岡田敦写真展「ataraxia」(アタラクシア)

――写真展リアルタイムレポート

(c)岡田敦
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 昨年、木村伊兵衛写真賞に選ばれた岡田敦さんの受賞後第一作だ。「聖書のような世界が作りたかった」というこの作品は、静謐な美しさに満ちたイメージが捉えられている。撮影には6×6判のハッセルブラッドで、フィルムとリーフのデジタルバックを使った。

 この作品を見ると、彼がデビュー作となった「Platibe」以来、ピュアな視線で「生命の存在感」を撮り続けてきた写真家だということがよく分かる。富士フォトサロン新人賞でPlatibeを選んだ写真家の藤井保さんは、「恐ろしさと美しさの同居した写真」と形容したが、そのテイストは彼のすべての作品に通底しているのだ。

 会期は2009年11月19日(木)~12月25日(金)。開場時間は11時~20時30分。会期中無休。会場のBギャラリーは東京都新宿区新宿3-32-6 ビームス ジャパン6F。問合せは03-5368-7309。

 写真集「ataraxia」(岡田敦・伊津野重美著)は青幻舎より12月下旬に発売。予価は3,360円(税込)。会場で事前予約(サイン本含む)も受付中。

岡田敦さん。雑誌などで撮影の仕事をこなしながら、作品制作を行なっているプロジェクターを用いた作品展示もある
西洋の宗教画のようなイメージにするため、フレームは欧州製の油絵用の額縁をオーダーで作った

人と風景が等価に存在するイメージ

 この作品の構想は、かなり以前からあったそうだが、まだ表現しきれる自信がなかったという。その間に自傷する若者たちと出会い、彼らの内面の問題を共有しながら、写真集「Cord」、そして「I am」を制作していった。

「『I am』では僕の考えや、答えを作品の中に入れてはいけないと思い、観た人が混乱してしまうぐらいのところで作品を作り込むことを止めました。「I am」では自分の考えや想いを形として残さなかったので、それを次の作品では表現したかったんです」

 そのイメージは「人と風景が違和感なく一体化した写真」だ。それは天地創世のころの光景なのかもしれない。歌集「紙ピアノ」(短歌・伊津野重美、写真・岡田敦)でコラボレートした歌人の伊津野重美さんにモデルを依頼し、昨年の2008年春から制作を開始した。伊津野さんとの撮影はおよそ2カ月ごとのペースで行ない、その合い間に一人で風景を探して撮り続けた。

「撮影は2009年上旬までの1年弱。これまでそんな短い期間で作品を制作できたことはなく、それはデジタルカメラバックを使ったことが大きい。イメージ通りの写真がテンポよく撮れたからです」

(c)岡田敦

自分のイメージを越える1枚

 ロケ地は、伊津野さんと2人で相談して決めた。

「撮影場所は、僕がイメージを伝えて、伊津野さんに候補地を選んでもらうことが多かったです。『湖に浮かんでいる碧い世界を撮りたい』とか、『ノアの箱舟みたいな感じ』といった伝え方でしたけど、彼女は歌人なので、それでうまく伝わるんです」

 ロケでは一つの場所に2~3時間滞在し、撮り進めていく。

「伊津野さんが湖に浮かぶシーンなんかだと、最初は溺れないかとか、とても気になっているんです。けれど、撮影していくうちに僕自身は集中してしまって、色んなことを忘れてしまう。伊津野さんが『もう、これ以上無理』って水から上がって終わりになるんです」

 今回は、ある程度、具体的なイメージを作り上げて撮影に臨んでいたが、現像して見た時に、それを超えた何かが写り込んでいることがある。それが作品を制作している時の醍醐味だ。

「自分が見えていなかったものが写真に写っていることがある。それは具体的なモノではなく、エネルギー値の高いイメージというのかな。そういう1枚を見つけると、自分の想像力やキャパシティをぐっと広げられる感覚があります」

DMに使用したイメージ。湖だと普通人は沈んでしまうのだが、伊津野さんは自然と浮かぶ。「そういう不思議な人なんです」と岡田さんは言う (c)岡田敦

フィルムとデジタルバックを平行して使った

 DMに使われた作品は、そんな岡田さんの「想像を超えた1枚」のうちの一つだ。同じシーンでたくさんのカットを撮っているが、この1枚を見た時、違う感覚に襲われたという。

「作品が自分の手から離れていくような感じというんでしょうか。そういう1枚ができる時は、撮り続けていて、自分の中が無に近い状態になる時。思考の限界を超えられるからでしょうかね」

 ただ、この感覚が得られるのはフィルムでの撮影が多く、デジタルバックでは難しい。デジタルバックは撮影画像をすぐに確認できるので、撮れた画像に満足してしまい、思考が自分から離れていく前に撮影が完結してしまいがちなのだ。

「今回はフィルムとデジタルバックを平行して使い、フィルムとデジタルの良いとこ取りをした気がします。だから撮りたいイメージを失敗することなく効率よく制作できた。フィルムだけだったら完成までに2年以上はかかっていたでしょうね」

 フィルムは6×6判のスクエアサイズだが、デジタルバックで撮影された作品は、上下が少し切れる。展示作品や写真集で、その表現の違いを見比べてみるのも一興だろう。

デジタルとフィルムの表現を比べると「フィルムの方が生っぽい気がする」という (c)岡田敦

カメラを手にしていると、一つ触覚が増えた感じがする

 このシリーズで撮られた風景写真は、岡田さんの行動範囲の中でスナップ的に収められたものだ。

「制作中はいつもカメラを持ち歩くようにしていました。カメラを手にしていると、一つ触覚が増えたような感じがして、一瞬違うものが見えるようになるんです。それが錯覚の時もあるし、うまく捉えられることもある」

 時に自分の感覚が鋭敏になり過ぎている場合は、「危ないからカメラは置いていきます」と笑う。

 「Platibe」ではかつて起きた社会的な事件をモチーフに、生きることの重さを提示した。そこで彼は現実の形をドキュメント的に捉えるのではなく、感覚的に切り取ることで、生命の危うい形を提示して見せた。

「それ以降の作品にしても、僕自身のスタンスは同じですね。意外とコンセプト重視で撮っていると思われがちですが、その時々の自分の感覚を第一に優先して撮影しています」

 タイトルのataraxiaとは、制作の途中で出てきた言葉だという。古代ギリシアの哲学者エピクロスが唱えた思想で、肉体的な快楽と異なる精神的快楽を重視している。

「癒しといってしまうと違うのですが、僕自身、この制作によって救われた部分が大きくありました」

 中世ヨーロッパでは、時代の悲しみや喜びを歌にして旅した吟遊詩人がいた。岡田敦の写真を見ていると、そんな彼らの存在がオーバーラップして見えるのだ。

(c)岡田敦


(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。4月某日、4回目になるギャラリーツアーを開催。老若男女の写真ファンと写真展を巡り、作品を鑑賞しつつ作家さんやキュレーターさんのお話を聞く会です。始めた頃、見慣れぬアート系の作品に戸惑っていた参加者も、今は自分の鑑賞眼をもって空間を楽しむようになりました。その進歩の程は驚嘆すべきものがあります。写真展めぐりの前には東京フォト散歩をご覧ください。開催情報もお気軽にどうぞ。

2009/12/8 20:50