赤城耕一の「アカギカメラ」
第22回:今だから使うPENTAX K-01
2021年5月20日 07:00
APS-Cフォーマット一眼レフの新製品「PENTAX K-3 Mark III」の登場が話題になっているリコーですが、この一眼レフへの回帰姿勢って、マニアさんには“最先端スペックのミラーレス機”ほど響かないのでしょうか。
一眼レフの基本機能というか構造自体は、撮影レンズを通した光をミラーで反射させてスクリーン上に投影し、プリズムで正立像にして肉眼で観察しフレーミングする。そして露光時にはミラーを跳ね上げ、シャッターを開いて、センサーに光を送るわけで、一眼レフの場合は“フィルムの代わりにセンサーを入れました”という印象は、この最新のK-3 Mark IIIであっても拭えないわけです。一連のシーケンスは変わりません。
それでも新製品として一眼レフを開発する姿勢って、今後他のカメラメーカーでは望み薄でしょうし、個性あるリコーならではの方向性で、とてもいいんじゃないかと考えています。
冒頭では先端のスペックを採用していないように書いてしまいましたが、APS-Cセンサーに対する、あるいはボディサイズに対するファインダーの大きさとか、シャッターのキレ心地とか動作音とか、これまでのペンタックスAPS-C一眼レフではあまり感じなかった高級感が、K-3 Mark IIIでは道具として強くココロに響いてきました。スペックも私には持て余し気味です。なんだ、まだまだやることがあったんじゃないかと思わせただけでもK-3 Mark IIIの登場には意味がありました。
一眼レフはAF化して以降、光学ファインダーは明るければいいとばかりになり、ピントのキレとか、ボケ味の再現などをないがしろにしてきた感があり、むしろ性能を落としているように見える機種が散見されるのですが、これはとくにミドルクラス以下のモデルに顕著になるわけです。さらにコストを抑えるとなるとペンタプリズムを鏡で代用したペンタミラー形式のものが採用されます。
とはいえ、ファインダーの性能が落ちたり構造が簡略化されていたとしても、光学ファインダーを覗いて観察する肉眼の心地よさは、EVFやライブビューによる観察では得られない独自性があります。
その証拠に、EVFも進化したのはいいけど、これを褒め讃える場合は“このEVFは一眼レフのファインダーと比較しても遜色はない”と書いてしまうことがよくあります。これは一眼レフのファインダーの見え方がカメラ評価のひとつの基準となっているからでしょう。
もっともEVFがどれだけ進化しても、根本的にOVFとは相入れない感じがします。これは遅延表示がどうとかいう揚げ足取りみたいなスペック比較の論評ではなくて、あくまでもダイレクトな光を肉眼で感じるという生理的な問題でしょうね。
もちろん、K-3 Mark IIIでもライブビュー撮影は可能です。像面位相差AFではないけれど、なかなかのスピードでコントラストAFが動作する印象です。考え方によっては、一眼レフの中にミラーレス機を内包させたハイブリッドカメラのようにも捉えることができます。
「EVFよりOVFの方がいいです!」と言えば、「それはオマエがジジイだからだ!」という意見をすぐにいただくのですが、これは否定しません。なにせK-3 Mark IIIのみならず、フィルム一眼レフカメラも現役で使用中だから、簡単に一眼レフを卒業とはならないわけです。
ペンタックスでいうならば、今もフラッグシップのLXと戯れたり、MZ-Sのジャミラスタイルに感心したり、SVにスーパータクマー35mm F3.5を装着、トライXを装填し、その恐ろしく暗いファインダーを覗き、フォーカシングに難儀しながら「光と影」を制作した森山大道さんに想いを寄せ、シャッターを切っています。
また、ペンタックス自体もミラーレス機の開発を躊躇していたわけではありません。リコー以前から「PENTAX Q」(2011年)という魅力的なちっこいミラーレスカメラを開発していましたし、2012年には今回取り上げるPENTAX K-01を発売しています。
はい。お待たせしました。今回はK-3 Mark IIIの登場を記念して(笑)同じAPS-Cフォーマットのセンサーを搭載したミラーレスカメラ、K-01の話をしようと思います。昨今のリコーの製品展開とは逆方向になり、怒られてしまうかもしれませんが、かつてあったものを無いものにはできませんし、私自身も現役のユーザーなのです。
PENTAX K-01、現在はディスコンになっていますし、現時点では後継機の話題も出てきませんし、おそらくそれは望み薄でしょう。でも、これを再度検証してみるとK-3 Mark IIIのコンセプトがより鮮鋭に見えてくるような気もしますし、将来的にペンタックスがどこに行こうとしているのか、いろいろと想像できるような気がしてきます。
K-01はいきなりの登場だったと記憶しています。「K」の名が冠されたペンタックス一眼レフは、M42マウントの時代にもありましたが、バヨネットのKマウントを採用したときにつけられたK2、KX、KMの3台のカメラの方が私としては印象が深いのです。K-m、K-xといった似た名前のデジタル一眼レフも後に出てきましたね。だからミラーレスになっても「K」の文字が引き続き入るとは思いませんでした。
でも続く「01」という数字は、一眼レフから少し距離を置いたというか、新たなシリーズへの強い決意や幕開けみたいなものを感じました。
当初はマーク・ニューソンによるスタイリングが話題になりました。「不朽」「信頼」「感触」というコンセプトをもとに考えられたデザインということなのですが、説明をみてもこれは私にはよく理解できません。
ミラーレス機ですからボディ上部は膨ませる必然はないのですが、本機ではストロボを内蔵したこともあるのでしょう、少しだけ盛り上がりました。これが良いアクセントになって「PENTAX」ロゴの大きさもバランスが良く、ミラーレス機になっても違和感なく自然と入り込んでゆく感じがしました。
K-01の最大のポイントはKマウント(正確にはKAF2マウント)を採用していたことですね。通常のペンタックス一眼レフとフランジバックを同じにしていたわけです。
それでもK-01登場のニュースを知った時、Kマウント採用というのがどうにも信じがたいというか、びっくりしてしまい、すぐに『アサヒカメラ』の担当編集者に電話をしてしまいました。「なぜ従来のKマウントレンズがそのまま使えるのか?」って。何か見えないところでマウントアダプター的な仕掛けがあるんじゃないかと強く疑ったわけです。実物を見るまで、ボディがこんなにぶ厚いとは思わなかったんですね(笑)。
はたしてPENTAX K-01を手にした時、最初に何をしたかと申しますと、レンズを外してマウント内の深いフトコロをしみじみ見渡すことでした。無意味に指を入れてみたりして、ミニカーのガレージみたいなミラーのないミラーボックスを確認したわけです。そして、一眼レフのミラーを取り払えばミラーレス機になるじゃないかという、その居直りみたいな開発思想に素直に感動したわけです、本当ですよ。その時に思わずヒザを叩いちゃったもん。
K-01というネーミングもこれまでのKのシリーズの延長というより、ミラーレスになってもKマウントを守るのだというように感じました。繰り返しますが、K-01はペンタックスのデジタル一眼レフと同じフランジバックですからボディの厚みがそれなりにあり、K-01は小太りにみえます。その小太り感を高名なマーク・ニューソンになんとかまとめてもらおうと考えたのでしょうか。
なぜ、リコーがKマウントに固執したのかは、よくわかりませんが、レンズマウントを変えて、システムを一から作り直すということも、お金はかかるしリスキーですし、「ミラーレスになってもペンタックスはペンタックス」という意思表示をしたかったのかもしれないですね。
ボディ外装はエンジニアリングプラスチックですが、なかなか良い仕上げです。でも、うちにある個体をみると入手したボディのホワイトは、経年変化でわずかに黄ばんできた感じがします。気のせいでしょうか。
ダイヤル類はアルミ製と凝っていて、質感や動作感触も良好です。こだわりの部分ですね。盛り上がった部分はポップアップ式のストロボです。ペンタックス機でおなじみのグリーンボタンを装備していますから、旧タイプのレンズを装着してマニュアルモードで使用する場合でもスパッと適正露光で撮影できます。
AFはコントラストAFですが、なかなかのスピードで動作します。FAレンズなど、ボディ内AFで動作しているレンズでは動作音もしますし、合焦位置を通り過ぎて最良の点に戻るようなオーバーサーチの動きがありますが、まず一般的な静止している被写体の撮影では困ることがないと思います。
驚いたのはK-01に合わせて超薄型の交換レンズ「smc PENTAX-DA 40mmF2.8 XS」開発したことです。このパンケーキどころか、“うす塩サラダ煎餅“みたいな厚みのレンズを用意することで、ミラーレス機らしく、カメラ全体を薄くみせようとしたわけです。涙ぐましい努力ですね。これも発売時にかなり感心しました。
Kマウント採用のペンタックスAF一眼レフは、エントリー機からフラッグシップまで内蔵のAFモーターを取り払いませんでした。全機種のマウント部にカプラーがあります。K-01も例外ではありません。
他のメーカーみたいに、“エントリー機はボディからAFモーター取っちゃえ”みたいな割り切りをリコーはしませんでした。これは不変のKマウントを維持するリコーの矜恃というものでありましょうし、smc PENTAX-DA 40mm F2.8 XSの開発にも役立ったのではないでしょうか。レンズ内モーターを使ったAFでは、これだけ薄いレンズを作るのは難しいと考えるからです。仮に最新のモーターを採用してレンズの鏡胴が薄くなったとしても、きっとコストが高くなったことでしょう。旧来の技術を応用しつつ、最新のレンズ設計に役立てようという心意気やよしであります。
ちなみにこの超薄型の40mmレンズ、K-3 Mark IIIに装着しても似合います。フィルター径なんか、27mmしかないんですよ。この設計思想がヘンタイで、趣味のアイテムとしてレンズの鏡胴デザインもいかに重要であることを示しています。40mmですから35mm換算の画角だと60mm相当の少し長めの標準レンズになるんですけど、実焦点距離が短いわけですから、被写界深度の深い標準画角レンズとしての使い方も可能になります。
K-01のセンサーはAPS-Cサイズ有効画素数約1,628万のCMOS。当時のAPS-Cデジタル一眼レフ「PENTAX K-5」がベースのようです。画像処理エンジンはPRIME M。設定感度はISO 100-12800。カスタムでISO 25600までとこれも十分ですね。動画も1,920×1,080/30fpsでの記録が可能です。
内蔵マイクはステレオで、“ミラーレス”機として動画撮影にもアドバンテージであることを示そうとしていますが、基本的にはフォーカルプレーンのメカシャッターを採用して撮影するように考えられているように思えます。連写性能は最高約6コマ/秒ほど。ただ、RAW設定やRAW+JPEG設定にすると、連写速度は落ちてしまいます。でも“写真”撮影を軸とした、あまり高くないスペックがむしろ心地よく感じるほどです。
カメラ周りの操作ダイヤルやボタン類は最小限というか、とてもシンプルです。これは個人的に気に入っている点です。取り説いらずになりますし、設定に迷うことが少なくなるからです。
K-01には内蔵、外付けともに専用のファインダーは用意されませんでした。3型約92万ドットの固定式の背面モニターを使ってフレーミングもピント確認も全部やってねという割り切り方です。
当然、とくに日中晴天下など周囲が明るい場合、液晶モニターの視認性が厳しくなります。私はそういう場合は諦めて勘で撮ってしまいます。本機の開発コンセプトから考えれば、撮影自体もある程度アバウトでもよかろうと思ってしまいます。
SR(ボディ内手ブレ補正)が採用されているのはとてもいいことですね。効果は約3段分とやや期待薄なんですが、機能は十分にしています。カメラにファインダーがないわけですから、顔でカメラを支えることができないため、手ブレ補正はマストな搭載ではないかと感じました。
K-01が最終的にあまりウケなかった理由。それは不変のKマウントのままという“なんちゃってミラーレス機” という部分もあると思います。けれど一番には、やはり内蔵、外付けにかかわらず専用のファインダーが用意されなかったからではないでしょうか。
リコーGRのようなコンパクトデジタルカメラでは、スナップショット撮影が多くなりますし、使用していると、ファインダーや液晶モニターに頼らずとも、レンズの撮影範囲がおおむねわかってくるので、逐一ファインダーを覗き、厳密にフレーミングするのだという気持ちにはならないものです。
けれどレンズ交換式のミラーレス機だと、簡易的なものであってもカメラとレンズが見ている独自の世界を、撮影者は場合によっては隅々まで明確に知りたいという欲望が出てくるものです。
これはレンズを交換するごとに、あるいはズームレンズの焦点距離を変えるごとに視野と被写界深度の特性が変化するからでしょう。少なくとも私の場合はK-01を使っての最大の不満点は、ファインダーの用意がないことにありました。
K-3 Mark IIIで光学ファインダーの性能を一から見直す姿勢をみせたのは、K-01のコンプレックスがあったからだと思いたくはないのですが、撮影に挑む姿勢というかアプローチは、一眼レフとK-01では明確に異なってくるのは確かでしょう。
じゃあ、おまえ、K-01にファインダーを内蔵したら、確実に良いミラーレス機になるのかよと責められると、言葉に詰まるところもあるのですが、レンズの大きさや、撮影目的、被写体、撮影条件によってはファインダーは欲しくなる時があります。K-01は私自身7年くらい使っていますが、いつも最後には“ファインダー搭載は必然ではないか”という結論を自分で下しています。
K-01を開発したことによって生まれたリソースは、リコーにも財産になるであろうと思いますし、失敗に学ぶこともあるでしょう。K-3 Mark IIIのような優れた一眼レフを使う場合にも、ライブビューによるフレーミングを主にして撮影するユーザーも少なからずいらっしゃるはずなので、いろいろな意味でK-01のあり方は、今後の製品展開にも役立つのではないかと期待するわけです。K-3 Mark IIIは一眼レフであることが全てであるという考え方のもとに生まれてきていますが、使い方としてはミラーレスのハイブリッドとしても有用ではないかと考えています。
私自身、飽きっぽいこともあるのですが、一つの形状のカメラでは我慢できなくなることがあります。スペックの優劣や一眼レフとミラーレス機の優劣を考えるよりも、レンジファインダーカメラと一眼レフのそれぞれの存在のあり方のように、K-01には大口径の広角レンズや標準レンズを使うときに精度の高いコントラストAFを使用し、望遠レンズ等、ファインダーがないとホールディングバランスが崩れ、フレーミングがしづらくなったり手ブレの危険性が増す場合はK-3 Mark IIIを使うなど、役割分担を持たせるというのも手段のひとつかなあと思いました。これはこじつけた理屈にも聞こえるかもしれません。
本音で言えば、この時代だからこそさまざまな形状、形式のカメラがあった方が楽しいのではないかと考えています。だからK-01の方向性は嫌いではありませんでした。さすがにこのまま復活してくださいとは申しませんが、K-01を糧として、何か新しくできること、別の展開も残されているのはないかと考えています。