林田摂子写真展「森をさがす」
林田さんは2006年の春、初めてフィンランドを訪れた。その当時、好きになった人の故郷がどんなところなのか、見たかったからだ。
ただこの作品に、そんな背景は不要なのかもしれない。言葉も分からず、不安を抱えて行った国だったが、不思議なくらい自然に、その場所に馴染んだ。何よりも彼女の心を捉えたのは、そこに静かに流れる時間であり、当たり前に自分を受け入れてくれた家族の存在だった。
「彼のお父さんとお母さんに見てほしくて、この写真集は作りました」
自分がそこで見たものを伝えたい。この世界は、その思いから生まれたものだ。
林田摂子さん。2月18日(土)16時から会場でアーティストトークを開催。入場無料。参加希望者はギャラリーWebサイトより申し込みを | このギャラリーは2011年12月にオープン。こじんまりとした居心地のよい空間だ |
- 名称:林田摂子写真展「森をさがす」
- 会場:POETIC SCAPE
- 住所:東京都目黒区中目黒4-4-10
- 会期:2012年2月14日~2012年3月17日
- 時間:12時~19時
- 休館:日曜、月曜
■その場にある何かを受け取る
フィンランドは春と冬、次の年の夏に、それぞれ2週間ほど滞在した。生活する中で、撮りたいと思う光景が現れると、カメラを向け、シャッターを切る。
「自分が自然でいられる場所だと、私は写真が撮りたくなります」と林田さんはいう。だから撮るために出かけたり、旅をすることはない。撮ることは、いつも結果として行なわれることなのだ。
使用カメラはライカM6と50mmレンズ。写真学校で先生に奨められて買ったものを、ずっと使い続けている。
どんな感じで被写体を選び、シャッターを切るのか尋ねると、考え考え、いくつかの答えを話してくれた。
「撮りたいモノを真ん中に入れて撮ります(笑)」
なるほど、食べかけのケーキや、お墓、男の子など、明確な被写体が中央にある場合もあるし、それが明瞭でないものもある。
「見たものを撮るけど、写真の枠の中に収めようとは思っていません。辻褄の合わない言い方ですが、画面の外側だったり、写真と写真の間にあるものを撮りたい気持ちがあります」
「撮るというより、カメラでその場の何かを受け取るっていう感覚に近いのかな」
■撮ったことを覚えていない写真がよい
撮影枚数は興が乗っても1日に2本程度。そう多い方ではないのだが、撮ったことを忘れているカットがしばしばある。
「ただ狙って撮った写真は、出来上がりが想像を超えていないので、大概良くありません。むしろ、覚えていない1枚の方が私にとっては面白いんです」
撮影済みフィルムは写真店へ同時プリントに出す。戻ってきたサービスサイズで粗選りをした後、しばらく時間を置く。
撮影よりも、このプリントを見る時が楽しいそうだ。カメラという機械は、レンズが捉えた風景を均等に、平面の映像に置き換え、写し出す。
「撮る時に意識していなかったものを発見したり、普段見ていないものを眼にする不思議さと面白さがあります」
そうして選んだプリントは「囲って、野放しにしておき、それが自然になるのを待つ」。最終的には写真と相談していくと、収まるところに落ち着いていくのだ。
こうして撮影を終えてから4年を経て、2010年に写真集「森をさがす」は出版された。当時の彼とは関係が途絶えていたこともあって、本ができて1年ほどしてフィンランドに本を送ることができた。
「お父さんとお母さんは80歳を過ぎて、物忘れがひどくなっていたそうなのですが、この写真集を眼にすると、不思議と記憶が蘇り、元気を取り戻したそうです」
■撮影者である自分を消す
林田さんが写真を始めたのは、英文科に通う大学生のころだ。父親からもらった一眼レフカメラで、写真の面白さに目覚めたという。
「それまで使っていたコンパクトカメラと、全く違う写真が撮れました。きれいなだけでなく、写りの自然さが良かったように思います」
写真部に入り、暗室作業に魅了された。卒業後は、アルバイトでスタジオやカメラマンのアシスタントをこなしながら、東京綜合写真専門学校の夜間部に通った。
「学校では、スナップで群衆写真をずっと撮らされました。中心を持たない写真を作ることで、撮影者である自分を消していく。そうした後で、出てくるものを撮る。そういう訓練です」
新宿の雑踏に飛び込み、人と街を撮る。林田さんにとって、その撮影は苦痛そのものだったが、出来上がってきた写真は刺激的だった。
「だから続けられたし、その後、写真の見え方、面白さが変わりました」
■積み重なった時間に惹かれ
在学中に撮り始めたのが、「箱庭の季節」だ。長崎にある母親の実家で撮影したもので、卒業制作としてまとめると同時に2000年、ガーディアン・ガーデンが主催する写真[人間の街]プロジェクト Part.2/2003 NEO DOCUMENTARYに応募し、選ばれている。
「生まれは東京ですが、父が転勤族だったので、私にとって故郷と呼べるものがありません」
長崎は、毎年夏に遊びに行っていて、心安らげる場所だった。だから写真を始めると、自然と撮るようになった。
「実家は400年ほど続くお寺なんです。東京だと撮る気が起きないのに、そこに行くと撮りたくなる。落ち着くのと、そこここに積み重なった時間が感じられて、そこに惹かれました」
この地には、かつて生きていた人たちの何かが、気配として残っている。例えば、従弟たちがスイカを食べている風景を見た時、昔もそうだったであろう団欒に林田さんの思いは広がっていくのだ。
■隠岐の島との出会い
林田さんの撮影スタンスは、この時から一貫して変わらない。2月20日から3月4日まで、新宿の蒼穹舎で個展「島について」を開く。3つ目のシリーズであり、この撮影地は島根の隠岐の島だ。
小学校の社会の教科書に、隠岐の島の写真が載っていた。何故か、その印象は林田さんの中で薄れることなく、島の形も記憶に残り続けた。
「大学で隠岐の島出身の友だちができて、その夏に遊びに行きました。その後、写真を始めてから、それも自然に撮るようになったんです」
その島にいると、不安も何もなくいられる。最近では、島に移住しようかと思うくらいだそうだ。
林田さんの作品は、そうした思いから紡ぎ出した風景であり、それは見る人の心の奥底にある何かを静かに揺さぶる。
2012/2/17 00:00