山岸伸の「写真のキモチ」

第81回:画像配信サービスの先駆けとSNS

1999年、私がデジタルの世界で生きるスタート

インターネット普及初期の時代からいち早くネットでの画像配信サービスを始めた山岸さん。付随してデジタルカメラを積極的に仕事で使用することやSNSの活用も早かったという。ブロードバンドの急速な普及、携帯電話の多機能化からスマートフォンなどモバイル端末の進化の中でどのようにデジタル社会を歩んできたのか、お話を伺いました。(聞き手・文:近井沙妃)

画像配信サービスの先駆者

1995年から2000年のインターネット普及初期の時代、1999年にnifty(ニフティ)で会員制画像配信サービスを始めたことが、私がデジタルの世界で生きるスタートだったと思う。様々な話をいただく中でこの出来事が全て今日に繋がっている。「web-SHIN」という名前で始め、恐らく同サービスで最初に女性ポートレートやグラビアを配信。どんどん額が大きくなっていく売上明細を見て、インターネットってすごいんだなと感じさせられた。

2000年には携帯電話で画像配信をしてほしいと依頼を受け、EZweb(au)を皮切りにi-mode(NTT DoCoMo)、DDIポケット、Vodafone Live!(Vodafone)などで「山岸伸写真館」という会員制画像配信サービスを展開した。利用者は画像をダウンロードして写真を見たり携帯の待ち受けに設定したりする。今でいうガラケーで最初の頃は画質も悪くモノクロだったので嫌だなと思うタレントさんもいたと思う。携帯会社のポスターやパンフレットなどでもたくさん宣伝され、みるみるうちに会員数が増えていき最高で合計約15万人にもなった。月額300円で手数料やタレント事務所への支払い分を引いても相当の額。配信だけで多いときは月何千万の売り上げがあり、山岸伸写真事務所ではアシスタントが4名、スタイリスト、経理、マネージャーの7~8人が働いてくれていたこともあったがそれでも手が足りなかった。

ある時期の告知の一部

モノクロからカラーになり写真も綺麗になってきて携帯電話のための撮り下ろしも開始した。初めて手にしたデジタルカメラはキヤノンからお借りしたEOS DCS3。フィルムからデジタルに入っていく時代にいち早くデジカメを仕事として使い始めた数少ないカメラマンだと思う。その後EOS D2000を2台購入し、とにかく配信用にありとあらゆるところで撮っていたが日進月歩ですぐにEOS D6000が発売された。D2000を下取りして欲しいとお願いしたところ対応いただけなかったのでキヤノンのカメラを使用することをやめた。

同時に私が積極的にデジカメを使用していると知ったオリンパス(現・OM SYSTEM)の方が「うちのカメラを使ってみませんか」と営業に来てくれたことをきっかけにCAMEDIA E-10を使い始めた。非常にコンパクトで使いやすく、大量に撮るときに同じカメラを2台持てばストレス無く仕事ができたし携帯配信用では左程画素数が高い必要がないため非常に仕事内容とマッチしていた。そこからオリンパスのデジタルカメラは全て使わせいただき、OM SYSTEMに変わってからも使用頻度は非常に高い。

OLYMPUS CAMEDIA E-10(2000年10月発売)

ある時期までは私の独占状態で同ジャンルの配信者がいなく、ランキングも5~6年トップの座にいたが、他の写真家や出版社からもやりたいという声があがってきていつの間にか当初の口約束のようなものは崩れ、多くのカメラマンたちが配信を始めた。いざ競争となるとやはり大変。1位だったランキングも下から上がってくる人たちがいてベスト10から外れるという事態。写真に対する考え方や規制も出てきて徐々に会員数は減っていった。

ただ、この一連の流れによってインターネットサービスの中で1つの成功と形を確立し、画像配信サービスの先駆者であったことは間違いない。そして約3年前、ガラケーでの私の配信は全て終了した。

22年続くインターネット放送

TOKYO FMのプロデューサーからインターネット放送の提案を受け、2002年に「世界の光の中で」と名付けて開始した。現在TOKYO FMでは配信していないが私の事務所でYoutubeチャンネルを運営し、カメラ誌「CAPA」の本誌と連動して今も続いている。残念ながらYoutubeの人気はイマイチで登録者数は約1,670人。

世界の光の中で(Youtube)

以前は毎月半蔵門にあるTOKYO FMのスタジオで収録していたが、その中から得たものの1つが私とラジオパーソナリティの柴田玲さん、女優の佐藤江梨子さんで三者三様にオリンパスのカメラを持ちニューヨークの街を撮影した「@NewYork N.Yデジカメ散歩プレミアBOOK」の出版に繋がったこと。オリンパスの協力がありオリンパスギャラリーで写真展も開催した。インターネット放送の世界から写真をオリジナルプリントとして見ていただくという1つの目標を達成することができた。

「@NewYork N.Yデジカメ散歩プレミアBOOK」(アクアハウス・2004年)
このとき私はOLYMPUS E-1を使用
写真展「KAO’S」を開催した思い出のKNITTING FACTORY
私にとっても珍しいスナップのミニ写真集。もうスタジオにも10冊ほどしか残っていない、思い出の1冊だ

後にこの「世界の光の中で」はたくさんの写真家の方に出演いただき、直近のゲストは河野英喜さん、東京駅研究家の佐々木直樹さんと続くとても贅沢なインターネット放送。2001年から続けているなんて驚異の番組だよね。2019年以降の放送はYoutubeでアーカイブを視聴できるので是非見て欲しい。

SNSの使用遍歴と使い分け

1番最初に始めたSNSは2004年にブログサービスのJUGEMで開設した「撮影日記 アイドルブログ」。多いときは月に約30万ビューほどあったが最近はシステムエラーが出て数日間アクセス出来ないことが何度かあり、いつの間にかビュー数は半分くらいになっていた。運営会社と話し合っていて、1番いい形で元の読者の方と繋がれればいいのだがなかなか難しそうだ。

2004年開設の「撮影日記 アイドルブログ」(JUGEMブログ)

その補填のつもりでもう1つ始めたAmebaブログ。2021年3月からプロフェッショナル部門で開設しているが、2つのブログで同じような話を皆さんに読んでもらうのも問題がありそうな気がして使い方に悩んでいる。

2021年開設の「アイドルブログ」(AMEBAブログ)

X(旧Twitter)は2010年12月から始め、現在フォロワーは約8,500人。長い間ほとんど放置していたような状態でここ1年ちょっと前から積極的に使おうとポスト回数が増えた。フォロワーが増えず苦戦しているが、Xを媒体としてどのように扱えばいいのか最近やっとわかってきた。

山岸伸 公式X(旧Twitter)

先日、お世話になった俳優の西田敏行さんが亡くなられてXで遺影に関する話をポストした。そのポストは表示回数が183万回を超え、約210名から寄せられたコメントを全て読ませてもらった。私は決して自分が遺影を撮らせてもらったことを主張したいわけではなかった。お通夜のときに祭壇を撮られる方がたくさんいたが遺影がデジタルサイネージだったため周辺と露出差があり、遺影が上手く写らないと何名かの方が話しているのが聞こえた。せっかくの遺影が写真を撮ろうとした人たちには写らなかった。どうしてもちゃんとした遺影を皆さんに見ていただきたくポストすると、新聞やネットニュースなどに引用され瞬く間に拡散されていった。予想だにしなかった展開にXを使用していて過去1番の衝撃を受けた。

2011年に始めたFacebookは日記のようなつもりでその日にしたこと、食べたものや何時に寝たとか細かく1日3回くらいほぼ毎日投稿している。私は1番Facebookが好きで5,000人近くの方と友達として繋がっている。システムの都合上、友達の上限が5000人なのでなかなか難しいが最近は公開範囲を広げているので是非見てほしい。

山岸伸Facebook

先程話した「世界の光の中で」のYoutubeチャンネル以外に2012年から個人チャンネルも持っている。残念ながらこちらもあまり人気はなく現在登録者は1,720人。いつもソニーのVLOGCAMで撮影現場などいろいろと撮っているが毎度アップすることは出来ていないので今後は極力撮ったものは皆さんに見てもらおうと思う。

山岸伸 Youtubeチャンネル ほぼ私の撮影メイキングだが、たまには面白いと思うので見てみてほしい

Instagramは2015年10月に開設し、フォロワーは現在約6,750人。文字も書けるが写真や動画の視覚コンテンツが主体であまり得意ではない。若い人たちはインスタだけを見ているってこともあるよね。

山岸伸 インスタグラム

これらのSNSは直接的に利益を得ているわけではなく、ほぼ自分の告知や宣伝となっている。

デジタルの発展とネット社会の変化の中で

今回この記事を書くに至った理由は西田敏行さんの遺影のことを書いた投稿に対する反響を受け、ネットの広がりを考え直すきっかけになったから。これから山岸伸はどの媒体を持って皆さんに接していくか、どのように繋がっていくべきか。また時代が変化していく中で更に適したアピールをしていかなければいけないとつくづく思う。

そしてこの連載もカメラマンとして私の「写真のキモチ」を皆さんに伝えていく最も大切な場所の1つである。

(やまぎし しん) タレント、アイドル、俳優、女優などのポートレート撮影を中心に活躍。出版された写真集は400冊を超える。ここ10年ほどは、ばんえい競馬、賀茂別雷神社(上賀茂神社)、球体関節人形などにも撮影対象を広げる。企業人、政治家、スポーツ選手などを捉えた『瞬間の顔』シリーズでは、15年をかけて総撮影人数1,000人を達成。また、近年は台湾の龍山寺や台湾賓館などを継続的に撮影している。公益社団法人日本写真家協会会員、公益社団法人日本広告写真家協会会員。