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第11回名取洋之助写真賞、鳥飼祥恵さんが受賞

日本写真家協会は12月9日、都内のアルカディア市ヶ谷で第41回日本写真家協会賞贈呈式と第11回名取洋之助写真賞授賞式および祝賀会を開いた。会場には会員の写真家、写真関連企業など関係者が多数集まった。

日本写真家協会賞は写真技術の発展や写真文化の向上に寄与した団体、個人に贈るもので、1967年に創設した。今年はプロラボの堀内カラーに贈られる。同社が導入した超大型カラープリント技術のラムダプリントは、写真表現の可能性と領域を大きく広げたと評価された。

堀内カラーの堀内洋司社長

堀内カラーは1959年に大阪で創業し、コダック系のプロラボとして多くのプロ写真家の信頼を集めてきた。かつてはフィルムの現像処理体制を24時間3交代で行ない、プロ写真家のニーズに応えてきた。

「印刷所へ写真を入稿するため、深夜でもデリバリーを行ない、0時過ぎにカメラマンの事務所にうかがうことも当たり前だった」と振り返る。デジタル時代に対応し、ラムダシステムを導入したのは16年前だ。

この受賞に対し、堀内カラー・堀内洋司社長は「時代の変化の中、長くやってきたことへの激励とご褒美を頂戴した。今後もプリント技術の向上と写真文化の発展に役割を果たしていきたい」と喜びを語った。

名取洋之助写真賞は、写真ジャーナリストの活動の場が狭まりつつある中、若手の育成を狙い2005年に新設した。選考は一つのテーマで30点の作品で行なう。

今回の受賞者は鳥飼祥恵さん(32歳)で、受賞作は「amputee boy―けんちゃん―」。主人公のけんちゃんは小学校1年生の時、交通事故で片足を失った。その後、上肢、下肢の切断障害を持った選手がプレーするサッカー、アンプティサッカーを知り、アウボラーダ川崎に参加した。鳥飼さんは取材で、大人に混じってプレーする彼の姿を見て、今年3月から撮影を始めた。

名取洋之助写真賞を受賞した鳥飼祥恵さん。
受賞作品「amputee boy-けんちゃん-」(カラー30枚)©鳥飼 祥恵
日本写真家協会の熊切圭介会長(左)より賞および盾が贈られた。

審査に当たったフォトジャーナリストの広河隆一氏は、この作品が持つ「人間が輝く姿」こそが今の時代に最も必要なものだと指摘する。

「それを表現する写真家の真っ直ぐな目と、被写体となったけんちゃんが出会ったことで、こうした作品が生まれた。私たちは何を守るために伝えていくのか。何か一番大事か、その基本に足を置き活動していくことが重要だ」と広河氏は語った。

受賞のスピーチで鳥飼さんは、撮影現場では黒子に徹しているので、表舞台には慣れないと感想をひと言。

「賞をもらったの私ですが、写真の中のヒーローは石井賢君。賢君とお母さん、家族、サッカー協会の皆様に御礼を申し上げます」

当日はアンプティサッカー協会の最高顧問であるセルジオ越後氏もお祝いに駆けつけていた。

次点となる奨励賞には増田貴大さん(35歳)の「終わりの気配」が選ばれた。学生時代から表現を志してきた。洋画を描く一方で、20彩から写真を始めた。受賞作は新幹線の車窓から見える風景を切り取ってきたものだ。

奨励賞を受賞した増田貴大さん
受賞作品「終わりの気配」(カラー30枚)©増田 貴大

審査員の飯沢耕太郎氏は、そこに生と死が交錯する現代日本の断面図が見えると指摘する。

増田さんは仕事で週6日、新幹線の新大阪・広島間を2往復、数時間を過ごす。回を重ねるうちに、違う光景が目に映るようになっていった。

「これまで大きな結果を出せず、常に不安や迷いの中で写真を続けてきた。今回の受賞で大きな安心感もいただいた。月並みな言葉になるが、今後の大きな励みになりました」と増田さんは喜びを語った。

第11回名取洋之助写真賞受賞作品写真展は富士フイルムフォトサロン東京(2016年1月29日〜2月4日)と、同大阪(2月19日〜25日)で開かれる。

日本写真家協会は2015年5月現在で正会員1594名(賛助会員57社、名誉会員13名)を擁する。今年、会員が開催した写真展は200を超え、会場にはそのDMを掲出し、それぞれの活動の一端を示した。

(市井康延)