと蔵さんは話す。「蔵のお伊勢参り」は、ごくありふれた日常を深く肯定する心地よさに満ちている。
(c)蔵真墨 |
2010/3/5 00:00