山岸伸の「写真のキモチ」
第36回:熱海の芸妓さんを撮りたいと、今、熱海通いを始めました
想い続けた憧れの被写体
2022年12月15日 13:00
始まりは15年前
今から15年前、私は熱海芸妓見番に電話をし、マネージャーと2人で見番へ挨拶に出向き、熱海の芸妓衆を撮らせて欲しいというお願いをしました。熱海芸妓組合の広報の方が米米CLUBのファンで私の名前を聞いたことがあると、話がトントンと進みました。帰ってすぐに撮影に行こうと思いましたがなかなかタイミングが合わず、行くことができませんでした。
その後、最初にお伺いした時に立ち会って話を聞いてくれた三味線の旬子さんから「華園(Kaen)」という冊子が届きました。旬子さんがわざわざ添えてくれた一筆箋を私はずっと大切にしまっていました。
そして長い月日が経ったある日、熱海市議会議員の村山さんから別の写真集を「見たら?」といただき、刺激を受け、撮りたいという強い気持ちがもう一度生まれました。
熱海芸妓見番へ、再びの訪問
再度どうしたら撮れるのかを村山市議に尋ねたところ、熱海市役所 観光商工課に繋いでくださり、齊藤市長にも挨拶をし、「ぜひ、熱海の芸妓さん及び『熱海をどり』を撮らせて欲しい」とお願いをしました。
やはり顔を合わせて話すことと、スピード感が大切です。その日のうちに熱海市役所 観光商工課の方が見番へ連れていってくださり、芸妓組合の事務長や広報の方などをご紹介いただき、撮影を開始することにしました。旬子さんとも再会でき、私のことを覚えていてくれたことがとても嬉しく、またさらに気持ちが高まる出来事でした。
一度、撮影に挑む前に物理的にも精神的にも俯瞰で全体をシンプルに見なければいけないと思い、熱海芸妓見番歌舞練場の2階席からカメラのレンズを通して全体を見て、数回シャッターを押し、その日は帰りました。
撮ってみて、「なんとかなる、なんとか撮れる」と、自分の中で見えてくるものがありました。また近いうちにもう一度行かねばと思いましたが、運悪く日本中がコロナ禍の中、芸妓見番も練習や公演を中止するなどの影響を受けました。重ねて私とのタイミングも合わず、また1年近くの月日が経っていました。
本格的な撮影へ向けて
このまま放置してはいけないと、広報の豆一さんとやり取りを今までより密にし、いつも「ぜひぜひ」と優しく声をかけてくださり、最近では地下の練習場で撮影をすることができました。
この日は毎週土日に開催されている、湯めまちをどり「華の舞」の本番前に小文さんが女役の琴千代さんと男役の紗都美さんの着付けをするシーンを撮らせていただきました。短い時間でしたがその空気感から厳しさと感動を覚えました。
この日も私にとっては軽い撮影にしました。“軽い”というのは撮影を軽くするということでは無くて、時間や皆さんに対して迷惑をかけない程度にするという意味です。
現状2回の撮影を終え、セレクトした写真を事務所でプリントしています。紙はGEKKO シルバーラベルプラス、キヤノンのPRO-1000でプリントし、芸妓見番に先日お渡ししました。プリントを手渡すことで生まれる意識の共有やコミュニケーションを大切にしたいのです。
本格的に深めていく
さあ、これから私は撮影を本格的に開始する予定です。今熱海は観光では賑わっていますが、歌舞練場にはまだあまりお客さんが戻ってきていません。なんとか写真の力で少しでもPRをしようと思い、私個人で盛り上がっています。お正月には芸妓衆がお正月やおめでたい日に着る黒留袖の「出の衣装」を纏うので、正月明けに3日間くらい熱海で温泉に泊まりながらでも撮影をしたいなと思っています。
改めて、写真の力を信じたい
今回私が写真で伝えたいことは「写真の力がどのくらいあるか」ということです。写真に加えSNSの力で歌舞練場がお客さんでいっぱいになる日を私は願っています。
たかが写真ごときと思うこともあります。ですが1つの例として、15年前に廃止の危機で大変な時期があった帯広ばんえい競馬場は今ではたくさんのお客さんが入り黒字になり、大繁盛しています。その一躍を私は写真で伝えたつもりです。写真の力を信じて、もう一度熱海の芸妓さん達を撮りたいと思います。