山岸伸の「写真のキモチ」
第22回:山岸伸流 ライティング記録ノート
ポラロイドが物語るタレント撮影の舞台裏
2022年4月29日 07:00
数多くの写真集を出し女性を撮り続けてきた山岸さんですが、それ以外にも多くの広告写真を撮影していたことは、知らない方も多いのではないでしょうか。当時、フィルムカメラで撮影していた時代に現場で何より頼りにしていたのがポラロイド。その撮影数は数え切れないほどですが、その中でも気に入った撮影、思い入れのある撮影などのポラをノートに貼り撮影記録をつけて保存しているとのこと。今回はそのポラロイドと当時の撮影現場での話を語っていただきました。(聞き手・文:rinco)
女性のポートレートを撮るカメラマンとしてスタートした、1枚
1984年に公開された「風の谷のナウシカ」のジャケットは僕が撮ったものです。これをきっかけに私は女性のポートレートを撮るカメラマンとしてスタートしました。これはネット上で検索して見つけたジャケット写真です。1983年の撮影ですが、当時は助手が2人いました。ちょっと忙しくなりつつあって、事務所も九段に設けた頃です。この安田成美さんとの撮影で私も一気にブレイクしていきました。
ノートに撮影記録をした理由
その頃はモノクロのプリントも全てやっていたので、とても忙しかったんです。ワタナベプロの宣材プリントを発注されますと、1回で300-500枚ほどのプリント作業をしなければならなかったので、事務所にも暗室がありました。3日にいっぺんはプリントをしていたと思います。
そういった状況の中で助手がいつ体調壊すかわからないですし、私自身も若かったので、とても気が短くてカッとなったりしてましたから、助手が撮影の日の朝にもう来ないんじゃないかなと思ったり……不安もありましてね。そんな時代だったので、とにかくデータノートをつけようと思ったんです。
当時の六本木にあるアートセンターというスタジオでよく撮影してました。何かあった時に、ここのアシスタントさんにこのライティングノートを見せれば、ある程度のセットは組めると考えました。始まりはそんな理由からでした。セットは組めても勿論、微調整はポラを撮って最終的に作り上げてゆきます。そのためのポラですからね。その後、本人が入ってくる、本番のポラを撮る、そしてまた微調整をしながら最終的に撮ったそのポラにデータを記入してゆきました。
ノートは全部で5冊くらいあると思います。1982年から86年くらいまでの撮影の記録です。このノートは機会があったら世に出したいと思っていたんです。ただ許可の問題もありますし、自分自身が忙しくて時間の余裕もなかったのでそのままに置いていたら色が変色してしまって。このままではダメになってしまうと感じたので、当時、事務所にあった富士フイルムのピクトログラフィーという銀塩プリンターでプリントして残しています。それを今回は皆さんにご覧いただこうと思いました。
安田成美と出会ったことで、今の山岸伸がいるってこと
「風の谷のナウシカ」は僕にとって、初の大きな撮影と言っては過言かもしれませんが、それだけ思い入れのある撮影であったことに間違いないんです。このジャケット写真を撮れたこと、それと安田成美さんを撮れたこと、僕にとって写真人生の三分の一はこれのお陰だと思ってます。
先日の「瞬間の顔 vol.14」最終日、終わる寸前に当時のこのデザイナーの方とレコード会社の社長、伝説のプロデューサーの三浦光紀さんが来てくれたんです。「しんちゃん懐かしいね~」って。いつだったかなぁ、成美ちゃんが俺を見て、「あ! 三浦さ~ん♪」って手を振ってくれてねと、そんなことを話しながら……そうですか、僕は成美ちゃんとはマネージャーさんの結婚式以来、会ってはいないんですよねって話したんです。成美ちゃんとは仲良かったけど、それはあくまでも彼女が子供の頃だったし結婚してから全然会うこともないですね。ま、寂しいけど。そのうちね、また、会いたいなと思ってます。
安田成美と出会ったことで、今の、山岸伸がいるってこと。その1発目のライティングなんです、このポラは。
1983年12月 六本木アートセンター Aスタ
「風の谷のナウシカ」主題歌 ジャケット
フロントトップのメイン傘トレ、ストロボ
トップ傘トレ、600W、ストロボ
黒ケンカット(黒いケント紙を傘のバック側半分の範囲に付け、背景に光が漏れないようにする)
手前両サイドバウンス、タングステン150W左右同じ
サービスライトと兼用(サービスライト:ピントを見るためのモデリングライト。兼用でライティングをしている場合もある)
右後方から人物向け、グリッド2灯、ストロボ
人物前にレフ
ブルー布バック
カメラ ハッセルブラッド、レンズ 250mm
ASA(ISO)50、1/125秒、F8
メイン F8半、左右F8 1/3、中央上 F11、下 F8、トップ F11、バック上 F16、バック下 F4
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こうやってみるとたくさんの思い出があります。
下の2ページは安田成美さんで、「学研中二コース」って雑誌の写真です。定年したのかな、野口さんという方でしたね、仕事をくれた人。今みたいに媒体が少なくなかったから、コマーシャルも西田敏行さん、安田成美さんだけでも本当に多かったです。
でも広告カメラマンのアシスタントについていたわけではなかったから、ライティングは見よう見まね。よく頑張ったと思うよ。大手のクライアントに大きなスタジオで撮影ですからね。当時は一人の売れっ子タレントを撮ると、その後も指名で全てを撮らせてもらえていました。
安田成美さんの写真集は、僕は3冊出させてもらいました。1年に1冊ずつで、二十歳になってからは僕はもう撮影していないんです。
「はっきり言って、手作りです」
次は尾崎亜美さんです。2枚ほどアルバムを撮影させてもらいました。これは「Shot」というレコードジャケットの撮影をした時の写真です。これもネット検索してみたら商品がまだ流通されているようですので、この写真を思い出として引っ張り出してみました。
「どんな風に撮ろうか、Shotだから銃でも持って……」。というのはレコード会社のデザイナーとの話である程度出てきますが、その他にどういう風に撮るということは具体的にはなく、自分が考えて決めなければならなかったんです。絵コンテもないですし。今はPhotoshopで自由自在ですが、はっきり言って、手作りです。何から何まで自分で作り上げなければならなかったんです。
少し、尾崎亜美さんの雰囲気とは違っていたんだよね、このジャケットは。だけど、この時代でよく撮れていたんじゃないかなと思う1枚です。
それなりに昔のカメラマンって、僕もそうですけど知恵を絞って撮影していたんです。ある程度きちんとしていないと昔は写真を撮れなかったですから。何より、現場ではポラ頼りでした。撮影したポラを手で温めてね、早く見れるようにと。両手に挟んで、拝んでました(笑)。
それでちょっと開いて、めくったポラの黒のしまりを少し見て、大丈夫だと思い開けた瞬間、周りにいるクライアントや代理店、スタッフがどっと近づいて見に来るんです。だけどうまくいっていないと見せたくないですしね……。でも、今はテザーだから丸見えです。丸写し。それって、なんでしょうね、デジタルだしすぐに直せるし、緊張感が違うんでしょうか。
1982年9月29日 六本木アートセンター 1スタ
尾崎亜美LP「Shot」ジャケット
手前両サイドバウンス、手前向け2灯、バック向け2灯 ストロボ
手前左からBOXライト 上下150W 2灯 ストロボ
手前左 ピンク スーペリアNo.17(スーペリア:写真撮影用背景紙)
手前右 グレー スーペリア No.21
バックホリゾント 白
カメラ ハッセルブラッド、レンズ 50mm、フォギー(スキントーンを柔らかくするソフトフォーカスフィルター)
ASA(ISO)50、1/125秒、F11
メイン F11、上 F16、下 F8、バック上 F22、バック下 F8
西田敏行さんは、僕に写真の心を教えてくれた人
これは、「江戸のろくでなし」という当時の青年座で公開された舞台のポスター撮影です。1灯で撮影していたのは「ろくでなし」っていうテーマですから影があった方が良いと考えました。1灯のライトの強さで表現してます。事前に台本を読んで、どんな芝居かを把握してイメージを作り上げてます。
西田さんはその頃はトップ俳優。イメージはすぐに作り上げて撮影現場はいつも阿吽な感じでしたね。
撮影時の会話ですか?「しんちゃん、元気? 今日飲みに行こうか?」とか、「また金のネックレスが増えたね、今度会うときは3つに増えるの?」とか(笑)。西田さんには、海外のありとあらゆるところへ連れて行ってもらいました。僕にこんなに写真の心を教えてくれた人は他にいません。
1982年9月15日 スタジオ代々木八幡
青年座「江戸のろくでなし」ポスター
人物左にレフ板2枚、白おこし
左上から傘1200w ストロボ
バック スーペリア白
カメラ ハッセルブラッド、レンズ 120mm
ASA(ISO)50、1/125秒、F16
メイン F16、バック F11、人物 F16
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西田さんの映画の仕事が多くなってきた頃、ちょっと僕も忙しくなってきました。北極までは一緒に行けたんですが、それ以降は私が映画のロケ地にまでついてゆく時間が難しくなってきて、西田さんの撮影の回数も少なくなってゆきました。
ですが、西田さんのありとあらゆる写真を撮っています。今回はデジカメ Watchのためにこれをお見せしましたが、将来はどーんっと全部見せたいと思ってますので、今日からまたポラの整理、始めます。