赤城耕一の「アカギカメラ」
第132回:ZEISS Otus ML 1.4/85で知ったMFレンズの思想と快楽
2026年1月5日 07:00
新年あけましておめでとうございます。
読者のみなさまにおかれましてはどのようなお正月をおすごしになられたでしょうか。
はい、9連休された方、現実に戻りましょう。仕事始めですよー。勤めに行きますよー。
と、いうことで、本年も「アカギカメラ」をどうぞよろしくお願いします。
2026年の初回はまず、大口径MF中望遠レンズはポートレートの他にもチカラを発揮させることができるか、そしてMFでフォーカシングする意味を中心に考えてみることにしました。2026年からはマジメな路線で攻めようというわけであります。
いやほら、筆者は35mmレンズがあれば今後の残りの人生はそれ1本だけでやっていけるとか、人生は35mmである、などと昔からあちこちで書き散らしておりまして。
ウソつけ、おまえは、いろいろな交換レンズを食べ散らかし、適当なレビューをして読者をだまそうとしているではないかとツッコミが入りそうですが、いや、魔王に誓って、適当ではありません。あくまでお仕事ですから、もうね、自分には合わないと思えるレンズも仕方なく使うわけです(笑)。
あくまでも35mmを多用するのは、私事の世界での話です。お仕事の撮影という意味では、常時20-200mmくらいの焦点距離の幅で交換レンズを使用しています。いま話題の高倍率ズームレンズもこの焦点域でありますから、そこから外れる焦点距離のレンズは少なくとも筆者だけではなく、多くのみなさまには特殊な部類のレンズになるでしょう。
あ、そうか野鳥とかレースとか飛行機とかは、すごい超望遠レンズを“標準” としている人たちもいらっしゃいますね。これはこれで正しい道だと思います。使用レンズで出来上がりに差が出てしまいます。
たしかに35mmレンズは好きなことは間違いありませんが、それは自分の視覚的な基準でもあるという意味でもあります。この基準から、依頼された仕事内容に合わせ、おそらくこの焦点距離のレンズを使うであろうことを想定し交換レンズを選び、携行するわけであります。
ま、その昔はゼロ・ハリバートンのケースにありったけのレンズをならべて、使いもしないのにロケとかスタジオに携行して、これ見よがしに開陳して、周りの反応を見て、密かに悦にいってたりしていたことは内緒です。なんか、今から考えると、写真偏差値が低いカメラマンだったなあと思うわけです。今もたいして変わらないか。
で、話はやっと本題に入るのですが、今回はコシナとツァイスの協業で生まれたZEISS Otus ML 1.4/85を(以下Otus ML 1.4/85)使用してどのようにMFのフォーカシングを行うかを考えてみます。本レンズはMF大口径中望遠レンズの代表みたいな存在であります。
本レンズはZEISS Otus ML 1.4/50(以下Otus ML 1.4/50)とともにCP+2025にて発表され、同年10月に発売しています。MLはミラーレスの意ですから、ミラーレス用のOtus MF交換レンズというわけです。
筆者自身も昨年、Otus ML 1.4/50と同時に本レンズのプロモーション用の撮影も行いました。ミラーレスの非常に精度の高いAFをあえて封印し、MFの大口径中望遠レンズである85mm F1.4のレンズを使用する意義は何かということを考えないと魅力は伝えきれません。
コシナとツァイスのアナウンスでは、簡単に言いますと、AFにするために我慢していた光学設計をMFにすることで制約から解放し、より高性能な描写を目指したという意味にとれます。具体的にいえば、それはレンズ構成をはじめとして、硝材の種類とか、レンズ個々の重さとか、フォーカシングするために動かすレンズの位置とか、さまざまな意味がありますね。
つまり、光学の設計という視点からみると、AFにするために“我慢” せねばならない要件が少なからずあるということで、これは大口径レンズになれば、我慢する要件も増えるであろうことは素人考えでもわかります。
いや、AFの85mm F1.4あるいはF1.2のレンズでも優秀なものはたくさんあるではないですかとみなさん思われるでしょう。そのとおり。たくさんあります。星の数ほど。そして、性能の悪いレンズなど1本もありません。
どなたでも、AFの被写体認識、人物では顔認識、瞳認識の機能を使用すれば、開放絞りでも余裕を持って正確に合焦させることができますね。極端な言い方をすれば、フォーカシングに対して撮影者のスキルは問われることはありません。
筆者だって、たまに行う依頼仕事でのタレント撮影で、大口径レンズを絞り開放で、その味を生かしながら撮影するなんてことをやってみたいものでありますけど、その多くが撮影時間や場所の制約の中で行われるものですから、レンズの味を生かすどころじゃあなくなるわけであります。安全をとって、絞りf8とかで撮るわけですよ。5流写真家の日常の撮影などそんなものです。
もういちど話を元に戻すと、MFで大口径F1.4で85mmという焦点距離のレンズの存在意義というか、使いこなしをどうするのかという問題があります。
これね、考え方次第になると思います。つまり、MFのライバルレンズが少ないのですから、良い意味でも悪い意味でも存在が際立つのです。
Otusはすでに一眼レフ用交換レンズとしての用意もあるわけで、本レンズと同仕様のOtus 85mm F1.4も用意されていました。いずれも万人のために用意されたレンズではないことはよくわかります。レンズは単体でもすばらしく大きく重たいのに、さらに一眼レフのボディの重量が加わるわけですから、非力な腕の筆者には相当な労苦でした。
しかもAF一眼レフの光学ファインダーのマット面でフォーカシングするのはもう神業に近いのではないかと思うくらいでした。
じゃあ、フォーカスエイドとか使えばいいじゃねえか、と考えるかもしれませんが、これね、フォーカスエイドは位相差AFの測距を使用していることと同じですからね、状況によっては、合焦マークが出ましたよ、はい、フォーカスはバッチリOKとなるとは限らないわけであります。またピーキングを使用してもマージンがそれなりにありますから、ピンポイントな場所に合焦させることは難しくなります。実際にフォーカスエイドのみを頼った画像を確認してみれば思い知らされることになります。MFの場合はフォーカシングスクリーン上の画像確認は重要です。
一眼レフ用のOtusのポテンシャルを完全に引き出すためにはどうしていたかといえば、三脚を使用し、カメラを固定して、ライブビューに切り替えて、画像を拡大し、フォーカスを慎重に追い込む必要がありました。つまり、撮影はミラーレス機のそれに近くなりますね。
筆者としては、これで、やっとフォーカスの精度に満足できることになるのですが、時間がかかってしまうと、被写体はガマンできずにレンズの前から消えてしまい、はるか彼方にいたりするわけです。
たとえばこういう事態になったときにやはりAFが絶対に必要かと考えるか、MFのフォーカシングの練習をすることで、克服してゆくかを考えるか、どちらかを選ぶかで機材に対するスタンスは変わります。
筆者は悔しいものですから、マット面でのフォーカシングの練習を反復練習してみることにしました。
ただでさえ、近眼+老眼ですから、正直、目のコンディションや光の条件、周囲の明るさに左右されます。
労苦は少なからずありましたが、フォーカシングに時間をかけずとも正確に合焦するヒット率が向上するとそれは嬉しいわけであります。
とはいえ、こうした撮影方法は先に述べたように、時間に余裕のない依頼仕事の撮影では、失敗すれば切腹覚悟の冒険になるでしょう。
Otus ML 1.4/85はミラーレス用のレンズ設計ですから、従来のOtusよりもいくぶん小型化されており、Eマウント用ならばフォーカスリングの動きに連動して、EVFやLCDに映る画像を拡大表示することもできますから一眼レフ用のOtusよりも使いやすくなっています。
とはいえ、今回は軽量がウリのソニー α7Rに装着して使用したのですが、なかなかの重量級になりました。
もちろん本レンズにおいても、フォーカシングの練習は必要かと思います。でも、一連のワークフローと、撮影者が求めていた画像が一体化したときの快楽というのは、言葉では言い表せません。
ねっとりとしたフォーカスリングの動きが指の感触と連動し、EVFの画像が立ち上がるように鮮鋭になってゆくさまに背中に電気が走ります。ここだという時にフォーカスリングを止めた時の安心感。これ、AFレンズをMFに切り替えた時のフォーカスリングのスカスカ感では決して得られないんですよね。はい、感触は数字で測れませんから個人の感想です。
カメラの種類には関係なく、フォーカスの位置は撮影者が「これを見せたい」という思想を前提として位置決めをします。
しかも大口径レンズでの至近距離撮影では極端に被写界深度が浅いものですから、狭小のピンポイント部分にしか合焦しません。AF精度の高いミラーレス機での撮影でも条件によっては、MFに切り替えたくなる時があるのですが、先に述べたようにフォーカスの追い込みに感動がありません。
本レンズでのフォーカスの追い込みは撮影者の思想とも直結します。つまり、一眼レフのスクリーンに映った画像よりもダイレクトに答えが明らかになる印象です。
高性能ミラーレス機+大口径AFレンズとの組み合わせにくらべれば、速写性には劣ることになるのはあたりまえですが、フォーカシングの位置の最良の場所と見つけ出し、どう写真を構成してゆくのかを考えることを愉しみとするわけです。
ポートレートなら目にフォーカシングするといっても、それが眼球なのか、瞼なのか、まつ毛なのかで結果が異なるということを知ることになるでしょう。高性能のミラーレス機の瞳AFはどうこれを判断するのでしょう。はた目からは非効率にみえるMFのフォーカシングの時間でも創造的な行為として考えれば、異なる意味が出てくるというわけであります。
同様にポートレート以外の、街のスナップや風景写真などにおいても、フォーカスの位置の決め方で、画面効果が大きく変わることを知ることになるわけです。
筆者も高性能のミラーレスについ甘え、大口径の中望遠レンズを使用してポートレートを撮影する場合にも、自動選択AFモードのまま、顔認識や、瞳認識のまま撮影することがあります。
多くの場合は間違いなく良好な結果を得ることができますが、そのお手軽さと引き換えに大事なことを忘れているのではないかと思うこともしばしば。AFの目とMFの目は、自分でも異なる解釈をするように思えてくるのであります。
MFでは非効率とはいっても、フィルムカメラ時代と比べればはるかに早く結果を知ることができるわけですから、撮影の効率は相当に上がりました。フォーカスの練習も繰り返しノックを受けているようなアスリートの気持ちになります。
具体的にOtus ML 1.4/85の描写性能をみてみましょう。
開放からとにかく線が細い描写で、フレアや滲みなども皆無ですから合焦点が曖昧になりません。ボケ味は光線状態によってはやや重めにみえることもあるのですが、これは昔のような大口径中望遠レンズに見られる様な残存収差による曖昧さがないからかもしれませんが、とはいえクセがあるわけではありません。
そういう意味では、フォーカシンングはシビアになるわけですが、撮影者自身が見せたい場所を見極めることができれば、難しく考える必要はないでしょう。
開放絞りからのコントラストはかなり高い方です。では、“硬い” というニュアンスなのかと言われれば、これもそういう印象はありません。
しいていえばレンズ全体の描写の印象としては、軽やかさというよりも、良い意味で重厚な印象です。
このためツァイスやコシナは本レンズの特性をポートレートに特化しているかのようにうたっていますが、スナップや、シリアスなドキュメントやルポルタージュ、明確な描写が欲しい風景写真などにも向いています。
本レンズの前面の銘板には「APO Sonnar」とあります。構成は11群15枚構成。
レンズ後群にゾナーらしいニュアンスをみせているようですが、旧来のレンズタイプをそのまま当てはめることができるほど現代のレンズ構成は単純ではないのです。
ちなみに一眼レフのOtus 1.4/85はAPO Planar銘がつけられています。
ツァイスの85mmといえばすぐにダブルガウスの象徴のような開放絞りでの軽やかな描写のPlanarを想起しますけど、この一眼レフ用のOtus 85mm F1.4の構成も、ガウスタイプと一概には言えません。
Sonnarはこれまで、レンジファインダーカメラのコンタックス標準50mmレンズに採用され、また中望遠から望遠レンズの定番として知られているタイプですが、ヤシカコンタックスの一眼レフ用の中望遠クラスのレンズでは、85mm F2.8や100mm F3.5、などのコンパクトな小口径のレンズに採用されています。
OtusシリーズのこのAPO Sonnarは新しい解釈をして、大きさ重さ、価格も度外視し、ひたすら性能追求のために生まれた大口径中望遠レンズとして評価してみたいところです。
レンズと一体化するようにして、撮影者自身も動き、操作し、フォーカスを設定せねば、自分で気に入った写真はなかなかできませんが、自身が納得した上で、成功したと思える写真ができた時の達成感は、ミラーレス機にAF85mm F1.4を使用した時に生まれる写真のそれとは異なるようです。
繰り返しますが、それは自分の目が“それを見た” という明確な意思を示すことに喜びがあるからでしょう。
モデル:佐藤雨
























