東京エッジ~首都辺境を巡る写真紀行

第12回:人が交差し街になる——渋谷スクランブル交差点

「世界から希望が消えたなら。」映画の宣伝ポスターが揺れる。スクランブル交差点は発信の場
X-Pro2 / XF35mmF2 R WR / 絞り優先AE(1/1,400秒・F2.0・+0.3EV) / ISO 200

渋谷にはあまり思い入れがなかった。上京して初めて暮らしたのは、前回書いた西武新宿線沿線の小平市。なのでうろつくのは大概、列車の起点となる新宿か高田馬場周辺。その後暮らしたのも池袋、新宿、中野と、ざっくりと言ってしまえば、新宿文化圏を長いことうろうろとしていた。だから馴染みがあるのは新宿である。

上京したのは1991年。90年代の東京は、ピチカートファイブに小沢健二などの「渋谷系」と呼ばれる音楽が、若者を中心にポピュラリティーを獲得し、ミニスカートに厚底ブーツを履いた茶髪、細い眉毛の、日焼けサロンで焼いて浅黒い肌をした、安室奈美恵のファッションに影響を受けた「アムラー」と呼ばれるギャル達が、巷を席巻していた。後に「コギャル」「マゴギャル」「ガングロ」「ヤマンバ」という言葉も生まれた。それらの舞台は常に渋谷だった。

渋谷から何かが生まれる、そういった気運に満ちていた。

なにかの騒ぎかと思っていたら、動画の撮影だった。ここで撮影することが自体がステイタス
X-Pro2 / XF35mmF2 R WR / 絞り優先AE(1/2,500秒・F2.0・+0.3EV) / ISO 200

渋谷にはそんなに足は向かなかったけれど、そんな私でもパルコで開催された写真展には何度か足を運んだ。写真を始めたばかりの身には見ておいたほうが良いと思える、話題となる展示が多かったのだ。90年代、カルチャーの中心は渋谷だったと言って差し支えないだろう。

1998年、『歌舞伎町の女王』を引っさげて華々しくメディアに登場した椎名林檎が、自らを「新宿系」と名乗っているのを知った時には、新宿派の私としては、快哉を叫んだ。アンチテーゼとしての椎名林檎が求められるぐらい、時代は渋谷を中心に進んでいたわけである。

「人間まるだし」。この場所に妙に合うコピー
X-Pro2 / XF35mmF2 R WR / 絞り優先AE(1/4,000秒・F2.0・0.0EV) / ISO 200

その後、プロカメラマンとしてのキャリアを始めた2000年前後、渋谷区桜丘町にあったロッキング・オン社が刊行している音楽雑誌で仕事をしていたので、渋谷にはちょいちょい出掛けた。暮らしていた中野新橋から、山手通りを自転車で南下して行くのだが、東京は広大な関東平野の真っ只中にあるはずなのに、意外に坂が多くてしんどかった。向かう時は特に。帰りは逆に下り坂になるので楽だった。当時は深く考えていなかったけれど、後に渋谷の地形について知る。

『東京エッジ』第7回に書いた立石に居を移してからは、より渋谷は離れ、縁遠くなった。

現在渋谷ではショベルカーなどの建設機械をそこかしこで見かける
X-Pro2 / XF35mmF2 R WR / 絞り優先AE(1/60秒・F2.0・0.0EV) / ISO 3200

しかし、“大峯奥駈修行”という山伏の修行に数年来一緒に参加している深澤太郎という、國學院大學の准教授(当時は助教)との繋がりから、2014年に國學院大學博物館で開催された「富士山―その景観と信仰・芸術―」展に写真を出展したことにより、再び渋谷と縁ができる。國學院大學は渋谷区内にある。

言わずと知れた渋谷のシンボル。109(通称マルキュー)。ギャル系ファッション誕生の地
X-Pro2 / XF56mmF1.2 R / 絞り優先AE(1/1,250秒・F1.2・0.0EV) / ISO 200

当時、國學院大學博物館の学芸員だった石井匠との出会いも大きい。彼が2015年に担当した企画展のタイトルはずばり「SHIBUYA」だった。それにも参加したことにより、より渋谷と関わることとなった。

「SHIBUYA」展の企画意図は、

渋谷、25000年間の履歴書
 あなたは見たことがありますか。
 博物館で知る〈SHIBUYA〉のものがたり。

というものだった。

渋谷の過去、現在、未来を見るという趣旨である。

スクランブル交差点。もはや人が往来するだけの単なる交差点ではない
X-Pro2 / XF56mmF1.2 R / 絞り優先AE(1/680秒・F1.2・0.0EV) / ISO 200

深澤太郎と石井匠という、出会った時は30代前半だった若き研究者のふたりは、(いまや40だから若くもなんともないが)、それぞれが考古学と縄文土器が専門で、彼らと呑みながら繰り広げられる会話は時に興味深く、特に石井匠が話した、渋谷というのは坂が多く、スクランブル交差点はいわば谷底なのだという話はとても印象的で心に残った。

あらゆる方向から人は行き来し、街へと消えていく
X-H1 / XF16-55mmF2.8 R LM WR / 絞り優先AE(1/150秒・F2.8・0.0EV) / ISO 200

そしたら2015年公開、細田守監督作品「バケモノの子」である。渋谷を舞台にしたあの映画では、終盤スクランブル交差点を鯨が泳ぐ。あのシーンは痺れた。ちょうど「SHIBUYA」展でスクランブル交差点を撮影していただけに。

あらゆる人が行き交うここは、ある種絵になる場所
X-T3 / XF56mmF1.2 R / 絞り優先AE(1/85秒・F1.2・0.0EV) / ISO 320

道玄坂に宮益坂、スペイン坂など、確かに渋谷には坂が多い。一説に30以上あると言われている。それを裏付けるかのように千駄ヶ谷、鶯谷、富ヶ谷など谷を表す地名と、代官山、鉢山、桜丘、南平台、円山、神山など山を表す地名も多い。そもそも渋谷という地名も「谷」である。起伏が激しい土地だということだ。

視点を変えるとまた違って見える
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 絞り優先AE(1/60秒・F1.4・0.0EV) / ISO 500

その中心、最も低いところが渋谷駅、つまりスクランブル交差点辺りで、そこから放射線状に坂が広がっている。しかも駅の下には「渋谷川」という川が流れている。山間の谷を川が流れるのは自然の理で、渋谷の地形を物語っている。1964年に開催された前回の東京オリンピックを前に、街の整備の一環として、その大部分が暗渠化されたので、存在を目の当たりにすることはほとんどないが。今は渋谷駅南側に位置する、2019年9月に開業したばかりの複合商業施設、地下4階、地上35階建ての「渋谷ストリーム」の稲荷橋広場から見えるばかりである。

渋谷川。暗闇からその姿を表す
X-Pro2 / XF35mmF2 R WR / 絞り優先AE(1/60秒・F2.0・0.0EV) / ISO 320

川(水)があったから人が集まったのだろう。

どうやら渋谷には縄文時代から人が住んでいたようである。実際渋谷区のホームページにも「渋谷区には、先史時代の遺跡が30数カ所発見されていますが、現在その姿をとどめているのは数カ所です。当時の渋谷は、台地部分が海面から頭を出していた程度で、縄文時代、人々は丘の上で生活を営んでいたのでしょう。」と書かれている。街並みはすっかり変わってしまったが、未だに人が集まり続けている。日本だけではない、年々世界中からスクランブル交差点に集まってきている。

昨夜の喧騒の名残り
X-Pro2 / XF56mmF1.2 R / 絞り優先AE(1/160秒・F1.2・0.0EV) / ISO 200

多方向から同時にあれだけの人数が歩いてきてもぶつからない。それが面白いのだろうか。観光地化している。

安室奈美恵。この人から始まった
X-Pro2 / XF56mmF1.2 R / 絞り優先AE(1/5,400秒・F1.2・0.0EV) / ISO 200

スクランブル交差点というものは多くはないが、世界中に存在するようだ。しかし交通量が1回の青信号で、混雑時には3,000人、1日に50万人にも上ると見なされているスクランブル交差点は他に類を見ないと、石井研士著「渋谷学」(弘文堂)にある。

単なる交差点に多くの人が集まる。もはやスクランブル交差点そのものが“エッジ”である。エッジとは本来「端」を表す言葉だが、エッジが効いているという表現があるように、尖っているとか、先端をいっているなどの意味も内包する。世界中からこれほどまでに人を集めている渋谷のスクランブル交差点はまさに東京の最前線であり、発信の場、流行の中心である。

なぜに渋谷に人が集まるのか。今回この記事を書くにあたって何度も渋谷を訪れて考えてみたが、そんなこと明確に分かろうはずもない(笑)。理由はひとつではない。

休日の早朝の駅。人影はまばら
X-Pro2 / XF56mmF1.2 R / 絞り優先AE(1/105秒・F1.2・0.0EV) / ISO 200

昔は川がある。農地に都合がいい。漁(猟)をするのにもってこいなど、衣食住に直結した理由で人は、その地に暮らし始めたはずだ。しかし、お金という概念が誕生し、ネット環境が整って、どこにいても物が手に入るようになった今、ことはそう単純ではない。

早朝の渋谷。柔らかな光。静かな街も心地良い
X-Pro2 / XF56mmF1.2 R / 絞り優先AE(1/2,900秒・F1.2・0.0EV) / ISO 200

人が集まって街ができる。街ができたから人が集まる。どちらも正解だろう。

確実に言えることは、人が街を育てるということだ。そもそも人がいないと“街”は成立しないのだから。

恵比寿へと向かう線路沿いの道。この辺りも急速に変化している
X-Pro2 / XF35mmF2 R WR / 絞り優先AE(1/4,700秒・F2.0・0.0EV) / ISO 200

渋谷、百年に一度の再開発といわれている。それほどまでの規模
X-Pro2 / XF35mmF2 R WR / 絞り優先AE(1/140秒・F2.0・0.0EV) / ISO 200
ハロウィンの日。これでもかというほどの人で溢れていた。半数は外国人だったように思う
X-H1 / XF16-55mmF2.8 R LM WR / 絞り優先AE(1/180秒・F2.8・0.0EV) / ISO 6400
渋谷の闇の住人が現れる
X-Pro2 / XF56mmF1.2 R / 絞り優先AE(1/320秒・F1.2・0.0EV) / ISO 2500

私はアメリカ中西部に位置するミシガン州のデトロイトを訪れたことがある。

デトロイトはかつてモーターシティーと呼ばれ、全米随一の自動車工業都市として賑わったが、1970年代に入り、小さいながらもリーズナブルで安全なコストパフォーマンスに優れた日本車の台頭により、自動車産業は深刻なダメージを受け、企業の大量解雇や倒産が相次ぎ、街に失業者や浮浪者が溢れた。その結果、白人などの富裕層は郊外へと移り住み、ダウンタウンは人がいなくなってゴーストタウンと化した。荒涼とした街全体がいわば映画のシーンのよう。郊外に移り住めない貧困層だけがダウンタウンに暮らしているから治安は悪くなる。益々人は離れていくという悪循環。一度そのスパイラルに入ると歯止めが効かないのだろう。私が訪れた90年代半ばもそのような状況だった。(国内産業と雇用を守ると謳ったドナルド・トランプの経済政策のおかげか、現在はかなり回復しているようである。)

人がいなくなると街は街の機能を維持できない。単純にお金(税金)も集まらないし。人が暮らし人が訪れるから、街は街でいられる。

最大の見せ場のこの日。色んな人・ものが現れる。まさに発信の場
X-Pro2 / XF56mmF1.2 R / 絞り優先AE(1/480秒・F1.2・0.0EV) / ISO 1600

渋谷駅周辺は現在再開発の真っ最中である。余力のある自治体は、現状に甘んじることなく、自ら変化していく。後手に回ることはない。これは自治体に限ったことではなく、あらゆるサービス産業に言えることだろう。人の流れが停滞したら終わり。運気も下がる。そうなる前にメニューを変えたり、店をリニューアルしたりして、目先を変え、飽きさせず、訪れる人の心を掴み続ける。それが集客へと繋がる。

生まれ変わった渋谷にも必ず人が訪れる。人が訪れる限り、渋谷は渋谷であり続ける。

その中心にあるのは間違いなくこれからもスクランブル交差点だ。スクランブル交差点を渡って人は今日も街と戯れる。

煩わしいが、人が多いのも渋谷の魅力。人がいてこそ渋谷
X-Pro2 / XF56mmF1.2 R / 絞り優先AE(1/350秒・F1.2・0.0EV) / ISO 1600

井賀孝

1970年和歌山生まれ。写真家。ブラジリアン柔術黒帯。主な著書に富士山写真集『不二之山』(亜紀書房)、修験道の世界に身を投じて描いた『山をはしる』(亜紀書房)などがある。最新作は『VALE TUDO』格闘大国ブラジル写真紀行(竹書房)。