赤城耕一の「アカギカメラ」
第95回:専用アクセサリーで「Nikon 1 V3」を自分好みにする楽しさ
2024年6月5日 07:00
少し前のことですが、本連載でNikon 1 V1を取り上げました。その後、自分でも驚くほど1シリーズにハマってしまいまして、プライベートでもV1を持ち出して、楽しんでおります。あれこれとレンズも増えたりして。
ただね、知人の熱烈ニコ爺、じゃない熱烈なニコンユーザーから、「いまさらディスコンになったカメラを取り上げてもらっても困るなあ」という意見を頂戴したりしました。あなたはもしかして忘れてたいのかしらNikon 1のことを?でもね、彼と筆者とは少し認識が違うんですよね。
ディスコンにするのはメーカーの事業計画としてもあたりまえのことなのでしょう。でも、ユーザーには関係ありません。そこそこの対価を払い、購入したデジタルカメラなのだから末長く愛用しようと考えるのは当然のことでしょう。
購入から短期間で旧機種になってしまうのは悔しいものですが、新型カメラが登場したら、旧機種をすぐに下取りのために手放してしまう一部の熱心なマニアの方々には、この気持ちはあまり伝わらないかも。
多くのプロカメラマンもそうですよ。機材を減価償却するためには時間かかりますし、たまに同業者の集まる現場に行くことがあるのですが、あれ、まだ、この古いデジタル一眼レフカメラを現役でお使いなんですなあ、としみじみ思うことも珍しくないのです。
もちろん現場の一線級のプロカメラマンは筆者のような底辺不良プロとは違いますから、機材と戯れたり、動作音に恍惚の表情を浮かべたりすることは一切ありません。ビジネスとして、モトをとるため、修理不能になるまで使い潰すことも珍しくないわけです。
不良プロは申し訳ないことにNikon 1シリーズの魅力が現役時代によく理解できませんでした。
いや、きちんと向き合っていなかったというほうが正しいかもしれません。もちろん筆者ごときが向き合ったところで、どうなるものでもないのですが、評価の声があまり聞こえてこなかったということも正直なところです。いや、聞こうとしなかったのかしら。これではカメラ博愛主義者の称号を返上せねばならなくなります。
遅まきながら、いや、すでに手遅れなのですが、自分の中でNikon 1ブームが巻き起こっています。きっとニコンにもユーザーにも迷惑なことでありましょうが、1シリーズがすべてなくなってしまった今だからこそ、記録という意味においても、自分とNikon 1との距離感を確かめる上においても検証したくなったわけであります。
以前に取り上げたニコンV1を「ブスなカメラ」と自分の気持ちに正直に書いたのですが、多くの反論も頂戴しましことにも驚いてしまいました。ニコンユーザーは実に熱いものをお持ちの方も多いですが、先に書いたように特別の思いを持ってカメラに接している人も少なからずいるはずですが、いまさらブスと言ってしまったことを撤回もできません。
そこで、今回はNikon 1シリーズの中で筆者がデザイン的に最も気に入っている、Nikon 1 V3を取り上げることにいたします。登場は2014年になりますからすでに10年が経過しています。時の流れは早いですね。
本機はNikon 1 Vシリーズの3代目としてのフルモデルチェンジですが、なかなかマニアックなカメラです。各種のオプションパーツやアクセサリーで形を積み上げて楽しむことのできるカメラだからです。
アクセサリー類を何もつけず、カメラボディー本体とレンズだけでみると、コンパクトカメラにもみえるほどシンプルです。これはこれで魅力に感じる人もいることでしょう。
初代V1、V2と異なり、V3は軍艦部がフラットになっています。本機にはEVFが内蔵されていないからです。
筆者は正直なところ、ミラーレス機でボディ上部が極端に盛り上がっているカメラはデザイン的にはあまり評価したくないのです。どこか一眼レフに媚びているような感じがするからです。この盛り上がりには必然性があることはよく理解しています。内蔵EVFにおいても良好な視野を確保するために光学系も大型にする必要がありますから、そのスペースが必要になるからでしょう。
本機がEVFを非内蔵とした理由は、筆者の勝手な想像ですが、デザインの美学を重視したこと、携行性を考えたためなのかもしれません。筆者はデザインを何よりも重視しますのでこれは高く評価したいところであります。
V3には着脱式のEVF「DF-N1000」が用意されました。装着した姿は、小さいちょんまげをつけたみたいですが、見方によってはレンジファインダーカメラの外づけファインダーのように見えなくもありません。先端の「Nikon」ロゴに色が入っていないのもいいですね。
DF-N1000は0.48型の約236万ドット。アイセンサーを内蔵し、便利に使うことができますが、現行のニコンのEVFの見え方と比較すると色再現には偏りがあるようです。
筆者の手元にある個体はやや緑色に見え、背面のLCDとも再現性がかなり違います。また表示画像の鮮鋭性も少し劣るため、被写体を厳密に観察するには厳しいものがあります。それでも一度装着してしまうと外して使うということは考えられなくなります。カメラの性質からして、厳密に、というより少々アバウトに観察するのだとすれば気が楽ですし、屋外では間違いなく有用です。これからの光の眩しい夏の季節ならばなおさらです。
V3アクセサリーで個人的にいちばん評価したいのは専用のアクセサリーグリップ「GR-N1010」です。
V3ボディには右側に頼りない膨らみしかありませんからグリップ感としては弱めですが、このグリップには機能向上のための仕組み、シャッターボタンとコマンドダイヤル、ファンクションボタンを備えています。デザインだけではなく機能面も増えることになります。
本体のシャッターボタンに加えて、GR-N1010グリップ側にもシャッターボタンが備えられているので、装着した姿は小さいながらも、MF一眼レフ時代のモータードライブを装着した姿に似ています。さらに機能向上のために、使われないムダなシャッターボタンが増える感覚ですね、これがいいわけです。
登場時から先進の像面位相差AFを搭載しているNikon 1 VシリーズですがV3では測距点105点、コントラストAFは171点のハイブリッド方式になりました。
登場から10年を経るV3ですが、機能面では古さをさほど感じません。AFのスピードは優秀です。交換レンズの焦点距離が短く、被写界深度が深いという有利さはあるものの、至近距離では精度が高いことにこしたことはありませんでした。AFも精度に関してもストレスは感じません。シャシャシャッと小気味よく切れるシャッター音も良い感じです。メカシャッター使用時にはシンクロは1/250秒が可能です。
AF追従で約20コマ/秒という高速連続撮影は動画機能を応用したスペックなのでしょうが、筆者には無縁ですし、機能を主張するためのパフォーマンスに近いように感じていたのですが、鳥を撮影する人には便利なのだと最近になって聞いて、なるほどと納得しております。必要な人には必要なコマ速度なのでしょうね。
搭載センサーはニコンがCXフォーマットと名付けた1型の有効1,839万画像 CMOSです。画像処理エンジンは「EXPEED 4A」。約60コマ/秒でのRAWデータ保存を可能としています。記録メディアはmicroSDですね。ニコンZfを思い出します。
Nikon 1 V3は筆者のレベルですと、実用上は十分すぎるほどの画質であることは間違いありません。スナップや旅行の記録ならば、重たい35mmフルサイズのカメラを使用する必然はありません。ただ、イメージセンサーやレンズの特性からして、あまり絞り込んで撮影するのはよろしくなさそうです。P(プログラムAE)を上手く使うと、画質的に良い落とし所となる絞りが決定されるように思われます。
フォーマットに対応するレンズの焦点距離特性を目的に応じて使い分けることで表現の幅を広げるのだと考えれば、カメラを増やす理由が生まれ、夢は広がることになります。身勝手な理屈ですが、筆者などはあらゆるフォーマットのデジタルカメラが欲しい人なのです。この理屈なら、異なるフォーマットのカメラを集める、じゃない使い分けることは正当な理由があるとして財務大臣に認められませんか。ダメかな。
1型のセンサーサイズでは、画質が物足りないという人もいるのかもしれませんが、条件によってはアサインメントにも十分に使うことができます。というかすでに某誌の仕事に使ってしまいました。
フォーマットサイズの違いによって撮影条件や被写体によって、得手、不得手は生まれるのがふつうです。本機のISO 1600あたりからの高感度領域での画像のノイズをみますと、たしかに少し弱含みになってしまうことは否めません。
場合によってはノイズを弱めるための適宜な画像処理が必要になることもあるでしょう。ま、早い話が無理して暗いところで撮らねばいいわけで、低輝度下撮影が想定される場合は、最新のZシリーズも一緒に持ってゆきましょう。それでいいじゃないですか。
Nikon 1 V3はアクセサリーを装着することで、自分の好みのスタイルにしたり、機能を増やし成長させることができます。これは筆者にとっても理想的、夢をみることのできるカメラでした。
専用の交換レンズである1ニッコールの種類を増やすことができなかったことが、Nikon 1シリーズが今ひとつ盛り上がらなかったという意見もあるらしいのですが、これはどうなのでしょうか。
一部の1ニッコールレンズに不具合が生じたことで、ネガな部分も強調されたりしたこともあったようですが、筆者自身も1シリーズを真から理解しようとする努力が少し足りなかったようです。いまさら手遅れだと言われても仕方ありませんが、深く反省しているというわけです。