赤城耕一の「アカギカメラ」
第113回:復活した伝説のレンズ「ZEISS Otus ML 1.4/50」を試す
2025年3月5日 07:00
「Otus以前と以降」と筆者は勝手に述べています。
コシナとカールツァイスの協業によって生まれたツァイスのOtus(オータス)シリーズですが、2014年に登場したカールツァイスのOtus T* 1.4/55mmは多くのカメラ、レンズメーカー、とくに標準の50mm近辺の大口径レンズの設計に影響を与えました。
Otusが登場する以前の一眼レフ用の50mm近辺の焦点距離、大口径標準レンズの設計は長い間、ダブルガウスタイプが基本設計のベースとなっています。
ツァイスも例外ではなく、一眼レフ用の大口径標準の多くが「Planar」(プラナー)名となっています。プラナータイプの多くは、これもガウスタイプのレンズ設計であることを意味しています。
ところがOtus 1.4/55mmの前面の刻印には「Apo distagon」(アポ・ディスタゴン)の刻印をみることができます。色収差を補正する「アポクロマート」設計であることに加え、「ディスタゴン」はとくに広角系のレトロフォーカスタイプ設計のレンズに命名されていることが知られています。これが55mmの焦点距離の大口径標準レンズに刻印されていたことには驚きでした。
筆者は以前、ある日本のカメラメーカーのレンズ設計者に、標準50mmレンズもレトロフォーカス設計にすれば性能向上に繋がるのでは、と質問したことがあるのですが、この設計者曰く、「可能ですが、トレードオフとして、重量級のバカでかいレンズになり、非現実的です」と、はっきり言われました。加えてレンズ枚数が増えることによる製造上のコストの問題もあるかもしれません。
これ、開き直れば「重量級で大きく高価になって」も構わないなら贅沢なレンズ枚数を使用したレトロフォーカス設計で高性能化できるという意味にもとれます。コシナとツァイスはこれをOtus 1.4/55mmによって本当に実現してしまったわけです。
光学性能を追求するためにはなんでもありという考えですね。本レンズは10群12枚設計、重量970g (ZF2マウント)で970gとなり、最大径92mm、全長127mm、と標準レンズとしては類を見ない巨大なものになりました。それからですが、Otus設計の影響を少なからず受けたと思われる標準レンズを他社からも散見されるようになったわけです。
そして、今回、CP+2025に合わせて、Otusシリーズ新製品が6年ぶりに登場しました。
それが新しいOtus MLシリーズです。「ML」とは「MirrorLess(ミラーレス)」専用設計であることを意味しています。
今回発表されたのはOtus ML 1.4/50とOtus ML 1.4/85の2本です。今回、試用したのは前者になります。ショートフランジバックの設計の優位性を応用し、高性能を維持したまま、小型軽量化をはかったものですが、これぞOtusであるという高性能を維持しています。
価格も一眼レフ用のOtusが50万円台(マウントによって異なる)であったのに対し、Otus ML 1.4/50は約30万円となる予定です。
製造はコシナによるもの。ツァイスレンズは世界のどこで作られようがツァイスであることは、半世紀前から明言されていますから、なんの心配もありません。
鏡筒デザインは細身で、フォーカスリングはゴムから金属の細かいローレットがあるものに変更されたことも目新しい点です。ロータリーフィーリングは滑らか、かつ精度が高く、すぐれた加工精度と、良質なグリースによって、心地よく操作可能です。一連の官能性を感じるほどの操作感を得られるレンズはコシナならではの製造技術によりビルドクオリティが向上したからでしょう。
試用したのは、Eマウントでしたので、フォーカスリングの動作で表示画像を自動拡大させることが可能ですが、この表示タイミングが絶妙でとても使いやすいものになっていました。
なおEマウントのほかに、ZやRFマウントも用意されますが、それぞれのカメラのフランジバック、イメージセンサーの特性、カバーガラスの厚みに応じて設計はチューニングされ、光学性能は最適化されていることも驚きです。
また各メーカーによって異なるフォーカスリングの回転方向もメーカーに合わせてあるという念の入れようです。これはコシナの執念ともいえる仕様が反映された形になっているわけで、ユーザー側に立った仕様になっています。
マウント基部にはツァイスの象徴的なブルーカラーのリングが配され、鏡筒の両脇には「ZEISS」エンブレムの青バッジが貼られています。ライカが赤ならこちらは青バッジというわけです。
興味深いのは一眼レフ用のOtus標準レンズの焦点距離は55mmでしたが、今回は50mmと当たり前の普通の焦点距離となったことです。
わずか5mmの差なのですが、印象は違うように感じます。
一眼レフの場合はミラーの駆動距離を考慮したフランジバックに合わせて光学設計せねばなりません。このため一眼レフの黎明期には、50mmより長めに設定された焦点距離の標準レンズが多かったのです。Otus 1.4/55はそうした理由で55mmに焦点距離が設定されたのでしょう。
ショートフランジバックのミラーレスでは制約がなくなったわけですから、正統派の50mmという焦点距離であらためて新設計されたわけです。
実際の使用感はどうでしょうか。
非常に感動したのは、まず「フォーカスが合う」ということです。何を当たり前のことを。と言われるかもしれませんが、Otus 1.4/55を使用する場合、そのフォーカシングはとても難儀したものでした。つまり一眼レフの光学ファインダーで正確なフォーカシングにはえらく苦労したのです。
理由としてはAF一眼レフの多くが、AFを使用してフォーカーシングを行うことを前提としているため、明るさが重視され、MFでのフォーカシングをあまり重視していません。このためファインダースクリーン上でのフォーカスのヤマやキレ込みを考慮していなかったことが挙げられます。
機種にもよりますがAF一眼レフ用のスクリーンは実際に撮影される画像よりも被写界深度が深く見えることが多く、こちらがダマされてしまうというわけです。筆者は、アサインメントなど実用としてOtus 1.4/55を使用する場合、ある程度の絞りを絞り込むことで、被写界深度を深め、ピンボケのリスクを回避していました。レンズ性能が高いため、合焦点がシビアなので、被写界深度が浅く見えるという特性もありました。
また、時間に余裕がある場合とか、開放絞りの設定でレンズ本来の性能を見極めたいという場合は、光学ファインダーの使用を潔く諦め、ライブビュー撮影に切り替え、時として、表示画像を拡大するなりして、フォーカシングを徹底して追い込んでいました。
つまり、この方法ではミラーレス機と使用するのとほぼ同じ方法をとることになるというわけで、一眼レフを使用する意味が薄れてしまうというわけです。
Otus ML 1.4/50に使用したカメラはソニーα7RCです。画素数約6,100万の高画素機ですが、αシリーズの中でもフラットな小型ボディです。Otus ML 1.4/50はそれでも同スペックの他社レンズと比較すると特別に小型軽量というわけではないけれど、さほどバランスが崩れることはなく、使用しにくいということもありませんでした。
使用をはじめてまず驚いたのは、性能面ではなく、たとえばポートレートを開放絞り、全身横位置あたりでフレーミングするような場合でもズバリとフォーカスが合うことです。さすがに大きな動きをフォローするのは辛いですが、ポートレート撮影では問題ないでしょう。
被写体との距離が離れると人物の正確なフォーカシングはしづらいものでしたが、これには驚きました。ちなみに筆者の目の分解能が特別に優れているとか腕が良いということではありませんから念のため(笑)。カメラの視度補正機構を自分に合わせてしっかりと調整することは言うまでもありません。
ポートレート撮影では撮影距離が近いほうがフォーカシングはしやすいのですが、本レンズでは撮影距離が多少離れていたとしても、まつ毛1本1本の分離を肉眼で認識することができます。本レンズの光学性能のたまものでありましょう。
かといって、開放からギンギンなシャープネスを感じるようなこともなく、ここにツァイスレンズらしい個性があるのかもしれません。合焦点はひらすらシャープではあるものの、単なる鋭さという言葉だけでは表現することのできない厚みがあります。
でも光線状態によっては、肌の表面や調子を良くも悪くも思い切り忠実に再現してしまうこともあり、とくに女性モデルさんに後で怒られてしまうことになりかねないので、ここは光線状態を見極めたり、レタッチでカバーすることを前提として考えるなど、注意が必要となるケースも出てくるでしょう。
フォーカシングの回転角は大きいので、速写性は多少劣るかもしれませんが、正確にフォーカスを追い込むために意図的に設定されているようです。また動画撮影においてフォーカスの送りがスムーズになるように考えられているのでしょう。
合焦点の頂点は掴みやすいのでフォーカスリングをあれこれ回して時間をかけて悩むというケースはほとんどありませんでした。
筆者はどのような優秀なレンズでも、ある程度絞りを絞り込んでの都市風景やスナップショットなどをよく撮影しています。
使用レンズの開放絞りの描写を追求するために写真を制作しているわけではないからです。本レンズは絞りを開いても絞っても、シャープネスや階調の再現に個性を感じる独自の世界を形成してくれるように感じています。
AF設計のレンズではフォーカシングをモーター駆動で行うための光学設計上の妥協点を考えなければならないこともあるそうですが、MFの本レンズでは、そうした考慮は不要ということで、自由度の高い光学設計ができるとされています。しかし、あらゆるレンズが高性能化されたいま、実際にはOtus独自の写りを実感できるケースはそう多くはないかもしれません。
本レンズは撮影条件によらず常に安定した結果を期待することができる光学性能を有していることは間違いありません。
だからこそ「写真」の「最良点」を探る光線状態、フォーカシング、合焦点、撮影距離、ボケ味を考慮した絞り値の決め方など一連を要素を総計して考え、積み上げて構築してゆくこのできる楽しみを、撮影者にあらためて知らしめてくれるものとなっています。こちらの思惑通りの写真ができた時の喜びは特別なものがあります。人間と道具の付き合いを愉しむ。Otusによって、ツァイスとコシナの術中にハマってしまった筆者なのです。
モデル:佐藤雨