赤城耕一の「アカギカメラ」
第88回:単焦点レンズは“美しい無駄”を愛でたい
2024年2月20日 07:00
35mmを自分の“標準レンズ”として考えると、次に揃える広角側の焦点距離の候補としては、24mmないし21mmの選択が浮かびますが、最近は28mmの出番がどういうわけか増えてきました。年寄りになったので、あまり刺激的なパースペクティブは必要がなくなったからかもしれませんね。
広角の代表的焦点距離である28mmレンズはライカレンズでも長い歴史がありますが、有名なところでは、1935年にライツからヘクトール2.8cm F6.3が登場しています。
この当時の広角レンズですから特殊な部類のレンズに区分けされていたようです。のちにズマロン2.8cm F5.6に代わり、エルマリートM 28mm F2.8が登場します。この初代エルマリートは対称型設計のために、ライカM5やM6では突き出た後玉が邪魔をして、TTLメーターを使用することができませんでした。ある意味ではレンジファインダー用の広角レンズならではの個性的な設計であり、今では高い人気があります。
一眼レフ時代になり、レンズ後端とシャッター幕の間にクイックリターンミラーが動作するスペースを確保しておかねならないという約束事が科されました。とくに広角レンズはバックフォーカスの余裕をとるため、レトロフォーカスタイプのものが次第に一般的になりました。
往時のレトロフォーカスタイプの広角レンズはタル型の歪曲収差が残っているものが散見されたためか、一眼レフの黎明期には「28mmレンズのような広角レンズを使う場合はレンジファインダーカメラに任せてしまえ」という風潮もあったと先達写真家からは聞いています。
M型ライカのブライトフレームに28mm枠が内蔵されたのは、わりと最近、と思ってしまうのが年寄りになった証拠なのですが、これは1981年に登場するM4-Pからでありますね。
28mm枠は90mmと同時にフレームが出現するので、少々目障りではあります。ただ、それよりも筆者のような眼鏡使用者が一度に28mmフレームを見渡すのはかなり難しいのです。M4-Pのファインダー倍率は、前機種のM4-2やM4と同じ0.72倍ということもあったのでしょう。筆者は枠に沿って眼球を一巡りさせている感覚で使用することになりました。
ところがM4-Pと同年に登場したMマウント互換のミノルタCLEにも28mmのブライトフレームが内蔵されていました。こちらはファインダー倍率が0.58倍と小さいこともあったのでしょう。眼鏡をかけていても比較的容易にフレーム全体を見渡すことができました。
この当時、ミノルタCLEは内蔵ブライトフレームの28mm枠がしっかりと確認できるレンジファインダー機、そしてCLEのために用意されたMロッコール28mm F2.8の性能が優秀であるという認識が強く、Mマウント互換AE機としてよりもファインダーの性能に注目し、使用する人が多かったことを記憶しております。
筆者は発売当時からのミノルタCLEユーザーですが、この当時は広角系のレンズは北井一夫さんの仕事の真似をして、キヤノン25mm F3.5にL-Mアダプターをつけて使用しておりました。Mロッコール28mm F2.8は所有はしていましたが、使用頻度は多くはありませんでした。35mmの感覚で使用できるMロッコール40mm F2のほうが使用頻度は高かったくらいなのです。
ライカM4-Pの後継機であるM6にも28mm枠のフレームがそのまま搭載されたことで、このあたりからライカユーザーには28mmがさらに身近になったのかもしれないですね。それまでは28mmのフレーミングを決めるには、外づけのファインダーを用意しなければならなかったからです。
基本は35mmレンズ標準派の筆者ですから、28mmレンズとは少し距離を置いていた時代もあったのですが、ライカM6やミノルタCLEそして、身近に常にある28mmとしてリコーGRが登場してからというもの、強制的に眼球に28mm枠をはめられたごとく、28mmの画角に慣れていくようになりました。
そもそもM型ライカのブライトフレームの数が増えたのは、単純に交換レンズをたくさん売りたいという当時のライツ社の営業上の思惑が強かったのではないかと筆者は想像しているわけであります。
レンズの種類が増えれば増えるほど、その表現も多様化するのではないかという悪しき妄想がライカユーザーの間に渦巻き、ドボドボとレンズ沼に落ち始める人が増えてきたのも、この時期からかもしれませんなあ。いや、すでに沼に先住民はたくさんいましたね。お待ちしておりました。
その後、ご存知のとおりM型ライカのブライトフレームは28mm枠内蔵がデフォルトとなるわけですが、これはライカスクリューおよびMマウントの互換レンズを発売しているカメラ・レンズメーカーにも恩恵を与えたようです。
バブル期の高級コンパクトカメラの登場以降ですが、サードパーティのライカスクリューマウント、ライカMマウント互換の28mmレンズが増えたのです。
主なところでアベノン28mm F3.5、リコーGR 28mm F2.8、コシナ・フォクトレンダーのウルトロン28mm F1.9、カラースコパー28mm F3.5、ツァイスのビオゴン28mm F2.8 ZM、Gロッコール28mm F3.5などがありますが、いずれも優れたレンズばかりであります。
ライカM4-Pの28mm枠の見づらさは現行のM11-Pにおいても踏襲されています。機構上、これはやむをえないところです。でも、ライカM(Typ240)以降、ライブビューやビソフレックス(EVF)を使用しての撮影が可能になってからは、そちらで正確なフレーミングができますから、ほとんど何も言われなくなりました。
今回はコシナのNOKTON Vintage Line 28mm F1.5を導入したので、ここでご報告しようと書きはじめたのですが、28mmと筆者の関係を思い出しながらつらつらと書いていたら、例によってものすごく前置きが長くなってしまったというわけです。すみません。
NOKTON Vintage Line 28mm F1.5が発表された時は驚きました。大口径の広角レンズなのに、前玉がとくに大きいわけではなくて、全体に凝縮感を感じたからです。しかもデザインと素材の異なるType IとType IIが用意され、好みに応じて選択できる配慮がされていました。これはコシナの伝統というか、お家芸である多品種少量生産によって生み出されたものです。
Type Iは素材はアルミで軽量、マットブラックとシルバーの仕上げです。フォーカスリングのローレット形状は1970年代の2世代めのズミルックス50mm F1.4の雰囲気と似ています。重量は250gです。
Type IIの素材は真鍮、ブラックペイントとシルバークロームの仕上げです。フォーカスリングのローレットと鏡胴の基部の加工がとくに1960年代前半のズミルックス50mm F1.4の雰囲気とよく似ています。真鍮外装のためでしょう、330gとずっしりとした重さがあります。
いずれもレンズ構成は8群10枚。うち、非球面レンズ2枚と、異常部分分散ガラス2枚を使用しています。外観はクラシックなんだけど、設計は最新であります。
最短撮影距離は0.5mで、最短ではM型ライカの距離計連動範囲を超えます。あえて説明する必要はないでしょうけど、この場合はライブビューやビゾフレックス(EVF)の使用、あるいはマウントアダプターを用いて、ミラーレス機でご使用くださいということなのでしょう。
筆者が選んだのはType IIです。
ええ、日頃、重たい撮影機材はダメだと大騒ぎしているくせに、話が違うじゃねえかよと言われてしまうことも覚悟の上で選択しております。
使用カメラはライカM11-Pですが、こちらもシルバーボディ、すなわち真鍮素材の重たいほうを選びました。つまり筆者には珍しく、デジタル機材なのに趣味性を強く重んじたわけであります。
もっとも「ライカを使う」という時点で、筆者の場合はアサインメントとは少し遠く離れてしまいますから、あれこれ言い訳しても信用はないわけですが、もちろんフィルムM型ライカやツァイスイコンなどにも使用することを考えた上、整合感を考慮した上でのType IIという選択でもあるわけですね。
またType IIを選択した理由はもうひとつ。着脱可能なフォーカシングレバーが同梱されていることです。興味のある方はご自身で精密ドライバーをご用意いただき、化粧ネジを外し、フォーカシングレバーをねじ込んでくださいということです。いいですね、このカスタマイズというかおまかせ感が。
このノブを装着すると、かつてのライツがデビッド・ダグラス・ダンカンなど報道写真家に渡した、フォーカシングノブつきのノクティルックス50mm F1.2のような雰囲気になります。
ノブを指で軽く触るくらいでフォーカシングできることから報道写真家には重宝されたのでしょう。でもノクティルックス50mm F1.2はもともとフォーカシングレバーが装備されていませんでしたから、素早いフォーカスノブを装着することに必然はあったのかもしれませんが、本レンズにはもともとフォーカシング用の指掛けが備わっていますから、そこに必然はありません。
はい、ですからこれは「美しい無駄」ということになります。なんせ、この化粧ネジもマイナスネジなんですぜ(笑)。もうね、カタチがすべてに優先するという、コシナ・フォクトレンダーの四半世紀にわたる開発思想がたっぷりと盛り込まれた製品ということになります。
良質のグリースが詰まったフォーカスリングのなめらかな動きは、MFのフォーカシングにこだわりのあるコシナのお家芸的な加工によるものでしょう。
ちなみに、このノブがちょうど真下に位置したとき、フォーカスリングの距離は1mちょうどになります。これは意図した設計かもしれません。距離目盛りを確認しなくても手探りのノブの位置で距離設定がわかるようになれば、あなたもマグナム・フォトに入れるかもしれません。
マニアックな使い方に思われるかもしれませんが、かつてのライカ使いには当然のことで、こういうところに、使いこなしの知恵と工夫があったわけです。
描写に関しては最新設計だけあって、ツッコミどころはありません。開放から合焦点はバリバリのシャープネスがあります。筆者は広角系レンズならどんなものでもシャープネスが高いほうがよいと信じているので最高ですね。
絞り開放近辺での絞り値では、やや周辺光量の低下が見られますが、これもグラデーションフィルターを使用した時のような品のよい光量落ちと感じます。もうすこしヤクザな写りをしてもいいんだぜ、と思いたくなることもあるくらいなのです。
単体の28mmレンズ一本で、こうした筆者の勝手な“物語”を書きたくなるパワーを秘めたレンズが登場してくるのはすごいことですが、正直「よく写る」というだけでは年寄りには道具としての魅力、使用するモチベーションが保てない状況になりつつあるわけです。
特に色気のないミラーレスカメラ用の単焦点レンズの一部には、この仕上げにこれだけの対価を支払うのかよと、と暴れたくなるようなものがあります。写りの良さだけではなく“モノ”に対価を支払っているのですからどうぞよろしくお願いします。
単焦点レンズだからこそ、鏡胴の仕上げ、デザインに少しだけこだわったものを使いたい。
筆者が申し上げていることはそんなに難しいリクエストではないと思うのですが。筆者がライカやコシナ・フォクトレンダーについ逃げてしまいたくなる気持ちはお分かりになる人も多いのではないでしょうか。
ところで本レンズを装着したM11-Pをあれこれいじくり回して、ニヤニヤしていたら、うちの妻が冷たい目をしてこちらを観察していました。取り扱いには十分に注意してください。
明日2月21日(水)にいよいよ新著「アカギカメラ—偏愛だって、いいじゃない。」(インプレス)が発売されます。連載記事の再録に加筆修正、本書のための書き下ろし、「カメラバカにつける薬」の飯田ともきさんとの特別な対談も収録しています。どうぞよろしくお願いします。
2月23日(金・祝)にはCP+2024会場内のインプレスブースにおいて、サイン会も開催します。こちらもよろしく。