オノデラユキ写真展「写真の迷宮(ラビリンス)へ」
Transvest 2002 (c)Yuki Onodera |
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オノデラユキさんは1991年に、第1回写真新世紀展で優秀賞を受賞し、93年に東京の細見画廊で初めての個展、その年に活動拠点をパリに移した。以来、精力的に作品制作を続け、ヨーロッパ、日本、韓国、中国などで個展を開いてきたが、東京の美術館での個展は今回が初めてだ。
これまで18のシリーズを発表してきたが、毎回、まったく異なるスタイル、制作手法が採られてきた。
「多様性が私の特徴のひとつだと思うので、ここでは9シリーズ60点で構成しました」とオノデラさん。会場内の展示、構成もすべて作者自ら行ない、空間すべてがオノデラユキのラビリンスになっているのだ。
会期は2010年7月27日~9月26日。開館時間は10時~18時(木、金曜は20時まで)。月曜休館(祝日の場合はその翌日)。入場料は一般700円、学生600円、中高生・65歳以上 500円。会場の東京都写真美術館は東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内。問い合わせはTel.03-3280-0099。
展覧会の準備が終わったら、新作の制作を始めるとオノデラユキさんは話す | 実際の作品を目の前にすると、また新たな作品への謎が広がってくる |
9月4日14時からは「オノデラユキのスライドレクチャー『初公開! アートな写真のひみつ』」を開催。作品の裏側を知りたい人は、ぜひ、見逃しのないように。定員70名。
また同展にあわせて、ツァイト・フォト・サロンで「オノデラユキ 写真の迷宮へ Part2.~プライベートルーム~」も開催。未発表の初期作品や、写真新世紀展受賞作、欧州のみで公開された作品などを紹介する。こちらは入場無料で、会期は7月30日~9月11日(日曜、月曜、祝日休廊。8月14日~23日は夏期休廊)。開廊時間は10時30分~18時30分(土曜は17時30分まで)。
さらに、ソウル写真美術館でも9月11日~12月4日に「オノデラユキ展」が開かれる。そこでは上記2会場で見られない作品が展示される。
■制作には曖昧さが付きまとう
オノデラさんの作品に多くの人が感じるのは、「謎」と「不可思議さ」がかもし出す魅力だろう。そして、それは作者自身も同様のようだ。
「作品を制作していく中で、自分でも曖昧な部分があります。説明できないけれど、感覚的に選んでいることもある。何年か経って、こんな意味も含まれていたのだとようやく思い当たることもあります。観念が後からついてくることもあるのです」
「真珠の作り方」は、パリの蚤の市で50年代の箱型カメラを買ってきたことがきっかけだった。
「カメラのボディを開いてみると、ただの箱なんですね。それを見た時、その中に何かを入れて写真を撮りたくなったのです」
それと同時に、真珠貝は異物が入り込むことで、真珠が生成されるというエピソードが思い浮かんだ。
「そこで先にタイトルが決まり、中に入れるものも、直感的にビー玉を選びました」
真珠の作り方 2000-2001 (c)Yuki Onodera |
■結果を見ながら完成形に近づけていく
次に考えたのは、それで何を撮るかだ。
「建築物など不動のものは撮りたくないと思いました。事件というか、その時限りのものが撮りたいと考え、人が集まって、また散っていく街の群集を選びました」
ビー玉の位置や、絞り値によるビー玉のボケ具合など、繰り返し撮影して、プリントした。オノデラさんは作家でありつつ、一番最初の作品の鑑賞者として、結果を見ながら、完成形に近づけていく。
「この作品は昼間、撮影していますが、人物の背景はビー玉の影で黒くつぶれています。本来ならば写りこむイメージが隠され、その代わり、カメラの内部で外にあるイメージと、内側に存在するイメージが出会っています。そこで鑑賞者は、それまで気にしたことがないカメラの内側を意識するのではないかとも思いました」
作品に仕上げるために、もうひと捻りしている。印画紙の現像段階で、粒子が壊れるような化学反応を起こさせたのだ。
「粒子を荒らすのとは違います。粒子にヒビを入れたような感じで、人によっては古いフレスコ画みたいだと言われることがあります」
これを自らの手で縦2メートルの大きなサイズにプリントした。それは鑑賞する際、カメラの中に入った感覚を味わってほしいからだ。
アニューラ・エクリプス 2007(c)Yuki Onodera |
■写真的行為へのこだわり
多くの写真家の場合、まず目の前にある(もしくは地球上にある)被写体に刺激されて作品制作が始まる。それがオノデラさんの場合は、自らの内なる欲求が発端となり、その次から撮影方法、被写体探しがスタートする。
写真を始めたきっかけは、何かを作りたいと思った時、気軽に取り組めるツールとしてカメラを手にしたという。身近な被写体を撮影しながら、暗室作業を独学で身につけていった。
「その頃は、オリジナルプリントをいろいろなところに見に行きましたね。良いものを見ていると、自分のプリントの至らない部分がよく分かります」
当初からギャラリストとしてオノデラさんをサポートしてきた石原悦郎氏が運営した「つくば写真美術館」(1985年)にも足を運んだそうだ。
「撮影していく中で、段々と何か撮るものを探す行為に変わっていった。その時、自分の中で展開が必要になったのです」
一時は、被写体を自分で作りこんだり、プラスチック板を溶かしてマクロで撮るなど、抽象的な方向に進んだ。
「そこまでモチーフを作り上げたら写真である必要はないと思い、私自身、やはり写真的なことがやりたいんだって気づいたんです」
■「古着のポートレート」は住んでいたアパートで撮影
パリに拠点を移した直後に制作し始めたのは「古着のポートレート」だ。最初はコップからこぼした液体を部屋の中で撮影していたが、次に人間に関わるものを作りたいと思うようになったという。
「ポートレートではなく、何か違うものでと考えている時、人間の抜け殻になるような感じとして古着が目に付いた」
ちょうどフランスを代表する現代アーティストのクリスチャン・ボルタンスキーが「古着」を使った展覧会をやっていて、そこに足を運んだ。会場では10フランで袋が販売され、古着を詰めて帰れる。世界各国から集められた古着が、また違う場所へと散っていくというインスタレーションだ。
この会場から持ち帰った古着を、針金のような支持体にかけて、窓際に置いた。
古着のポートレイト (c)Yuki Onodera |
「当時、住んでいたモンマルトルのアパートからは、窓からきれいな空が見えた。その古着に合うような雲が現れた時、シャッターを切りました」
■ステレオカメラもオノデラユキにかかると……
アトリエでその多くを制作する作品シリーズがある一方で、現地に足を運んで撮影するシリーズもある。その一つ「Roma-Roma」もステレオカメラを手に入れたことがきっかけになった。ただ実際に動き始めたのは、カメラを手に入れてから2年ほど経過してからだが。
「2つのレンズの片側ずつを使って、別の場所を撮りたいと考えました。ただ、この作品では写真家的な仕事を排除するため、撮影地を自分で選びたくなかったんです」
世界地図でローマという名前の街を探し、スウェーデンとスペインにある街を選んだ。
「移動することは人間の体にとって、どういうことなのか。そこに興味があった。飛行機、船、電車、バスを使って現地に向かい、着くとただ淡々と街を撮影していきました」
オルフェウスの下方へ 1-失踪者の後を追って- 2006 (c)Yuki Onodera |
右のレンズを隠しスウェーデンのローマを撮り、次に左を隠してスペインのローマを撮った。使ったフィルムはモノクロ。19世紀初頭、西洋で旅行が流行った時代に、モノクロームに色をつけた観光写真が盛んに売られていたからだ。
「それにならって、油絵具で色付けしました。ルーペを使って、葉っぱ1枚ずつにまで色をのせました。ただ制作した時、当時の観光写真を見たことがなくて、後日、見ると、昔のものはずいぶん雑なのに驚きました」
最終的なプリントをカラーにしたのは、モノクロームだと私的な感じが出て、カッコがついてしまうことを避けたこともある。
「色を入れることで客観的な距離がもてると思ったし、実際、その通りでした」
オルフェウスの下方へ 2-不思議な距離 (c)Yuki Onodera |
■日本を客観的に知るために
オノデラさんが海外での活動を選んだわけは「アーティストなら海外でやりたい、やるべきというのがあった」と話す。自分が育ってきた国を客観視することは、ものづくりをする人には必要だと指摘する。多様な国と文化が集まったヨーロッパの中で、偶然、フランスを選んだが、オノデラさんにとっては良い選択だった。アーティストの組合に入れば、アトリエなどが安く借りられ、作品制作費への援助も市や国から受けられる。
「出身国は関係ない。私が今住んでいるアトリエには、イラン人、イタリア人、アルゼンチン人、その他様々な国籍の人がいます」
日本ではアルル国際写真フェスティバルやパリフォトが有名だが、それ以外にも数多くのアートフェスティバルが開かれ、若手作家にも発表する機会が多い。コレクター人口も多く、日本よりも作品を売るチャンスは開かれているとオノデラさんは言う。
「コレクターが自分のコレクションを披露するパーティを開き、ギャラリスト、アーティスト、ジャーナリストらを招待する。社交としても美術の場面が多々ありますね」
だから特に若い作家は、海外に出るべきだとオノデラさんは強調する。国際的なアートシーンで、日本人作家が注目されていくためには、作家自身がいわゆる日本っぽさを一度カッコに入れる必要がある。そういった意味からも、この展覧会は興味深いのだ。
11番目の指 2006-2010 (c)Yuki Onodera |
2010/8/2 15:50