レンズマウント物語(第4話):M42の踏ん張り
ペンタックスESのM42マウントは、「追いかけ方式」で絞り値を伝達している。 |
■最も普及したユニバーサルマウント
M42マウントの「M42」とは、JISなどの工業規格で定められた「メートル細目ねじ」の種類を表す呼称である。厳密に言うと「M42×1」、つまり直径が42mmでピッチが1mmのねじのことなのだ。つまり、この規格のめねじをボディ側に、おねじをレンズ側に切って固着するスクリューマウントのことをM42マウントと呼んでいる。
スクリューマウントは加工に特別な型や治工具を必要とせず、汎用の旋盤で簡単に加工できるという特徴を備えている上に、規格がオープンなこともあってM42マウントは全世界に普及した。歴史上最も多種のボディや交換レンズをもったレンズマウントと言ってよいだろう。
今でこそ「M42」という呼び名が普及しているが、以前は「プラクチカマウント」とか「Pマウント」と呼ばれていた。このマウントの本家である東独製の一眼レフ「プラクチカ」にちなんでのことだが、「Pマウント」のPはペンタックスのPだという説もある。
■スクリューマウントの問題点
M42マウントのようなスクリューマウントは前述のように加工が容易で手軽に使えるのだが、一方で2つの大きな問題点がある。
その1はレンズの着脱に何回転もしなくてはならないことだ。数十度の回転で着脱できるバヨネットマウントにくらべてレンズ交換に時間がかかることになる。
そしてその2は、レンズを装着したときにレンズとボディとの相対的な位置が一定しないということである。外観上では絞りや距離目盛の指標の位置が本来は真上、つまり時計の12時の位置に来るべきところが、場合によって行きすぎたり行き足りなかったりして少し角度がずれたところに来てしまうのだ。
これはねじ加工をするときに切り始めの位置を正確に管理することが難しいということが主因だが、仮に切り始め位置を揃えることができたとしても、ねじ込み時の力のかけ方によってねじ込み終わりの位置が違ってくる。まあ、プロレスラー並みの大男が力任せにねじ込むのと、か弱い女性がやんわりとねじ込むのとでは、違って当然であろう。
指標の位置が少々ずれるぐらいなら大きな問題とはならないが、レンズとボディの間の情報伝達となると、これは深刻な問題となる。バヨネットマウントのようにマウント周囲のリングや内側のレバーで情報を伝えようとすると、この装着位置のずれがそのまま連動誤差になってしまうのだ。
■自動絞りは押し込みピン方式で
一眼レフの初期にはレンズとボディとの間で伝達するような情報はなく、M42スクリューマウントでも特に問題はなかったのだが1950年代になって自動絞りが導入されると、そうは行かなくなってきた。
スクリューマウントは確かに光軸周りの回転方向の位置は一定しないが、前後方向、つまりマウント基準面からの距離はちゃんと決まる。それがレンズマウントとしての基本機能だから当然のことだが、それならばこの前後方向の動きで情報を伝えればよいのだ。
M42マウントの自動絞り。レンズ側に矢印のようなピンが設けられ、これを押しこむと設定絞り値まで絞り込まれる。 | ボディ側には矢印のような三日月型のレバーがあり、撮影時にレンズ側のピンを押しこむ。ねじ込み終了位置がばらついても、このレバーがピンに触れる範囲内なら問題なく自動絞りが作動する。 |
こうしてM42マウントでの自動絞りが実現した。レンズ側には光軸と平行な方向に動くピンを設けておき、これを押しこむと設定された値まで絞り込まれるようにする。ボディ側はマウントの円周に沿って三日月型というか、リングの一部だけ切り取ったようなレバーでこのピンを押しこむのだ。ピンの位置にばらつきがあっても、このレバーが触れる位置にあれば動作可能というわけで、レバーの形で円周方向の位置の差を吸収している。
この押し込みピン方式の自動絞りを最初に採用したのはどのカメラかは定かでないが、いわゆる完全自動絞り、つまり撮影の瞬間以外は常に絞り開放になるような形に完成させたのは、1961年のアサヒペンタックスS3であったと記憶している。
■そしてTTL測光
自動絞りの次は露出計内蔵、そしてTTL測光である。TTL測光を導入するに当たってM42マウントの一眼レフはみな絞り込み測光を採用した。レンズで設定した絞り値をボディに伝達する技術的困難を考えると、露出を決める際に絞り込み動作をし、ファインダーが暗くなるという不便をユーザーに強いることになっても、ユニバーサルマウントとして世界中に豊富に供給されている交換レンズを使えるメリットを優先したのだ。
しかしTTL測光の一眼レフを初めて世に出したトプコンを始めとして、ニコン、ミノルタ、キヤノンなどバヨネットマウントやスピゴットマウントの一眼レフが続々と開放測光を採用してくると使い勝手の差が際立ってきた。そこでいくつかのメーカーがM42マウントでなんとか絞り値情報の伝達を可能にし、TTL開放測光を実現しようとさまざまな工夫を行なった。それはまさに各社各様の知恵比べの様相を呈しており、当時の技術者の涙ぐましいまでの努力の跡がみてとれるのだ。
■ペンタコンスーパーのピンストローク方式
旧東独のペンタコン人民公社は、マウント名ともなったプラクチカを始め、多くのM42マウントの一眼レフを造っているが、その頂点に立つのが1966年に登場したペンタコンスーパーである。
旧東独ペンタコン人民公社のペンタコンスーパー。いろいろな意味で非常にユニークな一眼レフだ。 |
そしてこのカメラはなんと絞りの連動機構を備えており、TTL開放測光を実現しているのだ。その原理は押しピン方式の自動絞りの延長上で、レンズの後端から出たピンのストロークで絞り値をボディに伝達する。ボディ側のマウント周囲には、リング状の板ばねが設けられており、その平面部分でピンを受けてその出入りを感知するようなシステムだ。
実機でピンのストロークを測ってみたらF1.4~22の8段階で約4mmであった。つまり1Ev当たり0.5mmのストロークで絞り値を伝えていることになる。マウントの外側でこの連動を行なっているためかなりスペースを食うことになるので、ボディもレンズも大柄なペンタコンスーパーだからこそ実現できた方式と言える。
ペンタコンスーパーのレンズ。矢印のピンが絞り連動ピンで、開放F1.4ではこの位置。 | 絞りリングを最小絞りのF22に設定すると、このように絞り連動ピンが飛び出してくる。ストロークは1Ev当たり約0.5mm。 |
ペンタコンスーパーのボディ側にはマウント周囲にリング状の板ばねが設けられており、その平面部(矢印)にレンズ側の連動ピンが当たって押すことにより設定絞り情報を伝えている。 |
その後ペンタコン人民公社では、プラクチカLLCというカメラで電気的な連動を試みている。レンズ側に絞りに連動した可変抵抗器を組み込み、それの値をマウント面に設けた3個の接点でボディ側に伝えている。ねじ込み終了位置のばらつきを吸収するために、ボディ側の接点は円周方向にある長さをもったリング状となっている。
■ロック付きM42マウント
バヨネットマウントと同じようにマウント周りの回転角で絞り情報を伝えるために、M42マウントにロックを設けて角度位置を規制したカメラも登場している。1971年発売のオリンパスFTL、1972年のフジカST801などの富士フイルムの一眼レフがこの方式を採用していた。
オリンパスFTL。OM-1登場直前の薄幸の一眼レフは、ロック付きのM42マウントであった。 | フジカST801。やはりロック付きM42マウントを採用しているが、オリンパスとは互換性がない。 |
ただ単純にマウント面にロックピンを設けてレンズをロックすればよいというわけではない。前述のようにスクリューマウントはねじ込み終了の位置が一定しないのだから、ねじ込み方によっては終了まで行かず、まだガタがあるうちにロックされてしまったり、あるいはロックに届く前にねじ込みが終了してしまったりする。
それを避けるために、マウントのねじ部分をばねで浮かすのだ。レンズをねじ込んで行き、最後にマウントの基準面同士が当たって止まる。普通ならここで終わるのだが、ロック付きの場合はさらに回転を続ける。するとねじ部がばねに逆らう形で引き寄せられながらロック位置まで回転し、ロックピンがレンズ側の溝に落ち込んで止まる。つまり、ねじ込み終了位置のばらつきをこのばねで吸収しているのだ。
フジカの場合はボディ側のねじがばねで浮いているのだが、オリンパスは逆にレンズ側のねじがばねで浮いており両者に互換性はない。
こうすればバヨネットマウントと同様にマウント周りに回転する連動リングで情報伝達が可能になるのだが、更にスクリューマウントならではのちょっとした問題が生じる。
スクリューマウントは、前述のように装着時にレンズを何回転もしなくてはならない。回転するにつれて少しずつレンズがボディの中に入って行くわけだ。そして最後の1回転のときに絞りリングとボディ側の連動リングとがかみ合う。そう、逆に言えばその前にかみ合ってしまうと困るのである。ねじのピッチが1mmであるので、ねじこみの最後の1回転のところでかみ合うためには、絞りリングと連動リングのかみ合いしろは1mm以下、コンマ何mmのオーダーで実現しなくてはならない。
そこで連動ピンや突起の高さに制限が生じたりして、実質はともかく外見上はちょっと頼りないものとなってしまうのだ。
■ペンタックスの追いかけ方式
一眼レフカメラにTTL露出計が内蔵されても、マニュアル連動の時代なら絞りの情報がボディに伝達できなくてもなんとか絞り込み測光で対応できた。ところがAE(自動露出)の時代になるとそうも行かない。せっかくマニュアルで露出を合わせる手間から解放されたのだから、露出制御のために撮影前に絞り込んでファインダーが暗くなるのは避けたい。そこで、電子制御シャッターによる絞り優先TTL-AEを初めて実現したペンタックスES(1971)では、独特の方法で絞り値の伝達を行ない、M42マウントでの開放測光を成し遂げた。
ペンタックスESではボディ側のマウントの裏側に2つのリングがある。その1つはレンズ側の絞りリングに直結した連動レバーにかみ合い、設定絞り値をボディに読み込むものだが、もう1つはレンズ後面の固定突起にかみ合って、ねじ込み終了時のレンズの角度方向の位置を読み取るものだ。この2つのリングの位置の差分が設定絞り値となる。つまり絞り値の連動リングをねじ込み終了位置の読み取りリングが追いかけるような形になり、その差で絞り値を伝達することにより、ねじ込み終了位置のばらつきを吸収していることになる。
ペンタックスESのボディ側マウント内部。絞り値連動部(黄色矢印)と原点位置連動部(緑色矢印)の2つの連動部(リングから出た突起)がある。この2つの連動部の相対位置で絞り値を読み込む。 | ペンタックスESのレンズ後端部。絞りリングに直結した連動レバー(黄色矢印)の他にレンズ本体に固着された突起部(緑色矢印)があり、ねじ込み終了時のレンズの位置、すなわち原点位置をボディに伝える。 |
ペンタックスESの「追いかけ方式」の概念図。ここではリングAとリングBの相対位置で可変抵抗器の抵抗値が変わり、それによって設定絞り値を読み込むようになっている。実機では上の2枚のようにレンズマウント内側で2つのリングの連動が行なわれている。 |
この場合も装着時にレンズが何回転もすることによる問題は生じる。フジカのようにピンや突起のかみ合いしろがあまりとれないことの他に、2つのリングと連動する突起やレバーが互いに干渉しないような工夫も必要になる。そのため、ペンタックスの場合は絞り連動用のかみ合い部が原点読み取り用のかみ合い部よりも内側に配置されている。
■努力の結果は……
一眼レフのユニバーサルマウントであるM42マウントでなんとか設定絞り値の伝達機構を組み込み、TTL開放測光を実現しようということでさまざまな涙ぐましいまでの努力がなされたのだが、どれも長続きはしなかった。
ペンタコンスーパーの方式は他の機種では見かけないし、プラクチカLLCの電気接点方式もその後何機種かで採用されたが、広く普及するには至らなかった。ただ、これは現在のいわゆる電子マウントの元祖として歴史的な価値はあるだろう。
ロック付きのM42マウントはフジカではST901やAZ-1などの後継機にも採用されたが、他のM42マウントカメラに波及するまでには至っていない。ペンタックスの追いかけ方式もペンタックスES、ESII、SPFの3機種にとどまっている。
そもそもスクリューマウントの良い点は、工作の容易なおねじとめねじを設ければよいという単純明快さにある。だからこそ世界中の多くのメーカーが採用してユニバーサルマウントになったわけだ。それをマウント部をばねで浮かせたり2つのリングで連動する機構を加えたりするのは、せっかくの単純明快さを殺すことになってしまうのだ。複雑な加工を施して、なおかつ互換性も確保できないのならバヨネットマウントと事情は変わらなくなる。
というわけで、M42陣営のメーカーは1970年代から80年代にかけて一斉にバヨネットマウントへの転進を図った。ペンタックスはKマウントへ、オリンパスはOMマウントへ、ヤシカはヤシカ/コンタックスマウントへ、フジカはAXマウントへという具合だ。海の向こうのペンタコン人民公社でもプラクチカB200からは独自のバヨネットマウントになっている。こうしてM42マウントは終焉を迎えた。
*本稿の執筆に当たり、オリンパスイメージング株式会社および日本大学芸術学部写真学科の甲田謙一教授にご協力をいただきました。
*図については金野剛志著「カメラメカニズム教室(下)」(朝日ソノラマ刊)から引用しました。
2012/8/1 00:00