石渡知子写真展「菊地奈々子 元WBC世界チャンピオン 女子ボクサーの軌跡」
(c) Tomoko Ishiwata |
何かが始まる時には、偶然の出会いやさまざまなドラマが生まれる。この写真展はそんな好例だ。
本展の主人公、菊地奈々子さんはWBC(World Boxing Council)女子世界ストロー級の初代王者だが、タイトルを獲った2005年当時、日本のボクシング界は女子のプロボクシングを認定していなかったため(2008年に初めて女子のプロテストを実施)、国内では公式に認められなかった。
「周囲の評価は関係なく、黙々と練習を続け、対戦相手のタイで王座を勝ち取った。そんな菊地さんのことを、一人でも多くの人に知って欲しかった」
さらにボクサーになる前の菊地さんはカメラマンで、石渡さんとはそのころからの付き合いだ。そして石渡さんは……本文を読み、会場で、よりこの写真展を楽しんで下さい。
石渡知子さん | 会場の様子 |
- 名称:石渡知子写真展「菊地奈々子 元WBC世界チャンピオン 女子ボクサーの軌跡」
- 会場:エプサイト
- 住所:東京都新宿区西新宿2-1-1 新宿三井ビル1階
- 会期:2012年1月20日~2012年2月2日
- 時間:10時半~18時(最終日は15時まで)
- 休館:日曜
■突然、格闘技に目覚めた
まずお伝えしておきたいのは、撮影者である石渡さんの本業は会社員だということ。オフタイムに格闘技、プロレスを撮影しているのだ。
ただし、以前から格闘技やスポーツに関心があったわけではない。転機になったのは27歳の誕生日の朝のこと。
「何故か分からないけど、私はマッチョな人が好きなんだと、ふと思ったんです。それまでは王子様タイプが良かったんですけどね」
その後、BS放送でパンクラスの試合を見て衝撃を受けた。
「初めて見た試合は30秒ぐらいで決着がついた。美形な選手が、相手の攻撃を受けて、泡を吹き白目を剥いて倒れる。本気で戦っていることが新鮮で、すぐに虜になりました」
総合格闘技の試合会場に通い始めると、そこで友だちができた。ファンの選手を追いかけ、地方大会にも足をのばし、プロレス、キックボクシングと見るジャンルも増えていった。
「マニアックな友だちの解説に耳を傾け、互いに論議を深めながら見ると、より一層楽しめる。私は一番熱心に通った年で、100大会ぐらい見ました。中にはボクシングファンで、観戦用に後楽園までの定期乗車券を買っていた人がいました」
■デジタル化の波に乗った
そのうち好きな選手の自分だけの写真が欲しくなったが、一般客は2階席からしか撮影できない。より近い場所で選手を見たい、撮りたい思いが強まった。
「報道関係者と知り合い、手伝いをするようになりました。選手のコメントを取ったり、バックヤードでの雑用をこなし、そのうちに撮影も任されるようになりました」
2000年、デジタルカメラの移行期で、まだフィルムカメラを使うカメラマンが多かった。石渡さんは、いち早くEOS D30を購入した。
「写真の知識も経験もなかったので、最初は失敗の連続でした。最初に自分で買ったカメラはEOS kissの標準ズームセットでした。EOS7を買い増し、すぐD30に切り替えました。デジタルカメラを持っていることで、うまく入り込めた面もありますね」
ただ撮影現場では、最初、手痛い洗礼を受けた。
「リングサイドでは、それぞれのカメラマンの定位置が決まっているのですが、そんなことはつゆ知らず、私は選手しか目に入っていなかったので、のこのこと場を荒らしてしまったんです。そうしたら突然、長玉で頭を殴られ、一喝されました。あれは、もの凄く痛かった」
以降、選手だけでなく、カメラマンのことも観察し、現場のしきたりを学んでいった。
「もちろん親切なカメラマンもいます。かなり早めに会場入りしたけど、遠慮して端っこに立っていたら、『早く来たんだから、リングの真ん中でいいんだよ』と教わったこともありました」
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■パンチが当たる瞬間を撮る極意
リングサイドでの撮影は神頼みの要素が強い。試合中、移動はできないから、自分の目の前で良いシーンが起きてくれることを願うしかない。試合が決まる瞬間、選手の背中しか写せないこともある。
難しいシーンの一つは、ボクシングでパンチが当たる瞬間を捉えることだ。石渡さんはタイミングが早いか、打ち終わった場面しか、撮ることができなかった。
「先輩に聞いてみると、『パンチを出す直前、選手の肩がピクッと動く瞬間があるから、その時、シャッターを押すんだ』と教えてくれた。けど、何度見ても、ピクッが分からないんです(笑)」
周りにいるカメラマンたちはかつて選手だった人や、実際、好きで格闘技を体験している人が少なくない。
「だから感覚が鋭いのかなと思います。私はでんぐり返しをしただけで目が回る運動音痴ですから。だから私は選手と一緒に戦うつもりで、動きを観察ことにしました。そうするとパンチを出す瞬間を感じるようになりました」
ファンとして試合を見ていた時は、好きな選手の活躍が楽しみだったが、カメラマンとしてリングサイドに立つようになると、見方が変わった。
「内側からの見方が出てくるし、勝ち負けだけで素直に喜べなくなっていきました」
■世界戦で日本人カメラマンは1人
菊地奈々子さんと知り合ったのは、彼女のカメラマン時代だ。菊地さんは2001年、26歳でジムに通い始め、2004年、日本ミニフライ級タイトル王座を獲得している。
「その時は、いつの間に日本チャンピオンになったのって感じでした。私が初めて彼女を撮ったのは、2005年6月の日本タイトル防衛戦です。その後、タイで世界王者になったので驚きました」
タイへ菊地さんはセコンドのマネージャーの3人だけで向かった。試合の日程は二転三転し、精神的にもタフな状況の中で、勝利をつかんだ。だが前述したように、日本ボクシング界は女子のプロボクシングを認可していなかったため、取材する報道陣はいなかった。
「誰も撮らないから、私が撮らなくてはと思った。ただ2006年のタイでの防衛戦は日程が合わずに行けず、2007年のアメリカでの防衛戦は同行できました。その試合も、リングサイドに日本人カメラマンは私一人でしたから」
この時は可能な限り、菊地さんに張り付き、撮影を行なった。
「試合前は不正がないように、審査員が選手を監視します。私が選手控室に入ろうとすると、追い払われる。彼の目を盗みながら、撮っていました」
■菊地奈々子という存在
これまで練習風景と二度の世界戦をはじめとする試合の前後を撮影してきた。石渡さんはさまざまな格闘家たちを見てきたが、菊地さんほどストイックで、長い時間、練習をこなす人はいないという。
「自分の世界観が確立していて、それに向かって黙々と行動していきます。ただ、本人は自分のことを全くアピールしようとしないんですけどね」
試合直前、張り詰めた緊張感の中、撮る怖さを振り払って、彼女にレンズを向けた。二度の世界戦はいずれも判定負けを喫したが、リングを去る彼女の姿を正面から捉えた。
「個人的な話とか、菊地さんと話したことはありません。だけど、カメラマンとして信頼してくれていたから、試合前のバックヤードも撮らせてくれたんだと思います」
ボクシングが多くの人を感動させるのは、壮絶な打ち合いにあるのではなく、自らに挑み続ける選手の姿にこそあるのだろう。
(c) Tomoko Ishiwata |
2012/1/27 00:00