吉村和敏の「フィルムカメラ撮影記」
昭和を代表するカメラ――Nikon F3 HP
2026年10月3日 12:00
昭和を代表するカメラは何かと問われたら、多くの人がNikon F3を挙げるのではないだろうか。ニコンのプロ用一眼レフカメラは、F、F2と代を重ね、F3はその3代目として1980年3月に誕生した。
電子制御シャッターを採用し、ニコンのプロ用一眼レフカメラとして初めて絞り優先AEを搭載。絞りを決めれば、シャッター速度は8秒から1/2,000秒まで無段階で追従し、どんな光の変化にも柔軟に応じてくれる。もちろん、絞りとシャッターを自分で決めるマニュアル撮影も可能だ。
ファインダー内の露出表示には、当時としては先進的だった液晶を採用した。測光方式は、レンズを通った光を測るTTLボディ測光。ミラーを透過した光をサブミラーでミラーボックスの底部へ導き、光への反応が速いSPD(シリコンフォトダイオード)で受ける方式だ。
こうしてF3は、新しい技術を取り入れながらも堅牢性や操作性を損なうことなく、プロ用ニコン機としての基本をF2から受け継いだのだ。
イタリアらしいモダンな空気
F3を語るうえでもう1つ欠かせないのがデザインだ。シャープなペンタプリズムと、手になじむ滑らかなボディライン。その直線と曲線の組み合わせが、F3独特の端正な美しさを生み出している。小さなグリップには赤いラインが添えられ、フラッグシップ機でありながら、どこか親しみやすさも感じさせる。斜めにカットされたモータードライブとの一体感も美しい。そう、F3は、それまでのニコンとはどこか違う、イタリアらしいモダンな空気をまとっていた。
手掛けたのは、イタリアの工業デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ。自動車の世界で名を馳せた人物がカメラを設計する。当時としては、かなり大胆な起用だった。
1982年には、F3にHP(ハイアイポイント)が加わる。ファインダーを覗くときのアイポイントを大きく取った改良モデルで、メガネをかけた人でもファインダー全体を見渡しやすくなった。もともと優れていたF3の操作性に、この快適なファインダーが加わったことで、F3 HPは、プロ・アマを問わず圧倒的な支持を集めたのだ。
憧れ続けたプロの道具
Nikon F3 HPは私の写真人生と重なる。
私が写真に興味を持ったのは、1982年、中学3年生のときだった。つまりF3 HPが世に出た頃から、私と写真との付き合いが始まったことになる。
高校では写真部に入り、ますます写真にのめり込んでいった。当時使っていたのはOLYMPUS OM-10。この頃はまだ、OM-10より価格が約3倍もするNikon F3は、まったくの異次元のカメラで、眼中になかった。
18歳のとき、東京・四谷にある現代写真研究所に数カ月間在籍した。周囲にはニコンを使う人が圧倒的に多く、そこで初めてF3をいじらせてもらった。ファインダーを覗き、シャッターを切ってみる。それまで使っていたOM-10とは、明らかに別世界のカメラだ。プロが使う道具とは、こんなにも凄いものなのか。そのときの強烈な印象は、今でもはっきり覚えている。いつか自分もF3で写真を撮ってみたい──。以来、F3は憧れのカメラになった。
しかしプロの写真家になってから、仕事で選んだ機材はペンタックスとキヤノンだった。風景をテーマにするなら中判カメラがベストとされていたし、35mmについても、当時の私の中には「風景やネイチャーはCanon、報道やドキュメンタリーはニコン」というイメージがあったからだ。
そんな私がようやくF3 HPを手に入れたのは、皮肉にも2000年に生産終了が発表されたときだった。F4、F5と後継機が登場してからも、このカメラは長く作り続けられていたが、いよいよ姿を消すことになる。ここで買わなければ、たぶん一生後悔する。そう思い、当時行きつけだった池袋のカメラのさくらやでF3 HPとレンズ2本を購入した。
F3 HPは海外取材にも何度か持っていった。ところが、いざ撮影が始まると、手が伸びるのは使い慣れたペンタックスやキヤノンばかり。F3 HPが作品を生み出すためのカメラになることはなかった。
やがて、デジタル化の波が急速に押し寄せる。いつしかF3 HPは、防湿庫の中で眠るようになっていた。でも、それはそれでよかったと思っている。カメラには、写真を撮るための道具とは別に、所有しているだけで満たされるものが確かにあるからだ。
美しいボディ、手にしたときの質感、カメラ全体を包み込むように響く「カシャン」という独特のシャッター音。そして、フィルムを巻き上げるときの滑らかな感触──。その1つ1つに気品のようなものが漂っている。
写真を撮らなくてもいい。ときどき防湿庫から取り出し、空シャッターを切る。F3 HPを手にしていると、それだけで写真を始めた頃の気持ちがよみがえり、心が少し豊かになるのだ。
デジタル時代に抱くF3
面白いもので、デジタル全盛の今、この完成された銀塩カメラが、自分の中でますます存在感を増している。むしろ最近になって、旅にF3 HPを持ち出す機会が多くなった。
そして今回も、愛機を携え、信州・白馬へ向かった。
最初に訪れたのは、大出公園。茅葺き屋根の古民家の向こうに白馬三山がそびえ、その間を姫川の清流が流れる、信州の農村の原風景が今も大切に残されている場所だ。
まずは見晴台に立ち、吊り橋の先に北アルプスの稜線が連なる雄大な眺めを一望した。そしてF3 HPを取り出し、フィルム(FUJIFILM 400)を詰め、ファインダーを覗き、慎重にピントを合わせ、シャッターを切る。親指をスライドさせて巻き上げる。その一連の動作から生まれる小さな機械音は、姫川の川音と溶け合い、いつしか1つの調べを奏でているようだった。
次の目的地へ向かう途中、SGCゴールドフィールドではサッカーの試合が行われていた。背後には雪を抱いた北アルプス連峰がそびえ、スポーツと大自然が一体になったこの土地ならではの光景が広がっている。咄嗟に歩みを止め、数枚の写真を撮った。
野平の1本桜と呼ばれるエドヒガンザクラは、田んぼを見下ろす高台にポツンと立っていた。春になると枝いっぱいに淡い花を咲かせ、素朴な里を美しく彩る。その姿を写真に収めようと、全国から多くの写真愛好家が訪れる場所としても知られる。
さすがにこの時期は、誰もいなかった。ひとり桜と向き合っていると、あたりに漂う寂寥感や孤独感の中から、1本の木が何かを語りかけてくるような気がしてくる。そんな囁きを、今ではほとんど使う人もいない銀塩フィルムのカメラで、丁寧に掬い取る。静かな山里で、桜と自分だけが向き合う時間が、何ともいえず心地よかった。
続いて向かったのは、青鬼集落。石積みの棚田が幾重にも折り重なる斜面に、江戸時代から続く民家が点在する、国の重要伝統的建造物群保存地区だ。集落に足を踏み入れると、まるで時代をさかのぼったような、心安まる風景が広がっていた。
ゆっくりと集落を歩き、軒先や畑にある何気ない暮らしの気配を、丁寧にフィルムに収めていく。ふと、写真に夢中になっていた高校時代のことが蘇り、胸をギュッと掴まれるような気がした。
長い石段を登った先に、青鬼神社が鎮座していた。大同年間(806〜809年)の創建と伝えられ、現在の本殿は明治26年(1893年)に建てられたものだ。祭神は善鬼大明神、通称「お善鬼様」。村人に善行を施した鬼を祀ったのが始まりだという。かつては疫病除けの神として遠近から信者が集まり、私が登ってきた長い石段も、その人々の寄進で築かれたと知った。
ファインダーをウエストレベルファインダーDW-4に付け替えてみた。30年前、なぜこれを買ったのか、記憶をたどってみる。確か海外の街中でスナップを撮るとき、相手に気づかれないよう、下を向いた姿勢のまま被写体を追いかけたい──そう考えたからだ。
しばらくぶりに使ってみると、これが意外といい。神社の本殿を撮った後、集落に戻り、庭木や花、小屋にカメラを向ける。その日の撮影は結局、最後までこのファインダーを装着したままだった。
今日1日、Nikon F3 HPと一緒に過ごした。フィルムを詰め、シャッターを切り、巻き上げる──。その一連の動作が、デジタルで速く、多く撮ることに慣れきっていた自分には実に新鮮で、心地よく感じる。目の前の被写体とじっくり向き合う時間を取り戻させてくれるような気もした。
40年以上前に生まれたカメラなのに、いま手にしても、その魅力は少しも色あせていない。Nikon F3 HPは、改めて昭和を代表する名機だと確信した。



















