赤城耕一の「アカギカメラ」
第122回:収差をコントロールする愉悦を「PORTRAIT HELIAR 75mm F1.8」で味わう
2025年7月20日 07:00
フォクトレンダーのユニバーサル・ヘリアー(UNIVERSAL-HELIAR)という名の昔の大判カメラ用のレンズは、収差を可変し、ソフトフォーカス効果が得られるレンズとして、一部では知られていました。
資料によればユニバーサル・ヘリアーは300mm F4.5というスペックなので、8×10判カメラのイメージサークルをカバーするものかもしれません。その特性からみて、主にポートレート撮影に使われたのでしょう。筆者も実物を見たことはありません。
今回、紹介するコシナから発売された「PORTRAIT HELIAR(ポートレートヘリアー)75mm F1.8」はユニバーサル・へリアーの登場から100周年を記念するということで、この特性と機能を応用した「球面収差コントロール機構」を装備していることが大きな特徴です。
レンズの「収差」をものすごく簡単・単純にいえば、点光源が点として描写されない現象ですね。
つまり1点の場所に集まるはずの光が集まらずに、ボケたり色がズレたり、滲んだり形が変形したり歪んだりする現象で、写真画質のために悪しき影響を及ぼすものとされます。もちろん実際の写真では、面や線、明暗の差が大きい撮影条件の場合にも収差の影響が出てきます。
レンズ設計者はこの収差をいかに軽減、抑制するかをずっと腐心して研究してきましたし、また設計の工夫に加えて、時代が進むにつれ、さまざまな種類の硝材が開発されたことで生まれた新しいレンズを用いて、収差を補正するように努めたわけです。
ここでレンズの各種の収差の特性を説明しはじめるとたいへんなことになりますから、興味を持たれた読者のみなさまは各自お勉強していただきたいと思います。ここだけの話ですが、中学生のお子さまの夏休みの自由研究で、レンズの収差の研究を取り上げたら、注目されて成績が上がるんじゃないかなあ。
それではこのポートレート・へリアーの話を続けます。
一般的には点を点として描写するレンズが高性能である、素晴らしいレンズだ、銘玉だとされてきましたが、優秀なレンズ設計者は、収差を完全に抑制する方向に向かうのではなくて、各種の収差をバランスよく整えることで、描写の味わいを残したのです。もちろんこれは写真用のレンズとして設計されたもので、工業用に使われるものは、さらに収差は徹底して抑制する方向で設計されています。
収差は絞りの設定、撮影距離、光線状態によっても軽減されたり、強調されることもあるので、多くの撮影者は被写体に適したと予想される任意の絞りを設定することで収差をコントロールすることを考えます。ただし、レンズの種類にもよりますが、その絞りによる効果の振れ幅が極端に大きなレンズはそう多くはありません。現代のレンズは高性能のものばかりですから、とくにそうですね。
収差の中でもとくに球面収差を生かせば、合焦部分の硬軟の描写や前後のボケ味を変化させることができることが古くから知られていました。おおざっぱにわかりやすくいえば、これらはソフトフォーカス(軟焦点)レンズとも呼ばれました。つまり写真の印象を大きく変えることができる味つけとして、球面収差は注目されたわけです。
この球面収差が与える影響を最大限に利用しようと考えたのが「ユニバーサルヘリアー」だったわけですが、球面収差量を撮影者がコントロールすることで、フレキシブルに使えることを目指したのだろうと考えられます。1本のレンズで複数の異なる描写のレンズを使うがごとく使用することができたからです。
もちろんフォクトレンダー以外の他メーカーからも古くから球面収差を生かした、多くのソフトフォーカスレンズは登場していますし、球面収差量を任意にコントロールすることでボケ味や合焦位置の描写を変化させようという試みを行ったレンズは過去にもありました。
現行品でもキヤノンRF100mm F2.8 L MACRO IS USMがSAコントロールリングと称して、球面収差を変化させることを可能とした機能を内蔵しています。
ユニバーサルヘリアーの現代版となった今回の「PORTRAIT HELIAR 75mm F1.8」は、3群6枚のレンズ構成。いわゆるヘリアータイプを採用しています。Eマウントで、フォーカシングはMFです。
鏡筒は少々太めですが、重量バランスは悪くはありません。フォーカスリングは網目のような細かいローレットが採用され、フォーカスの微調整を行いたい場合は指がかりがよく助かります。収差のコントロールリングはシルバーで、視認性は良好です。
本レンズは撮影者が鏡筒にあるリングを操作して、球面収差量をアンダー(補正不足)側、またはオーバー(補正過剰)側に変化させることで、ボケ味と合焦点の描写をコントロールできます。
オーバー側にした画像ではピントの芯は残りながらもソフトフォーカス効果になります。後ボケは少々クセが残って硬くなり、アンダーにした画像では合焦点はソフトフォーカス調になりハイライト部分のフレアが強調されます。後ボケはなだらかな描写になります。
色づきのよい葉をつけた木を見つけたので背景に選んでみました。ノーマルでも少々うるさい描写です。アンダーではソフトフォーカス効果が大きいですが、背景の状況がよくわかりません。オーバーにしてみたらボケがレフレックスレンズのようにリング状になり面白い効果が生まれますが、ただ写真的にその効果を生かすには工夫が必要です。
あくまでも収差を作画に生かしたレンズですから、レビューとして画質云々ということは言いづらいですが、ひとつだけいえるのは収差の影響はあくまでも味わいのひとつであり、被写体を盛り上げるための効果として考えたほうが使いやすいのではないでしょうか。
収差のコントロールリングに刻印されている目盛りはオーバー側に4ステップ、アンダー側に6ステップ。均等ではないところも興味深いですね。本レンズは収差量の変化が大きく、まさに限界と思われる振り切った状態にまで持ってゆくことが可能で、本稿の作例も、わかりやすいようにすべて収差変化量をマックスの状態に設定して絞り開放値近辺で撮影しています。このコントロールリングはセンター位置ではノーマルの状態で、通常の収差バランスのとれた優れた描写のレンズとして使うことができます。
リングをオーバー方向に回しながら鏡筒内をみると、内部のレンズが前玉方向に大きく移動するのが肉眼でもわかります。アンダー側にリングを回した時はマウント側からみると、レンズがマウント方向に移動するのがわかります。
球面収差を変動させると、特性上焦点移動の現象が起きてしまうので、本レンズを使用する場合は収差のコントロールリングで収差量を決めてからフォーカシングを行うことが推奨されています。
今回使用したカメラはソニーα7CRですが、本レンズには電子接点があり、Exif記録もできるほか、MF時の表示自動拡大機能も使うことができます。したがって、フォーカシング時のストレスは軽減されます。とはいえ、とくにコントロールリングをアンダー方向に目一杯振ると、合焦点のソフト効果は最大になり、フォーカスの頂点の見極めには少々苦労しました。
この収差コントロールリングには目安としての目盛りはあるものの、必ずこの目盛りで使ってくださいという決まりはなく、あくまで撮影者の好みで設定してください、というお任せ的な考え方がとられています。
収差はコントロールリングの設定に加えて、撮影距離や絞りの設定でも収差量は変化します。さらに被写体の形とか、光源、光線状態、合焦点と背景、あるいは前景との距離の違いでもボケの形や大きさが変化します。つまりこれらの要素でも描写が変化するのです。したがって、それぞれの要素を組み合わせると事実上、収差のコントロールは無限の組み合わせがあります。
本レンズをすでに愛用している人から聞いたのですが、絞りと収差量の組み合わせをいろいろと試してみたところ、特定の絞りと特定の収差コントロールの量で、ライカのタンバールに匹敵するような美しい描写を得ることができたそうです。筆者はせっかちなので、今回はそこまで徹底探求することはしませんでしたが、なるほど可能性は十分あると思います。
撮影すべてをカメラやレンズにお任せしてラクしたいという人には、本レンズはあまり向いていませんが、コントロールリングでの収差量と絞りの設定で、好みの描写を探したり、効果が発揮できる被写体を見つけたりする楽しみは十分にあると思います。
レンズ名に「ポートレート」とあるからといって、必ずしもポートレートを撮影する必要はありません。自然風景や花の写真にも応用してみるのも面白そうです。ノーマルではクセのない優秀な描写です。オーバー設定では背景の木漏れ日が明確な円が出てきます。アンダーでは合焦点のハイライトも大きく滲みます。
最至近距離で撮影。ノーマル状態でも球面収差の影響は若干あるようです。アンダーでは全体にソフトフォーカスになりますね。やはりフラットな条件ですと、収差の効果は少々わかりづらくなります。
非常に興味深いのは、デジタルではEVFやライブビュー撮影で、リアルタイムで効果を探りながら撮影できることです。そう、このあたりまえのワークフロー、機材のパフォーマンスが、こうした収差コントロールが可能なレンズを使う大きな楽しみとなるわけです。
フィルムカメラでは現像が仕上がるまで、収差量の違いによる効果はわかりづらかったのです。
光学ファインダーでも収差の効果はある程度探ることができますが、AF一眼レフのファインダーはただひたすら明るくなるようにのみ考えられているので、実際よりも被写界深度が深くみえることもあります。したがって、ボケの大きさにくわえて、収差が影響する効果を見極めるのは難しいのです。これには経験則も必要ですから、とくにビギナーのみなさんには難しく感じたはずです。
筆者も過去、アサインメントでソフトフォーカス効果を求められた写真を希望されて、ソフトフォーカスレンズを借りて対処したことがありますが、撮影時には実際の効果がわからず、現像が仕上がるまで、ドキドキしたことを覚えています。
昨今ではこうした特別なレンズを使用しなくても、ソフトフォーカス効果など、画像処理時にいかようにも作り上げることができます。もちろんこうした時代ですから、何でもありという考え方もあり、否定することはしません。
それでも本レンズを使用した時に生まれた、マジックとでも呼びたくなる収差の現象には、強いリアリティを感じます。つまり、撮影者が効果を見極め、工夫しているという行為は、自己満足かもしれませんが、尊く感じるわけであります。
背景に木漏れ日のある条件。ノーマルはバランスのとれた再現性です。アンダーではイヤリングのハイライトに滲みが出てきました。オーバーでは木漏れ日のところにリング状のボケが出てきました。
背景が草藪の条件では、絞り開放でも背景がうるさく感じることがあります。コントロールリングをアンダー側にすると人物はソフト効果になり背景も大きくボケます。オーバー側だと人物はわずかにソフト効果になりますが、背景のボケにはクセが出てきます。
被写体と背景を少し離し気味にしてみます。ノーマル設定でも問題はありませんが、アンダーにすると背景はさらに省略することができ、ソフト効果を生かせます。オーバー設定ではクセが出ています。
被写体と背景の輝度差の大きな条件で撮影してみます。レフ板はあえて使っていません。輝度差が大きいのでノーマルでも問題のない描写です。目一杯アンダーな状態では少々効果が大きすぎるようです。オーバーでは背景のハイライトに明確な輪郭が出てきました。
モデル:ひぃな