インタビュー

AF-S NIKKOR 105mm f/1.4E ED(前編)

並々ならぬ「ボケ描写」へのこだわりを聞く

ニコンが8月26日に発売した「AF-S NIKKOR 105mm f/1.4E ED」は、焦点距離105mmながらF1.4という大口径を実現したことで話題となっているレンズだ。

このレンズは先に発売された「AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 G」同様、“三次元的ハイファイ”のコンセプトで開発されたという。

ニコンがどのような考えでこのレンズを企画したのか、どのようなテクノロジーが投入されたのかをニコンの開発者に聞いた。(聞き手:杉本利彦、本文中敬称略)

前編の内容

・ニコン100周年記念の「100mm F1.4」構想が出発点
・AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gとの関係は?
・超望遠のレンズタイプを採用
・ボケ味に関係する収差は1つではない
・絞り値で三次元的な描写が変化
左から

株式会社ニコン 映像事業部 開発統括部 第一システム設計部 第五設計課 主幹 山下雅史氏(レンズの実施設計を担当)

同事業部 開発統括部 第三システム設計部 第四設計課 主幹研究員 佐藤治夫氏(レンズの基本設計、光学設計開発リーダーを担当)

同事業部 マーケティング統括部 第一マーケティング部 ILグループ 副主幹 石上裕行氏(商品企画を担当)

同事業部 開発統括部 レンズ開発企画室 主幹研究員 曽雌功氏(メカ設計を担当)

ニコン100周年記念の「100mm F1.4」構想が出発点

――まずは、今回の製品の開発のねらい、どのような意図で企画されたのかというあたりからお願いします。

石上:「ボケが大きなレンズが欲しい」という意図がまず第一にありました。その上で、ピント面はシャープに、ボケはなだらかに変化してゆく美しいボケ。すなわち自然で立体感のある、奥行き感のある描写が可能な、大口径中望遠単焦点レンズというのがねらいになります。

佐藤:もともとAF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gを開発した頃から、ニコンの全社的な組織として「銘玉解析プロジェクトチーム」と言うものを立ち上げ、初心に返り、自社他社を問わず過去に銘玉と呼ばれたレンズの収差特性を弊社独自開発の「OPTIA」という測定装置で徹底的に解析するというチーム活動で開始しました。

このプロジェクトには、映像カンパニー(現映像事業部)以外にも、コアテクノロジーセンター(現コアテクノロジー本部研究開発統括部光技術研究所)の頭脳集団や、画像処理、物理学、光学、プログラミング、撮影など、社内のエキスパートが集まり、どのような収差バランスが最適な画質、描写特性として好ましいか、またそれを達成するための設計方法や評価方法はどのようなものかを解明するために多角的に研究しました。

その研究成果の成果物として、ちょうどニコンの創立100周年(2017年)が近づいていることもあり「100mm F1.4」というスペックのレンズを皆で話し合い提案しました。

研究成果を社内会議で報告したところ、「こんな優秀なレンズがあるなら100周年まで待たずにすぐにやりましょう」ということになり、また他者から「100周年の100mmは理解するけれども、ニコン伝統に照らせば100mmより105mmではないか」とのアドバイスもあり、105mmで設計し直して、それが今回のレンズの原型となったわけです。

その後の具体的な進行は、企画の石上に預けて開発がスタートしましたが、このレンズが生まれるまでには、銘玉解析プロジェクトチームをはじめ、非常に多くの人々が関わっています。事業部を越境した研究の成果です。

――最近は100mm、105mmクラスはマクロレンズに割り当てるメーカーが多いですがなぜ今、105mmの大口径レンズなのでしょうか?

佐藤:私は、ポートレートを主体に撮影される方には、85mmがお好みの“85mm派”と、100~105mmがお好みの“105mm派”がおられると考えています。少し調査したところ、85mm派の方は、35mm、85mm、135mm、200mmと、やや間隔を開けて焦点距離を選択される傾向があります。

しかし、105mm派の方は、35mmと105mmの間に、50mm、55mm、58mmなどの標準系レンズが入るのです。私も実は105mm派で、古くから58mm F1.4や105mm F2.5を愛用しています。

ところが85mmには弊社を始め他社にもF1.4の明るいレンズはたくさんありますが、105mmはF1.4の“キング・オブ・レンズ”が他社を含め存在しないのです。MF時代のニッコールにはF1.8のレンズがありましたがAF化後はF2で満足せざるを得ませんでした。

105mmクラスでF1.4のAFレンズを出せれば世界初ということにもなる。ということで、開発当初からF1.4には特にこだわりがありました。

105mmになった理由は、もともと我々の大先輩の脇本善司さん(1948年日本光学工業入社、超高解像力レンズの開発によって紫綬褒章を受ける)が、ニコンSマウントからニコンFマウントへの移行期に焦点距離の整理をされた際、「50mm(実際は51.6mm)を中心に考えた時、ラインナップを焦点距離の数字で区切るのはおかしい。人間の感覚からすれば一定の画角変化率ごとに置くべきである」という考え方から、それまでの50mm、35mm、25mm(28mm)、21mmのラインナップはやめて50mm、36mm(35mmと表記)、28mm、24mm、20mmというラインナップに変更されたのです。

これと同じ考えで望遠側は、85mm、105mmとなり、現在まで継承されています。今回はそれを踏襲したということです。

ところが、銘玉解析プロジェクトチームの成果物として私が設計した105mm F1.4のレンズは必ずしもAF時の高速合焦には最適な設計ではありませんでした。

そこで、より高速なAFに対応できる形にしなければいけないということで、設計をレンズタイプから見直しました。

かつ、収差補正や描写にかかわるところは原型の105mm F1.4を踏襲しつつ、AF-S 58mmf/1.4 Gの特性も生かす方針で改良設計を行うことにしました。その時点で、山下に設計参画してもらい量産の立ち上げのところまで担当してもらいました。

AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 G

――今うかがった初期の「100mm F1.4」はどんなレンズタイプだったのですか?

佐藤:ガウス型を基本にしていました。フォーカス方式は、リアフォーカスです。そのほかのレンズタイプや合焦方法も多岐にわたり検討しました。全体繰り出しなども検討していました。

少し似ているレンズタイプが85mm F1.4 Gです。このレンズとは若干収差バランスが異なるものです。描写特性や画質にこだわると、どうしても重くてAFで動かしにくい方向に行ってしまう。そのため、そこをどうやって折り合いを付けるかが難しいところでした。

――ニコンにはないと思いますが、他社を含めて過去に105mmまたは100mmでF1.4以上に明るいレンズはあったのでしょうか?

佐藤:私も色々と調べてみたのですが、35mmカメラ用交換レンズでは100mm、105mmにはF1.4以上に明るいレンズはないようです。135mmでは過去に国産メーカーでF1.4モデルがあったと聞いています。

――AI AF DC-Nikkor 105mm f/2 Dとの方向性の違いは?

AI AF DC-Nikkor 105mm f/2 D

佐藤:AI AF DC-Nikkor 105mm F2Dの開発には私も少しだけ関わっていたのですが、このレンズが開発された頃は最適な収差バランスの研究はしていたものの、多様な嗜好を整理できず、最適な答えがなかなか出せなかったと思います。最適なところをお客様に選んで頂こうというアイデアが生まれたのです。

なかにはソフトフォーカスがお好みという方もおられますので、収差バランス的には振り切ったところにあるソフトフォーカスの領域まで調節できるようにしました。

その後AF-S NIKKOR 35mm f/1.4 GやAF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gの開発を通して、三次元的ハイファイな描写にふさわしい収差バランスについて研究した結果、ほぼこのくらいの収差バランスなら好まれるのではないかということが定量的にわかってきました。

今回のレンズは、こうした研究の結果導き出された収差バランスを採用していますが、お客様が実際にお使いになってみて、もっとこうしたほうが良いなどのご意見をお伺いできたら、今後の製品にさらに活かさせていただきたいと思います。色々なご意見をお聞かせください。

AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gとの関係は?

――ニュースリリースに「AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gで追い求めた『三次元的ハイファイ(高再現性)』という設計思想を『新製品』で継承」とありますが、具体的には、AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gのどんなところを継承していますか?

佐藤:今回のレンズは三次元的ハイファイの考え方はAF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gを継承していますが、収差バランスは多少テイストを変えてあります。

AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gをお使いになった方の印象を社内外で聞いてみましたところ、そのままの特性が良いと言う方と、至近時の合焦点のシャープネス描写が弱いとおっしゃる方がおられました。

そこで今回は、至近での描写を二次元の描写寄りに、すなわち、合焦点を少しだけシャープな方向にシフトさせています。つまり、軸足をAF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gの時よりも少しだけシャープ寄りに向けたということです。

これによって、ノーマルなレンズをお求めの方にもより使いやすい特性になっています。逆にAF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gと全く同じ傾向をお求めのお客様の中には、これではだめだとおっしゃる方もいらっしゃるかも知れません。また、このくらいがちょうどいいとおっしゃって頂ける場合もあると思います。

ということで、AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gと今回のAF-S NIKKOR 105mm f/1.4E EDを撮り比べて頂き、ぜひ忌憚のないご意見をお寄せ頂きたいのです。

できるだけ色々な方から、色々なご意見を頂き、それによって我々の方向性を定めさせて頂き、今後のニッコールはどういう画質を狙って行けば良いのか、どういう画質がニッコールとして最適なのかをお客様にジャッジして頂きたいと思っています。皆さんで次世代のニッコールを作り上げて頂きたいと思います。

D810に装着したところ

――他社を含めた最新のレンズ設計の傾向としては、大口径レンズであっても絞り開放から非常にシャープなレンズが多くなっていると思いますが、ニッコールの三次元的ハイファイを謳うレンズでは、絞り開放時の描写が無限遠を含めて多少ソフトな気がします。

佐藤:ポートレートをはじめ芸術的な写真を撮られておられる写真家の先生方のお求めになる画質というのは、単に二次元の描写が優れていればそれでよいということはないと思うのです。

撮像素子は二次元の平面であり、被写体は三次元ですから三次元を二次元に変換することへの対応を考えなくてはならない。それなのに、えてして光学系の評価は二次元に特化した話しかしていない。

それでは不十分だと思うのです。二次元的な特性を上げるだけなら比較的簡単で、単純に収差をゼロに近づけるだけでいいのです。

私が三次元的ハイファイと言い出したのは、三次元の被写体を二次元に圧縮する際、圧縮方法によって画は変わるでしょう? という概念なのです。

例えば、無限遠の場合はおおむね平面と見なせる無限遠平面と撮像素子の関係なので、二次元対二次元の対応で良く、MTFをできるだけ上げて良い。しかし、有限距離になると被写体は三次元になりますから、ピントの合ったところの前後にボケた領域が写ります。その描写が、悪ければ決して良い画は得られない。

要は、ピントの合ったところのMTFをギリギリまで上げて二次元特性を上げるのではなく、その分を三次元特性が良好になるように振り分けるバランス設計をすべきだという考え方なのです。これが三次元的ハイファイのもとになる考え方です。

言い換えれば、三次元的ハイファイとは、ピントの合ったところはシャープに描写しますが必要以上に上げるのではなく、その余力を前後のボケの描写性、連続性、立体感の向上に振り分けるという考え方なのです。

例えば、目のまつ毛にピントを合わせるとその部分はシャープな描写でも、耳のイヤリングや後ろ髪などが急激にボケたり、髪の毛1本のボケが3本に見えたり4本に見えたりしてその場にない構造物のようにに見える。

こうした描写は不自然です。しかも、ボケの変化、連続性がガタガタしているボケ。例えば、ピントの合った部分からボケが急激に広がったり、あるいはある程度のところまではあまりボケずにその後が急激にボケるなど。

このようなボケの特性は、残存収差の残し方によって決まってくることが長年の研究によりわかっているのですが、今までは最適なバランスがわからなかったのです。定性的にはわかっているが、定量的にはなかなか難しいのが現実でした。

その定量的な部分をちょっと極端にした収差バランスをAF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gに搭載して、まずご提案させて頂いたのです。ところが、AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gではちょっとやり過ぎというご意見もあり、それなら今回のAF-S NIKKOR 105mm f/1.4E EDの収差バランスでいかがですか?ということなのです。

同じ三次元的ハイファイの考えに基づく、AF-S 35mm f/1.4 G、AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 G、AF-S NIKKOR 105mm f/1.4E EDはそれぞれ味付けが異なるのですが、35mmは過渡期での初期段階、58mmは人によっては行き過ぎた感がある。それで、105mmでは皆さんここがツボなのでは?というバランスに仕上げています。

もちろん、他社のバランスを見ますと、ぱっと見た時のピントのキレが命だと言う方向性も理解できます。しかし、中望遠レンズの絞り開放での近距離撮影では、1枚の写真の中でピントの合っている範囲は数%も無いですね。その部分のMTFをたとえば10%上げることでどれくらいの意味があるか。

それよりもピントの合ったところから連続的にボケ味をきれいにするというのは、なかなかできることではないし、これから目指す方向性なのではないかと思うのです。

動画の世界も、ピントの合っているところからボケたところまで連続的に写り込むのですが、あの分野こそ三次元的ハイファイの技術が活躍する場なのかも知れません。

すぐ目の前にきている動画全盛の時代になれば、レンズの評価法や設計法も変わらなければならないと感じます。今の評価方法で優秀と言われるレンズの評価がはたして新たな時代でも評価されるのか。大変興味があります。

超望遠のレンズタイプを採用

――レンズ構成を見ますと凸凹凸のエルノスターまたはゾナー系の後に補正レンズ系があるようにも見えますし、凸のコンバーターの後にガウス変形のマスターレンズがあるようにも見えます。解釈の仕方を教えてください。

山下:いまおっしゃった中では、後者の構成になります。つまり全体としては凸凹凸の構成で、前半の凸群と凹群がコンバーターの役割をしていて、後半の8枚構成のレンズ群がマスターレンズの役割をしています。タイプ的には、超望遠のレンズタイプに近い考え方になります。

AF-S NIKKOR 105mm f/1.4E EDの構成図。黄:EDレンズ
ニコンの超望遠レンズの1つであるAF-S NIKKOR 500mm f/4E FL ED VRの構成図。105mm F1.4と類似が見られる。黄:EDレンズ、紫:蛍石レンズ

――前群の大きな凸レンズ2枚をEDレンズにしたところは超望遠レンズの前群構成に似ていますが、絞り開放時の軸上色収差を抑えるにはここにEDレンズを入れると効果的なのですか?

山下:そうですね。EDレンズの開発当初から前群にEDレンズを入れると、軸上色収差の補正に効果的ということがわかっていましたので、今回も踏襲しました。

佐藤:これは札幌オリンピックの時に報道カメラマン向けに開発したNikkor-H 300mm F2.8からですね。前群の2枚にEDレンズを使うと軸上色収差の補正効果が高いです。そこからニコンの望遠レンズでは脈々とこういった構成を採用しています。

――EDレンズを2枚に分ける理由は?

山下:軸上色収差以外の収差補正の面でもバランスが良くなるからです。1枚ですとレンズの曲率半径が小さくなりますので、レンズ自体が厚くコロコロになってしまい、収差補正上も重量的にもバランスが悪くなってしまいます。

佐藤:ゴーストやフレア抑制という意味では研磨面は必要悪でもありますから、面数は少なければ少ない程よいわけです。しかし、収差補正の自由度からすると面数は多いほど有利になります。

――後群のEDレンズの機能は?

山下:光学設計上は、部分的に色収差を抑える事が全体のバランス上効果的という考え方があり、今回の場合は前半のコンバーター部分に2枚のEDレンズを使用し、後半のマスター群にも1枚EDレンズを使用して、それぞれの部分で色収差を抑え、全体としても優れた色収差特性を実現できるようにバランスさせています。

フィルター径は82mm

――中望遠レンズでは絞り開放時に軸上色収差が目立ちますが、従来の中望遠レンズではなぜEDレンズの使用がなかったのでしょうか?

佐藤:フィルムカメラ時代の35mmカメラの基準からすると、望遠135mmくらいから長焦点側になると軸上色収差が目立ちはじめます。例えば、白黒フィルムで撮影するとフィルターを使わなければピントが甘いなど、実害があったのです。

ところが、135mmよりも短焦点側はEDレンズを使わないで設計してもそこそこの性能に仕上がります。ですから伝統的に135mmを境にEDレンズを使ったり使わなかったりということがあったのだと思います。

もう1つの理由は、ガウスタイプのレンズ構成にはEDレンズを入れるのが非常に難しいのです。ガウスタイプの凸レンズには高屈折ガラスを使いたいところなのですが、EDレンズは逆に屈折率が低いからです。

当時の色収差補正基準に照らし合わせた場合、EDを使うことよる効果より、基準収差の劣下の不利益を発生させない道を選んでいたのです。したがって、ガウスタイプを基本にすることが多かった85mm、105mmの大口径レンズに、敢えてEDレンズを採用しなかったのだと思います。

――今回は非球面レンズの採用がないですが、非球面レンズがなくてもサジタルコマ収差は補正できるのですか?

山下:焦点距離によって補正の難しい収差は変わって来ます。標準レンズやワイド系のレンズでは、コマ収差や像面湾曲など画角に起因する収差の補正が難しく非球面レンズを使うことが多いのですが、今回の場合は比較的焦点距離が長く、画角に起因する収差よりも色収差のほうが、補正が難しくなってきます。

つまり、非球面レンズを使わなくてもコマ収差や像面湾曲は十分補正可能であったため、そのかわりにEDレンズを3枚使用して、色収差を重点的に補正する形にしています。

――今回のレンズのフォーカス方式は?

山下:インナーフォーカス方式を採用しています。

ボケ味に関係する収差は1つではない

――描写についてですが、個人的には絞り開放からキレキレにシャープで、かつボケ味もきれいという方向が理想と考えていますが、そういった方向性とはまた異なるのですか?

佐藤:それが今回のAF-S NIKKOR 105mm f/1.4E EDの方向性に近いです。実際、AF-S NIKKOR 105mm f/1.4E EDはピントの合ったところはかなりシャープな描写になっています。

先ほど、ピントの合ったところを落としてというお話をしましたが、決してボケボケやソフトフォーカスというようなものではなく、このレベルの落とし方できれいなボケ味が実現できるのです。

それでもボケ味がまだ不満ということになれば、さらにピントの合ったところを落とすという味付けになっていきます。

――その味付けの部分のキーとなる収差は?

佐藤:1つだけではありません。球面収差、コマ収差もそうですし、非点収差、非点隔差も関係しています。また、画面中央だけが良くてもだめなので周辺も同じバランスになっていなくてはならない。

あとは色収差もボケ味に関連してきますので、このレンズの場合は徹底的に除去する方向で頑張りました。

非点収差は、撮像面においてレンズの光軸から放射(メリジオナル:M)方向の光線と、光軸に対して同心円(サジタル:S)方向の光線のピント面が微妙に異なり、点状の被写体が像面で1点に集光しない収差のこと。また、放射方向と同心円方向の光線のピント面のずれを非点隔差という。

――実写結果では無限遠の絞り開放で若干球面収差が感じられ、2段ほど絞ると解消する傾向が見られましたが、これはAF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gの時と同じ傾向なのでしょうか?

佐藤:無限遠の収差バランスは、AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 GとAF-S NIKKOR 105mm f/1.4E EDでほぼ同じになるように設計しており、若干球面収差は残してあります。

――敢えてそうしていると。

佐藤:はい。社内にも色々な議論がありまして、F8のシャープな画質をF1.4で実現するから意味があるという意見もあれば、F1.4の柔らかさとか雰囲気を求められているお客様が実は多いのではないかという意見もあり、どこに正解があるかという答えは他社も含めて持っていないのではないかと思います。

例えば、大きくて重いが絞り開放から画面等倍で観察してもキレキレにシャープなレンズがあったとして、人気が出たとすると、みんなその方向にいくのが正解だと思ってしまう。ところが僕はそうではないと思います。

お客様が狙っておられるところは、何も画面等倍で観察されるというのではなく、実際に画にしたときにこのレンズでしか撮影できない画が撮れるとかそういうところじゃないかなと思います。

ニッコールのすべてのレンズをこのバランスにするという考えは毛頭ないのですが、三次元的ハイファイのレンズを1つのカテゴリーとして持っておくのはいいのではないかと考えています。もっとも、このあたりを実際に考えるのは企画の石上の仕事になるのですが。

山下:MTFは確かに評価の方法としては便利な尺度ではあります。お客様がレンズ性能を比較される際や、社内向けに資料を作る時もMTFで見せたほうがわかりやすく比較もしやすいという面はあります。

しかし今回の製品は、MTFだけにとらわれていない製品ということで、その写りを見て頂きたいという思いがあります。

――AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 G(2013年発売)の頃から設計手法は進化していますか?

佐藤:設計ツールは常に進化していますので年々よくなっています。また先ほどの銘玉解析プロジェクトは現在でも継続していまして、そちらからのアウトプットから設計のソフトウェアを変えたりシミュレーション技術を磨いたりと常に進化しています。

その成果物が、先ほどの100周年記念のレンズであり、今回のレンズの開発につながっているのです。

――価格的にはやや高価なレンズ(税込での実勢価格23万3,000円前後)になっていますが、こういう価格になった理由は?

石上:AF-S NIKKOR 85mm f/1.4 Gと比べますと、より大きな口径ではありますが、価格は同程度に抑えていまして、他のF1.4シリーズと比べましても特に価格を高めに設定したということはございません。佐藤や、山下がご説明している三次元の描写性能を考慮しますと、十分投資に見合う効果が得られるレンズだと考えています。

前玉・後玉にはフッ素コートが施してあり、水を垂らしてもご覧のようにはじく
またこのように前玉・後玉に油性ペンで書こうとしてもインクをはじく。軽く拭くだけでインクは落ちる

絞り値で三次元的な描写が変化

――無限遠は絞り開放からシャープな描写ということですが、絞るとMTFは改善しますか?

山下:F2くらいまで絞って頂きますとMTFはぐっと上がります。

佐藤:絞るとMTFは上がるのですが、それよりも絞り効果によって被写界深度と三次元的ボケ具合の変化を楽しんで頂いて、各自の好みの絞り値を見つけて頂きたいですね。

AF-S NIKKOR 105mm f/1.4 E EDのMTF曲線

――絞り値によってボケの大きさだけでなく、三次元的な描写やボケ具合も変わってくるのですか?

佐藤:はい。絞り値によって刻々と変化します。

――それはおもしろいですね。

佐藤:明るいレンズだから開放で撮らなければいけないと言うのではなく、人によってはF1.8とかF2くらいの描写のほうが好みだという場合が出てくると思うのです。

――実際に使ってみると、例えば花などをアップで撮影すると期待しているボケの大きさより実際のボケが大きく薄めに感じることがありました。そういうことなら、ボケの大きさやボケ味のコントロールのため、露出は同じで絞り値をブラケティングする機能があってもおもしろい気がします。

佐藤:AF-S NIKKOR 58mm f/1.4 Gの場合は、絞り値による描写性の変化はこのレンズよりさらに大きめなのですが、お客様によっては絞り開放の描写よりF2くらいの描写が好みだとおっしゃる方がおられました。逆に言えばそうした使い方が理想であって、お好みの絞り値をお客様に見つけて頂きたいのです。

山下:このレンズは、いろいろと使い込んで頂く中で、お好みの絞り値や撮影距離を見つけて頂き、使いこなす楽しさを体験して頂けるレンズと考えています。

――MTFの30本/mmのラインが、中心よりも周辺までの中間近くのほうが高くなっているのはどうしてですか?

山下:中心のMTFをもっと上げることもできるのですが、先ほどもありました二次元的描写の余力を三次元的描写に振り分けるということで、ここは敢えて下げています。

もう1つは、ポートレートを意識して中心とその周辺部ができるだけ均一な描写になるように心がけたところもあります。これは、ポートレート撮影では必ずしも中心に主被写体が来るのではなく、構図上中心よりややはずれた場所に主被写体が来る場合も多いのでそのようなシーンにも対応するためです。

佐藤:ちなみに先ほどの脇本さんの時代(Sマウント時代)の105mm F2.5もあらためてMTFを測定してみると、中心より周辺部のMTFのほうが高くなっていまして、ニッコールの105mmが伝統的にそうした特性になっているのには驚きました。

――三次元的ハイファイが、達成できているかどうかの評価方法はありますか?

佐藤:具体的には何もお話できません(笑)。ただ、以前「OPTIA」について話した際、画像シミュレーターについてもお話ししたと思いますが、現在では設計値を入力するだけで、試作をしなくてもレンズの描写性を評価できるようになっています。つまり、入力するデータを微調整すると結果が画像として出てくるわけです。仮想試作で色々なトライ&エラーができるのです。

色々と研究していると、この値をこうすればこうなる、という様に定量的な解析ができます。そこで、所望の特性を得るにはこうすると良いというところが具体的にわかり、それが三次元特性を評価することに寄与しているということ言えると思います。

――そうしますと今回のレンズは、三次元的ハイファイ的に練りに練った上で、ねらった性能にできているということですね。

佐藤:58mmのインタビューのときにもお話ししたかと思うのですが、三次元的ハイファイの開発は道半ばで、まだまだ進化の余地があり、今回のレンズも1つのご提案なのです。

100人いらっしゃれば100人とも良いとおっしゃるものを作るのは難しい。例えば新聞紙の複写しかしないという方がおられるとすると、こんなレンズはだめだとなるかもしれない。逆に柔らかいものを撮っていらっしゃる方は、もっとソフトな設定のほうが良い、58mmのほうが良かったとおっしゃるかも知れません。

後編では、三次元的ハイファイのさらに詳しい話をうかがうほか、機構面での工夫などを掲載します)

杉本利彦

千葉大学工学部画像工学科卒業。初期は写真作家としてモノクロファインプリントに傾倒。現在は写真家としての活動のほか、カメラ雑誌・書籍等でカメラ関連の記事を執筆している。カメラグランプリ2013選考委員。