小林稔の「クルマとカメラの半世紀」
デジタル一眼レフの完成から、ミラーレスカメラの黎明期へ
モータースポーツ撮影の2010年代を振り返る
2026年8月25日 07:00
JRPA(日本レース写真家協会)会長を務め、日本を代表する4輪レース「SUPER GT」「スーパーフォーミュラ」のオフィシャルカメラマンとして活動する小林稔氏。48年間にわたってレンズを通じて世界のモータースポーツシーンを見つめ続けてきた小林氏の証言から、技術革新と撮影現場の変遷をたどる。前回の2000年代に続き、今回は激動の「2010年代」を振り返る。
デジタル一眼レフの完成形への到達、高画素機や中判デジタルへの挑戦、そしてソニー「α9」がもたらしたミラーレスカメラの衝撃まで。現場の最前線で機材と対峙してきた小林氏だからこそ語れるエピソードを届ける。
キヤノンからニコンへのスイッチ、その経緯
小林氏は現在キヤノン機をメインに使用しているが、2010年代当初はキヤノンからニコンへと乗り換えている。当時発表された「EOS-1D Mark III」で測距点が従来の45点から19点へ減少したことに違和感を覚えたという。
そうした中、知人の勧めでニコン「D3」を試したところ、AFポイントは51点に増加しており、高感度性能やAF精度も想像以上だったことから、「これはいいじゃない」と感じてニコンへ移行を決めた。
ニコンへ移行後はフラッグシップ機を歴代にわたって使用してきた。特に低照度下でのバックショットAF性能については「暗いところ、夕方などになってくると、はっきりニコンが強かった」と明言する。一眼レフカメラ時代から現在のミラーレスカメラ時代に至るまで続く、両社の思想の違いだと感じているという。
ニコンのフラッグシップ機「D5」について小林氏は「自分の中ではデジタル一眼レフの完成形」と評価。グループエリアAF(ゾーンAF)が使えるようになった時の感動を今も覚えていると話す。
高画素機「D800」が登場
2012年3月、ニコンから有効3,630万画素の高画素機「D800」が登場した。小林氏はこのカメラを世界一周ヨットレース「ボルボ・オーシャンレース」の取材でニュージーランドへ持ち込んだ。同レースはボルボがスポンサーを務める大会で、複数の寄港地を巡りながら速さを競う形式だった。
現地では最後まで正常に動作したというが、帰国後にメーカーでチェックしたところ、内部にまで潮が回っており全損と判定された。小林氏は「そういう使い方をすべきではなかった」と振り返り、過酷な環境下での取り扱いに反省を残す出来事だったとしている。
帰国後、小林氏はD800をサーキットでの「広い絵」(背景を大きく見せ、マシンを小さく配置する構図)で多用するようになった。高解像度のため、車体を小さく配置してもディテールが潰れず、トリミングや拡大にも耐える描写力を備えていたためだ。レンズは500mmに1.7倍テレコンバーターを組み合わせ、DXフォーマット(APS-Cクロップ)で撮影することで、実質1,000mm相当の画角を得ていたこともあったという。
中判「GFX」でのサーキット挑戦
小林氏のフィールドはサーキットのみならず、一般のロードカーの撮影もある。後者の撮影では富士フイルムのラージフォーマットミラーレスカメラ「GFX 50S」(2017年発売)を使用していたが、次第にサーキットにも持ち込むようになった。
「すごい」と思えるような写真が撮りたい、いわば自己満足に近い動機からだったと振り返る。一方で「その高画素数があっても、活かしきれないわけですよ。ポスターなど、大きく使うのであれば別でしょうけど」と、高画素であることが必ずしも実用面でのメリットに直結しなかった点も率直に語った。
それでも画質面での満足度は高く、「等倍にしてみるとすごいわけです」と評価。ラージフォーマットならではのトーンやグラデーションの美しさを挙げ、カーボンパネルの折り目まで1枚1枚クッキリと写る解像感を強みとした。
走行中のマシンを追う撮影にも挑戦している。ピントが合ったカットが撮れれば。ドライバーのヘルメットの文字までクリアに写る解像感を評価する一方、「めちゃくちゃ追いにくい」とAF追従の難しさを率直に語った。レンズ自体が大きく重いため、被写体の動きに合わせて素早く止める、あるいは追従させることが難しく、それがAF性能面でのネックになっていたという。
2017年、ソニー「α9」がもたらしたミラーレスの衝撃
2010年代後半、モータースポーツ撮影の現場に決定的なパラダイムシフトが訪れる。2017年に登場したソニー「α9」だ。
それまでのミラーレスカメラは、連続撮影時に画面がカクつく、いわゆる“紙芝居状態”になったり暗転したりするため、動き物を追うのは不可能と言われていた。そうした中で試したα9は、ブラックアウトフリー連写によりファインダー内でマシンを完全に追従できる感覚をもたらしたという。この体験から、モータースポーツの実務でも十分に通用するカメラだと確信したと振り返る。
高感度性能への評価も高い。「みんな『ISO 1600すごい』『ISO 3200すごい』と言っていた」時代にあって、α9はISO 4000程度でも粒状感を感じさせない描写を実現していた。瞳認識AFの精度についても早い段階から他社を上回っていたと評価し、走行シーンのみならず人物撮影における強みも際立っていたという。
なお、ニコンがミラーレス機「Z7」「Z6」を投入したのは2018年8月、キヤノンが「EOS R」を投入したのも同年で、いずれもα9より後のタイミングとなる。小林氏は「ソニーは圧倒的に早かった」と振り返り、当時をリアルタイムで経験できたことへの実感を語った。
サブ機としての富士フイルムとRICOH GR III
メイン機がニコンである一方、小林氏はピット裏やドライバーの素顔を切り取るサブ機として様々な機材選定を行っていた。中でも富士フイルムの「X-T3」や「X-H1」に標準域の単焦点レンズを組み合わせて使用していたという。カメラ自体がコンパクトなため、ドライバーの目の前に持っていっても威圧感を与えず、自然な表情を捉えることができたとしている。
さらに、スナップシューターとして知られる「RICOH GR III」もサーキットに持ち込んでいた。ピット内でエンジニアと打ち合わせをするドライバーの横へ近づき、ノーファインダーで手だけ伸ばして撮影するスタイルを実践し、「X-Tシリーズ以上に“隠しカメラ”的に使えた」と語った。
機材が競い合うからこそ、写真は面白くなる
2010年代の終わり、キヤノンが「EOS-1D Mark IV」から「EOS-1D X」へと一眼レフの技術を結実させ、ソニーがミラーレスカメラで急襲し、ニコンがフラッグシップの意地を見せるなど、激しい技術競争が繰り広げられた。
「どこか1社が勝ち続けるのではなく、各メーカーが独自の強みを競い合うからこそ、見たことのない写真が撮れるようになる」と小林氏は語る。カメラの過渡期をリアルタイムで経験できたからこそ、現在のミラーレスカメラの凄さにも深く納得できるとし、この時代を「楽しくて仕方がない時間だった」と振り返った。



















