赤城耕一の「アカギカメラ」
第106回:切れ味鋭い、いまどきの小口径50mmレンズ「APO-LANTHAR 50mm F3.5 Limited」
2024年11月20日 07:00
かつては高価な超高級大口径レンズを購入することが我が人生の最大目標となっていました。でも、最近はすっかり熱が冷め気味のアカギでございます。おはようございます。
熱が冷めた理由はいくつかあるのですが、まずはこの理由をひとつずつ挙げて検証してみることにします。
まずは高額であること。
大口径レンズはレンズも大きく、収差補正のために枚数を使います、当然、特別な硝材が使われることが多くなります。
当然、材料は高価であり、製造時の組み立ても、精度を出すのも厄介です。したがってコストは上がります。しかも高性能のズームレンズ時代のいま、単焦点レンズ、しかも大口径レンズは製造本数が少なくなります。
巷では姿をみることは少なく、仲間内の酒宴では一度くらいは見せびらかすことができるかもしれません。ただ、そのための対価としてはお高いのでは。ええ、筆者もお仕事に活かせれば購入しますけど、ちょっと難しい。効率悪いし。もっとも大口径レンズを神棚にあげて毎日祈ると、写真が上手くなるのかもしれません。保証はできませんが。
2つ目は、大きく重たいこと。大口径レンズの多くは鏡筒が太いものが多く、構成枚数をみると驚くほどの数のレンズが詰まっていることがあります。だから重たいです。加えて、最近では望遠レンズ並みに、全長が長いものも散見されるようになりました。
このことも筆者はよく書くのですが、一眼レフからミラーレスになることで、同じスペックのレンズならば小型軽量化が期待できるのではないかと考えておりましたが、残念ながら性能第一主義のほうをとったのでありましょう。従来の常識を覆すような小型軽量化されたレンズが出てきたということはまだ少ないのです。
ちなみに重たい機材を持ったバッグを常に利き腕のほうの右肩にかけていたら、体が歪んで肩が落ちて、腰が痛みだし、ずっと整体のお世話になっているという同業者を複数人知っています。
鏡筒の太いレンズは収納にも悩むこともありますし、健康のためには、カメラやレンズは小型軽量機材がいいでしょう。あ、筆者の腰が常に痛いのもそのせいかも。これも仕事がたくさんあって、アシスタントが2人いれば解決しますが、それは難しいですね。
3つ目は、筆者の場合には大口径レンズを使うことが必然であるという被写体が少ないことであります。
男女問わず、アサインメントでもポートレートを撮影することは少なくはないのですが、極端な大口径レンズを使用して、絞り開放で撮影すると、撮影距離やアングルにもよりますが、かなり不自然な写真になることがあり、身勝手な写真だとして、怒られることがあります。筆者の腕では大口径レンズを使いこなせず、これを使用する必然性が感じられない写真になるわけですね。
筆者はポートレートでは少なくとも「まつ毛から眼球くらいまでは被写界深度内に入っていてほしい派」なので、これも大口径レンズを使う必然が薄れてしまう理由になります。ええ、年寄りは保守的です。仕方ありません。
4つめは、ミラーレス時代になって、大口径レンズを装着したときにみるファインダー表示像観察のありがたみが薄れてしまったことであります。
それはなぜか。崖から飛び降りる思いで大枚をはたいて購入した大口径レンズを、ミラーレス機に装着してEVFを覗いても、ファインダーの明るさには小口径のレンズと比較しても変化がありませんから、感激がないのです。
一眼レフに大口径レンズを装着すると、ファインダーは眩しく輝いて、神々しいほどの明るさになることがあります。これはM型ライカのようなレンジファインダーカメラにもいえることでありますが、開放FナンバーがF1.0でも、F3.5でもファインダー像の明るさが同じだとブツヨクが萎えるわけです。
ただし、ミラーレス機のAFはコントラストAFや像面位相差方式が採用されていますので、像面で測距することになります。したがってフォーカシングの精度は一眼レフ位相差AFのそれと比較すると圧倒的に上なのであります。
ファインダーの明るさに変化はないけど、こうした撮影上の利点が大きいことは重要なことでありますが、大口径レンズ使用時のミラーレスのフォーカス精度は一度確認しておいたほうがいいと思います。きっと大きな安心感を得ることができるでしょう。
まだありますよ。5つめです。フィルム時代のその昔、まだフィルムの感度が低い時代ですが、大口径レンズは低輝度での撮影において、必然とするものがあったわけです。
昔はISO 100000とか言われても、悪い冗談くらいにしか感じませんでしたからねえ。いまだに年寄りには現実感を感じないことがあります。昔のカメラや露出計には設定目盛りが存在しない感度域であります。
フィルム時代は暗い場所で多くの光を取り入れる必然がありましたから、大口径レンズを使う必然というシーンはありました。ところが最近では室内や夜間においても、スピードライトを使用する機会も少なく、大口径レンズを使う必然も薄れてしまいました。
じゃあ、なんのために大口径レンズがあるのさといえば、それは浅い被写界深度を表現に応用するためということになりますが、応用しない人は不要ということになります。まわりくどいですね(笑)。
もうおわかりですね、以上は財力がなく大口径レンズを購入することのできない年寄りの僻みとか妬みですから忘れてください。本当はね、大口径レンズが欲しいくせにね。だから老害とか言われちゃうんだよね。
で、ここからやっと本題になります。今回もまた前フリが長かったですね。すみませんね、こちらとしてもコストに見合わないんで短くしたいのですが筆力が薄いので難しいのです。あ、面倒な人はAI要約をどうぞ。
今回のお題はコシナ・フォクトレンダー「APO-LANTHAR(アポランター)50mm F3.5 VM」であります。やっとここまできたぜ。
なぜこのレンズを取り上げたかといえば、本レンズは、コシナ・フォクトレンダーの得意とする孤高のスペックのレンズだからであります。F3.5という小口径の50mm標準レンズをどう扱えばいいのか、いまの時代だからこそ考えてみる必然を感じたからです。まーフツーのメーカーはやりませんね。先だってHELIAR Vintage Line 50mm F3.5の発売終了のアナウンスもありましたので、その代わりという意味もありましょう。
スクリューマウントライカ時代の代表的な標準レンズはエルマー50mm F3.5で、これは筆者も長年愛用しているレンズでとても気に入っています。構成は3群4枚構成で、この時代の廉価標準レンズの代表的なものであります。とはいえ、当時は高級だったんだろうなと。いまでも程度の良い個体は高いですぜ。
エルマー50mm F3.5は長く製造されていたので、時代ごとに性能が違うのだと主張する人も多いのですが、筆者の個人の感想では、共通して少し線の太めな力のある描写をするレンズであると評価しています。
国産のライカスクリューマウント互換レンズで同じスペックのレンズもいくつかありますが、いずれも、廉価なカメラに組み合わされて販売されています。これも勝手な感想をいえば、よく写るけど、特別な評価をする必然も感じないのですが、どうでしょうね。
今回のAPO-LANTHAR 50mm F3.5コンセプトは焦点距離、Fナンバーは同じまま、超高性能化したらどうなるのかという、他のメーカーではおよそ考えつかないようなコンセプトの製品なわけです。
VMマウントのAPO-LANTHARはすでに35mm F2や50mm F2があり、ライカのアポズミクロンと伍する性能だとして評価は高いですが、今回はライバルがいません。
唯一、同じスペックで製品思想の似た、光学性能を徹底追求した、他社の小口径のレンズとしては、ニコンSシリーズ時代に登場したマイクロニッコール50mm F3.5がありますが、これは時代的にも製品コンセプトとしても比べられるものではないでしょう。
本誌読者には説明不要でしょうがAPO-LANTHARの名称の由来はアポクロマート設計を採用していることであります。アポとはR・G・Bの各色の軸上色収差を限りなくゼロに近付けることを目標としたものであります。
デジタル時代になり、色収差の補正問題はかなり強く意識されるようになりましたが、フィルム時代、しかもフォールディングカメラの時代からフォクトレンダーは色収差撃滅問題に真摯に取り組んできたわけですね。昔から色収差に恨みでもあったのでしょうか。ないほうがいいに違いありませんけど。
本レンズはもともとF3.5という無理のない開放Fナンバーですから、残存する収差は大口径レンズと比較して多くはないはずですが、それでも設計者は徹底した追い込みをみせたかったのかもしれないですね。ディスコンになったHELIAR Vintage Line 50mm F3.5だって、びっくりするくらい切れ味のよいレンズでしたが、さらに高いところを目指す光学エンジニアの未来を目指すココロザシというヤツかもしれません。
しかもですね、本レンズは同じ光学系のまま鏡筒のバリエーションがすごいのです。 Type IとType IIとカタチの違う製品があり、さらにカラーバリエーションの違いがあるといういつものコシナらしい正気の沙汰ではないほどの種類があります。
小さいレンズですから重量や鏡筒デザインも製品のコンセプトとしてはとても重要なことです。筆者は物覚えが悪いので資料を見ながら簡単に書かせてもらいます。
Type Iの特徴としては、沈胴式のようで実際は沈胴しないというギミックなデザインで、ブラックとクロームのツートンカラー。しかも真ちゅう素材を用いた245gのモデルと、マットブラックペイントのアルミ素材を用いた軽量な150gのモデルが用意されています。
Type IIもデザインが美しいですね。質量250g真ちゅう素材のシルバーモデルと、質量175gのアルミ素材のブラックがあります。
まだ違いがあるんですよ、Type IとIIは最短撮影距離が異なります。Type Iは0.45m、Type IIは0.35mとかなりの差があります。うーむこれはすごいぜ。デザインを選ぶか仕様を選ぶかというかなり大きな問題が発生し、悩まされることになります。
そして、さらにさらに、本稿を書いている間にコシナは、フォクトレンダーブランドの商品化25周年を記念し「APO-LANTHAR 50mm F3.5 VM Limited」を発表しました。オリーブ、グレー、ネイビーの3色を展開し、全世界各色250本の限定生産品ですね。しかも素材は真ちゅうで、これもヤバすです。
どうします? ロースペックのレンズだから購入を我慢できるぜ、という人はむしろ正常な人なのかもしれません。筆者はCP+の時にコシナブースで試作品を試写させていただいたのですが、この時の撮影画像をみて、マジで鼻血出そうでした。すぐに欲しくなりました。
今回は長く試用させていただいたので、落ち着いてご報告しておりますが、それでも画像をみてけっこう興奮しとります。
まず画像をみた初見の印象を一言でいえば、従来のAPO-LANTHAR 50mm F2とか35mm F2と同様にものすごくピントが薄いことであります。これには驚きました。
開放Fナンバーが3.5だからさ、開放絞りでも被写界深度が深いから、フォーカシングが少々テキトーでも大丈夫じゃね? みたいに想像していたのですが、合焦点があまりにもピーキーな描写をしますので、被写界深度が浅くみえてしまうわけです。手抜きはできませんぜ。
これね、逆にいうと、残存収差が多いオールドレンズは被写界深度が深く見えたりするんですよね。合焦点が曖昧になるからでしょうか。
APO-LANTHARらしい、本来のポテンシャルを本気で引き出そうと考えるならば、こちらも覚悟を決め、フォーカシングも手を抜かないようにせねばなりません。
ただ、本レンズのように各種収差を完璧なまでに抑制してきたレンズって、クセのあるボケとか像の滲みなどには期待できません。つまり情緒性にまったく頼れないことになります。あなたは大丈夫でしょうか。
また、スナップするからある程度絞って、目測でパチっていう従来のレンジファインダー的スナップ撮影も試してみたのですが、撮影画像をみると、合ってないんですよねピントが。まぢで。筆者半世紀の目測経験がまったく通用しませんでした。被写界深度というのは“ピントが合ったようにみえる”だけという光学理論をつきつけられることになります。
さらに至近距離に近づけば近づくほど、そして絞りが開放か、もしくは開放に近いほど、フォーカシングは慎重に行わねばなりません。筆者のヘタな写真が、さらにヘタになるいう絶望感を味わった次第です。
じゃあさ、通常撮影ならば性能はバリバリギンギンだけど、至近距離じゃ多少はユルいんじゃね? とか思うわけですよ。ふつうレンズってのはインフで設計しますので、そこで最高性能を発揮することになるはずです。
そこで性能をみるためType IIをライカM11-Pに装着して、最短撮影距離0.35mに合わせて、ライカのビゾフレックスIIを併用して、EVF撮影を試み、フォーカスを慎重に合わせて評価しました。ところが、そこでもギンギンな写りはそのままに再現しました。
ある意味で幸せな気持ちになりましたが、手持ち撮影では息をとめたたまま、しかも緊張して撮影することになるので、とくに筆者のような年寄りは窒息したり、血圧が上がらないように注意して撮影する必要があります。
ちなみにレンジファインダー測距の限界0.7mのところにはきちんと乗り上げ感があって、こちらに警告してくれます。
でね、まだあるわけですよ。ボケ味です。こうした小口径レンズの場合は多少ボケがヤクザな再現でもいいんじゃね?みたいな認識があるのですが、このレンズはよい感じに輪郭を自然な雰囲気のままトロかせるわけであります。これね、けっこうすばらしいですね。オールドレンズのクセのあるボケ味に頼っているうちは写真は上達しません。
コシナが発表しているMTFをみますと、風車の弥七が天井近くに貼りつき、こちらを見下ろしている感じです。しかもサジタルとメリジオナルの距離感と関係性が美しく、ボケ味にクセがないことが予想でき、実際にもその効果は出ています。
レンズ構成は6群8枚。美しい対称型の構成です。「異常部分分散ガラス」を4枚採用というところが“異常” なのかもしれませんが。このシンプルなレンズ構成の中に光学エンジニアの“やり切った” 感を感じてしまうわけです。
冒頭で、大口径レンズへの熱が冷め気味と書いたような気がしますが、実は本レンズを今回思い切り試用している間に、F1.2あたりの大口径50mm標準レンズを使いたくなってむずむずしてまいりました。
なるほど、同じ焦点距離でもFナンバーが異なる多種レンズを用意するのはコシナ・フォクトレンダーの巧妙な罠かもしれないことに、今さらながら気がつきました。もう手遅れなんですけど。