赤城耕一の「アカギカメラ」
第107回:手放す前にもう一度——国内未発売のデジタル一眼レフ「E-400」
2024年12月5日 07:00
大掃除だ、断捨離だ、カメラの整理だ!の年末、ついに師走の時期がやってまいりました。2024年も残り少なくなってまいりました。読者のみなさまは師走をいかがお過ごしでございますか。
信じてもらえないかもしれませんが、筆者は今年はだいぶ身軽になりました。ええ、体重は変わらないままです。でも、カメラ周りがかなり少なくなりました。これだけでもフットワークが良くなった感じがするのは……はい、気のせいです。
好きなモノを処分するか否かというのは、場合によっては目をつぶって判断する必要があり、なかなか悩ましいものがありますが頑張ったのです。
ろくに使いもしないカメラが仕事部屋を占拠する状況が許せなくなったからということもありますし、このまま急死でもすれば、家族に大きな迷惑がかかります。今年は同年代の友人、知人を多数見送ることになってしまいました。筆者もいつのまにか、そんなことを考えるお年頃になったわけです。年の瀬に暗くなるのはまずいのでこれでやめときますが。
ミラーレス機全盛のいま、売りそびれたデジタルカメラ、とくに一眼レフは、一部の特別な機種を除けばゴミ扱いの悲惨な運命が待っています。
昨今は古いコンパクトデジタルカメラが一部で人気のようですが、これも一過性のものではないかとみています。なにしろ壊れてしまえば、修理不能ですから不燃ゴミです。それとも分解してパーツを取り出すと、少しはレアアースが採取できるのでしょうか。
正直フィルムカメラのほうは、撮影はもとより、装置としても戯れることができます。だから整理するスピードが鈍くなります。これは仕方ありません。フィルムが存在するかぎりは過去と同様に今も同じ仕事をすることができるからです。
さて、年末の整理対象になったのはオリンパスのフォーサーズ、E-システムの中でもキワモノのオリンパスE-400であります。
お、聞いたことないカメラだ。E-410の間違いだろうと思ったあなた。そのとおりですが、そんなことを知っているあなたはずばり、ヲタクですね。
オリンパスE-400は輸出専用機で、日本国内では発売されることはありませんでした。だからちょっぴり珍しいカメラであります。登場は2006年ですね。当時としては世界最小のデジタル一眼レフという触れ込みでした。
珍しいとはいえ、純正バッテリーもすでに販売されておらず、使用頻度が極端に落ちたので、さようならすることに決めたのですが、手放す前に最後にもういちど撮影しておくかということで、今回持ち出してみることにしたわけです。あいかわらず潔くない筆者であります。
記憶を残すために筆者はカメラとの最後の別れの儀式として撮影をするのですが、使用してみると別れが惜しくなり、整理対象から外れたりするカメラも出てきます。なんの意味があるのかよくわかりません。
少しだけE-400登場までのオリンパスのフォーサーズ、E-システムの経緯を書いておきますが、オリンパスのデジタル一眼レフは2003年のE-1からはじまりました。いわゆる一ケタですから、最初っからフラッグシップの扱いです。
デザイン的には、デジタルになったからにはフィルムカメラのことは忘れるのだと言わんばかりとなりました。でもね初号機のE-1は好きなんですよ。全体のデザインから、これから未来に向けてヤルぜという気合いとか意欲を感じさせるものがありました。
2004年には3桁機の兄貴になるE-300、そしてE-330なんて機種も出てきます。これらはいきなり鬼瓦みたいなデザインになり、カッコ悪くなりました。全体の雰囲気に絶望した筆者であります。E-330はライブビューを可能としたことで話題にはなったものの、デザインをカメラの価値として最優先する筆者はどうしても受け入れることができませんでした。
筆者は、たいがいのオリンパスのカメラに手を出しておりますが、さすがにこれらはパスしたもんなあ。今になって少し気になるけど、中古市場でもあまり見ません。まあ、一時の気の迷いですね。
ブサイクなカメラを生み出した反省かどうかわかりませんが2006年に登場したE-400はかつてのOMの雰囲気を少しだけ感じさせる、よい意味で保守的なデザインの一眼レフとして登場してきました。
筆者はE-400発表時の写真をみてかなりグラっときましたもん。登場時は現行のOM-1とかOM-1 MarkIIよりもそれらしく見えたような気がします。
イメージセンサーは有効約1,000万画素のコダック製CCDで、これがオリンパスのフォーサーズのE-システム一眼レフとしては最後のCCD搭載カメラになりました。で、これも理由のひとつとして欲しくなったわけです。
2007年にはE-400のセンサーをLive MOSにしてライブビュー撮影を可能としたE-410が登場します。E-400とほぼ同型であります。こちらは国内で発売されます。続いて手ブレ補正内蔵のE-510が登場します。
それでもね、こうして後継機が出てある程度の時間を経ても、E-400はなんとしても入手せねばならんとずっと考えていました。
筆者はフォトキナ2008の取材に出かけた『アサヒカメラ』の記者にお願いして、ケルンのカメラ店でE-400の中古品を購入してもらうことにしました。
もちろん中古品は1個ものですから、あまり期待はしていなかったのですが、あっけなくE-400の入手に成功し、喜んだ筆者です。購入価格は忘れましたが、記者に立て替えてもらっても迷惑をかけない程度の値段であり、予想よりも廉価だった記憶があります。
入手したE-400は海外専用機だったので、メニューに日本語の表記はなかったのですが、オリンパスのサービスに持ち込んだら日本語が表示できるようにしてくれました。
もしかすると国内発売も見据えていたのかもしれませんが、おそらくE-410と同じものではないかと。今ではこんなことは不可能でしょうし、おおらかな時代だったのでしょうね。良い子は海外から購入したカメラについて、国内で無理なことを言ってサービスの人に迷惑をかけないようにお願いします。ええ、筆者は身勝手なだけです。
そういえば昨今は、古いイメージセンサーであるCCDを礼賛する傾向があります。CCDのセンサーはエモく写るからとか、こってりと色が乗り、味わいがあるということで人気らしいのです。
筆者がE-400の入手にこだわったのも、この当時からすでにCCD神話があったからだと思います。
すぐに新しいものには飛びつかないぞ、という保守的な思想も根底にあるわけですが、国内未発売の人が入手しづらいカメラを手にして悦に入り、酒宴で見せびらかし、自慢したり、本連載のようなメディアのネタにしようという考え方もあったのでしょう。いやらしい行為ですね。
ただね、1つ言い訳をしておきますと、CCDのこだわりについても冷静になる必要はあります。これ、前にも書きましたが、異なるカメラメーカーの画像を担当するエンジニアふたりにCCDとCMOS違いによる画作りの特性を質問したことがあるのです。
CCDのほうが味わいがあるのではないでしょうかと話をしかけた途端に、エンジニアさんは「やれやれ、ったく、ド素人はこれだから困るぜ」という顔をされ、一笑にふされてしまいました。
CCDとCMOSの役割は基本的に同じ。それぞれ異なるのは各画素の情報を運ぶ方法の違いで、色再現には基本的に関係ないというのがエンジニアの共通した見解でした。画を作るのはあくまでも画像処理エンジンであるということ。
そうですね、ど素人が知ったかぶりをしても仕方ないのだけれど、少しだけ抵抗をすると、まったく違いがないということも断言できないわけで。
撮影現場での体験をいえば、CCDとCMOSって、ライブビューの可否や消費電力の違い、高感度のノイズの特性とか、ダイナミックレンジの違いとか、いわゆる半導体としての性能の違いはあるんだろうなあと感じることがあります。
でも、いまは画像処理を行えば、自由に色再現や画質を変えることはできます。
もちろん写真制作は妄想によって出来上がる部分もありますから、夢は壊してはいけないと考えています。最近はCCD礼賛論をふりかざす人を前にしても、静かにしている筆者です。でもね、エンジニアさんからは妄想はほどほどにしないと信用を落としますぜ、アカギさん。とまで言われましたもん。
と、いうことを書いてしまうと、E-400を残す意味合いがさらに薄れてゆくことになるのですが、私的にはE-400に限らず、このままデジタル一眼レフとすべてさようならしてもいいのかという気持ちがどこか根底にあったのでしょう。
フォーサーズマウントのレンズはアダプターを使用して、マイクロフォーサーズ機でもほぼストレスなく使用できますから筆者は満足なんですが、それでも、たまにはダイレクトな装着性、操作感を味わい、リアルな光を映すファインダーを見たくなるわけです。年寄りはなんとわがままなのでしょう。
久しぶりに外に持ち出したE-400なかなか可愛らしいヤツにみえました。仕事の合間に撮るために常に肩から下げていたのですが、知人の女子やモデルさんからカワイイとか言われまして、おじいさんは自分が言われたみたいに嬉しいわけです。バカですね。
ただ、フォーサーズ一眼レフはそのセンサーサイズにあわせて、シャッターもミラーもファインダーのサイズも合わせてありますから、光学ファインダーはどうしても小さくなります。ファインダー光学系をデカくすると、E-3とかE-5みたいになってしまいますもん。
E-400のファインダーなんて、やたら小さくて、周りは漆黒の黒で、井戸の底を覗くようです。また、空シャッターを切ると、小さなミラーがパタパタと動きます。これがおもちゃっぽいのです。もっとも、それはそれでカワイイという印象もあるから世の中はわからない。
E-400はシャッターの切れ味がいいんですよね。いや、“切れ込み” ですかねえ。シャキシャキとミラー動作するのが嬉しいわけで、これも一眼レフならではのものですし、フルサイズ一眼レフやフィルム一眼レフのデカいミラーを見慣れ、動作音を聞いてきた筆者としては嬉しいです。
画質はどうでしょうか。かつて言われた「オリンパス・ブルー」を感じさせる雰囲気の画像は多々作ることができます。
筆者は青空の写真が好きですが、でもね、これが、この時代E-400の個性とか思われると困るなあと。いまは他のメーカーにおいても美しいブルーを再現するカメラはたくさんありますからねえ。ただ、青空って、ノイズ浮きやすいのか、ISO感度を少し上げたり画像を大きくすると、辛い感じはあります。画像を拡大するとすでにISO 400あたりでも怪しい再現性です。
1,000万画素では足りないという声もよく聞きますけど、筆者のプライベートな撮影では問題なく使えます。それよりもLCDの表示画像が粗いから、撮影後の画像をチェックすると合焦確認がしづらい。ピントが甘いのではないかと心配になるわけです。
AFは普通の一眼レフ同様に位相差ですから、ミラーレス機に慣れていると大口径レンズなどの使用時には精度的な不安が出てくるのですが、実焦点距離が短いので被写界深度が深く、マージンがとれて余裕がある感じがします。初期のレンズ以外はAF動作も良い感じです。
一眼レフですから、F値の暗いレンズを装着すればファインダーは暗く、明るいレンズを装着すれば明るくなります。こんな当たり前のこともお得感があるわけです。筆者など一生懸命頑張ってお金をためて購入した大口径レンズをミラーレス機に装着してもファインダーの明るさは変わらないのでがっかりすることがあります(笑)。
フォーサーズマウントにも個性的な大口径レンズがそれなりにあり、パナソニックにはかなり以前からライカブランドの交換レンズも用意されていました。これらももちろんE-400で使えます。
よい機会ですから、E-400に手持ちのレンズをいろいろと装着してみました。バランスが悪くてもそこはご愛嬌という感じで楽しめました。アサインメントでは使う気はしないけど。ただ、大きなレンズを装着すると、E-400は大木に止まったセミみたいみえます。
自分でもなんだかなあと思うのは、ミラーレス機で普通に行っている、ライブビューでの撮影がE-400ではできないことです。
ついついそのことを忘れてカメラを頭上に構えたり、腰だめの位置やローアングルから撮影しそうになって、そうだ、背面LCDには何も映らないんだということに気づくわけで、ちょっぴりがっかりします。
E-400と同じカタチをしている後継のE-410ではライブビュー撮影はできるからなあ。もちろん、E-400においてもノーファインダー(最近はノールックって言うのか)撮影すれば済むことですが、ライブビュー撮影の便利さを知ると、少し躊躇してしまったり。
いや、人間の心理とはおかしいですね。フィルムカメラ時代はもとよりデジタル一眼レフしかない時代には普通にこのような撮影方法をとっていたはず。
ライブビュー撮影のときだって、筆者は神経質にフレーミングに気を配っているわけではありませんが、スルー画像が見られるかどうかって、ミラーレス時代にはそれなりに重要な要件だったわけですね。
でもミラーレス機を使用したからといって、名作が湯水のごとく、連続して生まれるというわけでもないことは知っています。
オリンパスE-400はデザインの個性、フォーサーズマウントのレンズのダイレクトな装着感、操作性のよさ。画像にしても、普通に鑑賞するなら十分なレベルででした。楽しく撮影できる。これだけで十分であります。結局E-400は、年末の整理対象カメラから外れることになり、これからもウチの子でいてもらうことにいたしました。今後ともよろしくね。