赤城耕一の「アカギカメラ」

第41回:デジタル時代だからこそ考える、超大口径レンズの必然

NOKTON 50mm F1 Aspherical VM

中古ライカレンズはこのところ暴騰といってよいほどの価格高騰をみせており、こんな不安定な時代なのに、常人には理解不能のバブル状態が続いています。

この理由はよくわかりません。が、本当にライカレンズを使って撮影をしたいと考える真面目な写真表現者にとってはたいへんな逆風であり、新品も中古も相当な出費を覚悟せねばならない状況になっています。困りますねえ。もちろんライカレンズを使ったからって、すぐに名作写真ができるわけじゃないのですが。あ、もちろんいくら高額に設定されようが関係なくお買い求めになられる方もたくさんいらっしゃるので、この状況を嘆いても僻みに取られてしまうだけかもしれません。

他のメーカーのレンズと異なり、中古ライカレンズの場合は高性能=高価格という図式が必ずしもすべてに当てはまらないところがあります。これ、けっこう問題ですね。生産数が少ないから希少品と判断され、高額になるレンズも多いわけです。もっともライカの場合は昔から程度の差こそあれ、同じような状況はありましたけれど、昨今はいささか度を越えている感じがします。

筆者は裕福ではありませんから、昔からやっとの思いでライカを手に入れたとしても、そこで力が尽きてしまい、純正ライカレンズまで辿り着けないこともあって、サードパーティのライカスクリューマウント互換レンズの力を借りることが多かったので、ライカ純正レンズにさほどこだわりはありませんでした。

痩せ我慢に思われるかもしれませんが、廉価な国産ライカスクリューマウント互換レンズで撮影した写真が、ライカと同等の評価を受けるって嬉しくないですか? ライカレンズじゃないとライカの本質はわかりませんか?

1999年に登場したコシナ・フォクトレンダーブランドの各種ライカスクリューマウント互換レンズには本当に助けられたというか、ライカを実用として本気で使おうと考えていた筆者にはとても嬉しいことで、これが現在に至るまで続いています。実際の写真制作においては、コシナ・フォクトレンダーレンズは少なくとも数値的な性能面については何らライカレンズと比較しても遜色のない水準を維持しているのは、読者にもすでにご存知の通りかと思います。

昨年からコシナは次々とレンズ新製品の攻勢をかけています。一部に明るい兆しはあるとはいえ、カメラ業界の景気は完全復調とはいかない状況ですし、世界情勢がこのような混沌とした状況になり、ますます先行きが不透明になっています。そうした状況にあっても攻めの姿勢を維持しているのは大変なことですが、これは自社製品に対する志というか、思想がブレていないからでしょう。

非常に重要な点は、コシナ・フォクトレンダーブランドの製品はいずれのレンズも、すべての写真愛好家に必須アイテムというものでもなく、同社が得意とする多品種少量生産によるかなり趣味性の高い製品ばかりです。ですので筆者もただ単に廉価だからという理由だけで、おすすめすることはありません。写りにしても操作性にしても、どこかで「わかるやつだけにわかればいい」という思想信条を感じさせるところがあり、そこに個性をみせているのですから、このことを面白がらねば理解されることはないからです。

中でもライカM互換のVMレンズは徹底した趣味のアイテムであり、ユーザーもそれなりの知恵と努力、鍛錬をしないと、製品のポテンシャルを生かし切ることができません。これはコシナ・フォクトレンダーには限らないんですけどね。

ミラーレスカメラ用のレンズでもコシナ・フォクトレンダーレンズはすべてMF仕様なのです。利便性とは正反対のところに位置しています。利便性を追求したい人にとってはメリットはないと思います。本来は道具を使いこなして、なんらかの成果を上げるって、クリエイターとしては当たり前のことなんですけどねえ。

前置きはこれくらいにして、今回は1月に登場した大口径標準レンズであるNOKTON 50mm F1 Aspherical VMの話をしようと思います。希望小売価格は税込24万7,500円ですから、同社のレンズにしては高額の設定となっている製品です。

NOKTON 50mm F1 Aspherical VM。研削非球面レンズ採用という意欲的標準レンズ。開放での描写はさすがに優れています。フードを外すと全長は本当に短いですね。第一面の径が大きくルックスがいいのはかなり評価高いです。

かつてライカにもこれと同スペックのノクティルックスM 50mm F1がありました。すでに生産は終了し、製造された時代や程度にもよりますが、中古で70〜80万円はくだらない価格設定で販売されており、筆者にとってはかなり現実離れした存在になってしまいました。

1976年発売のノクティルックスM 50mm F1(写真は1st E58)。前モデルのノクティルックス50mm F1.2は写真用レンズとして初の非球面レンズを採用したものでした。ところが本レンズは再び球面レンズだけの構成になりました。数値的な性能面、シャープネスという意味では前モデルよりも本レンズの方が優れていると思います。

製品名からわかるとおり、NOKTON 50mm F1 Aspherical VMはライカMマウント互換のVMマウントを採用するMF交換レンズです。フォクトレンダーのVMマウントレンズとしては最も明るい開放F1を実現しています。

本レンズにはコシナ自社設計・製造の研削非球面製造技術を使用したGA(Ground Aspherical)レンズが採用されています。これはマイクロフォーサーズマウントの29mm F0.8 Asphericalに続くものになります。

非球面レンズはかつてたいへん高価なものでした。モールド製造が確立されてからコストが大幅に下がったため広く普及し、廉価なレンズにも採用されています。現代において研削非球面レンズを使用するとは、まるで時代をもとに戻したみたいな仕様に見えるかもしれませんが、モールド製造より多種類の硝材を使えるメリットがあるということで、本レンズのような特別な性能を目指す製品には採用するメリットがあるそうです。ただ、その加工と製造については今でも時間がかかるため、コスト高につながるわけです。その昔は“手磨き”と称して職人技を必要とし、今でもそれをありがたがる人もいるのですが、実際は個体差を生じさせる原因となったのではないでしょうか。

本レンズの最大径×全長は73.6×55.0mm。重量は484g。同スペックのレンズの中ではかなり短い部類で、コンパクトです。全長が短いとライカの光学ファインダーのケラれも小さくなり、軽量になればホールディングバランスも向上するという大きなメリットもあります。全体のデザインの雰囲気は、かつてのレンジファインダーカメラ用レンズであるCANON 50mm F0.95に近いものがあります。いま朝ドラで話題の“回転焼き”みたいなキレイなカタチをしているのも筆者の好みです。

真俯瞰でレンズを見てみます。マウント側に向かって細くなるクビレがなんともセクシーで大好きですね。少しでも光を多く取り込むのだという姿勢がデザイン面からわかります。レンジファインダーカメラのキヤノン7と7Sに用意されたCANON 50mm F0.95と雰囲気が似ています、このレンズはライカM用に改造したものを中古カメラ店で見かけることがあります。ただMシリーズライカに使うとレンズ脱着ボタンが押せなくなり、ヘラなどを用いないとレンズを外せないので厄介なものでした。

昨今のミラーレス機に用意された大口径標準レンズはズームレンズ並みのレンズ枚数を使って収差補正し、高性能化している製品も多いのですが、本レンズでは7群9枚(うちGAレンズ1枚、両面非球面1枚)のシンプルな構成を採用しています。フィルター径は62mmです。

コシナが得意とする金属鏡胴のローレット加工や、快楽的なトルクを感じさせるロータリーフィーリングは見事で、あまり手の大きくない筆者にも操作感は上々。指が喜んでいることがわかります。

最短撮影距離は0.9m。大口径ゆえに、Mマウント互換の標準レンズとしては少々遠慮がちですが、至近距離での性能維持のために少しマージンを取っていると見るのが正解でしょう。フローティング機構が内蔵されていますので、撮影距離による性能差は抑えられているはずです。レンズは構成枚数が多ければ贅沢かつ高性能になると思われがちですが、必ずしもそうではなくて、その分コストは上がり、組み立てもタイヘンになり、大きく重くなってしまいます。本レンズの形状と大きさ、重量と収差補正のバランスは最良の解を見つけた結果でしょうか。

明暗差が大きくなるような条件を探して木の下から撮影をするという意地悪な条件ですが、葉っぱの輪郭とかにフリンジが出ないんです。これが驚きです。中央の黄色い葉にフォーカシングしていますが合焦点の切れ込みもいい感じですね。
M10-P NOKTON 50mm F1 Aspherical VM(F1・1/1,000秒)ISO 100
雨天なので、商店街のアーケードに避難して撮影しました。ものすごく光がフラットで暗い条件ですが、このレンズはしっかりしたコントラストを持った再現をしてくれて喫驚しています。(モデル:ひぃな)
M10-P NOKTON 50mm F1 Aspherical VM(F1・1/750秒)ISO 400

それでも本レンズのような大口径レンズをライカで長時間撮影すると目が疲れます。最良の合焦点を肉眼で見出さねばならないからです。絶対的に正確な合焦を求めると気持ちもナーバスになります。

当たり前ですがMシリーズライカの光学ファインダーを観察しただけでは本レンズのボケの大きさはわからず、開放F1のありがたさもわかりません。それには撮影者の経験による想像力が必要となります。そこで実際の撮影では、撮影距離や光線状況によって、外付けEVFも適宜に併用して乗り切ることにしました。ある意味ではデジタル時代のライカ写真術というところでしょうか。

今回はライカM10-Pを用いて撮影。F1開放では、時として内蔵のレンジファインダーでは正確なフォーカシングが厳しくなります。距離計ファインダーは中央でのみ測距するため、被写体が正面にいないと正確なフォーカシングはほぼ不可能です。しかし外付けEVFの「ビゾフレックス」を使うと被写体が画面中央にいなくても正確にフォーカシングすることができますから、こうした大口径レンズでは必須のアイテムになります。

コシナの光学設計技術者には怒られてしまうかもしれませんが、筆者は写真を制作するにあたり、本レンズのような大口径レンズを使用したからといって、全てのカットを開放絞りで撮影するこだわりは必要はないと考えています。絞ってしまっては開放F1の大口径が泣く、使用する必然がないと思われるかもしれませんし、そういう考え方も否定はしません。それでも筆者はむしろ絞り値の選択肢が広がったこと、余裕ができたことを喜ぶべきではないかと考えているのです。本来、絞りは表現意図や撮影条件で変えるものではないかと。

筆者は大口径レンズならではの極端に浅い被写界深度も、作画に生かせなければ開放絞りで撮影する大きな意味はないと解釈しているので、浅い被写界深度でも極端な不自然さを感じなようにアングルや撮影距離を工夫しています。それでも今回は本レンズの大胆なスペックに敬意を表し、作例は思い切ってすべてF1開放絞りにこだわって撮影しましたが、さすがに無理が生じ少々疲れてしまいました。

博物館の剥製です、とても暗いところにあります。大口径レンズの本領発揮というか、無理にこういう条件を探しました。合焦点描写は素晴らしいです。口径食は当然ありますが、これは標準的な特性ですね。
M10-P NOKTON 50mm F1 Aspherical VM(F1・1/90秒)ISO 1600
レストランの入り口にあった小さい人形です。夕方の光によるものですが、合焦点のシャープさは見事ですし背景のボケもいい感じです。最短撮影距離による撮影です。
M10-P NOKTON 50mm F1 Aspherical VM(F1・1/4,000秒)ISO 200
外光と室内照明というミックスの光条件です。肌もニュートラルに描写されて、点光源の形も特別に不自然にはなりません。ハレっぽさが皆無なところも現代レンズの証です。
M10-P NOKTON 50mm F1 Aspherical VM(F1・1/90秒)ISO 100

結果はご覧の通りですが、使いこなし甲斐のあるレンズです。腕が追いついていないのは残念ですが。合焦点は開放値がF1とは到底思えない鮮鋭さです。研削非球面レンズの効果が効いているのでしょう。コントラストもこのクラスのレンズとしては強めなことにも驚きます。このためかより被写界深度が浅いように感じますから、フォーカスの位置の見極めがとても重要になります。ボケ味には大きなクセもありませんし、フリンジもよほど細かく見ないと観察されません。背景は水に絵の具を溶いたような不思議なイメージでボケてゆきます。

“F1ノクチ”と撮り比べ
同スペックレンズのノクティルックスM 50mm F1(1st E58)と、大きさ・デザイン比較です。ノクトンの方が全長が少しだけ短いことがわかります。全く異なるデザインであることも興味深いです。

ライカのノクティルックスM 50mm F1(1st E58 6群7枚構成)と、開放絞りで簡単な撮り比べをしました。この世代のノクティルックスは1976年発売。先代のF1.2と異なり球面レンズだけの構成です。逆光の条件ですが古いレンズも予想より善戦しています。仔細にみると合焦点のシャープネス、線の細さはノクトン。ノクティルックスは像面湾曲のせいか、画面端にも合焦点があるように見えます。ボケは好み次第ですが似た傾向。ただノクチは輪郭まで滲むようにボケますね。色再現は少し黄色いようです。撮影条件が変わればもうちょっと異なる差が出るかもしれないですね。

※共通データ M10-P(F1・1/4,000秒)ISO 100

NOCTILUX M 50mm F1
NOKTON 50mm F1 Aspherical

その昔の大口径レンズは、フィルムの感度が低いために用意されたものでした。暗いところで撮影を可能にするというのは大きなアドバンテージでした。写りに対する期待、味わいとか鮮鋭性とか前後のボケ味などの評価は二の次で、とにかく写ればいいという考え方があったのかもしれません。新しい硝材やコーティング、非球面レンズも使うことができないため開放絞りでは残存収差が多く不鮮明な写真になることも少なくありませんでした。これを“味わい”と考えるのはユーザーの自由ですが、その使いこなしは簡単なことではありません。ましてや味わいとやらだけを求めてゆくと、肝心の写真の主題はどこだっけ、となってしまうなんてこともありますから注意が必要です。

ちなみに往時の大口径レンズを設計した技術者にとっては、最近の優れた硝材やコーティング、設計方法は夢のように見えるかもしれません。なぜなら往時の技術者は味わいを求めるために大口径レンズを設計したわけではないからです。

外光と室内のLED光によるミックスです。艶っぽい光が再現されています。合焦点は向かって右の目です。顔の角度がわずかについていますから、左側の目は被写界深度から外れます。
M10-P NOKTON 50mm F1 Aspherical VM(F1・1/250秒)ISO 200
モノクロの階調再現をみてみました。金属の質感描写もとてもいいですね。前ボケにもクセがありません。開放絞りでも問題はないですが、徹底してシャープに見せるには一段ほど絞り込めば大丈夫だと思います。
M10-P NOKTON 50mm F1 Aspherical VM(F1・1/4,000秒)ISO 100

今ではフィルム時代と比較すれば無限にも思えるほど高いISO感度を設定することができますから、大口径レンズは夜間や室内など低輝度など特定の条件下で力を発揮するためのレンズではなくなりました。使用する必然がないのです。

その役割とはボケのコントロールを自由に行うことにより、いかに主題を引き立たせることができるかということに尽きそうです。つまり利便性の高いズームレンズと比べ、いかに個性を発揮した写真を制作できるか否かにこそ、大口径レンズを使う意義があるわけです。ボケ味や周辺光量の低下による味わいは、白米にかけるふりかけくらいの効果だと考えて撮影に挑むべきで、これも主役を引き立てる要素と考えるべきでしょう。

本連載でも紹介した最新のライカM11では電子シャッター撮影も選択できますから、超高速のシャッタースピードを利用できます。ライカのノクティルックスシリーズや本レンズのような大口径レンズを日中に使う場合でも、開放近辺の絞りを設定することができます。今回のレンズから話はズレますが、こういうところにも大口径レンズの進化を受け止めようと考えるライカの努力を感じます。

本レンズの描写はクラシックなレンズとは異なります。非常によく考えられた収差補正のバランスの上に成り立っている印象です。かといって、スッキリくっきりクリアな、という蒸留水的な描写とも違いますね。開放絞りでの合焦点の線の立ち方や、ハイライトのにじみの少なさ、鮮鋭さには相当な気合いが入っているように感じます。繊細さより力強さを感じた大口径レンズに出会ったのは本当に久しぶりのことでした。

公園の遊具です。平板な背景ですから周辺光量落ちは当然確認されるものの、気になるほどではないですね。逆光の条件ですが、階調の繋がりがなだらかで、見た目に近い再現であることに驚きました。
M10-P NOKTON 50mm F1 Aspherical VM(F1・1/4,000秒)ISO 100
室内のLED光源を使ったアベイラブルライト撮影です。色温度を多少調整しています。光質のためでしょうか、やや硬めの描写になりましたが、特に問題はありません。
M10-P NOKTON 50mm F1 Aspherical VM(F1・1/350秒)ISO 400
箒をみるとつい反応して撮影してしまいます。フォックス・タルボットだって箒を撮影しているのだからいいんじゃないでしょうか。あ、主題は葉牡丹です。曇天の状況ですが、力強い再現です。これ、コントラストの低いレンズなら絶対に被写体に選んでいないですね。
M10-P NOKTON 50mm F1 Aspherical VM(F1・1/2,000秒)ISO 100
赤城耕一

写真家。東京生まれ。エディトリアル、広告撮影では人物撮影がメイン。プライベートでは東京の路地裏を探検撮影中。カメラ雑誌各誌にて、最新デジタルカメラから戦前のライカまでを論評。ハウツー記事も執筆。著書に「定番カメラの名品レンズ」(小学館)、「レンズ至上主義!」(平凡社)など。最新刊は「フィルムカメラ放蕩記」(ホビージャパン)