赤城耕一の「アカギカメラ」
第150回:ルサールとオリオン——周辺光量低下の愉楽
2026年10月5日 07:00
写真家と写真レンズの光学設計者は、レンズに関して異なる価値観を持っていることがあります。
ただ、光学設計者の中でも、実際にプライベートで写真制作をする人と、仕事以外では一切写真を撮らない人、2つのタイプに別れます。筆者も数人、レンズ設計者の知人がいて、2つのタイプが存在することを認識していますが、これもそれぞれのタイプで考え方が異なることがあります。どちらのタイプが良いか悪いかという話ではありませんので念のため。
筆者は実写した印象だけで、鮮鋭性やコントラスト、ボケなどの評価をします。光学はド素人なので、結果がすべてです。
もっとも特定の条件だけでレンズの評価などできるはずもなく、実際に設計者と話をする機会があってもみなさん我慢強く、ド素人のいいかげんな話を静かに聞いています。オトナですよね。
筆者は光学設計者をリスペクトしております。自分ではレンズ設計できないからです。
このため根拠なく、世間に流布されている評価だけでオールドレンズを礼賛することだけは避けています。寝食を忘れ、日々最適解を求めて、仕事に打ち込まれている方々の苦労を存じ上げているので、古いレンズだからから良いのだ、面白いのだ、なんて安易に言えません。
たとえばオールドレンズの「ぐるぐるボケが良い」って話ばかりでは、自分の頭の中がぐるぐるであることを世間に向けて吹聴しているようなものです。
ぐるぐるにならないように設計者は日々、奮闘努力しているわけでありますから嫌われてしまいかねません。いや、もう嫌われているかもしれませんが。
問題は、ぐるぐるボケがどのように写真の内容に影響と効果を与えているかが重要なのであります。
レンズ設計者は無収差を追求するのではなく、収差のバランスを大事にしているという話は常識なわけですね。
筆者は収差が不十分なもの、誰でもわかるような欠点を有するレンズというのは常用するものではないにしろ、存在してよいのではと考えています。こう書いてしまうとまた光学設計者に怒られそうです。
少し撮影者側からの言い訳をするのならば、収差のバランスを意図的に崩すとか、逆に目立たせなくするにはどうしたらよいかということを、考えながら作画するなど、そこに撮影者側のクリエイティブな余地が残されていると考えています。
レンズの中には意図的に収差を利用して、その効果を応用するレンズもあります。代表されるのはソフトフォーカスレンズでしょうか。
これは球面収差を意図的に利用したものです。もちろん意図的に設計されたもので、収差を作画に応用する目的で設計されています。
本来、ボヤけた像は鮮鋭さが劣り、情報量が低くなりますから、時として見苦しくなるはずなのですが、特定の被写体や撮影条件、ライティングによって、美しい描写であると人は判断するわけですね。
描写としては非現実的かもしれませんが、必ずしもそこにあるさまを明確に再現することのみが写真制作の目的ではありません。
筆者が好きなのは、周辺光量がわりと大きく低下するタイプのレンズです。対称型設計の広角レンズに多くみられます。
光学設計者は画面全体の明るさを均一にしようと試みますが、周辺光量の低下はコサイン4乗則にあるとおり、光学的にみても宿命的な現象でもあります。これをいかに抑え軽減させるかが設計の腕の見せどころなのでしょう。
ただ、周辺光量低下は描写的には非現実感があります。いわゆる額縁効果とか、トンネル効果になるからです。
周辺光量が大きく低下した写真が問題になるのは建築、商業、工業、一部の風景写真など、画面四隅の情報が失われてしまうと、不完全な記録になってしまう場合や、情緒的なニュアンスが極端に強く入り込むと本来の目的を伝えるのが困難になる場合だと思います。具体的にいえば、情緒を感じさせると逆効果になる写真、あるいは四隅に記録されているものが明確に認識できないと困る写真などですね。
もちろん昨今はカメラ内においてデフォルトで周辺光量低下を自動補正してくれるものが多いため、ほとんど問題とはなりません。
でも一般的な写真作品では、多少の画面四隅の光量低下は問題視しないと考えるのは筆者だけなのでしょうか。
これは好みの問題でもあるのですが、筆者は新しいカメラを購入して最初に行う自分の設定の中に周辺光量補正をOFFにするというミッションがあります。銀塩モノクロ写真を引き伸ばす時はイメージが四隅から逃げ出さないように少し焼き込んで、周囲の濃度を上げて対応するのでした。
筆者は時として、「すべてかゼロか」という全フリで写真制作に立ち向かいたくなることがあるのですが、機材にもそうした振り切ったレンズを所望したくなるわけですが、そんな機材は決して多くありません。早い話が、周辺光量低下の大きなレンズを作ってくれませんか。ということです。またまた光学設計者に怒られてしまいそうですけど。
ここではそんな気分に合致する周辺光量低下のチャンピオンクラスに属するロシア製のルサール MP-2 20mm F5.6とオリオン-15 28mm F6のレンズをご紹介します。嫌味ではありません。
1980〜1990年代半ばくらいまで、ロシア製のカメラ、レンズブームというのがあり、筆者も少しだけですが波に乗り、いくつかのロシアカメラとレンズを購入しまたが、生き残ったものは少なく、レンズでは、これら2本のみでした。
いずれも戦前のトポゴンタイプ設計とよばれるレンズで小型軽量、マウントはライカスクリューマウントですが、筆者の愛用歴も30年ほどになります。
ルサール MP-2 20mm F5.6は1958年登場とのことらしいですが、ずっと幻のレンズで、筆者もその存在を知ったのは1980年代の前半くらいからではないかと記憶しています。
このレンズ、MP-2の表記があるもの、MR-2と表記されたりしますが、これはロシア語のアルファベット(キリル文字)で書かれているか、英語(ラテン文字)で書かれているかという表記の違いによるもののようです。ここではMP-2と書いておきますね。
鏡筒はアルミ製で約70gと、とても軽量ですが、ビルドクオリティとしてはもう少し頑張りたいところ。鏡筒はシルバーとブラックの仕上げがありました。鏡筒全長は非常に薄く、M型ライカに装着すると、ボディキャップみたいで、携行性抜群です。
20mmという焦点距離のためでしょうか、距離計連動カムは省略されています。使用にあたっては完全な目測撮影になります。
被写界深度が深いために、極端にフォーカスを外すということはありませんが、距離指標の刻みが至近距離になるとコンマ1m単位になるなど、神経質なほど細かく設定されているので緊張しますが、だいたいでいいと思います。至近距離になれば被写界深度は浅くなりますから当然の仕様なのかもしれません。ビルドクオリティはユルいのに、なぜこんなところに全力をあげるのでしょうか。
もっとも昨今の高画素機の画像をみると、わずかなフォーカスのミスも露呈することがあるのは確かです。しかし、あまり神経質になると長生きできません。それでも徹底してフォーカスを追いこみたいというなら、ライカならばEVFを使うのが最も効率が良さそうです。
レンズ構成は4群6枚でほぼ完全な対称型です。特性としては歪曲収差がほぼ完全に補正されていることですね。
外観からもとても曲率の大きなメニスカスレンズが第1面と最後部にあり、中のレンズを包んでいる印象です。これもトポゴンタイプの特徴ですが、トポゴンは航空写真用のために設計されているとも聞いていますので、歪曲のない実直な描写にはこだわったのでしょう。
一時期ルサールはとても廉価に販売されていたこともありましたが、筆者はこのレンズを、たしか4本買い直した記憶があります。諦めの悪い自分でもこれは呆れますけど、いずれもわずかに片ボケがあるなどの問題もあったからです。
ついに4本めにしてやっと納得のゆく個体に恵まれたというわけです。出自すら怪しいロシア製ですから、不満足な個体に当たってもしばらくは静かにしていたのですが、買い換えてまでも本レンズの真の実力を見極めたくなったのは事実であります。
苦労しましたが、これも廉価に売られていたからこそです。国産のカメラ、レンズメーカーのレンズならこんなことが起これば、大騒ぎしてクレーム騒ぎとなったと思うのです。
本レンズは後玉が飛び出しているタイプということもあり、射出瞳の位置はデジタルでの使用は厳しく、周辺の色かぶりは避けられませんでしたが、ライカですとM10以降の機種では許容範囲という印象です。
ちなみに本レンズは2014年にロモグラフィーから本レンズの復刻版が発売されているのですが、筆者は残念ながら復刻版の使用経験はありません。でも真鍮製の鏡筒を採用していたらしく、品質が向上したのではないかと予測されます。どなたか復刻ルサールが不要になった方、ご連絡お待ちしておりますよ。
もう1本のレンズはオリオン-15 28mm F6です。沖縄のビールみたいな名前のレンズですね。呑みたくなってきました。このためもあり、名前からは爽やかさとユルさを感じるような気がします。もちろん気のせいです。
本レンズはいちど、本連載の「小口径レンズのススメ」という記事で取り上げています。
その時の記事にも書きましたけど、このレンズ、最初に使ったのが沖縄での本業のロケの合間でした。フィルムM型ライカにモノクロフィルムを使用したのですが、現像してみると本レンズで撮影したコマはプリントするのに困難なほど薄いネガが出来上がりました。
この時荒天候だったこともあり勘違いによる露光不足の可能性もあるのですが、他のレンズで撮影したコマは通常の濃度でしたから、絞りの刻みがデタラメなのか、周辺光量低下の大きさがネガの階調を乱したのか、それとも本レンズのヌケそのものが悪いのか、原因がわかりません。こういうことは記憶力の悪い筆者も覚えているわけですわ。
これがトラウマになって、失敗原因を追求することなく、使いづらいレンズとして筆者は認識してしまい、長く防湿庫の奥底で見張り番を担っていたのですが、デジタル時代になって、撮影結果が即時にわかるようになり、これなら露出だけではなく、周辺光量低下の効果を瞬時に見極められると考え、その大きな効果を望みたい場合に積極的に使用しています。
そうしたらですね、意外と言っては失礼ですが、外観の印象よりもかなり良いのですよ画質が。たしかに万人にはおすすめできるレンズではないのですが、「写真的なツボ」を押さえているレンズという感じがします。みんなが大好きな28mmですからねえ。
レンズ構成は4群4枚の対称型ですが本レンズの周辺光量低下の大きさは期待を裏切らないと思います。鏡筒はアルミで約60gと軽量ですが、デザインがいまひとつなのはガジェットとして期待したい人には辛いものがあります。また多くの個体の鏡筒は雑な仕上げなのが残念なのです。
外観をみて、このレンズが欲しいと思う人は、全世界で3,000人くらいしかいないんじゃないかな。
F6という開放Fナンバーもマーケティング的にマイナスポイントですが、素人考えだと、無理のない明るさですから、光学性能はそこそこに優秀なのではないかと予想するわけです。もちろんデジタルカメラではISO感度を上げれば、Fナンバーが暗いことはカバーできますから問題にはなりません。
実際に使用してみると、周辺光量の落ち方はフィルムで最初に撮影した時の印象そのままでデジタルでも変わることがありませんでした。
周辺を暗くすることで中央にある主要被写体を盛り上げているのだと考えると、周辺光量低下は納得できる落ち方ですが、ここまで大きいと、すべての写真はいわゆるトンネル構図、額縁構図になりますね。
ルサール20mmとは性格が少々異なり、絞り設定によって周辺光量は改善される方向にはなるようですが、条件によっては絞り込んでも周辺光量低下はわかりますね。
本レンズは鏡筒のデザインだけでも、もう少し高級にすれば、現代のレンズとは異なる世界の裏を表現できるレンズとして見直される気がしてなりません。周辺光量が極端に落ちたシャドーの中に、秘密が隠れているような気がするからです。中国のメーカーの方、美しい鏡筒をつくり、このレンズをドレスアップしてみるというのはいかがですか?
今回の2本のレンズは当然デジタルカメラでの使用についてはまったく考慮されていません。
基本的にこれらのレンズの周辺からの光線は、センサーに対して、かなり斜めから入ってきます。
センサー上のマイクロレンズが想定している方向から、光が外れてしまう可能性があります。これはレンズ側の射出瞳の位置、イメージセンサー前のカバーガラスの厚みによっても周辺に影響が出てきます。
このため使用するカメラの種類によっては、画面周辺に色づきなどの影響が出ることがあります。
カメラメーカー各社によってマイクロレンズに対する考え方やカバーガラスの厚みは異なるので、同じレンズを使用したからといって同じ結果になるとは限りません。マウントアダプターによるオールドレンズの使用は、いわばイレギュラーな使用方法になります。
今回撮影に使用したライカM11-Pについては、周辺光量の低下は大きいものの、色づきの影響は軽微でした。
ライカM11-Pのセンサーのマイクロレンズの角度やカバーガラスの厚みは自社のライカレンズを基準として設計されていると考えられます。
ライカMは、モデルチェンジがあるたびに、登場した年代やメーカーによらず、より多くのライカマウントレンズが使用できるように考慮され、マイクロレンズなどが改良されているようです。これはライカ社ならではの矜持があるからでしょう。そうでなければ、古いズマロン28mm F5.6の復刻などできません。ライカMマウントはいまやユニバーサルマウントと言っても過言ではありませんから、ライカ社としては、装着できるものならば、これまで世に出た多くの種類のレンズを使えることが筋と考えているのかもしれないですね。
周辺光量低下が大きいほどありがたしと考えるのは、筆者のようなシリアス写真を好む、一部の年寄りだけかもしれませんが、妙に優等生だらけの現行レンズの中にあって、これら周辺光量低下の大きなレンズの個性は群を抜いて突出した描写を持っていることは特筆すべきことでしょう。
ただ、今回の作例を眺めていて思ったのは、画角が広いこと、強いパースペクティブ、周辺光量低下が大きいという理由があるからこそ、被写体が何であろうが、どのような状況なのかにかかわらず、ぱっと見でも目を惹く印象を受けているのではないでしょうか。
つまり、何を撮るかという写真の本質から外れているような気がしなくもありません。もちろんレンズの特性が及ぼす効果が悪いこととは言いませんが、実は大いなる勘違いをしているのかもしれません。筆者自身の非才さや、作例の中身の薄っぺらさを隠しているようにも見えてきます。これは大いなる反省点でもあります。
「ぐるぐるぼけ」や「周辺光量低下」は写真制作の目標にはなりません。主題を盛り上げるための調味料的に考えるのが本来のあり方なのかもしれませんね。

























