イベントレポート
開発リーダーが当時を振り返る。エプソンR-D1「最後の感謝企画」
“今だから話せる”エピソードや、幻となった後継機デザインも公開
2022年1月25日 15:00
エプソンスクエア丸の内 エプサイトで1月22日に開幕した写真展「R-D1 in Focus」に寄せて、開幕前夜にオンラインでR-D1ユーザー限定のファンミーティングが開催された。本稿ではその概要をお届けする。なお、配信内容は3月にアーカイブ公開を予定しているという。
エプソン販売社長からビデオメッセージ
冒頭では、エプソン販売株式会社 代表取締役社長 鈴村文徳氏からのビデオメッセージが配信された。鈴村氏は2004年当時にR-D1のマーケティングを担当しており、なかなか販売が伸びずに苦労した部分もありながら、R-D1というカメラを理解してくれたファンには「こんな凄いカメラはないよ」と言ってもらえたことが思い出深いという。
鈴村氏自身も試作機を手にして他のデジタルカメラとは写りが違うことを実感しており、当時のカタログでアピールしていた「空気感」は決して誇大広告ではなかったと語る。「とびっきりの写真が撮れるカメラ」として非常に懐かしいと振り返った。
鈴村社長は特に写真愛好家向けの製品に対して思い入れが強いそうで、今回のR-D1ファン感謝企画のきっかけも作った。2020年春、同社の在庫管理担当者が廃却予定リストを社長決裁に持参したところ、その中に30台のR-D1sが含まれていたことが鈴村社長の目に留まり、「こんなものを処分して、本当にいいのか?」との考えから、“感謝企画”を企画するよう指示したというのが経緯だそうだ。
企画詳細が発表されると、“カメラが30台も出てくるなんて、エプソンは在庫管理が甘いのか?”との反応もあったそうだが、実際はそうではなく、修理対応の終了品も一定期間は保管しておかなければならず、そのためにルールとして倉庫に管理していた30台だったと説明があった。
R-D1商品企画ストーリー。発売当時の秘話も
のちにR-D1となるカメラの商品企画は、発表の2年前にスタートした。エプソンはそれ以前からデジタルカメラを発売しており、特にカラリオブランドの「CP-500」というモデルが大ヒットしたが、それでも“パソコンの周辺機器メーカー”と認知されていたため、「エプソン=フォト」のイメージを確立したかったのだという。
当時はフィルムメーカーもプロや愛好家向けに中判カメラを発売しており、「カメラを製品ラインナップに持っていてこそ、“写真メーカー”と思ってもらえるのでは」と考え、そのためのハイグレードなカメラとして企画されたのがR-D1だった。開発にあたりコシナと提携し、アナログ的な外観でありながら、中身はエプソンが持つ最新のデジタル技術を盛り込むものとした。
2004年に製品を発表するまでは、とにかく“R-D1”という言葉を秘密にすべく、社内メールのタイトルなどでも全てニックネーム(開発名称)の「Yudanaka」と呼んでいたそうだ。
秘密保持のために便宜的に付けられた名前でありながら、湯田中、湯田中と呼ぶうちに社員もその名前に愛着が沸いてしまい、「もう型番もYudanakaでいいんじゃないか?」という声さえ出ていたという。
スキャナーやプリンターとは異なる、R-D1の画像処理技術
塩原氏は“ハイグレードなカメラ”を開発するにあたり、まず最初に「よい写真とは何か」を徹底的に考えたという。当時のエプソン社内では「カラーマッチングが大事」という基本の考えがあり、プリンターのように正しい色再現こそが大事という考え方がベースにあったそうだ。
しかし、長年スキャナーやプリンターの画像処理を担当してきた塩原氏は「写真は本当にカラーマッチングが大事なのか?」「よい写真は高解像度じゃなきゃいけないのか?」と考えた。当時の銀塩カメラはフィルムメーカーが写真の画を決めており、それは必ずしも数値的に正しい色再現ではなかったからだという。
また、スキャナーに比べて格段に広いダイナミックレンジを記録するカメラでは、ダイナミックレンジを圧縮する必要があり、それにはカラーマッチングの概念を捨てる必要があったという。カラーマッチング的に正しい色を再現するには、色をねじったりしなければならず、そこで階調性が犠牲になってしまうそうで、「階調性」と「コントラスト」が大切になるカメラの画像処理においては「色味が違っても階調再現をなめらかにしていったほうがいいのではないか」と考えた。この考えに基づく暗部と明部の表現へのこだわりは、R-D1で撮影した写真から感じてもらえるのでは、と塩原氏は語る。
いっぽう、CCDセンサーの特徴として、ダイナミックレンジが広い反面、自然なノイズが多い一面があるという。ダイナミックレンジの広さを引き出しつつ、デジタルフィルターによるノイズ処理もなるべく使わないことで立体感や階調表現を引き出したR-D1は、ノイズ処理もアナログ手法に頼った。具体的には「冷やすしかないでしょ」と大きな冷却板を作り、センサー部の熱を逃がしてノイズを抑えたそうだ。
まだまだ飛び出す苦労話
MFカメラならではの苦労
R-D1の開発において画像処理より大きな悩みとなったのは、「MFレンズを使うこと」だったそうだ。R-D1の全ての個体において、レンズ側を無限遠にセットしたら、キッチリ無限遠にピントが合わなければならない。フィルムカメラであればレンズマウント面と平行になるようフィルムレールを削ればよいが、CCDセンサーはセンサー内の受光部がピント面になるため、そこに合わせる必要がある。かつ、片ボケしてもいけない。
これを量産工程でどのように解決していくか検討の末、専用の装置を開発。これによりR-D1の製品化が実現した。装置を設計した2名は社長賞をもらったという。
開発者も泣いた“縦ズレ”
R-D1が搭載する等倍ファインダーは、現在でもデジタルカメラで唯一無二の存在だ。しかし、先の画質や無限遠のピントに集中していたあまり、R-D1用に設計変更したファインダーの耐久性などの評価が不足していたことで、予想以上の短期間に多くの個体で“縦ズレ”が出てしまったと、塩原氏は参加者(=R-D1ユーザー)にお詫びをしながら振り返っていた。特に修理体制が整っていない海外では迷惑をかけてしまったとの説明があった。
R-D1修理でカメラ好きになった“大澤さん”
R-D1は、エプソンのプリンターやスキャナーを修理するエプソンサービス株式会社で修理を行っていた。距離計の修理を担当していた大澤氏は、2010年頃から全てのR-D1修理品を1人で担当。大澤氏自身、それまではカメラに興味がなかったものの、R-D1を担当するうちにカメラ誌なども読むようになっており、2021年3月の修理対応終了を残念がったという。
レンジファインダーカメラはその仕組み的に、至近から無限遠まで全域で完全なピントを得ることは難しいと知られている。大澤氏いわく、R-D1にもそうした技術的な点に理解あるユーザーが多く、例えば修理の過程で「距離計調整が最後まで追い込めないかもしれません」とユーザーに伝えても、「わかっているから、できるところまででいいよ」といった愛のある言葉を返してくれるケースが多く、とても救われたのだという。
セルフ調整は「控えてほしい」
先の通り、R-D1シリーズでは距離計の縦ズレに悩まされてしまうケースがあり、ユーザーによっては自分で調整してしまう人もいるのだという。R-D1ファン向けの場として、それについても説明があった。
R-D1はホットシューのレール部分を外すとドライバーが入る程度の穴があり、その中のネジを回すことで距離計の調整ができることが、一部ユーザーの情報発信などで知られているという。しかし実際はR-D1と、R-D1sおよびR-D1xでは距離計の機構が異なり、R-D1sとR-D1xはトップカバーを外さなければ辿り着けない部分に調整ネジがあるという。
R-D1シリーズは3機種ともメーカーでの修理対応が終了している。ユーザー自身の分解などにより二度とピントが合わなくなってしまう可能性があるため、現時点で前ピン/後ピンがあっても個体のクセとして受け入れ、ユーザー自身での調整はぜひ控えてほしいと説明があった。
R-D1の歴史と、幻になった後継機
R-D1が細かなアップデートでシリーズを続けていたのは、裏で後継機を開発していたからだという。一度R-D1が販売終了になってしまうと、次のモデルが安心して市場に受け入れてもらえないと考えたエプソン販売では、斉田氏と鈴村氏でレンズキットの「R-D1sL」やグリップ付きの「R-D1xG」をリリースをしながら時間を稼ぎつつ「塩原さん、早く後継機を出してよ!」と懇願していたのだという。
中でもR-D1xの登場については、斉田氏の思い出話も披露された。「R-D1の後継機を出します」として雑誌関係者などを新製品内覧の場に招いたところ、各雑誌社は“R-D2”を期待して、ムック本の担当者などが多数集まったという。実際は“液晶モニターが回転しなくなっただけ”(回転する液晶モニターのパーツが枯渇したため)だったが、カメラ誌の関係者からは「でも、R-D1はそういうカメラでいいと思います」と慰められたり、「それでも続けてくれてありがとう。画質が好き」と言ってもらえたのが救いだったと振り返る。
また、2014年にR-D1シリーズの販売終了が告知された際には、ひとつのカメラが販売終了になったということ自体がニュースとして取り上げられたことにとても驚いたそうだ。画面上で、当時の本誌記事と日本カメラ(2021年休刊)の雑誌記事が紹介された。
ここで、初披露となるR-D1の“後継機”のデザイン画が公開された。商品企画は2009年に社内で承認され、2010年に開発に着手したが、同時期に起こったデジタルカメラの市場縮小に伴い、発売が断念された。
既に存在した試作機を試したプロカメラマンからは高評価を得ていたというだけに、どれほど残念だったか想像できない。塩原氏は幻となったR-D1後継機を振り返り、「技術者冥利に尽きる開発だった」と語った。
10年以上を経て初公開されたR-D1後継機の主な仕様は、以下の通り。
・R-D1より一回りコンパクトな外観
・人間の目ではわからない程度の低遅延を実現したエプソン製EVF
・マウントはエプソンEM(Mマウント互換)対応。さらに専用ズームレンズも使える新構造
・かつ、塩原氏が好きなY/C(ヤシカ・コンタックス)マウントレンズも使える
・エプソンからもレンズ販売を予定していた
“R-D1あるある”で大盛り上がり
ファンミーティング中には、参加者も交えた「R-D1あるある」談義となった。愛されるカメラならではの楽しい話題だ。登壇者が披露した“あるある”の一例は次の通り。
・シャッターチャージで満足してしまい「電源入れ忘れがち」
・最大2GBのSDまでしか使えないから「カードを忘れても買えない」
・アナログ針のため「メディアの残量表示がざっくり」
・特徴があるカメラだから「街で人に声を掛けられる」
写真展「R-D1 in Focus」会場
写真展会場には、今回のイベントに当選した30名と、上田晃司氏、コムロミホ氏の作品が並ぶ。当選者の全ての作品にはタイトルと撮影者の名前、使用レンズ名が書かれている。使用レンズには、スクリューマウント時代のライカレンズから、フォクトレンダーの「HELIAR classic 50mm F1.5」といった最新レンズまでが並び、R-D1が現在進行形で愛されている様子が伝わってきた。展示用にエプソン側でプリント&額装した作品は、額装した状態で撮影者に贈られるという。