写真展リアルタイムレポート
広島を自分のことと捉えてもらうために。土田ヒロミ作品展「ヒロシマ・コレクション」
JCIIフォトサロンで8月28日まで
2022年8月12日 07:00
土田さんは早くから広島をテーマにしたいと考えていたが、実際に動き始めたのは1975年からだ。被爆者たちのその後と、広島市内の風景、そして広島平和記念資料館が所蔵する被爆者たちの遺品を捉えた3部作として取り組んできた。本展では写真集『ヒロシマ・コレクション』(1995年、日本放送協会刊)とは違う、新たなプリント43点を展示する。
撮影するのは“身近にあるもの”
「撮影したものは日常生活の中で、身近にあるもの。弁当箱やメガネ、ワンピースなど。そこから被爆体験を自分のこととして想像してほしかったからです」
1982年に約80点、95年に30点、2018年には20点を撮影した。今なお被爆者の遺品が記念館に持ち込まれており、その数は2万点を超す。
「当時、広島平和記念資料館は外部に収蔵品を撮影させていませんでした。NHKの取材ということで初めて撮ることができたんです」
会場に並んだプリントを見ると、被写体が実にクリアに目に飛び込んでくる。プリントをスキャンし、被写体と影の部分だけを切り抜き、ごく薄いグレーの背景に重ね、ラムダでプリントした。
「背景の色を統一したかったんです」
“自分のこと”と思ってもらうために
作品の1点ずつに寄贈日、寄贈者と、被曝した状況や、その後の経緯などを簡潔にまとめたキャプションが添えられている。
「データベースから情報を選び、必要最小限のテキストにまとめました。僕の中で写真とテキストは同格なので、キャプションをプリントの下に添えるのではなく、1枚のプリントの中に両方を出力しています」
撮影する遺品は事前に記念館のデータベースで調べ、ピックアップしている。実際、被爆した時に身に着けていたもので、その時の状況が記録されていること。さらに身に着けていた人や品物が多岐にわたるようにした。
撮影は4×5判カメラで、ストロボは2灯。シンプルなライティングで、形や質感が美しく見えるように心がけたという。
「余分な印象ができるだけ入らないよう、日用品という記号性を重視して撮影しました」
服などは畳まれて長く保管されているので、折皺がくっきり残る。が、繊維は脆くなっているので、慎重に開き、そのまま撮影する。
「ただ服は意外と簡単で、立体的なものや金属は反射があるから難しい」
それぞれのモノには被曝の痕跡が残り、そこを印象的に描くこともできる。
「そうすると見た人は悲惨な出来事として捉えて完結させてしまう。自分事として考えてもらうにはどうしたらいいかを考えた」
広島を題材に撮る場合は、自らの作家としての個性は敢えて出さず、記録に徹しているという。
モノクロでプリントする意味もモノとしての記号性を重視するからだ。2018年はカラーで撮影したが、プリントはモノクロで行なった。
広島を記録する
土田さんは自らをドキュメンタリストだと言う。現代の時代性、日本人論、日本の大衆文化を見つめ、記録してきた。そうしていくうちに戦後30年が経ち、日本中で戦争の傷跡が見えにくくなってきた。
「痕跡や記憶が薄れてきた現在のなかで、かつての大惨事、被害をどう意識化するか。最初は風景を撮ろうと思ったけど、それはイージーだと思った」と土田さんは話す。
そんな時、被爆した107人の少年少女たちの体験記『原爆の子』(1951年、岩波書店刊)を目にし、彼らのその後を76年~79年にかけて取材。『ヒロシマ 1945-1979』(朝日ソノラマ、1979年刊)にまとめた。さらに戦後60年の節目となった2005年にはその中の29名(取材辞退の3名を含む)を再取材し、『ヒロシマ2005』(NHK出版、2005年刊)を上梓している。
広島市内に戦前からある光景は10年ごとに定点観測を実施。それは1979年と1990年、2020年からそれぞれ3年ほどをかけて行ない、最初の2回は『ヒロシマ』(1985年、佼成出版社刊)、『ヒロシマ・モニュメント II』(1995年、冬青社刊)にまとめられている。
「次回の撮影ができるかどうかはわからないけれど、やるとしたら8年後だね」
土田さんは1939年生まれで、今年83歳だ。
現在の計画は、資料館の収蔵品から5,000点を選び、撮影するプロジェクトだ。
「そうすると当時の市民生活が見えてくるんじゃないか。一人では無理だから、撮影も含めてチームでやれないかと思っているんだけどね」
◇◇◇
土田ヒロミ作品展「ヒロシマ・コレクション」
会場
JCIIフォトサロン
東京都千代田区一番町25番地 JCIIビル
会期
2022年7月26日(火)~8月28日(日)
開催時間
10時~17時
休館日
月曜休館