山岸伸の「写真のキモチ」

第23回:俳優 西田敏行さんとの出会い(前編)

僕が西田さんから教えてもらったこと

”カメラマン山岸伸”が生まれたのに、俳優の西田敏行さんが大きな存在だったことは、今までにも何度か話の中にも出てきてますが、今回はその西田敏行さんとの出会い、その後の2人の関係、当時の撮影話をたっぷりと伺いたいと思います。10年ほど西田さんに付き撮り続けた話は1回では話しきれず、2回に分けてお送りいたします。(聞き手・文:rinco)

42年前の出会い

CBSソニーのディレクターをやっている友達にCBSソニーデザイン室を紹介してもらい仕事をいただき始めた頃、ある時「西田敏行のレコードジャケットを撮ってもらえないか」と言われたのが、最初でした。

当時、西田さんが出演していたテレビドラマ「池中玄太80キロ」主題歌のレコードジャケットの撮影でした。とても視聴率の高い人気のテレビドラマでしたね。初対面での撮影でしたので、結果、こういうスタイルでの写真になりました。

池中玄太80キロの主題歌「風に抱かれて」(CBSソニー)

次にいただいた撮影は「風見鶏こっち向いた」という歌のレコードジャケットの撮影でした。この時は「サンキュー先生」というテレビドラマの収録をしていて、その現場へ向かい撮影したんです。場所は確か小田原かな、海岸から少し上に上がったところにある校舎で撮影していました。

朝8時に私のアシスタントとCBSソニーのデザイナーと3人で行き、館野さんという青年座の当時のマネージャーに「西田終わるまでちょっと待っててよ」と言われて待っていたのですが、いつまでも終わらないんです。僕は駆け出しのカメラマンですし、西田さんは売り出し中の俳優さん。そして何よりマネージャーの館野さんが怖い人なので、校庭の端の方で待ち続けてましたね。

結局16時くらいに終わって、西田さんが「ごめん、ごめん、待たせてごめんね」といって来てくれて、それから撮影しました。その時西田さんに「待たせて悪かったね、腹減ったでしょ。飯に行こう」って誘っていただいたんです。もちろん、一緒に食事など初めてのことでした。

それがきっかけで、この日から西田さんとの縁が続いていったんだと思います。それとマネージャーがその時に西田さんと僕の波長が合うと見抜いて、それからずーっと仕事が来る様になった。今でもよく覚えてます。それから本当に夢の様に仕事が増えてゆきましたね。これは1980年の撮影、42年前の話です。

西田さんとのきっかけとなったレコードジャケット写真。「風見鶏こっち向いた」(CBSソニー)

その後も引き続き同じロケ地で撮影した写真

コンサート「メルヘンロールイン春」から(1982年3月)

コンサート「メルヘンロールイン春」から(1982年3月)

いい表情が撮れなければ意味がない

西田さんを撮ればその全てが仕事になったんです。西田さんには海外へも沢山連れて行ってもらって、山ほど仕事がありました。雑誌にコマーシャルに舞台に、その他も。とにかく付いて行けばなんでも仕事になりました。そのくらい、ものすごい経験を僕に与えてくれた。

今の僕が被写体に向かう姿勢は全て、西田敏行さんが教えてくれたんです。言葉じゃなくて。

僕の仕事を皆が早い早いというのは、西田さんがそれを教えてくれたからなんです。それとマネージャーから「西田さんは忙しくて時間がないから、早く撮れよ! 早く撮れよ!」と言われ、早く撮ることを教わった。たとえ何時間かかって撮影したとしても、その相手の表情がいいのが撮れなければ意味がないから。

「無理に笑えと言っても笑えないんだよ、はい笑ってと言われるのが一番辛い」と当時西田さんは言ってたな。

「風に抱かれて」(CBSソニー)の撮影アザーカット

ルーツが一直線につながっていく

西田敏行さんが居た青年座に、安田成美さんが居た。毎回、青年座マネージャーの館野さんが僕に依頼してくれて、その時に青年座も僕を認めてくれて、青年座での仕事もする様になってゆきました。

俳優の中村雅俊さんのマネージャーをしていた黒澤さんという方も、この当時の安田成美さんの現場マネージャーをやっていて、今でも一緒に仕事をしてます。そういうルーツが一直線につながっていくんです。

西田敏行さんの撮影をすごく沢山やらせてもらっているときに、安田成美さんも撮らせてもらって、それで元イエローキャブの野田社長が居て、そこにCBSソ二ーから米米CLUBがデビューしてきて、全てが仕事になった。僕にとってはもう、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

僕は西田さんに付いていることで本当にたくさんの人に会わせていただいた。皆、西田敏行さん繋がりで知り合ったんです。

もしもピアノが弾けたなら

俳優の西田さんですが、歌を沢山出す様になりました。1981年に「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットしたんですが、実はこの曲はB面で、最初は「いい夢見ろよ」という曲がA面だったんです。

ところが発売されたら「もしもピアノが弾けたなら」の方がドンドン売れて盛り上がってゆき、A面とB面の曲を急遽変えたんです。それがこのジャケットです。この頃は西田さんがすごく忙しくて、目黒のスタジオで撮影したんですが、結構お疲れだったと思う。

山岸さんが撮影した「もしもピアノが弾けたなら」(CBSソニー)のレコードジャケット

最初のジャケット

僕が今こうやってあるのは、西田敏行さんあってのこと

西田さんは、「もしもピアノが弾けたなら」が売れると次々と他の仕事も決まってゆきました。テレビでも歌う様になり、その年の紅白歌合戦にも出演しました。僕も会場へ撮りに行きました。テレビ局についてゆくと自分が過去経験したことのない経験をさせてもらいました。

NHK紅白歌合戦の楽屋には杉良太郎さんや五木ひろしさん、西田敏行さんの3人が入っているんですよ。その様な場で僕は息を潜ませそーっと写真を撮っているんです。そうすると、沢田研二さんが「西田さん、そろそろ行こ~」って迎えに来るんです。

また、加山雄三さんが「としちゃん! どう元気!?」なんて言いながら肩をポーンって叩いて西田さんに挨拶したりする。皆、西田さんにはそういうノリなんです。誰にでも愛されていた西田敏行さんという人のお付きのカメラマンである私自身も居心地がよかったです。

西田さんは、例えば僕がシーンとしていると「しんちゃん! こっち来なよ!」って必ず呼んでくれて、身内の様に扱ってくれたんです。だから僕はいつもそばで西田さんを撮っていた。何よりも嬉しかったのは撮影が終わるとおいしいものを山盛り食わせてくれたこと。僕が今こうやってあるのは、西田敏行さんあってのことです。

テレビ「池中玄太80キロ」収録時の写真

テレビ「池中玄太80キロ」収録時の写真

初の写真集は西田敏行さん

「もしもピアノが弾けたなら」が売れて、暮に紅白歌合戦への出演が決まりました。そして青年座の芝居終わりの打ち上げをやった時に、ソニーの偉い方々や青年座の若い役者やスタッフ皆が集まってね。その時に西田さんがお酒を飲みながら、僕に「しんちゃん、撮ってくれたお礼に俺のベンツあげようか?」って言ったの。

「だって、カメラマンって、みんなベンツだろ? しんちゃんもベンツ乗りなよ」って。半分本気にして嬉しい気分でいたんですが、マネージャーに「それは駄目だよ」ってその場で言われてしまって……。

その時に「それなら僕に西田さんの写真集を出させてください!」ってお願いしたんですよ。「写真集? 売れないでしょう」って言われたんですが、「それでもやりたいんです私は!」って言っていたら、すぐ横にCBSソニーの社長がいて「うちに出版もあるから、うちでやりなよ」って言ってくださったんです。それで写真集ができたんです。これは僕の初写真集なんです。

とにかく、写真集を作ってみたかったんですよね。憧れの"写真集”でしたから。

写真集「気分はジャーニー」(1982年発行、CBSソニー出版)

この写真集の話が決まった時の打ち上げ会。写真集「気分はジャーニー」(CBSソニー出版)から

この写真集にはスタジオ撮影やプライベートショット、トラック島(チューク諸島)での写真などを載せてます。モノクロは全部自分でプリントしているんです。この頃のマイブーム? ソフトフォーカスがかかっている写真が多いんですよ(笑)。トラック島には青年座の「冒險ダン吉の冒險」という芝居の打ち上げに、西田さんが芝居の人たち皆を連れてこの島に行ったんです。話の舞台がここトラック島だったんですよ。

西田さんの故郷。写真集「気分はジャーニー」(CBSソニー出版)から

写真集「気分はジャーニー」(CBSソニー出版)から

青年座「冒險ダン吉の冒險」

青年座「冒險ダン吉の冒險」

青年座「冒險ダン吉の冒險」

八戸での公演が終わり、寝台列車に乗って皆で帰るシーン

見えない糸で繋がっていて

人と人との大切さを教えてくれたのも西田さんだけど、今42年前に僕が最初に西田敏行さんを撮影した「風に抱かれて」のジャケット写真を見ていたら、その曲を作ったのがSHOGUNの芳野藤丸さんだったことがわかって、嬉しくてすぐに電話してしまいました。

芳野さんは「瞬間の顔」にも出演していただき、つい先日このスタジオで芳野さんの50周年イベントのための写真撮影をする打ち合わせをしていたんです。藤丸さんとも見えない糸で繋がっていて、「人生ってこうやって繋がってゆくんだな」としみじみと思いましたね。本当、嬉しいです。自分の歴史みたいなものを辿ってゆくとそういうところに出会うという。

西田さんとは僕と3つ違いなんですが、兄貴の様な存在。僕のお袋の旧姓も西田で……なんか縁を感じるというか、親しみを感じています。

写真集「気分はジャーニー」(CBSソニー出版)から

次回に、つづく。

(やまぎし しん) タレント、アイドル、俳優、女優などのポートレート撮影を中心に活躍。出版された写真集は400冊を超える。ここ10年ほどは、ばんえい競馬、賀茂別雷神社(上賀茂神社)、球体関節人形などにも撮影対象を広げる。企業人、政治家、スポーツ選手などを捉えた『瞬間の顔』シリーズでは、15年をかけて総撮影人数1,000人を達成。また、近年は台湾の龍山寺や台湾賓館などを継続的に撮影している。公益社団法人日本写真家協会会員、公益社団法人日本広告写真家協会会員。