山岸伸の「写真のキモチ」
第59回:写真集を通して確立された関係性
横須賀昌美/水谷ケイ/桜樹ルイ
2023年11月30日 12:00
今までに400冊以上の写真集を世に出してきた山岸さん。撮影から時を経て、そしてその写真を通してまた被写体と共有できる思いがある。今回は横須賀昌美さん、水谷ケイさん、桜樹ルイさんの3名との思い出と写真を振り返っていただきました。(聞き手・文:近井沙妃)
横須賀昌美(女優):私のヌード写真集の原点
「写真集バブル」と言ったらおかしいが、数多くの写真集が世に出るようになっていた時代。そういう仕事が私にはなかなか来なかった。どうも見た目に反してちょっと照れ屋な部分があってヌード撮影が上手くできない頃、とあるグラビア雑誌の編集長が「山岸はヌード撮影が下手だから山岸には頼むな」って話していたと聞いたこともある。
そんな中、初めてヌード写真集を撮らせてもらったのが横須賀昌美さん。資生堂のキャンペーンガールとしてデビューし、女優やタレントとして活躍されていた姿が私の記憶にある。初のヌード写真集で横須賀さんを撮影できるということで相当気合いを入れて挑んだ。
写真集の一番後ろに使用機材が記載されているが、ディアドルフの8×10やFUJIFILMのGX680で撮影していた。なんだろうね、格好つけたいというかそれはもう緊張していたので物凄く気負っていたと思う。まして8×10をそこまで使い慣れているわけではなく、ピントを合わせるのも大変、モデルの横須賀さんにポーズをお願いするのも大変、撮影してポラロイドでチェックをする行為も大変。大変のオンパレードであたふたしていたことを思い出す(笑)。
約30年前だが今でも鮮明に覚えている。撮影場所は私たちが通称「蜂蜜工場」と呼んでいたとても有名な四谷にあった洋館。少し古めかしく素晴らしい雰囲気で、都内でも非常に優しく撮影隊を迎え入れてくれる場所だった。残念ながらこの写真集を撮って何年か経った頃に解体され、今は恐らく公園かマンションになっていると思う。皆さんにお見せできる写真を選んでスキャンしてみたが、30年前とは思えない写真もあれば今の写真とは違う雰囲気が出ている写真もある。気合いを入れて8×10で撮ってよかった(笑)。この写真集はお気に入り。
この1冊を機に一気に写真集を撮るようになったが、横須賀さんはその約1年後にハワイのマウイ島で撮影。とても綺麗な島で楽しい撮影だったので、この間の山火事のニュースは胸が痛んだ。この頃お世話になっていたハワイのコーディネーターはジェシーさんといって、マウイ島に住みながらオアフ島での仕事もたくさんやってもらったね。一時はロスまで一緒に行ってコーディネートしてもらったことも。
人生最大のラッキー
会ったこともない、とある方が突然私の事務所に電話をして訪ねて来てくれた。驚くべきことに私の為に小さな出版社を買ってくれたんだ。大きな会社なので社名は伏せておくが「月に1冊半~2冊の写真集を撮れるだけ撮ってください」ということで撮りに撮りまくった。そして与えられたコンパスという出版社のお陰で私は何百冊もの写真集を出版することができた。あくまでも私の写真集を販売するための会社であり、写真集バブルが終わり少しずつ売れ行きが下がってきたところで私もコンスタンスな写真集の撮影をやめ、コンパスという会社も時代の流れで消滅した。
その後自然と携帯電話のビジネスに入っていってお互い特別な挨拶をせずにお付き合いが無くなった不思議な関係だが、私の為に企業が全て費用を出し、好きなだけ写真を撮らせてくれた。私のカメラマン人生最大のラッキーで衝撃的な出来事と言っても過言ではない。
水谷ケイ(女優):魅力と勢いに溢れた最高の被写体
さて、次は1年間に3冊も写真集を撮影させていただいた水谷ケイさん。最初は1995年にサイパンに行って撮ったもの。ケイちゃんもよく写真集が売れたので続けざまに写真集を3冊出し、加えてその3冊分をまとめた形で4冊目も出した。1年で3冊も出せた方はなかなかいない。1冊目はサイパン、2冊目はサイパンから飛行機に乗りテニアン島という小さな島で。当時はとにかく行ったことのない場所はどこでも行きたいという思いがあったので、とにかく行こう行こうとありとあらゆる場所に行った気がする。
ケイちゃんはサラっと大胆なところがあってお互いに遠慮せずに写真を撮れる数少ない被写体だった。言えば返ってくる。それが彼女の最も魅力的な部分だったと思う。セクシーでダイナミックでナイスバディで、当時そういう代名詞がついたくらいだった。本当に素晴らしい被写体だと今でも思っている。
ラストヌード写真集はロサンゼルスまで行ってダウンタウンにある元デパートなどで撮影したね。地下から地上8階ぐらいで当時のCMや映画にはよく出てくるロケ地なんだけど、1棟貸しで当時1日4,000ドルくらいした。高いけど安全面やいろいろなことを考えるとそういう場所を借りた方が撮影は上手く進む。私達の撮影の後にこのロケ地が映画「フェイス/オフ」の撮影で使われており、ジョン・ウー監督が現れ、ニコラス・ケイジやジョン・トラボルタを見ることができた。この作品はその後何度もDVDで観ていて、その度に生で見た彼らの姿を思い出す。
ロスはハリウッド映画の街なので撮影場所には全然困らない。しっかりしたコーディネーターがいてハウスやビーチやら、そういう撮影場所は映画関係のところから借りてくるのでとても楽しい撮影ができた。大きな場所を借りるとき、コーディネーターとは別に警備としてガードマンを1人頼んで立っていてもらうことも。皆に仕事を作って回していい状況にするためだ。撮影用に家を借りればコーディネーターがいる、カギを開ける人がいる、警備する人がいるとか。場所1つを借りてもいろんな役割がある。
私とケイちゃんが「お弁当事件」と呼んでいる思い出話がある。ロスは広いのでロケ場所を移動するだけでもロケバスで2時間くらいかかったり結構朝早くから夜まで自由時間無しの撮影しっぱなしで無意識のうちのストレスがかなりあったのかもしれない。彼女が撮影に一生懸命集中しているときにメイクさんやスタイリストさんの動きがどうもイマイチ鈍いような、そういう気がした。とても仲が良いスタッフさんだが元々動きが遅めな子で一生懸命だが噛み合わなかったというか。そしてランチのお弁当が運ばれてきた時にケイちゃんのイライラが爆発してお弁当を投げたんだ。人にじゃなくて壁に向かって投げたんだけど、あれは衝撃的だったね(笑)。まあ、そんな感じでいい思い出として彼女と今笑えることがとっても幸せ。
今でも時々出版社から横須賀さんやケイちゃんの写真を「思い出の写真として使わせてください。」と依頼が来る。彼女たちも許可をくれて、出版社からギャラが出ることもあるので1冊の写真集で得る収入がトータルで十分すぎるほど黒字だったりする。これもまたすごいことだよね。
桜樹ルイ(女優):時を経て共有した気持ち
セクシー女優さんを写真集で撮影したのは多分桜樹ルイちゃんが初めてだったんじゃないかな。彼女と仕事ができるということでワクワクしていたんだけど、本当に優しい方で仕事も一生懸命やってくれた。初対面だけどなんだかすごくいい写真が撮れたね。
最近彼女がX(Twitter)で「今手元にある写真集はこれしかない」とポストしていた。それをたまたま見つけたのでルイちゃんに連絡してみると「先生の写真で私もこんな自分に写るんだと自信を持てました!女性に魔法をかけてくれる力は凄すぎる!と当時思いました」「本当に美しく写し出してくれてるので大好きなカメラマンさんでした」と嬉しい言葉が返ってきて、私も写真集の中から数枚スキャンしてデータをプレゼントした。写真集が記憶にも心にも残っていてこうしてやり取りができる幸せをこの時代に得ている。
そしてルイちゃんの2冊目の撮影は沖縄で。とても力のある現地のコーディネーターさんに頼んでいたので借りたい撮りたいは全部話をつけてくれて仕事が本当にスピーディーに進んでいた。那覇の街中や、バーでビールを飲む姿を撮ったりとか行き当たりばったりでそういうこともしたね。
写真を撮っていると何故か私の周りにはどんなときでも桜が出てくる。来年に桜の写真展を開催する予定だったり、私の愛犬の名前もさくらだし、そして桜樹ルイちゃんとルイちゃんの写真集タイトルも櫻だ。自分にとって物凄く写真に関わってくる、とても大切なものだと感じている。
関係性の確立
今回この記事を書くにあたって「この連載で少し思い出を語り、写真を数枚載せさせてほしいんだけど大丈夫かな」とそれぞれに連絡を取ったところ、横須賀さんからは「少しと言わず沢山語ってくださいませ」、水谷ケイさんは「是非是非、なんでも語ってください」と、桜樹ルイちゃんは「喜んで! 語っていただいて大丈夫です」とお返事をくれたんだ。
みんな私が撮った写真をとても大切にしてくれていて、私が自分のために二次使用をしたいと言っても快くお返事をくれて、いい被写体と出会えたことを実感し心から感謝している。
人物を撮る上で昨今特に難しい問題は肖像権や著作権などいろいろある。だが、そういうものを超えた人間関係が写真集を撮ったことにより確立されているということがとても嬉しい。真っ当に撮影し、一緒に作り、その信頼関係を壊さないようにカメラマン人生を重ねてきた。これからもいい記憶と関係性でいれるよう、そういう自分でありたい。