特別企画

離島のススメ 世界自然遺産・小笠原諸島を訪ねる

豊かな自然とダイナミックな地形が魅力

父島二見港に入港するおがさわら丸。現在の船は2016年に就航した三代目で全長150m、総トン数1万1,000トン。旅客定員894名の大型貨客船。本土から父島へ向かう唯一の定期交通手段であり、商店で販売する商品や宅急便などの貨物も一緒に積んで父島へ向かう。
OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO / 17mm / 絞り優先AE(F5.6・1/500秒・+1.0EV) / ISO 200 / Circular PL for M100 Holder

みなさんは「国境」と聞いてどんなイメージを持たれるだろうか。国境とはまさにその名のごとく国と国の境界である。世界的にみると欧州やアジア諸国のように国と国が地続きの所も多く、そこに行けばはっきりとその境界を目にすることができる場所もある。しかし周囲を海に囲まれた我が国日本では、物理的に明確な境界を目にする機会もないため、日本本土で暮らす多くの人々が漠然としたイメージでしか国境というものを捉えられていないはずだ。かく言う私も同様の認識でしかなかった。

しかし海の上であっても国際的な「海洋法に関する国際連合条約」により、基準となる海岸線(島嶼部を含む)から12海里(約22km)までが(一部例外はあるが)領海とされており、これにより明確に国境が定められている。さらに「接続海域」(海岸線から24海里/約44km)と「排他的経済水域(EEZ)」(海岸線から200海里/約370km)までが日本の権利を行使できるエリアとして定められており、これらを合わせると実に国土の約12倍という広大な海域が広がっているのだ。これこそ日本が海洋国家といわれる所以である。

これだけ広い海を抱える日本には国境近くにも島がいくつも存在しており、そこで暮らす人々も多い。このような島のことを国は「有人国境離島」と定めており、そこで暮らす人々の生活や交通の基盤支援を行っているという。そこでかねてより「日本各地で暮らす人々とその土地の関わり合いを地勢、歴史、建築物などの多方面から写真に収めていく」ことをテーマとしている私は、数年前から有人国境離島へ訪れて写真撮影を進めている。一昨年の2018年には沖縄県南大東島・北大東島へ、2019年は対馬にて撮影を行いそのレポートも公開した。そして今回は小笠原諸島の父島・母島を訪れ撮影を行うこととしたのである。

東京港から約1,000km離れた東京都小笠原村 父島・母島

小笠原諸島は日本本土から遥か南方の太平洋上に位置する島嶼群だ。主な島として父島、母島、聟島、硫黄島、西之島、南鳥島(日本最東端の島)、沖ノ鳥島(日本最南端の島)などが挙げられ、全体で30余りの島々で構成される。このうち一般住民が居住しているのは父島・母島の2島のみである。行政区分としては東京都小笠原村となり、実質的に東京都最南端の地である。そのため島で登録されている自動車は品川ナンバーであり、母島には都道最南端となる道も存在する。

2020年3月現在、父島および母島へ訪れる為の空路は存在せず、東京港竹芝桟橋より出航する定期貨客船の「おがさわら丸」に、さらに父島から母島へは「ははじま丸」に乗り換えて向かう必要がある。竹芝桟橋から父島までは約1,000km離れており片道約24時間、父島から母島まではさらに2時間の船旅が唯一の定期交通手段なのである。なお「おがさわら丸」は年末年始などの繁忙期でも3日に1便、それ以外の時期には概ね6、7日に1便の運行となるため、小笠原に滞在するにはそれだけの余裕を持ってスケジュールを組む必要があることを忘れてはいけない。

小笠原諸島はその全域が2011年にユネスコにより世界自然遺産に登録された。小笠原の島々は古代に島が形成されて以来、これまでどの大陸とも接することがなかったことから動植物が独特の進化を遂げており、現在でも固有種が多く生息している特別な場所だ。それだけに新規の開発や入山には厳しい制限が設けられており、島内はキャンプや車中泊などの野宿も禁止されている。そのため島を訪れる際には必ず事前に宿泊の予約を滞在日程分行う必要がある。これらはいずれも島の豊かな自然を守る為に必要なルールであることを十分に理解しておきたい。

撮影機材の紹介

今回の撮影旅程は、父島および母島に合計9日間滞在。更にその前後には東京港との往復で2日間の船旅が必要であった。これらの旅では基本的に全ての手荷物は自分自身で船に持ち込み、船内の限られたエリアで自己管理する必要がある。

また島内での移動にはレンタカーおよびレンタルバイクが利用できるものの、海岸線や山頂、およびそこに至る道では徒歩での移動が必要となるため、撮影機材の選定は極力無駄を省き、サイズおよび重量を抑えつつも高い画質を維持可能であることを条件に進める必要がある。

そこで今回はミラーレスカメラを主体とした機材構成とすることにした。今回作品の撮影に使用した機材は以下となる。

カメラ/レンズ(オリンパス)

・OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II
・OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III
・M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
・M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO
・M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
・M.ZUIKO DIGITAL ED 75-300mm F4.8-6.7 II

フィルター(マルミ光機)

・100×150 SoftGND(8,16)
・100×150 HardGND(8,16)
・100×150 ReverseGND(4,8)
・100×100 ND(16,32,64,500,1000,32000)
・Circular PL for M100 Holder
・StarScape for M100 Holder
・マグネットホルダーM100

三脚

・ベルボン EL Carmagne 740
・Marsace トラベルカーボン三脚 MT-2541T

歴史に翻弄された絶海に浮かぶ自然の島

東京のJR浜松町駅にほど近い竹芝桟橋より、貨客船「おがさわら丸」に乗船しおよそ24時間かけて太平洋を一路南下するとようやく小笠原の島々が見えてくる。小笠原に近づくにつれ海の色がボニンブルーと呼ばれる深い青に変化していくことに気がつく。
OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO / 23mm / 絞り優先AE(F4・1/2,500秒・+0.3EV) / ISO 200

小笠原諸島が初めて人類の記録に登場したのは、16世紀の大航海時代にスペインの探検家によるものと伝えられている。その後、一説には安土桃山時代の天正20年に信濃小笠原氏の一族を自称する小笠原貞頼により無人島として発見されたと伝わっており、それが日本人による初めての記録ともいわれている。その後は各国の船が立ち寄り調査や一時的な定住もなされるなど、まさに大海に存在する諸島として認識されるに至った。江戸幕府による調査などを経て正式な日本の領土として確定されたのは、明治9年の明治政府により各国へ伝えられた日本による統治通告によってであった。

それ以降は日本人が定住するようになり行政区分は東京府(東京都)とされた。父島に行政機関が設置されたことで、本土との定期航路の開設や移住者の増加にともなう集落の開設などが行われ住民も増加したが、第二次世界大戦の激化に伴い島が要塞化されるとともに全島民の強制疎開がなされる事態となった。日本の降伏による終戦後は昭和21年に米軍の統治下となり日本の施政権は停止され、その後の昭和43年に果たされた日本への返還まで、実に23年間にわたり日本人の島民は島に戻ることさえできなかったという歴史がある。

一方、島民の帰還が長い間認められなかったことで島の開発が抑制され、結果的に豊かな自然が護られることとなったのも事実だ。地勢的にも気候的にも日本本土とは異なる南国特有のものである小笠原は、自然、歴史のどちらの切り口からでも写真撮影の被写体として大きな魅力を持っているものと期待が高まる。

◇   ◇   ◇

おがさわら丸が停泊する父島二見港。父島の西側にある二見湾に築港されており、母島との連絡船「ははじま丸」や貨物船などもこの港を使用する。父島における交通・物流の拠点であり、この二見港を中心として父島最大の集落「大村」が形成されている。小笠原村の行政施設やスーパーマーケット、宿泊施設の大半もこの大村地区に集まっている。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO / 41mm / 絞り優先AE(F5.6・1/250秒・+0.3EV) / ISO 200 / Circular PL for M100 Holder

父島の南部を急峻な岩山に沿って蛇行し流れる八瀬川流域。自然保護地区に面しているエリアは民家も少なく自然の姿をそのままに残す。かつて島に持ち込まれた山羊が野生化しており、岩肌に生える植物を食べる姿を間近に見ることもできる。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F5.6・1/640秒) / ISO 200

父島の夜空の暗さは離島ならではのもの。肉眼でも冬季の淡い銀河を見分けることができるほど。等級の低い星をカメラで捉えるためにISO感度を上げても、周囲に人工の光がないので夜空が必要以上に明るく写ることもない。オリオン座とシリウスの位置の高さが南の島にいることをあらためて思い起こさせる。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III /M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO / 12mm / マニュアル露出(F4・15秒) / ISO 12800

父島の自然保護地区周辺にて南天の夜空をライブコンポジット撮影。およそ30分間かけて星の軌跡を捉えると、写る星の多さに感嘆する。日本の中ではもっとも緯度の低い地のひとつである小笠原では、季節により南十字星を観測することも可能。星空撮影には最適な地だといえる。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / マニュアル露出(F2.8・30秒)ライブコンポジット64コマ撮影 / ISO 1600

父島旭山に設置された国立天文台VERA小笠原観測局。日本国内4ヶ所(東京都小笠原・鹿児島県入来・沖縄県石垣島・岩手県水沢)に設置された電波望遠鏡を連携して、天の川銀河の精密な立体地図を作るVERAプロジェクトの一翼を担っている。通常時は敷地内に入っての撮影も可能。間近から見上げる直径20mの電波望遠鏡は迫力満点だ。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F11・1/200秒・+0.3EV)/ ISO 200

オレンジ色の照明に照らされた電波望遠鏡を星空の下で撮影。これまでにVERAプロジェクトではオリオン大星雲の中のオリオンKL天体までの距離を正確に測定することに成功している。満点の星空の下でひととき悠久の星空に思いを馳せる。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / マニュアル露出(F4・4秒)ライブコンポジット486コマ撮影 / ISO 800

二見湾の北西端に位置する三日月山の「ウェザーステーション展望台」。ここから見える海と空はどこまでも広く、晴れた日中は深い青に、夕景では水平線に沈む太陽の赤い輝きを堪能することができる。夕焼けどきが近づくにつれ、ひとりまたひとりと人々が集まり、沈みゆく太陽を静かに見届ける。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F8・1/250秒・+0.3EV)/ ISO 200

父島の南西部に位置する「コペペ海岸」。とても小さな入り江になっている海岸は、白い砂と透き通った海が広がる静かな浜辺。かつてここを利用していたコペペさんの名前が地名の由来とのこと。きっと心地よい日々を過ごされていたことでしょう。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 11mm / 絞り優先AE(F5.6・1/1,250秒・+1.3EV)/ ISO 200

小笠原には太平洋戦争当時の様子を今に伝える戦跡が多く残されている。父島の境浦海岸には米軍の攻撃を受けた際に座礁し放棄された貨物船「濱江丸(ひんこうまる)」が、沈没風化しつつも海面より船体の一部を覗かせる。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO / 23mm / 絞り優先AE(F22・60秒・+0.7EV)/ ISO 64 / マルミCircular PL for M100 Holder + 100x100 ND32000

攻撃を受け沈んだ濱江丸は、その後70年以上の月日をかけ境浦海岸の蒼く透き通った海中で静かに朽ちてきた。小笠原諸島の各地に点在する戦跡は戦争の悲惨さを今に伝えると同時に、その時代に生きた人々の存在を感じることができる貴重な遺産でもある。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO / 100mm / 絞り優先AE(F8・1/400秒)/ ISO 200 / マルミCircular PL for M100 Holder

父島二見港の近く、海岸沿いを通る都道240号をショートカットする形で「大村トンネル」「清瀬トンネル」の二連トンネルが存在する。かつて険しい海岸線を避けるように大村と清瀬のふたつの集落を直接繋ぐ為に掘られたという。現在は歩行者や自転車などのみが通行可能となっているが、戦時中は防空壕としても用いられていたそうだ。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F2.8・1/3,200秒・-0.7EV)/ ISO 200

戦時中防空壕としても使われていた「大村トンネル」「清瀬トンネル」の両端には大きな扉が設けられている。実際に空襲を受けた際にトンネル内に避難した住民は、この扉を閉め攻撃が止むまで息を潜めていたという。現在は扉が閉じられることはなく島民の生活道路となっている。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 8mm / 絞り優先AE(F2.8・1/20秒・-1EV)/ ISO 200

二見湾から望む夕日。湾内には島への物資補給の為に海上自衛隊の輸送艦が錨泊していた。父島には海上自衛隊父島基地が置かれているが、二見港は大型艦が停泊するには水深が浅いため乗員や荷は搭載艇により揚陸される。自衛隊は有事即応態勢の維持任務と共に、島内で対処が難しい急患が発生した際には救難飛行艇などで本土へ緊急搬送を行う任務も担う。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO / 12mm / 絞り優先AE(F5.6・1/13秒・-0.7EV)/ ISO 64 / 100×150 ReverseGND8

戦跡は母島にもいまだ多く遺されている。母島の北方、東港の近くには探照灯基地の遺構が残されている。探照灯とは島に飛来する上空の敵機に強いライトを当て迎撃する砲の照準を定めるためのもの。戦後70年以上の月日がたち島の森はほぼ自然の姿へと戻りつつあるが、わずかに道から外れ森に踏み込むだけで、多くの戦跡を目にすることができる。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F5.6・1/80秒・+0.3EV) / ISO 200

コンクリート造りのトーチカのなかに残された探照灯の残骸。この姿から探照灯本体はトロッコ状の土台に載せられていたことがわかる。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F5.6・1/15秒・-1EV) / ISO 800

長年放置されていた探照灯は赤錆に覆われており光を収束するための反射鏡は腐食し地面に落下しているが、その支柱の上には灯体の丸い枠がいまでも残っている。投射する光の方向を変えるための角度調整用ハンドルなどその機構を判別することができる。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F2.8・1/10秒・-0.7EV) / ISO 800

トーチカの奥には探照灯の電源と思われる機関部が残されている。トーチカ内の床には半分土砂に埋まった鉄軌が敷かれているのが見受けられることからも、おそらく敵機を探照する際には、軌道車に載せられた探照灯をトーチカから出したうえで空を照らしたのであろう。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 14mm / 絞り優先AE(F2.8・1/2秒) / ISO 800

探照灯基地遺構の近く、整備された都道に面した森の入り口から小さな案内板に従って森の中を歩くと突然、戦時中に設置された砲門が目に入る。飛来した敵機を地上から狙い撃つための高角砲だ。この森には三門の高角砲がひっそりと遺されていた。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 14mm / 絞り優先AE(F4・1/25秒・-0.7EV) / ISO 200

砲塔には間近まで寄りその姿を撮影することができる。いずれも砲身や弾頭発射のための機構が破壊されており使用不能な状態となってはいるが、自分は本物の砲塔を近距離で見ること自体が初めてだったため、その大きさに圧倒されてしまった。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 10mm / 絞り優先AE(F4・1/50秒) / ISO 200

鋼鉄製の砲身の存在は戦後70年余り経った今でも緊張感をもたらしていたが、同時にその表面はまるで樹木の表皮のように緑に覆われており、まるで自らを自然に還そうと意思を持った存在のようにさえ感じ取れる。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F4・1/20秒・-0.3EV) / ISO 200

母島を連なる都道を北端まで走ると北港跡に到着する。北港の周辺にはかつて捕鯨船基地ともなった集落が存在していたが、戦争の激化に伴う集落統合および強制疎開によって廃村とされた。現在は当時の桟橋跡が残る港跡と旧集落の痕跡のみが遺されている。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F5.6・1/640秒) / ISO 200

北港跡から伸びる山道の遊歩道をゆっくりと一時間ほど歩くと、小さな入り江の大沢海岸に到着する。ここまで歩いてくる人は極僅かなので、天気がよければ真っ青な海と波の音を独り占めできるだろう。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F5.6・1/800秒・+0.3EV) / ISO 200

母島の集落から都道をしばらく北上すると島の西海岸線が望める展望台がいくつか存在する。ここは標高170mほどの高台からダイナミックな光景の猪熊湾が望める、通称ビッグベイ展望台。海面を照らす煌めく太陽の輝きと穏やかな風を感じたく長秒撮影を行った。

OLYMPUS OM-D E-M5 MarkIII / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO / 12mm / 絞り優先AE(F11・25秒・+2.3EV)/ ISO 200 / マルミCircular PL for M100 Holder + 100x100 ND1000 + 100x150 SoftGND16

同じくビッグベイ展望台から猪熊湾に沈む夕日を撮影。島の大きな魅力のひとつにどこまでも広がる海に沈む夕日の素晴らしさが挙げられる。太陽の沈む姿には人の心を穏やかにする力があるのかもしれない。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F5.6・1/320秒・+1EV) / ISO 200

母島最南端の山「小富士」山頂展望台から南崎海岸を望む。島を北から南へと貫く都道241号の最南端は、同時に都道最南端の地でもある。そこから先の遊歩道は徒歩でのみ通行可能。およそ2.4km、高低差およそ60mの登山道を片道1時間ほどかけてゆっくりと登ると展望台に到着する。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F5.6・1/1,000秒) / ISO 200

小富士への登山道の途中にある「スリバチ展望台」。山肌がすり鉢状にえぐられており、赤土の地表が大きく露呈している。青い空とのコントラストが印象的。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO / 8mm / 絞り優先AE(F5.6・1/1600秒・-0.3EV) / ISO 400

父島と母島を繋ぐははじま丸から撮影したザトウクジラ。小笠原諸島近海はクジラやイルカが多く集まる海でもあるので、タイミングがよければ陸上からでもダイナミックにジャンプするクジラの姿を捉えることもできる。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 75-300mm F4.8-6.7 II / 300mm / 絞り優先AE(F8・1/800秒・+0.3EV)/ ISO 400

小笠原滞在最終日。父島二見港にておがさわら丸に乗船。岸壁では島民による「いってらっしゃい」との見送りが盛大に行われる。いつしか見送られる我々も、また島に戻る日を思い浮かべ笑顔で手を振り続けていた。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F8・1/320秒・+0.3EV) / ISO 200

都会にはない何かが見つかる離島のススメ

今回滞在した小笠原諸島父島・母島は、これまで歴史の波に大きく翻弄されてきた太平洋の小さなふたつの島だ。しかし他には類を見ない豊かな自然とダイナミックな地形が、撮影の被写体としても大きな魅力となっている。また、これまで教科書などでしか見ることができなかった戦時中の遺構などを、自らの目で間近に見て撮影することができる貴重な場所でもあった。時に負の遺産とも呼ばれるこれら戦跡だが、この事実を自らの目で見て撮影することで、かつてこの地で日本という国と愛する家族を命がけで守っていた人々がいたということを改めて感じることもできた。

もっとも、島では集落以外では携帯電話も繋がりにくく、商店の数も限られるなど都会とはまったく異なる生活が待っている。さらに東京港からおよそ24時間かけて船便で訪問する必要があり、その便も週に一便程度しかないなどなかなか気軽には行きにくい場所ではある。だがなぜか、一度訪れるとまたすぐにでも行きたいと思ってしまう不思議な場所なのだ。

おがさわら丸が港から離れ外海に出るまでのしばらくの間、小舟による見送りの伴走が続く。何隻もの船の上から手を振り続けてくれる人々の姿に、思わず島に滞在していた時間を振り返る。
OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III / M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO / 7mm / 絞り優先AE(F8・1/250秒・+0.3EV) / ISO 200

小笠原は世界自然遺産に登録されていることで、山登りやホエールウォッチングのネイチャーツアーなども多く頻繁に開催されており、初めての訪問でも安心して島の魅力を堪能することができる。もちろん島でのんびりと過ごしながら撮影を行うという贅沢な時間の使い方も良いだろう。特に、都会で疲れてしまった心を癒すには、「何でもある都会」から「都会にはない何か」を探せる小笠原への旅は、とても魅力的な選択となるはずだ。

協力:
小笠原村観光局
小笠原村観光協会
小笠原母島観光協会
国立天文台VERA小笠原観測局

礒村浩一

女性ポートレートから風景、建築、舞台、製品広告など幅広く撮影。「人の営みが紡ぎだす日本の日常光景」をテーマに作品制作を行い全国で作品展を開催するとともに、撮影テクニックに関するセミナーへの出演やワークショップ等を開催する。デジタルカメラの解説や撮影テクニックに関する執筆も多数。近著「家電批評 一眼カメラの選び方がわかる本 2019」「家電批評 デジカメ&ビデオカメラの選び方がわかる本 2020」(晋遊舎)など。(公社)日本写真家協会正会員、EIZO公認ColorEdge Ambassador