ZIGEN写真展「小豆島」

――写真展リアルタイムレポート

この風景は100年前の人も眼にしていたはずだ (c)ZIGEN

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 ZIGENさんはファッションを中心に、パリ、そして日本で活躍してきた写真家だ。小豆島は作者の父と母が生まれた場所であり、彼自身、母方の祖母が亡くなる小学校4年生まで、何度か泊まりに行っていた。
 
「10年前、父親に誘われ、小豆島を回り、親戚や祖先のことを教えられた。それが撮り始めるきっかけでした」

 以来、折に触れて島を訪ねては、島の原風景を探し、自らのルーツに思いを馳せながら、撮影してきた。その視点はプライベートなものだが、切り取られたイメージはどこか懐かしさや、既視感をもって見えてくる。

 自分を誕生させてくれた両親をさかのぼって数えると、10世代で1,024人、20世代では100万人を超す計算だ。これらの写真を見て、この数字を改めて考えると、今を生きる多くの人たちが深いところでつながっているのだとつくづく思う。

 会期は2009年11月13日~12月6日。開場時間は12時~19時。会期中無休。会場のアップフィールドギャラリーは東京都千代田区三崎町3-10-5 原島第3ビル304。問合せは03-3265-0320。

ZIGEN氏会場の色彩はモノクロームで統一されている
会場の様子

父と母の故郷との出会い

 ZIGENさんが最後に小豆島へ行ったのは、40年ほど前になる。さまざまな思い出があるというが、特に強烈なヒトコマは葬儀でのものだ。頭に三角の白い布をつけさせられ、わらじを履いて、手押し車に載せた棺の前後を歩かせられた。

「その時は怖くて泣きながら歩いていた」と笑う。さらに「小豆島は醤油の醸造元が多いんだけど、再訪した最初、その匂いがずいぶん薄くなった気がしたね」ともいう。

 当時は自給自足に近い生活がされていて、幼い頃に見た牛小屋や井戸水、庭を歩き回る鶏、畑の光景などもよみがえってきた。

「父親の両親、僕の祖父母は、生家が隣同士だったと知って、そんなに近くで縁組したのかって驚きましたね」

 このテーマに魅力を感じ、早速、その旅から3ヵ月ほどあとに、一人で小豆島を訪ねた。しばらく継続して撮影するつもりが、折りしも母親が他界してしまった。

「3~4年撮る気になれずにいたのですが、母親の足跡ももう一回、見直してみようと思えるようになり、再開しました」

展示作品の中に2点、作者は自分の子どもを潜ませている (c)ZIGEN

学生時代学んだスナップの手法で撮る

 この撮影はペンタックス67と、モノクロームフィルムで行なうと決めた。その理由は、写真学校で教わった撮り方を試してみようと思ったからだ。

「街に出て、被写体に対峙しろ。そこで感じたバイブレーションを写真に切り取れってね。いろいろな経験をしてきた自分がそれをやって、どんな写真が撮れるか、見たかったこともあります」

 ペンタックス67を選んだのは、ボディの存在感と重厚なシャッター音が、そんな自分のリズムを気分よく高揚させてくれそうな気がしたからだ。

敢えてフィルムで撮影し、バライタに焼いた。それは、こうした表現ができるぎりぎりの時にきているという思いがあるからだ (c)ZIGEN

 撮影は日帰りか、一泊。日帰りの場合は、島に着いてから、最終の船が出る時間までが持ち時間だ。

「今は、1時間も集中して撮影するとふらふらになる。この島には店なんかないから、道端に座って休むしかない(笑)」

 撮り始めは、父や母にゆかりの場所を撮り歩いた。祖父の家の庭に咲いていたキャベツの花や、15歳で父が初めて働いた場所などだ。

「その次に、もし自分が小豆島に生まれていたとしたら、何を見ていたか、感じたかを想像し、さらには10代前の人が見ていたであろう光景を探していった」

 祖母の家の縁側から見た風景や、寺の境内にそびえる大木の根……。それは自分の最も古い原風景を見つける行為なのかもしれない。

(c)ZIGEN

青山スタジオからパリへ

 ZIGENさんは写真学校で学ぶうちにポートレートに興味を持ち、青山スタジオで約2年間修行。本場の現場を経験したくなり、単身、渡欧する。言葉も通じないパリで、ピーター・リンドバーグのアシスタントとなり、3年後、独立した。

「当時の日本のスタジオは私語厳禁。言われる前に行動する体育会系の世界(笑)。だからどこの国に行っても大丈夫だと思ったんです。それはまったくその通りでした」

 パリではアシスタント3年を含め計13年活動したが、そこではさまざまな撮影技術を学び、実践してきた。

「ファッション写真は鮮度が一番だ」とZIGENさんはいう。今最高の瞬間を切り取って、すぐに流通させる。そのイメージを作るために、自らモデル選び、メイク、衣装、ヘアスタイルすべてに眼を光らせた。

「だから発表した時がすべてというのが宿命。ある時、これまで撮ってきた写真をまとめて見ると、過去にやってきたただの記録、思い出でしかないんだよね。撮影はスリリングで、緊張感のある楽しい仕事だけど、もう一つ別に残しておく価値のある写真を撮っていきたいと思ったんだ」

(c)ZIGEN

後世に残る作品が撮りたい

 最初に取り組んだ「世紀末肖像」展では、これまでと180度考え方を変えて、衣装、ポーズなどすべてモデル任せで撮ろうと考えた。被写体も、撮られたいと望む人すべてを受け入れる。

「ポートレートを撮る時は、相手をよく理解しろと言いますよね。では、今日初めて会って撮った人と、自分の父親のポートレートを並べたら、どう見えるか」

 撮影期間は5年で、モデルは総計255人に上った。その全員を8×10判カメラで、人工光を使い被写界深度を深くとって、撮影した。その結果、分かったことは、どの写真もその人の一つの真実を写し取っているということだ。最終的に、どんな表情を引き出したいかにおいて、写真家はその実力を振るうことになる。

 こうした実験的な試みを秘めた作品制作を経て、今回の小豆島は撮られたのだ。

「小豆島」と平行してバリ島をモチーフにした「Bali Deep」も制作中。そちらは現在のバリの人、文化、風景を網羅した記録として5年後に完成予定だ (c)ZIGEN

これが第1章で、故郷への旅はまだ続く

 小豆島を撮った写真を見ると、「学生時代も、そこそこ撮れていたかなと思う」という。ただ、写真は集まっても、その頃は何もまとめられなかった。

「何が見たいか、ゴールはどこかが見えていなかったんだろうね。今回は展示に関しても、会場に選んだプリントだけを持ち込んで、その場ですべて決めてみたんだ」

 いつもはミニチュアの模型を作り、プランを練り上げる。それでも実際に飾り始めると、何度も試行錯誤があるのだが、今回は「さっと並べて、すぐにまとまってしまった」という。

 今回、撮影しているうちに、これが第1章で、まだまだ撮り続けたい思いが沸いていたという。この撮影はまったく小豆島のことを調べずに臨んだが、その後、少し歴史をひもとくと、隠れキリシタンがいたとかの記述があった。

「隠れキリシタン関係の伝承やお地蔵さんが、多く残っているようなのです」

 また小豆島にも四国と同様、88ヵ所の霊場があり、そこの風景も見てみたいという。今回の展示の最後に置かれた写真は、その霊場の一番札にある阿弥陀様だ。作者のプライベートな視点の先には、見る人にも共通な原風景が広がっているかもしれない。

物語は第2章、第3章へと続く (c)ZIGEN


(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。4月某日、4回目になるギャラリーツアーを開催。老若男女の写真ファンと写真展を巡り、作品を鑑賞しつつ作家さんやキュレーターさんのお話を聞く会です。始めた頃、見慣れぬアート系の作品に戸惑っていた参加者も、今は自分の鑑賞眼をもって空間を楽しむようになりました。その進歩の程は驚嘆すべきものがあります。写真展めぐりの前には東京フォト散歩をご覧ください。開催情報もお気軽にどうぞ。

2009/11/19 14:02