山岸伸の「写真のキモチ」
第57回:撮りたいと思ったら撮る、シンプルな気持ち
「平和荘」の記録
2023年10月31日 12:00
2005年、山岸さんが帰り道に偶然いつもと違う道に入ったことで出会った「平和荘」。目的の無い撮影が始まり、そして長い月日が経った今何を思うのか。山岸さんが残した平和荘の記録と共に当時を振り返っていただきました。(聞き手・文:近井沙妃)
平和荘との出会い
2005年、車での帰り道。ふと何かに導かれるようにいつもとは1本違う道にひゅっと入ってしまった。あ、間違ったと思った瞬間、目に入ってきたのがこの古い建物だった。
場所は墨田区緑2丁目。車を目の前に停めて建物に近づくと「平和荘」の看板。なんとも昭和っぽいというか、私の好きなキーワード。思わず中を覗き込み、車内にあったカメラを取り出してそーっと建物の中に入っていった。するとどうも人が住んでいるような気配を感じ、これ以上は無断で立ち入ってはいけないなと入口や階段などを少し撮らせてもらって引き上げた。
後日調べてみると元々は昭和3年に税務署として建てられ、昭和20年に墨田区界隈が東京大空襲により一面焼け野原になった中で焼け焦げてしまったが建物自体は残った。その後家を無くした人や引揚者の人々が住み、「社会福祉法に基づく宿泊所」という位置付けであったようだ。戦争被害者の願いが込められて「平和荘」と名付けられた。
実に興味深い建物で、持ち主が財務省関東財務局だということがわかり電話をかけた。平和荘を撮影したい旨を担当者に話すと「住人が何名かいるので中に入っての撮影許可を出すことは難しいです」との返答だった。どうしよう。やはり私の悪い性格で一度惹かれるとどうしても気になってしまう。色々考えて平和荘の前に毎日屋台を出している八百屋さんに尋ねたところ、住人は2人いると。八百屋さんも何十年とこの地でお店を出していたのでもの凄く詳しく、住人の方を紹介してくれた。
目的の無い撮影の始まり
住人の1人は一見とても怖そうな大柄の男性だったが、話をしているうちに「迷惑はかけるなよ、それともう1人の住人には俺が言っておくから大丈夫だよ」と許可をいただけて、事務所を上げて私とアシスタント3人で平和荘へ通い詰めて撮影することに。
少し脆く危なそうな鉄梯子を上がると屋上につながる。なんと目の前にはマンションがあり、マンションの住人と顔を合わせるような高さ。屋上はコンクリートの割れ目からありとあらゆる植物や雑草で生い茂っていてその全体が花壇のようだった。それもまた面白いと思い夢中で撮影したね。
撮り始めてみたが住人の方との話だけで進めてしまったのでどうなるかわからないなと思い、もう一度関東財務局へ電話をすると「住人さえよければ撮影いただいて大丈夫ですよ」と許可をいただけて一安心。何事もそうだが撮影で借りている立場上、順序立てて筋を通すことが大事。そして引き続き目的無しの撮影を重ねていった。
今回はセレクトしていないがここにはたくさんの猫がいた。アシスタントの稲田君と浅野君はなんだか猫を一生懸命撮っていて、それはそれで可愛い写真が結構ある。2005年当時、機材はオリンパスのE-300をメインに、そしてキヤノンのEOS-1Ds markⅡを使用していた。
結果的に住人の部屋の中以外は撮り終えることができた。住人の男性からは撮影許可をいただいたり面識があったが、もう一人の女性とは最後まで会うことは無かった。
大空襲の証人、取り壊し
撮り終えた年の大晦日にここが焼けたということをニュースで知り、急ぎ飛んで行くと住人の男性が焼けた平和荘の前に立っていて偶然会うことができた。「もうここから出ていかなきゃいけなくなったよ」と一言。そこで交流が終わってしまった。建物は半焼。軽症者がいたものの住人は無事で親族に身を寄せたり区の住宅に移り住んだそうだ。
半焼だったが倒壊の危険性があるため惜しくも取り壊されることになった。その後ここが何になったかは見に行っていないし調べてもいないが、ただ更地になったところまでは撮影した。