赤城耕一の「アカギカメラ」
第94回:最新の「LUMIX S 28-200mm F4-7.1 MACRO O.I.S.」を手にして思う、高倍率ズームレンズの今昔
2024年5月20日 07:00
みなさんおはようございます。朝令暮改が得意なアカギでございます。いつもたいへんお世話になっております。
筆者は2015年に「ズームレンズは捨てなさい!」(玄光社)という著作を上梓し、一部のマニアな方々の間では話題として取り上げていただきましたありがとうざいます。
ところが、なかなか筆者の本意を読み解いていただけることなく、「アカギがズームレンズを使っているところを見かけた」とか、「○○カメラの作例でアカギがズームを使っていた」などとSNS関連でいくつかの通報を頂戴いたしまして、世の中には真正面で物事を受け取る読者も多いなあと思った次第です。はい単純なタイトルをつけたことを反省しております。
いえ、これは言い訳とか愚痴ではなくて、筆者自身、機材に関しては博愛主義でありますから、ズームレンズの存在に対しても、とくに悪いと思っていたわけではございません。ホントです。信じてください。
それを証拠に、ズームニッコールオート43-86mm F3.5とか、28-45mm F4.5とかは描写特性も含めて、かなり好きで今も使いますし。
AiニッコールED50-300mm F4.5にピストルグリップをつけ、ニコンF+モータードライブF36に装着したり。キヤノンのFD24-35mm F3.5 S.S.Cの性能優先の低倍率に感動したり、MDズームロッコール100-500mm F8でポートレートを海岸で撮影し篠山紀信になるのだと息巻いてみたり。
はい、以上の話がわからない人は正しい人の道を歩んでいます。
筆者がいまでも読者のみなさまからいちばん多く受けるレンズに対する質問は「ズームレンズと単焦点レンズの描写性能の違い」というものであります。
正直、これはもう意味がないというか、カメラ側も、お前のダメなところはオレが助けるという姿勢で画像処理が行われているようですし、メーカーによってはレンズのプロファイルを画像に反映させてネガなところは補正しちゃおうという試みも珍しくはなく。だからレンズの画質比較などはあまり意味がなくなっているような気がしているのです。
そういえば、不便な単焦点レンズがなぜ今も必要なのでしょうか。
これは開放F値の優位性、すなわち微量光下の撮影、ボケ味を生かした写真を制作しやすいということ、逆にF値が少々暗いことを我慢すれば、小型軽量の製品を作れることなどが、携行性の良さにつながり、優位に働くということもありますね。
さらに非常に重要なことのひとつにズームレンズと単焦点レンズのF値に大きな違いがあれば、焦点距離が同一でも、ボケの大きさの異なる写真制作ができるわけですね。
このことをしっかり説明することができないと、家庭内財務大臣からレンズ予算を引き出すことは不可能に近いと思います。
間違っても「レンズの味わいが違う」「見る世界が違う」「時代が違うからカメラとの整合性がない」などと発言すると、予算の計上どころか、大きな紛争に発展することがあります。筆者も経験済みでございますので、くれぐれもご注意くださいませ。
とはいえ、正直な話をしますと、レンズの描写の蘊蓄に関して筆者独自の観点から判断して執筆しております。
筆者自身、偉そうにレンズのレビューをしていても、しょせん光学に関しては素人でありますから、印象評は書けますが、それは製品の本質ではないのではないかと思っている謙虚なところがございます。とはいえ、40数年にわたり写真の仕事をしてきたわけですから、過去の経験を踏まえて、体制を整えて書くことができます。
でも、おそらくレンズの描写の徹底して掘り下げて蘊蓄を語るには、銀塩のモノクロフィルムの階調再現性にその本質があるような気もするわけです。これも妄想といえば、その通りなんですが。
さて、なんでしたっけ。そうだ、ズームレンズについてのお話でした。今回はパナソニックのLUMIX S 28-200mm F4-7.1 MACRO O.I.S.話をしようとしているのですが、例によって前フリが長くなっているわけですが、ついでなんで、話を続けます。筆者は、この種の高倍率ズームレンズの存在にはかなり懐疑的な見方をしておりました。
筆者が高倍率ズームレンズを初めて使用したのはタムロンのAF 28–200mm F/3.8-5.6 Aspherical (Model 71D)でありまして1992年ことですね。バブル終焉の年かな。
筆者はまだカメラ雑誌のメカニズムライターとしては駆け出しのころでありまして、このレンズのレビューをあてがわれたわけです。
筆者も若かったこともあり、少し軽く考えていたのですが、このレンズで撮影したネガを焼いたじゃない、プリントした時、暗室でけっこう感動したわけ(このころは作例写真も暗室でプリントし、反射原稿で入稿していました)です。
なかなかによく写るではないかと。筆者も若造でしたが偉そうでした。でも、たしか最短撮影距離が1.5mと遠く、これだけは暴れたくなりました。このためにたしか専用のクローズアップレンズが用意されていたくらいです。
はい、前述のとおり、本レンズに対する疑問というか懸念というのは、性能に対する不安ではありません。もしビギナーが最初から高倍率ズームレンズを使ってしまうと、どうなってしまうのかを常に気にしているわけであります。
これもいつも書いていることで繰り返しになってしまいますが、ビギナーの方が最初から自分のモノの見方、基準を確立しないと、街中でひたすらズーミングをしている人になる不安はないのでしょうか。
標準レンズの焦点距離は35mmフルサイズのフォーマットでは50mmということになっていますが、以前はこの画角や遠近感、ボケ味を1つの基準として、自分の好みや被写体に合わせて、レンズを揃えてゆくのが定番でした。ビギナーが最初から高倍率ズームレンズを使ってしまうと自分の視点はあいまいになってしまうことはないのかと、いらん心配をしてしまうわけです。
もちろん、プロとしては、ビギナーにそうした基準を持つことがなく、ふらふらとあいまいなままでいてもらったほうが、自分のテリトリーを守ることができるので、都合がいいのですが。
で、この視点のふらついてしまう高倍率ズームLUMIX S 28-200mm F4-7.1 MACRO O.I.S.をなぜズームレンズを捨てろと宣言したアカギが取り上げるかといえば、見た目だけでも、ものすごく気になるレンズだからです。何が気になるのかといえば、その大きさ、姿カタチ。重量です。
高倍率ズームレンズで高性能であるとなれば、絶対に大きく重たくなるという常識を本レンズは完全に打ち破ってしまったわけです、まぢで。
もうね、化粧箱から出した瞬間に、間違えて送ってきたんじゃねえのパナソニックさんの広報さんはとか思いましたもん。でね、さらに素晴らしいのは鏡筒のデザインに手抜きがないことですね、これは強調したいわけです。
多くの高倍率ズームレンズはテレ端になると、もう見ただけで気持ち悪くなるくらいヘンなカタチになり、今後、共に末長くやっていける自信が喪失してしまうものですが、本レンズは最上級に美しいとまでは言わないまでも、デザインの美学の常識の範疇に入っていると個人的には考えています。
本レンズは想像していたようもはるかに良いレンズでありました。35mmフルサイズでこの画質が得られるならば、かなり大きなアドバンテージになると思いますし、街中のスナップショットでの便利さを知ってしまうと、ますます自分自身がだらしなくなりそうです。でも、このレンズは仕事で使う分にはラクなことこの上ないですし、視点を切り替えて使うという強い意思があって被写体と対峙すれば、間違いのない結果をもたらすことでしょう。筆者はファインダーを覗きながらズームリングを回すことはしないので、実を言えばズームレンズも単焦点レンズも同じ使い方になるのです。
先に申し上げたとおり、画質に関しては間違いがないですね。焦点距離設定や至近距離でも画質変わらずです。このようなレンズができてしまうと、単焦点レンズはますます売れなくなってしまうのではと余計なお世話をしてしまうほどです。
え? 筆者ですか? 裏切り者とか罵られても、お迎えする方向で今、検討に入りました。いっそのこと閣議決定して、内緒で導入してしまおうかと。嘘です、ちゃんと稟議にかけますので。どなたか予算を取るための仕事ください。