編集後記

2021年2月12日

宮澤孝周

東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催されている展覧会「写真家ドアノー/音楽/パリ」に行ってきました。レポートも掲載していますので、まだご覧いただけていない方はぜひレポート記事はこちらです

さて、久しぶりの展覧会ということもありますし、好きな作家の一人でもありましたので、個人的にも興味深く見てきました。再びの緊急事態宣言で世情に緊張が走る中ということもあり、ゆっくりと見られなかったことが心残り。会期中にもう一度見に行きたいな、と思っています。

展覧会で印象的だったのが、写真に収められている人々の目が生き生きとしていたことです。楽しげであったり、挑戦的であったり、とにかく表情が豊か。言われなければ、とても戦後間もない頃のこととは思えませんでした。

音楽があって、人が集まって、その日の喜びや悲しみが、音とともに溶け合っていく。そうした様々な日常の断片が、会場に展示されていたように思います。「おおらか」というと乱暴な表現ですが、人の表情もプリントそれ自体にも柔らかさを感じました。

ドアノーは、作品をつくろうとして撮っていたのではない、といいます。展示されているシーンの多くは、当時は何でもないような日常の記録でしかなかったのかもしれません。ごくありふれた日常だとしても、人間の普遍的な感情が画面からにじみ出てくるようにも感じられたことは確かなこと。日常性の中で、激しさや、大きな感情の揺れがないからこそ、じっと見ていても見疲れしないのかもしれないなと、そんなことも考えさせられました。

これまでいくつかの現代スナップをめぐる展示や、トークショーの模様をお伝えしてきていますが、共通して聞かれるのは、スナップ自体が難しくなったということ。日々、想像もつかないような事件が発生する現代社会だからこそ、日々の警戒も必要だということは理解できるのですが、反面でそうまでしなければならない状況に異常性のようなものも感じます。もう少しだけ、人と人がおおらかな気持ちで接することができたなら、スナップのあり方も変わっていくでしょうか。