山岸伸の「写真のキモチ」
第56回:建物が持つ力を受けて写るモノ
三野村ビルとの出会い
2023年10月15日 12:00
17年以上前のこと。昭和初期の建築物に惹かれることが多い山岸さんが散歩中にふと出会った建物、清澄に建つ三野村ビル。交渉を重ね、撮影場所として借りる許可を得る。山岸さんが感じ取った建物が持つ力、そしてその力を背景に撮影した写真とは。(聞き手・文:近井沙妃)
惹かれたら、真っすぐ交渉
どうも私は昭和初期の建築物にえらく惹かれるようだ。今まで色々な建物を撮影してきたが、この三野村合名会社(現在は株式会社)の事務所も関東大震災で倒壊した後の昭和2年に再建されたと資料に記されていた。
私がこの建物に辿り着いたのはいつ頃だったか記憶にないくらい前の話。ある時、隅田川沿いを散歩していたらこのビルに出くわした。正面玄関の黄色いテラコッタが目に止まり、ここはなんなんだろうと思いながら少し覗き込んだり周りをキョロキョロ見て歩いては立ち止まり、こういうところで撮影ができたらいいなと思って尋ねてみることにした。
入ると受付のようなものがあり、中では何名かの人たちが働いていた。「すみません、ここはなんなんですか」と尋ねると「会社ですよ」と。「そうですか、大変素晴らしい建物ですね」って、そんな会話をしながらここで撮影はできないか軽くお願いをしてみたところ、けんもほろろに「申し訳ありませんがそういうことはしていないんです」とお断りを受けそのまま引き下がった。
しかし家に帰ってもやっぱりどうしてもあの建物が気になる。もう一度お願いしたがやはり結果は同じ。そして3回目、私のプロフィール等と虎屋の羊羹を持ってもう一度顔を出すと丁度当時の5代目の社長さんがいて私の話を聞いてくれた。「そこまでおっしゃるならどうぞ」ということで撮影許可をいただけたのだ。
条件と言ったらあれだけども、私がこの建物の写真を撮ってプレゼントするという約束で私に撮影場所として提供してくださった。初めてこのビルを撮影したのは2006年11月の事。それから幾度となく通ったが、ここが気に入っている理由としては都心にあり私の家からも近いこと。屋上がある、中庭もある。そして雨が降っても室内で写真が撮れること。屋上へ行く階段、階段の踊り場、2階にはメインの応接室、会議室など4つの部屋があってバリエーションが豊富。撮影にはもってこいなんだ。
特に好きなのは石造りの手すりがある立派な階段で、訪れる度にここでは必ず撮影している。
場所をお借りする立場ということ
この貴重なビルの中で撮影するにあたり、注意点がいくつかある。大声を出さない、壁や床や調度品を傷つけないよう移動や使用時に気を付ける。無理を言って借りているので汚して帰るなんてとんでもない。むしろ綺麗にして帰りたいくらいの気持ちだが、まずは最低限守るべきことを守り近所の方からもクレームが入らないように徹底する。
お弁当を食べるにしても水を飲むにしても、何をするにしてもテーブルなどは傷つけないようシーツやタオルで保護をした上で使用している。このテーブルは1枚板で作られていてドアを通して外に持ち出すことは出来ない。当時からずっとこの部屋に鎮座しているとても大切なテーブルだ。修理するとなれば今の職人さんはここで修理をしなければいけないだろうしコスト面でも負担が大きくかかるだろう。
気を遣って当たり前。場所を借りて写真を撮るということにおいて、どんなところに行っても気を遣って当然だが、その中でも特別こちらはどうぞお使い下さいと私を信頼してくれて何か特別注意をしたり帰るまで撮影現場に出入りをすることもなく、私に対してオープンにしてくれるだけに余計そう思うのだ。信頼関係が第一。嫌われてしまったら恐らくもう借りることは難しくなるし、貸しスタジオではないのでやはりオーナーの意に反することは受け入れられないだろう。
周辺には相撲部屋や大きな公園があったりするのでなんとも全体的に気の流れが良い。いろいろ調べると歴史的にも大変なところで、そんなところに自分がいるんだということを感じながら撮影をしている。私は研究家ではないので余計なことを言って間違った情報を発信するとご迷惑がかかるため、興味を持たれたら是非個々に調べてみて欲しい。
このビルが撮影を上手く導いてくれる
撮影許可をいただいたのである意味先程上げた点をきちんと守れば順調に撮影ができる。最初の頃はミニスカポリスやたくさんの子たちを連れて撮影をしたり、撮影会をしたこともあった。
ある時は大竹京先生の球体関節人形を、ある時はアーティストを、ある時はグラビアアイドルを撮らせてもらったり、たくさんの人たちをここで撮ってきた。
現在大活躍中のアーティスト、小松美羽さんのプロフィール写真などを13年前にここで撮影した。その時に小松さんが描いてくれた絵は私の目。この大きな作品は額装して私の家に飾られている。写真を撮るということはとてつもない宝に出会ったり、もの凄いことが起きたりする。皆さんも写真を撮り続けていたらきっとそういう奇跡がどこかで起きるはず。
5代目から6代目の社長に変わり少し時間を置いたが、偶然にも私の知人と6代目の社長がラグビーの先輩後輩関係だったことがきっかけでまた人と人の縁が繋がり、撮影にうかがうようになった。
「本物」の前で女の子がより浮かび上がる
背景になるところが写真の上がりを左右する。その日の光が左右する。ここはスタジオではないので自然光が入らなければ照明を持って行かなければならない。上からの光は全く無く、基本的に窓から入るサイド光。この光が昭和の匂いを強く現すのだろうか。「本物」の前で撮る写真はどこか重みがあり、女の子や被写体が浮かび上がる。そういうことを実感しながらシャッターを押している。何を撮ってもこのビルが撮影を上手く導いてくれる力があるんだ。
私の写真を通して
まだまだたくさんここで写真を撮りたいと思っているが、そう何回も来れるだろうか。ここがもし私の持ち物だったら、写真展会場にしたり一般公開して皆さんにお見せしたいとも思ったりするが、それはあくまでも叶わない空想の話。だが、それくらい皆に見て欲しい場所。叶わない分、そこで撮った私の写真を通して、この建物が持つ力とポートレートとの相乗効果を感じて欲しい。