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Canon EXPO 2023 レポート【後編】市場投入を目指す開発中の先進技術

超高感度の多画素SPADセンサーやテラヘルツスキャナーなど

キヤノンの技術展示会「Canon EXPO 2023」が10月19日と20日にパシフィコ横浜で開催された。【後編】では今後の製品化が期待される要素技術やカメラ分野のテクノロジーを応用した展示を取り上げる。

すでに発表済みの最新製品も目を引くが、会場には今後展開予定の技術展示も多い。製品化に向けて来場者の意見を聞いたり、他社と協業の可能性を探る意味もあるという。

微細な表面構造で実現した「メタレンズ」

光の波長以下の微細な構造を持つ光学素子「メタレンズ」を開発中で、スマートフォンのカメラやウエアラブル端末のレンズへの応用などを見込んでいる。レンズ枚数を削減できるほか、高画質化も可能という。形状もフラットなため、スマートフォンのカメラの小型化も期待される。

メタレンズのコーナー
メタレンズのサンプル
四角い照明が結像して写っているところ

メタレンズは回折光学素子の1つだが、波長分散特性の制御が可能。従来の回折光学素子は波長分散性があるため単体では色収差などが発生するが、メタレンズは波長分散性の小さなレンズになり、1枚で結像できる可能性もあるという。

メタレンズの表面は微細なトゲが並んだ構造

デモではメタレンズで画面を撮影して結像する様子が示されていた。今回のデモはメタレンズ単体ではなく、屈折レンズを加えて2枚で構成している。メタレンズを入れないほうは結像していない。

メタレンズの方は結像している
メタレンズはフラットなのが特徴。デモでは図のように屈折レンズも使用している

実用化にはさらなる性能向上が必要とのことで、すぐに製品化されるイメージでは無さそう。「将来的には1枚で済むことを目指したい」(説明員)とのことで、スマホカメラがフラットになる日が来るかもしれない。

このメタレンズは、次に紹介する「ナノインプリント半導体製造装置」で作成された。

切り出し前のメタレンズウエハー
切り出したメタレンズ

ナノインプリント半導体製造装置

回路パターンを刻み込んだマスク(型)をウエハーに押しつけてハンコのようにして回路パターンを形成する新技術「ナノインプリントリソグラフィー」(NIL)方式の半導体製造装置「FPA-1200NZ2C」をキヤノンが世界に先駆けて10月に発売した。

ナノインプリント半導体製造装置

これまでの半導体製造装置は「フォトリソグラフィー」技術を使った投影露光装置と呼ばれ、パターンを縮小投影して回路パターンを焼き付けていた。

これまでの同社露光装置の名称「FINE PATTERN ALIGNER」を引き継いでいる

投影露光装置が搭載していた大電力を要する光源装置は不要となり、消費電力は現在最先端プロセスで使われているEUV露光装置の1/10程度に抑えられるという。加えて、従来必要だった投影光学系のレンズやミラーも使わないので装置規模も小さくなり、スペース効率にも優れる。

(参考)会場に展示された投影光学系のモックアップ。従来の投影露光装置ではこのような大がかりなレンズが必要だった
二酸化炭素削減にも貢献するとしている

ナノインプリント機ではウエハーの上にレジストと呼ばれる樹脂を塗布して、その上からマスクを押し当てる。レジストの塗布は同社のインクジェットプリンターで培ったインク突出技術を応用し、微細で正確な塗布を実現した。

始めにインクジェット方式でウエハーにレジストを塗布する
マスクをインプリント(押印)する
マスクの形状に合わせてレジストが変型する

押し当てたマスクの上から紫外線を照射して硬化させ、マスクを外すと回路パターンが完成する。1回のインプリントで三次元パターンも形成可能。プロセス世代としては5nmノード(線幅14nm)に対応しており、今後マスクの改良で2nmノードも目指す。

紫外線でレジストを硬化させた後にマスクを外す
回路パターンが完成した

300mmウエハーに対応し、今回展示されていた2ステーション構成ではウエハーを毎時40枚処理できるという。ロジック半導体やメモリーの製造に向けるが、三次元構造を作れるため先のメタレンズのような半導体以外への応用もできる。

装置のディスプレイ画面。A1とA2の2つのステーションが待機状態の表示になっている

マスクはガラス製で、日本メーカーが手がけている(展示品は大日本印刷製)。1つのマスクで30万回程度の寿命(マスクライフ)があるという。レジストは専用品だが、キヤノンでも提供する。ウエハーは従来品が使える。

マスク(型)
ナノインプリント機で形成した分光素子の例

本装置はすでにキオクシア(旧東芝メモリ)の四日市工場に設置され、量産性の検証が行われている。

半導体製造に関する様々な装置を手がけている

超高感度カメラを実現した多画素「SPADセンサー」

ノイズの影響をなくして夜間でも鮮明に写せる多画素の「SPADセンサー」を開発。同センサーを搭載したカメラを夏に発売した。

展示されたSPADセンサー
拡大したもの

SPAD(Single Photon Avalanche Diode)センサーは、光の最小単位となる光子(フォトン)1つ1つをカウントできるセンサー。CMOSセンサーのように光子がたまった量を計測するセンサーではノイズが混入して高感度撮影が難しかったが、SPADセンサーはノイズが入らないので正確に光子の数をカウントできるのが特徴となる。

光子を数える「フォトンカウンティング」方式のセンサーとなる
光子が入ると電荷に変換されて増倍される
このとき増倍された電荷を検出することで、光子1つとカウントする
SPADセンサーではノイズが混入しない

SPADセンサー自体はこれまでも存在しており、スマホの距離センサーなどには使われていたが、今回キヤノンでは世界最高の320万画素タイプを開発し、フルHDといった解像度での撮像センサーとして使えるようにした。センサーサイズは1型。

処理時間が短いため、高フレームレートが必要な分野にも応用ができる

SPADセンサー搭載カメラは「MS-500」。フルHD 60pの動画を撮影できる。放送用レンズのバヨネットマウントを備えており、高倍率の放送用レンズと組み合わせて夜間の遠方監視などに向ける。

フルHDカメラで業界最高クラスの低照度性能と謳っている
MS-500。カラー撮影可能なSPADセンサー搭載カメラとして世界初
放送用の高倍率ズームレンズが装着されていた
ほぼ真っ暗な室内の模型を鮮明に写すデモが行われた
約7.2km離れた空港の飛行機を夜間に撮影――
122倍ズームレンズに2倍のエクステンダーを入れると機体番号も読み取れる
海上で撮影すると……
約5km先の船舶を捉えられる。レンズは45倍ズームを使用

併せて、超高感度カメラシリーズ用の画像鮮明化ソフトも提供する。独自のAI技術を使ってPCで画像処理し、リアルタイムで画像の鮮明化が行える。

低照度下での撮影に威力を発揮する
オリジナル映像。ソフトでの処理を前提としてカメラ側でノイズリダクションやシャープ処理はしていない
処理後はナンバーが読み取れるまでになった

小型軽量のXRグラス

「光学描画コンポーネント」として展示されていたのは、XR(VR/AR/MR)向けのコンポーネントを利用した小型グラスの試作品。製品化は未定となっている。

XR向けの小型グラス

コンポーネントとしては、カメラを内蔵するビデオシースルー型やハーフミラーを使ったシースルー型を開発した。今回それらを用いた双眼のグラスの実働品でデモを行っていた。

グラスを使えばXR映像を簡単に体験、共有することができる

いずれも小型軽量で、メガネ型にしたり手で持って目にかざして使う方法が提案されていた。デモ品のビデオスルー型はUSB端子がありPCに接続して映像を映していた。試作品はバッテリー非搭載なので、PCやスマホと常時接続して使うイメージになっていた。

色々な形状に応用できる

一般的なVRゴーグルほど大型ではないので、メガネのように使えるのがメリット。商談などで顧客に説明する際に、手持ちタイプのグラスで気軽に見てもらうツールとしての使い方もあるとのこと。

カメラを搭載したビデオスルーのメガネタイプ
左は手持ちで使うタイプ。右はシースルー型

光学モジュールも手がけており、軽量な樹脂製導光板やマイクロ有機ELディスプレイ(μOLED)からの光を効率よく届ける工夫を施している。

様々なタイプの光学モジュールがある
広視野角タイプや屈折光学系を用いて小型化したものも
常時装着を想定したメガネ型の導光板タイプ
導光板タイプの見え方。現実世界にクラゲのCGを表示させている
導光板は樹脂製で5gほどと軽量
光を効率的に届けることが可能という

さらにグラス向けμOLEDも従来の第2世代から第3世代への進化版を提案している。有機EL材料の変更や光取り出し構造の見直しで、同じ消費電力ながら輝度を5倍に引き上げた。

第2世代と第3世代の比較
第3世代はかなり明るくなっている
第3世代に露出を合わせて撮影したもの

こうしたグラスでは表示までの光路で光の損失があるため、より明るいディスプレイの開発が求められていたとのこと。同時に色域も広がっている。

高度な温度シミュレーション

「製品保証プラットフォーム」の一例として、温度シミュレーションの取り組みを説明していた。

EOS R7を例に解説していた

カメラなどは発熱により性能に影響が出るため、熱設計が重要となる。これまでは試作品で温度を計測していたが、最近はコスト低減や開発期間の短縮、環境負荷低減(試作品は廃棄物になる)の観点から試作品を減らす方向だという。

そこで、高い精度の温度シミュレーション技術を作り、製品開発に活用している。デモのシミュレーションでは、実測に近い温度分布が見られる。

シミュレーションによる温度解析
実際の計測の様子

この技術は特定の製品だけでは無く、同じシミュレーション技術を例えばFPD(フラットパネルディスプレイ)製造装置内の温度シミュレーションといった全く異なる製品でも活用する。その際にシミュレーション技術に改良が加えられることで、プラットフォームとして精度が高まっていくメリットがあるという。

FPD製造装置の模型。赤い線はレーザーで、ステージとの距離を計測している
温度の揺らぎで気流が乱れると距離を正確に測れなくなるため、シミュレーションで対策する

カメラ技術も生かしたテラヘルツスキャナー

テラヘルツ波は電波と光の中間の性質があり、プラスチックや木材などを透過する性質がある。これを利用して内部を透視するスキャナーのデモが行われていた。

ケースに入った武器がディスプレイ上で透視できている
テラヘルツ波の性質

1つのイメージング機器としてみると興味深いものであるうえ、撮影するセンサーは同社カメラのセンサー技術を応用したものだそうだ。

テラヘルツ波の発生デバイスは、独自に開発し今年発表したもの。従来よりも大幅に小型化、高出力化した。

左は従来のテラヘルツ光源で大きかった
新開発した光源のサイズは10×8mmと小さい
中央に36個のアンテナを設けることで指向性を高め、遠距離の撮影も可能になった

テラヘルツ波はX線と異なり被爆しないので、歩いている人を監視カメラのように撮影して武器を持っていないかリアルタイムで検知するといった使い方もできる。

武器を持った人の撮影例

見た目を重視したプリントカラーマッチング

プリンターや用紙が異なっても、同じ印象でプリントできる技術「SCM(Super Color Management)」の参考展示もあった。

家庭用や業務用のプリンターでキャンバスや光沢/マットの各用紙にプリントしたサンプルを展示。実際の見た目では、かなり色味が揃ったプリントだった。

様々なプリンターや用紙で出力しても見え方が揃う
実際のプリント例

再現したい色に対して、人の目が最も近いと感じる色を割り当てるマッピング処理などを開発することで、印象の揃ったプリントを作れる。

デザイナーが完成品と異なるプリンターで印刷しても、印刷所のプリンターに近い見え方で作業ができることなどをアピールしていた。

人間の目の見え方や認識を研究して開発した
デザイン制作での課題を解決する例

超精密加工で宇宙観測に貢献

最後にキヤノンの超精密加工の例を採り上げる。

宇宙観測向けの光学素子を製造している

サブナノレベルの位置制御や0.001℃の温度制御などを駆使して独自の超精密切削機を開発。分光素子などの製作に使われている。

切削加工の様子

また、ゲルマニウムなどの特殊材料でできた分光素子を世界で初めて実用化し、天体望遠鏡を大幅に小型化した。特殊な工法を使うことで、硬くてもろい材料に2μmピッチでのこぎり形状に加工する。

材料を割ること無く加工できる

さらに、太陽を観察する望遠鏡向けに作った光分割ミラーは2mm角に角度違いのミラー100枚を切削で作った。段のピッチは36μm。これにより従来よりも細かく太陽観察が可能になるとのことだ。

太陽観測の精度を上げられる光分割ミラー
実際の光分割ミラー
拡大したところ
光分割ミラーの拡大模型
左の光分割ミラーは反射光を分割している

1981年生まれ。2006年からインプレスのニュースサイト「デジカメ Watch」の編集者として、カメラ・写真業界の取材や機材レビューの執筆などを行う。2018年からフリー。